事件現場
魔術師ギルドは酷いありさまだった。激しい戦闘が行われたであろう上階の窓には煤が付着し、純白の美しかった壁には、ヒビが走っている。
神殿騎士団によって封鎖されている現場についたジュエル達は、現場責任者によって、リリの執務室まで案内された。
中はさらに荒らされた痕跡が酷く、貴重な本の収蔵された本棚は倒れ、魔道具の並ぶ棚も傷付き、一部崩れていた。
「どうやらリリ様もその守護獣も相当抵抗したようね」
ジュエルが焼け跡や爪の跡を調べながら言うと、
「もうそりゃ〜凄かったよ〜。ぼくなんか巻き込まれて、何べんも死にそうになったもん。ベイル君良く生き延びた! 偉いっしょ?」
褒めて褒めて〜と言いながらも、周囲を探索するベイルに苦笑しながら、
「ウーシア、何か分かるか?」
既に探索モードに入っているウーシアに尋ねると、
「沢山の臭いが混在してるワン、焼け跡の臭いの他に、リリの生活臭、職員達の血の臭い」
鼻をクンクンいわせながら、細かな探索を続ける。
「それに襲撃者、以前に会ったウンドの臭いは……ここだワン! この地点で床に体を付けているワン」
と言うと、床に手を付けて地面を探り、
「凄く鋭利な刃物で床を一撫でしているワン。白亜石の硬い床が見事に切れているワンウ」
その傷跡を撫でた。
「そう、ウンドの得物は凄く切れ切れでさ〜、ぼくなんか何度も首を飛ばされそうになったよ〜。それに他の襲撃者も変な技を使うし、あんなの始めて見た〜」
と言うベイルに向かって、
「変な技とは、足から短矢を放ったりする奴か?」
とジュエルが聞くと、
「いや、そんなんじゃ無くて、無手なんだけど、突然体を黒いもので覆って殴ってきたり、それを飛ばして来たりしたなぁ。結局こいつに潰されたけどね?」
と言いながら、部屋に転がるストーン・ゴーレムの首をペシペシと叩いた。
「こいつは、ウンドにやられたのか? 見事な切り口だ。例の風を纏った居合術だろうか?」
それを見たジュエルが、まじまじと観察しながら呟く。同じストーン・ゴーレムでも大理石魔像などとは違い、魔術師ギルドを守護するそれは、硬質かつ潤沢な魔力によって作り出された、高品質の石魔像であり、そう簡単に斬れる代物ではない筈だ。
その真っ平らな切断面を見たジュエルは、改めてウンドの力に寒気を覚える。自分の聖守護結界でこれを防げるか? 冷静に判断して難しいと感じた。
「そうそう、僕とこいつで挟み撃ちにしたんだけどね〜。最後に派手なのかまされちゃった。退路側に居たのがこいつで良かったよ〜、でないと首チョンパされてたのは僕だったかもね〜」
アハハッと笑うベイルは、しかし本当に危なかったのだろう。多分着替えていないであろう衣服には、切り傷の他に打撲痕の汚れが付着していた。
襲撃からずっとリリに張り付いて、警護に当たっていたに違いない。見た目や言動によらぬ仕事ぶりに、内心頼もしく感じる。
「なになに〜? そんな目で見ないでよ〜。恥ずかしいじゃないかジュエルちゃ〜ん」
と照れるベイルに向かって、
「それにしても職員の亡骸はともかく、襲撃者の遺体はどこに行ったんだ?」
と聞くと、付き添いで来ていた神殿騎士が、
「それが、我々が駆け付けた時には既に跡形も無く消えていたんです」
と教えてくれた。
「となると、我々の襲われた時と同じか。何の痕跡も残さずに消える襲撃者は、証拠が無いから追いようが無い。これが狂信者共のやり口って訳か」
ジュエルが腕を組んで考え込む。〝突然死〟のハムスが言っていた聖火教原理主義の実働部隊〝牙〟これは多分その手のものであろう。犠牲も厭わぬやり口は、ある意味非常に合理的だと言えた。
またこれだけの事をしでかすためには、相当の費用と、沢山の下支えがいるに違いない。それらを賄える巨大な宗教組織……自らも異なる宗教組織に所属する者として、真っ向から対立した時の恐ろしさに、背筋が寒くなる。
暫く詳しい検分をしていると、
「これは酷いわね、お待たせ、リリ殿の警護に三名向かわせて、ここには調査向きの二人を連れて来たわよ。さて、何から調べようかしら?」
とゲマインがやって来た。後ろには見たことの無い女性と、水魔法使いのヴェールが従っている。
少し気恥ずかし気なヴェールは、リロがいない事に気付くと、
「リロさんは大司教様の所でしょうか?」
と尋ねて来た。それに答えたのはジュエルではなく、
「負けた相手の事気にしてる場合かい? その線の細さがお前の弱さだよ。シャキッとしな、シャキッと!」
振り向いたゲマインに叱責されて、首を竦めて後ろに下がった。そこへ、
「まあまあ、反省会は済んだんだ、サッサと相手の痕跡でも検分しよう。あたいは初めましてだね? トゥーマルタスのスカウト、トトってんだ、よろしく」
魅力的な腰付きの女性が手を伸ばしてジュエルと握手した。そして全身を眺めた後、
「ふ〜ん、スワンクと真っ向から当たって引き分けたにしちゃ、やっぱり細い。それだけ優秀な聖騎士って事だね。一緒に組むならこれほど頼りになる女も居ない、宜しく頼むよ」
と言ってカラカラと笑った。全身を締め付けるコルセットの様な黒い革鎧は、幾つもの収納を持ち、各種道具や、武器の柄らしきものが生えている。それでいて物音一つ立てない彼女は、地面に固執して探索するウーシアに近づいて行った。
「そこに何かあるのかい?」
と尋ねると、
「ここにウンド……襲撃者のリーダーの臭いと、足型があるワン」
と言うと、薄っすらと入り込む光に透かして見える足型を指差した。
「更にここ」
そこから数歩歩いた先にある壁の切り傷に向かって、
「これはウンドが叩き付けられた跡だワン、この周囲が濃く臭うんだワンウ」
と言うと、トトは小ぶりのナイフを取り出して、壁の付着物をこそげ取る。
「これは……野草の種だね、服に付着していたものの一部が、壁に残っていたよ。犬っ娘ちゃん、その足型の所に付着した土も採取しておいて。リーダー、何か見えるかい?」
その地点にゲマインを呼び出して、ウーシアの示す方向に彼女を誘導した。
するとゲマインの魔力が目に集中し、薄暗い部屋の中を淡く照らしだす。
その顔を斜め向かいから見ていたジュエルは戦慄を覚えた。余りにも高まった魔力が飽和状態となって、目の中で対流を起こし、溢れ出た魔光が〝ドンッ!〟と壁に照射される。その反射を浴びたゲマインは、なおも別の場所に同じ行為を繰り返した。
その後、部屋の隅々まで検分したゲマインは、呆気に取られて一部始終を眺めていたジュエルに、
「うむ、だいたい分かったわ。それじゃあ大司教様も交えて今後の対策を練りましょう。その間考え事を済ませるから、私を連れてってくれる? トト、お前はそこのお嬢さんと痕跡を一つ残らず採集、ここと、ここと、ここね。これは壁ごと切り出してちょうだい。ヴェールは彼女達をサポート、後から向こうで会いましょう」
と指示を出して、ジュエルの手を引いて行った。
キョトンとするウーシアに、
「ウーシア、ウーでいいかい? あたしの事もトトって呼び捨てで良いよ。早速この壁ごとの回収を済ませようか」
と言うと、腰元から身の厚い短剣のようなダガーを取り出した。
ウーシアが主人であるジュエルを見ると、
『言う事に従う様に』
と首を縦に振る。それに首是し返したウーシアは、
「了解だワン、ウーはこっちから削っていくワン、トト」
とすかさず作業に取りかかる。暫く地味な作業に集中した後、採集された物を騎士達に運ばせて大聖堂に行く頃には、二人は旧知の知り合いのように打ち解けていた。
……一人かやの外だったヴェールを除いて。
*****
「もう落ち着いたわね? ゴメンね心配掛けちゃって」
弟子の背中をさすり続けたリリが呟くように謝罪した。実際の所、もう起き出しても良いのだが、頑なに反対する弟子に押し切られて、このままもう一晩寝付く事になりそうだ。
その弟子は、真っ赤に泣き腫らした目で、師匠を見上げると、
「心配しましたっ!」
と怒ったように口を尖らせた。まるで親子のような、いや、実際に身寄りの無くなったリロにとっては唯一の身内と思える大切な人なのだ。その師匠にして身内、そして大恩人であるリリが、命を狙われていると知ってから気が気では無く、襲われたと知った時は目眩がするほどの絶望感を味わった。
「何故もっと早く知らせてくれなかったのですか? 私達などすぐに呼び寄せられた筈なのに」
ベッドカバーをギュッと握りしめたリロが、責めるように質問する。それをなだめながら、
「状況が悪化した時には、丁度地巨人の討伐前後だったのよ。すでに依頼を頼んでいたんだけど、ギルドや相手パーティーの都合もあってね。まあベイル君って優秀な工作員も居るし、貴女方がC級に上がってからでも間に合うと思ったの。流石にD級パーティーだと組む相手にも困るしね。でも少し甘かったわね……まさか聖都にまで襲撃をかけて来るとは」
と言うと、弟子の細い肩を抱きかかえた。早鐘を打つ心音が彼女の心理状況を表している。自分に対する弟子の強い思いに、胸がジーンと熱くなった。
「それで? 貴女はどうなの?」
少ししてから、今度はリリが近況を尋ねた。それに答えてポツポツと話し出す弟子の冒険談を、一つ一つ頷きながら聞いていたリリは、
「そう、幻火をそこまで操れるようになるとは、予想外の成長ぶりね。そのマンプルって金豹族の神様には感謝しないと」
と言いながら、弟子の長い銀髪を手櫛で撫で解した。
「そろそろ次の段階に進む時がきたわ。タンたんをあそこに置いて開いて御覧なさい」
と言うと、大司教の机を指し示した。自身も起き上がると、ゆっくりベッドの淵を伝いながら、机に向かう。
すかさずそれを支えたリロが、
「大丈夫ですか? 無理しないで下さい。もう少しゆっくりしてからの方が……」
と言うのに答えて、
「大丈夫よ。これからやる事は肉体的な作業では無いの。どちらかというと貴女、それも精神だけをある所に飛ばす事になるわ。バッシ! 貴方だけいらっしゃい!」
と声を張ると、別室でお茶を飲んでいたバッシが慌ててやって来た。口の周りには焼き菓子の粉が付着している。
「午後のお茶会の最中にごめんなさい、これから私とリロの意識が飛ぶから、しっかり護衛してね? タンたんと契約を交わした貴方や仲間達以外はこの部屋に入れないように。そうしないと、命の保証は出来ませんよ」
バッシの口の周りを袖で拭ってやりながら話す、話の内容は良く分からなかったが、とにかくこの二人を守れば良いと分かったバッシは、
「分かった、ジュエルとウーシア以外は何人も立ち入り禁止にする、任せてくれ」
と、龍装を発動させた腕を突き出して見せた。
「任せたわね」
と分厚い鱗に覆われた腕を愛おし気に撫でたリリは、机に向き合うと大司教の席に座り、
「リロ、貴女はそこに座りなさい。さて、これから長い精神世界への旅に出るわ。なに、現実世界ではあっと言う間よ。でも精神的にはかなりの負担を伴うから、覚悟してちょうだい」
と真剣な表情で宣告した。リロは師匠の雰囲気から本格的な儀式なのだと感じ取り、小さな手をギュッと握りしめると、
「はいっ」
と覚悟を決めて答えた。