少年と足弓使い
凍えた大地を北風が吹きさらす、初冬の早朝。馬車停留所には、白い息を吐く大型馬が一カ所に集まって、お互いの熱で暖を取っていた。
「う〜っ、さぶいワン、ウーももっと毛皮があったら良かったワン」
比較的薄着のウーシアが肌を擦りながら震える。犬人族の彼女は、普通の人間よりも寒さに強い筈だが、どんな人種にも寒がりは居るらしい。
バッシはと言うと、龍装を得たおかげで寒さには耐性があった。だが吸い込む空気は冷たく、 寒がりの二人が引っ付いて来るのも分かる気がする。
ウーシアともう一人、風を避けるようにくっついて来るのは、南方出身の褐色エルフであるリロ。彼女は厚手の外套を着込みながらも震え、バッシの足元に頭を付けてもたれかかっていた。
師匠が狙われているという情報。母親代わりとも言えるリリの危機に、心配がつのっているのだろう。昨日の酒宴も心ここに無い状態だった。
その酒宴も皆が一通り腹を満たすと、翌日の出発に気を効かせた女将さんの誘導もあり、サッとお開きとなった。
各人疲れもあっただろうが、皆リリの事が頭から離れなかったのだろう。それを察知する女将はさすがの年季である。
だが片道三週間の旅ーー今回は特急便を用意してもらったが、それでも二週間強はかかる道のりである。
あまり思い詰めると身が持たない。冷え切ったリロの背中をさすってやると、身を寄せてきたウーシアもさすってやった。
最前から御者と話し合うジュエルを見ると、話がついたのだろう、少年がこちらにやって来て、
「おはようございます、荷物を預かりますね」
と手をのばす。バッシの荷物は軽量化しているとはいえ、子供には重かろうと思って躊躇していると、
「大丈夫ですよ、私達は冒険者ギルド御用達の特急馬車、私もこう見えて力持ちなんです」
と言いながら、荷物を奪うように担ぐ。確かに身のこなしは軽やかで、身の丈に見合わぬ力を感じさせた。
バッシが仲間を見やると、
「ウーのも頼めるかワン?」
と尻尾を振りながらウーシアが荷物を差し出した。どうやら彼女の嗅覚試験に合格したようだ。
「もちろんです」
と両肩に荷物を担いだ少年は、馬車の格納部にしまいこむと、ドアを開けて皆を誘った。
五頭立ての大型馬車の扉には、冒険者ギルドの盾剣紋章が記されている。さらに二人の御者も一般人というより、その筋の人間と言われた方が納得出来そうな面構えをしていた。
その二人と会釈を交わしながら、後部座席に乗り込む。
流石は冒険者仕様の馬車、背の高いバッシでも座れるように、座席の間に特別シートが用意されていた。まあ簡単に言えば地面に直座りとも言えるが。
その両脇にリロとウーシア、向かい側にジュエルが陣取ると、
「それでは出発します」
先ほどの少年が、元気な声を上げて扉を閉めた。
屋根の上には物見櫓が設置されている。そこに少年が登ると、口笛で合図を送った。
御者にピシリと鞭打たれ、軽いいななきを上げながら進む馬車。未舗装道路の多いアレフアベドの街をゴトゴトと揺られながら、聖騎士団は一路聖都に向かって旅立った。
*****
冒険者ギルドの馬車を襲う野盗も珍しい。何故ならほとんどの輸送物が、戦闘能力に長けた冒険者自身であるから。
割と平穏な旅の中で、トラブルらしいトラブルというものも無く、ただひたすら代わり映えのしない風景を眺めては、合間にポコをめくり、世の理を読み解いていった。
馬車の少年ーーピノンは好奇心旺盛で、休憩時間などにポコを読んでいると、横から覗きこんで来て、人懐こい彼とはすぐに仲良くなった。
彼自身も冒険者登録をしており、Fランクのギルド証を自慢気に見せつける。お返しに三又槍紋に星の一つ入ったC級証を見せてやると、
「うわ〜っ、これがメジャー証ですか。そこまで行ったらお腹いっぱい食べ放題、好きな女も抱き放題だろうな〜」
と欲望垂れ流しで、目を輝かせた。
いやいや、食べ放題はまだしも、抱き放題はどうだろう? というか、こんな少年にそんな漢気あるれる願望があるとは、見た目によらないなぁ。
などと思いつつ、それでも可愛気のあるピノンに、剣の指導をしたり、冒険話をしたりして、それなりに楽しい旅を満喫していた。
見張り役に雇われるだけあって、目の良いピノンは、弓矢と短剣を扱う戦士職を目指しているらしい。一度穴ウサギを射る所を目撃したが、その腕は中々のものだった。
そして剣の指導をしても、目と勘の良さ、そして意外な筋力があいまって筋が良く、教えがいがある。
その左手中指に、少年らしからぬ指輪がはめられているのを認めると、
「その指輪は?」
と思わず聞いてしまった。魔力ゼロのバッシでも、何と無くいわく付きの逸品である気配を感じる。
「これは母の遺品です、両親ともに亡くなったのは、私が5歳の頃、それから一人で生きてきました」
とさっぱりとした顔で告げた。
「立ち入った事を聞いてすまない」
と詫びると、
「いえいえ、全然構いません。むしろ一人で生き抜いて来た事は、私の誇りなんですよ」
と力強い目で答え、指輪を愛でるように擦った。その背中は小さいのに、どこか大きく見える。
この少年のどこにそんな力が詰まっているのか? と思うほど、自分よりもしっかりとした精神性に、バッシは逞しさと愛おしさを感じた。
*****
聖都まであと一週間、以前に襲撃を受けた、ナンデスティ峡谷に到達しようかという場所まで来て、補給のため最寄りの村に立ち寄った。
クサヒ村という、旅の中継地点として何とか収益を上げているという村は、どこかうら寂しく、人の気配も感じられない。
しばらく進むが、建屋が並んだ中心部にも人影は無かった。
「おかしいワン、建物の中にたくさんの人間が息を潜めてるワン。ピノン! 周りの気配が異常だワン! 馬車を止めるワンウ」
霊剣を取り出し、耳を立てたウーシアが叫ぶ。それを受けて御者が馬車を止めると、辺りには静寂が広がった。
バッシは龍装を全身に纏うと、馬車の扉を開けて外に出る。少し進んで、村の中心部近くの地面を良く見ると、どこか不自然な凹凸が見て取れた。
「落とし穴があるぞ、建物からの弓矢にも気を付けろ!」
馬車の屋根の上で弓矢を構えるピノンに警告する。二人の御者も、馬車の物陰に身を潜めて様子を伺っていた。
「こうなったら引き返そう、このまま聖都に向かう方が無難だな」
ジュエルの命令に従って、馬車の向きを変えた時、
「バレたぞ! 門を閉じろ!」
周囲建物から大声が響き、それに応じて入口の門が閉まり始める。
野盗やモンスターの頻出する村だけあって、木製とはいえ門だけは立派に作られている。
重々しい丸太製の門が閉まり切るのに、間に合いそうもない馬車は急停止して、鉄板入りの鎧窓を閉め、襲撃に備えた。
「射て!」
奥から大声が響くと、野太い射出音が起こる。建物の窓をぶち抜いて、大型弩から放たれた太矢は、風切り音を纏いながら馬車を襲った。
そこに跳びかかって大上段から切り落とすと、真っ二つになった丸太のような矢が、地面を削って吹き飛ぶ。集落の方に向き直ると、バラバラと姿を現した襲撃者達が、弓矢を構え出した。
「射て!」
再度の号令と共に一斉に放たれる弦、優に百を超える矢が空を埋め尽くす。
馬車の外にでたジュエルが、直ぐに聖守護結界を発動すると、一斉に降り注ぐ矢の雨を結界がことごとく阻んだ。次の瞬間、
『P78 延焼火矢』
馬車の中から照射された魔法陣、その中心部から甲高い音を立てて火球が発射されると、村の中心部で爆発を起こす。さらに延焼魔力が拡散して、盛大な黒煙とともに乾いた建物がみるみる燃え広がって行った。
襲撃者達の断末魔の悲鳴が上がり、背中を燃やした者が地面を転げ回る。そんな阿鼻叫喚の地獄にあって、バッシが違和感に気づいた時、目の前に黒装束の男が一人走りこんで来た。
物凄いスピードで跳び上がった男が、前蹴りを見舞ってくる。そこに剣を合わせると、金属同士の甲高い打撃音が響いた。
その男はもう一方の足を振るい何かを投擲する。思わず避けると、三本の短矢が頭部を掠め飛んでいった。
そのまま地面に着地すると、間髪を入れずに高々と足を振るう。どのような仕掛けかは分からないが、またもや放たれた短矢を、剣の一振りで叩き落とした。
空中に黒色の飛沫が弾ける、だがそれは魔法みたいに掻き消えてしまった。更に奥から跳びかかってくる、同じ格好の男に対処しようとした時、後ろから石を放ったウーシアが、
「爆ぜるワン」
と発声した。爆ぜる投魔石に敏捷に反応した男は、爆風に逆らわずに丸まって地面に叩きつけられると、グルンと足を回してすかさず立ち上がる。
真っ黒な装束に赤い目を光らせた男達は、更に数を増やすと、三名で絡みつくように襲って来た。中でも一際体捌きの鋭い男が、上段に上げた踵をバッシに落とす。
それを削ぎ切ろうとした剣とぶつかった時、信じられない事に、切り落とすどころか弾かれた。
バッシには見えない不可思議な力を秘めた体技に戦慄が走る。逆の足から放たれた二本の短矢も、それぞれに緩急が付けられ、避けるのが精一杯だった。
そこへもう一人が飛び込んで来る。間に合わない! と思った時、
〝バッシ〟
鋼の精霊の声が聞こえた。銀光に包まれた世界で、ゆっくりと振るわれる足。その踵には、黒い短矢が生成され始めている。
魔法ならば紫の光が打ち消す筈……だが消えないという事は、神聖魔法なのか? 〝聖火教団〟という言葉が脳裏に閃く中、粘りつく空気を切り裂いて足元に剣を振るった。
銀光の世界にあって、唯一対処してくる黒い短矢は、鋼の剣と拮抗するように足元に位置をズラしたが、次の瞬間、元に戻った時間感覚の中で、真っ二つに切り飛ばされると、足ごと吹き飛んで行った。
信じられない物を見るように見開かれた目。そこに剣を突き込もうとして、横からの妨害に後退する。
血しぶきの中、転がる男をかばうように回し蹴りを放つ二人。斬りつけようとすると、途端に身を翻し、目の前から消えた。
バッシの剣を牽制するように、遠巻きにステップを踏む、その背後に回ったウーシアの霊剣も軽やかに避けて、短矢を放った。霊感の働くウーシアにはかする気配もなかったが、それでも未知の力を前に迂闊には攻め込めない。
そうこうする内に、集落の建物から生き残りの襲撃者がゾロゾロと現れる。ある者は煤に汚れ、ある者は火傷の跡も生々しく、呻きながら歩いていた。その中で弓矢を持った者が数名、バッシ達に向かって弦を引く。
そこへ後方の馬車から矢が飛び、胴体に突き立つと、構えていた矢があらぬ方向に飛んで行った。確認する間は無いが、ピノンと御者達の援護だろう。
馬車の上から、
「大丈夫ですか?」
と叫ぶピノンの声、バッシは思わず、
「こっちは大丈夫だ! 馬車を逃がせ」
と叫ぶと、跳びかかって来る蹴撃に、敢えて龍装を厚くした肩からぶつかり、ウーシアを追い詰めている男に斬りかかった。
その時ふと、片足を斬り飛ばされた男が目につく。三本の短矢を残された右足に出すと、身を屈めるようにしてーー己を貫いた!
その矢を無言で引き抜くと、大量の出血と共に、見る見る巨大化する矢を空中に放つ。
「コアアァァ」
と魂の抜けるような声と共に崩れ落ちる男、その胸から伸びる血線の先には、更に巨大化し続ける三本の矢が、馬車に向かって飛来していった。
「危ない!」
その放物線に間に合わないと知りつつも、後を追いかける。
馬車の外ではジュエルが、咄嗟に聖守護力場の輝きを展開していた。
そこに一本目の矢が当たり、砕け散ると、魔力を吸われたように力場の輝きが薄れた。更にもう一本が被弾すると、弾かれたように力場がかき消される。そして最後の一本が馬車を貫くとーー血飛沫は刃となって爆散した。