絵本(魔)を手に入れた
「初めまして、リロ・セィゼンと申します」
リリに紹介された少女が、おっとりと会釈をする。銀髪、長耳は明らかにエルフ族の特徴を示しているが、何故か褐色の肌をしていた。師匠よりも一回り小さな体は、近づくとバッシの胸元よりも低く、かなり見下ろす形になる。
「珍しいでしょ? アルミナって言う、南方の草原エルフの出身よ。こちらはバッシ、ドワーフの鉱山から、ここまで私を護衛してくれた方よ」
リリが説明すると、大きな目をさらに拡げて、
「師匠! ドワーフの鉱山って、まさかアイン・スタルトに行ってきたんですか? 魔吠族のコボルトに制圧されたと聞きましたが、戦闘なんてしていないですよね?」
可愛らしい顔が青ざめる。バッシが動く度にサラサラと流れる銀髪を眺めながら『あのコボルト達は意外と有名だったらしい』などと感心していると、
「だって、ノームに泣き付かれちゃったんだもん。でも大丈夫よ、バッシが一人でやっつけちゃったから」
軽く言うリリの言葉に、
「ええっ、あの魔吠族をたった一人で……」
絶句したリロはしばらくして頭を振ると、
「ま、まあそれは置いといて、師匠、大司教様がずいぶんお探しでしたよ。二週間の予定が一ヶ月経っても戻らないんですもの」
と言い、リリの腕を取って歩き出す。華奢な体に肩から鞄を下げて、自分よりも背の高いリリを引く姿は、何処か滑稽で好感が持てた。
「分かったから、そんなに引っ張らないで」
苦笑するリリも同じようで、真面目な弟子を愛おし気になだめる。
「バッシはここで待っていてね、すぐに用事を済ますから。リロ、貴女もここで彼と待ってなさい」
金装飾の施された重厚なドアの前には、純白の鎧を纏った騎士が仁王立ちしている。その真ん中を通されながら、リリが告げた。
両脇の騎士は目の前の事物が見えていないかの様に、前方を注視している。だがその意識がかなり自分に向けられている事を、バッシは肌に突き刺さる殺気で感知させられていた。
なるべく面倒な事にならないように、少し後退りすると、別の視線を注ぐ人物がいる。
「あの〜、バッシさん、魔吠族をお一人でやっつけたというのは本当ですか?」
見上げる首が辛そうなリロに合わせて片膝をつくと、
「コボルト、殺した」
と伝える。それを聞いた少女の耳がピクンと動くと、
「群れ全部を?」
少し上ずった声で聞いてきた。何かそこに引っかかる事があるらしい。
「全部を」
「そっ、それは凄い!」
思わず大声を出した少女に、騎士の「ウォッホン!」という咳払いが飛ぶ。
思わず赤面して俯いたリロは、バッシの腕を掴むと、通路の端に引っ張って行った。
「す、凄いです。あの咆哮魔術を破って、一人で氏族を壊滅させるとは……不躾ですが、どのような作戦で討伐されたかお教え願えませんでしょうか?」
真っ赤なまま、まくしたてるように聞く少女の目は真剣だった。
「作戦?」
「あっ、これは失礼いたしました。そういった事は部外秘ですよね、私はモンスターの討伐を専門に研究しているもので、つい夢中になってしまいました」
と言って頭を下げる。正直何の秘密も無いバッシは、
「ただ斬っただけだ」
と腰元の剣を示した。その言葉に小首を傾げたリロが、
「斬っただけ? ってーー」
なおも言葉を続けようとしたところで、騎士達の護る扉が開き、
「じゃあね〜、渡す物渡したから、これで失礼するわ」
後ろを向きながらリリが部屋から出てきた。隅っこに跪くバッシ達見つけると、
「お待たせ〜、もうラウルもお爺ちゃんね、大司教になってから更に説教臭くなって、やだわ〜」
ホッホッホ、と笑いながら歩いて来る。どうやら大司教とやらは昔馴染みらしい。そんな事を考えていると、
「それじゃあ、楽しい楽しいお食事タイムにしましょうか。もうすぐ終業の鐘が鳴るから、早めにレストランを確保しなくちゃ。リロはここでの用事、済んだ?」
スタスタと歩くリリが、振り向きもせずに聞くと、
「はい、ここでの仕事は済みましたが、今夜は用事がございまして。以前から言っていたあの件で、仲間達とミーティングの予定をしています」
リロが恐縮して答える。それを聞いたリリは、
「あら、それじゃ皆でお食事しましょうよ、あなたのお仲間にも久しぶりに会いたいわ。それにこんな経験豊富な先輩は居ないわよ、なんでもドーン! と聞いてちょうだい!」
無い胸をドーンと叩いて振り返る。そして大荷物を持つバッシを見て、
「でも先ずは荷物を置いてこなきゃね。私達はこれから魔術師ギルドに寄って来るから、リロはペネロペの店を確保してから、仲間達に声を掛けてくれないかしら?」
と言って片目をつぶる。
「それは……ジュエル達も喜ぶと思います。バッシさんもいらっしゃるんですよね?」
ほわんとした笑顔を見せるリロに「お金が無いから」と断ろうとした時、
「もちろんよ、彼は私の護衛よ。どこに行くにもついてきてもらわなきゃ」
フフッとわらったリリが腕に抱きついてきた。それを見て驚いた表情のリロが、
「師匠、ずいぶんとお気に入りですね。ではお二人の邪魔をするのは不粋というもの。お先に失礼いたします」
と笑顔で去って行った。
魔術師ギルドというのは、リリ達の所属する魔法使い達の研究所、兼住居になっているらしく、神殿と広場を挟んだ大通りにある総大理石造りの建物だった。どう作ったのか? 石と石の継ぎ目が無く、ツルンとした外観は自然物と対照的な人間の叡智を感じさせる、聖都のもう一つの名所である。
中に入ると、一階がロビーになっており、職員はリリを見ると親し気に挨拶してくる。
そして後ろに立つバッシを興味深々で眺めると、同僚とヒソヒソと囁きあった。
場違い感を覚えながらも、どんどん進むリリに付いて奥に進む。すると執務室の更に奥、通路の突き当たりに巨大な石の立像があった。その大きな体に手をついたリリが、
「見てて」
とイタズラそうに振り向くと、石像がおもむろに動きだして、リリの荷物を掴んだ。そしてもう片方の腕を前に出すと、飛び乗ったリリを軽々と持ち上げる。
そして巨大な背中に隠されていた隠し通路をくぐり抜けて行った。
「バッシもついてきて」
壁の向こうからリリが誘う。穴から奥を覗くと、石像が巨大な石造りの階段を登っていく所だった。頑丈なつくりの階段が、石像の重みで震動する。その後ろ姿を呆気にとられて見送っていると、
「大丈夫よ、この子は踏み外したりしないから。安心してついてらっしゃい」
上の方から声をかけられた。恐る恐る階段を登ると、螺旋状にかなりの段数を上がった所で、上の階に辿り着く。
石像の横を通ると、直後に石像が入り口を塞いだ。
「ようこそいらっしゃい、魔術師ギルドのセルゼエフ支部長室へ。ここは私に割り当てられた部屋だから、ゆっくり寛いでちょうだい」
リリが勧めるままに、ソファーに座らせてもらう。バッシが座ってもなおゆったりしたソファー、その他の家具もどっしりとした造りで、落ち着く内装だった。
「支部長? リリが?」
「ええ、代理のね。本来の支部長が忙しすぎて、代わりに名前だけ貸してるって感じかな。とは言え私も不在がちなんだけどね」
と言って笑う。下で見た職員の対応といい、長期不在は良くある事のようだ。
「少しだけ溜まった仕事を片付けるから、待っていてくれる? そうだ、貴方に渡そうと思ってた物があるんだ。あれは……どこだったかしら?」
と言うと、物置らしき部屋に入って行く。奥の方から〝ドンガラガッシャーン〟とけたたましい音を立てていたリリが、
「あったあった」
と言いながら満足気な顔で戻って来た。
「バッシ、手のひらをだして、目をつぶって」
手を後ろにやったリリが、イタズラそうな顔で言う。バッシが目をつぶって手を差し出すと、板の様な物が置かれた。
「そのまましばらく目をつぶっていてね。じゃあ私は奥に居るから、済んだら呼んでちょうだい」
というや、歩いて去る気配がした。どうすれば良いか分からずに、目をつぶって呆然と突っ立っていると、手の中の板がフワリと開く。どうやら板表紙の小さな本らしい。
『知識を求めるか?』
唐突に声が聞こえる。不思議な事に、それが本から発せられたという事が、自然と理解できた。
『求めよ、さらば与えられん、知識を求めるか? 念じよ』
勝手にパラパラパラっとページのめくれる音がして最後にパタンと閉じた時、その背表紙を挟み込んだバッシは、
『知識が欲しい』
と心の底から強く念じる。すると、手の中の本が熱を帯びて、
『契約認証、バッシよ目を開き、我を見よ』
と力強く宣言した。目を開いたバッシの手には、小さな黄色い表紙の本が一冊ある。そこに描かれた目を意匠化した紋様と目が合った時、魅入られると同時に、頭を揺さぶる様な軽いショックを覚えた。
『我は知育絵本〝ポコ・ア・ポコ〟ポコと呼んでくれたまえ。さあ、ページをめくってごらんなさい』
文字の読めないバッシは、恐る恐るページを開いた。だがそこには、文盲者にも分かる絵が描かれ、隣には単純な文字が並んでいる。夢中になって読み耽り、座り込むと、時が経つのも忘れて、読書の世界に没入していった。
「バッシ、そろそろ行くわよ」
と覗き込んでくるリリの言葉に、慌てて顔を上げる。少し字という物を理解し始めた所だったバッシは、このままで終わるのは惜しいと思い、
「この本、貸してくれ」
と懇願すると、
「それはプレゼントするわ、一回しか契約出来ない魔法書だから。なに、そんなに高級な物でもないのよ。子供用の絵本だし」
信じられない事を言ってきた。くれる? こんな高級そうな魔法の品を? 面食らっていると、
「護衛の代金としては安過ぎる位ね、じゃあ今夜のご飯代も奢ってあげる、さあ行きましょう」
と言って石像に乗って階段を降りて行く。バッシは興奮を抑えて魔法書を手荷物にしまうと、地響きを立てる石像の後を追って階段を降りて行った。