昇格試験②
白い残像が飛び込んで来る、そこへ最短距離で剣を振るうと、シアンも長剣を合わせて来た。
だが体格も体重も違い過ぎる双方が、まともに打ち合ったらひとたまりもない。
鋭い金属音の後、上手く力をいなしたように見えたシアンも、少しバランスを崩した。
そこに付け込むように、すくい上げの一撃を見舞うと、ギリギリで躱したシアンがそのまま少し後退する。
正眼に構えを取ったシアンの目が吊り上がると、
「シアン様〜っ」
という悲鳴が同時に上がった。今度はこちらから攻めようと、左足を出して八相の構えを取ると、
「マインド・ダウン、腕が重い」
シアンがまたもや声を上げ、今度は横に移動しだした。
バッシは構えを取ったまま、その動きを追う。これが彼の精神魔法なのか? 腕が重くなったかどうかを確かめる為に、少し剣を揺するが、違いを感じる事は出来なかった。
さらに移動しながら、
「マインド・ダウン、反応が遅れる」
と唱える。バッシは魔法に対する唯一の手段である鋼の剣の破魔効果を期待して、シアンとの間に剣身を持ってくる。
布ごしにチリッと紫の光を放つ所を見ると、確かに何らかの魔法が発動しているらしい。
「マインド・アップ、私は強い!」
瞬間、反転したシアンが跳び込みざまに、長剣を振るってくる。だが、ドワーフ戦士長と手合わせしたバッシからすると、対処の出来ない速さというほどにも感じない。
しかし充分な速さで対処したつもりの剣の初動がおかしい。さらに振り下ろす剣にスピードが乗らない。
シアンの長剣がバッシの胴体を捉えようと、鋭く振り抜かれる。そこに剣を合わせるのが精一杯だった。それでも質量差は大きく、シアンの長剣を弾き返す事が出来た、と思うと、逆らわずに回転して、体重の乗った一撃をみまってくる。
思うように動かない頭と体で、最も効率の良い軌道を選択しながら、その剣をなんとか受けた時、鋼の剣から紫の光が緩やかに立ち昇った。
スローなバッシを捉えきれない苛立ちからか、舌打ちしたシアンは、
「マインド・ダウン、気分が落ち込む」
と唱えると、サイドステップで側面に移動しながら斬りかかってくる。
言葉の通りに、戦闘で上がった心が収縮していくのを感じると、途端に腕が重く、頭が回らなくなって来た。
シアンの動きに対処しようとするが、縮こまった手が、思うように動かない。だがその時、淡く放たれていた紫の光が全身を包んだ。
シアンの長剣がバッシの体を捉えた、と思った瞬間、紫の光を纏って自由を取り戻した体が躍動して、剣同士を打ち付ける。
剣に体重を乗せていたシアンは、そのまま弾かれて地面に尻餅をついた。
そこへ追撃の打ち下ろしをみまおうと迫ると、体裁も構わず後じさり、立ち上がると、走って距離を取る。
その驚愕に歪む顔を見て確信する。シアンが相手を貶める魔法は、重ねがけする事で効果を倍増させるようだ。そしてその効果に絶対の信頼を寄せているらしい。
精神魔法を打ち破られたシアンは、
「マインド・アップ、私は勝てる、私は気分が良い、私は力が湧いてくる……」
などとブツブツ唱え出した。構える剣は落ち着きなく小刻みに揺れている。
どうやらこちらに弱体化魔法が効かないのを一瞬で判断したらしく、自身に出来る限りの強化魔法をかけまくっている様だ。
吊り上がった目が充血しだした頃には、白かった肌も紅潮して、乱れ切った精神が見て取れた。
「私は強い!」
と絶叫して跳び込んで来る彼の突きは、それまでのどの動きよりも速かった。だが所詮は前後の駆け引きもない単純な突き。
少し身を躱していなしたバッシは、打ってくれと言わんばかりの胴に剣を当てた。
それだけでもんどりうって転がるシアンに、駆け寄った指導官が腕を交差させて、
「そこまで!」
と叫ぶと、息を飲んでいた観客から、
「ウオオオォーッ」
と歓声が上がる。
すぐさま治療班が呼ばれ応急処置を施すと、担架に乗せられたシアンが運び出されて行った。
歓声と悲鳴と罵声の中、悠々と自陣に戻ったバッシに、
「まあ、こんなもんだな」
口角を上げたジュエルが拳を突き出してくる。バッシはそこに拳を当てると、
「まあ、こんなもんだな」
と繰り返した。ふと気になった観客席の女性を見上げると、背筋が冷たくなるような視線を向け続けている。
ギョッとしたバッシに、
「彼女、何らかの魔法かスキルで観察してますね。余り手の内は見せたくありませんが……相手が相手ですから、どうなりますやら」
次の対戦を控えたリロが呟いた。やはり、あの凄まじい視線には何か意図があるらしい。
「マイペースでいくしかないな、頑張れ」
と声を掛けると、
〝が〟〝ん〟〝ば〟〝る〟
とページをめくったタンたんが返答した。そのまま前方を見据えたリロは、指導官の誘導に従って、魔術師用の開始線に移動する。
昇格試験の魔法使い同士の対戦は、10mほどの距離を取って正対した術者同士の魔法の掛け合いとなっている。
もちろん移動は自由だが、周囲の安全を考慮して外枠が設けられ、場外判定を受けると、全ての魔法が無効とされる。
そして術者同士だが、頭、胴、下腹部の三箇所に、受けた魔力を吸収する〝吸魔布〟を付ける事になっていた。そこに魔法を当てて、先に相手の布を赤く染め上げた方が勝ちとなる。
更に魔法の負荷となる反魔の腕輪をはめる事で、魔法自体の威力を強制的に弱めさせられるらしい。
飄々とした風情で佇む対戦相手のヴェールは、たなびく吸魔布を気にもしない様子で、指導官と二言三言話をしている。
対するリロは、タンたんを抱えて、無言のまま立ち尽くしていた。
観客席も固唾を飲んで見守っている。少女がどれだけ頑張れるのか? もしくは軽々と蹂躙されるのか? その時の姿を見逃すまいとする一種異様な雰囲気の中、
「開始線に踵を付けて、お互いに、礼」
指導官の合図と共に、片や呪文の詠唱、片や魔導書から空中に魔法陣を展開させる。
魔法使い同士の対戦に、挨拶の習慣は無い。一瞬一秒を争う魔法の行使に、そんな余裕は無いからだ。
最初に動いたのは、ヴェールの方だった。右手に隠し持った〝女神の一輪挿し〟をリロに向けると、詠唱の終わりと共に水柱を発射する。
小さな一輪挿しからどうしてこれだけの水量が放射できるのか? 放物線を描いた滝のような水柱が、リロに襲いかかる。そこにタンたんから放射された火柱にぶつかると、盛大な水蒸気となって霧散した。
お互いに魔力負荷がかかっているとは思えないほどの魔法の行使に、会場からどよめきが起きる。
今度はお返しにと一足早くリロの展開する魔法陣から火柱が伸びた。黒煙を伴うそれが届かんとした時、一輪挿しで円を描いたヴェールの周囲が大きな水球に包まれる。
波打つ表面を撫でた火は、弱められながら地面を焦がして水蒸気混じりの煙を上げた。そこに畳み掛けるように、タンたんから複雑な紋様の魔法陣が照射されると、
『P13、催眠幻火』
魔法陣の先にユラユラと揺らめく焔が現れる。以前に見た幻火よりも大きな火の玉は、青白い光を発しながら、ユラユラとヴェールの元へ漂っていった。
その中心に向けて、一輪挿しから水噴射を放つと、槍のように鋭い一撃が幻光を貫くーー瞬間、ハラリと解けるように散った幻火が五つに分かれると、速度を上げてヴェールを取り囲む。その内の一つは、先ほどの水撃にやられたのか? 墜落すると、地面に魔法陣の模様を淡く発光させた。
グルグルと回る幻火は不規則に揺れて、見る者を釘付けにしながら、同時に混乱させていく。その只中にいるヴェールは、
「ほう」
とつぶやくと、楽しそうに微笑みながら、頭上高く一輪挿しをかざした。
その頂点が青く輝くと、呪文の詠唱と共に水が溢れ出す。球となった直径がヴェールの身長を超えると、一気に平面に拡がって地面に降り注いだ。
会場の殆どを埋め尽くした雨弾がリロにまで届く。その刹那、幻火は地面に落ち、タンたんが頭上に向けて火柱を放った。
だがその火柱は雨弾に触れると、まるで重い何かに引っ張られるように地面に押される。
そのまま下に居るリロまで巻き込むかと思われた瞬間、
『P92 マグマ窟』
地面から湧き出す様な火の玉がリロを包み込んだ。そこへ降り注ぐ雨弾が、容赦無く火の玉を地面に押し込む。
火の玉を維持したまま、その半分が地面にめり込んだ時、ようやく雨弾が降り止んだ。
突き固められた試技会場の地面は、ヴェールの立つ周囲以外が一様に10cmほど陥没した。一段上に立つヴェールは悠然と詠唱を続け、一輪挿しから水色に輝く剣身を生み出すと、
「さあ、まだまだ元気でしょうから、近接戦闘も楽しみましょうか」
と楽しそうに話す。この戦いで初めて喋ったヴェールの声は、男にしては若干高音で耳に触った。それは愉悦混じりの声音からくる嫌悪感だろうか?
それに対して火球を解除したリロは、
「いいえ、もうお終いにしましょう」
と呟くと、
『P33 導く火矢』
タンたんから放射される魔法陣から、十本もの誘導火矢を放った。
一気に拡散した火矢は、あらゆる方向からヴェールに襲いかかる。受ける彼は、一輪挿しから伸びる水剣を一振りすると、飛沫と化して空間を覆わせた。
青く輝く靄の塊に飛び込んだ火矢は、その場で弾けると、暴発を巻き起こして、会場の温度を一気に上げる。
目減りしつつも再度一輪挿しに靄を集めて、短剣を形成したヴェールは、魔法使いとは思えぬスピードで駆け出した。
と、その足元に淡く発光する魔法陣から、幻火が飛び出す。
『P14 幻想火罠』
先ほど消火されたと思った幻火が、ヴェールの足元に絡みつく。慌てて短剣で払おうとするが、その下から更に四つの幻火が飛び上がってきた。
ヴェールの周囲をフワフワと漂いながら、強烈な催眠状態に誘う。だが、相手も名の知れた魔法使い、何とか短剣を振り上げると、その内の一つを切り裂いた。
強力な精神は魔法抵抗力を引き上げて、魔法の効果を打ち破る事ができる。ヴェールは歯を剥き出しに、こめかみに血管を浮き出させながら、なりふり構わずに、催眠魔法と戦っていた。
その時、リロの手元からタンたんが浮き上がり、そこへリロの手が伸び、祈りを捧げると、
〝ドクン〟
タンたんから発せられる魔力の波動が、会場中を圧迫した。瞬間、ヴェールを包む幻火が眩しい程の光を放つ。
バッシが咄嗟に覆った手をどけると、会場中央ではヴェールが横たわり、トテトテと近づくリロの姿があった。
タンたんが小さな火柱を一撫ですると、ヴェールの吸魔布が真っ赤に染め上げられる。
「それまで! 勝者リロ・セィゼン」
余りの展開に傍観していた観客が、金縛りから解かれたように歓声を上げる。
リロは即幻火の魔法を解くと、頭を振りながら立ち上がるヴェールを見て、安心したように微笑んだ。
一瞬で事態を把握したヴェールは、悔しそうな顔でうつむいた後、フッと顔を上げて、リロに手を差し出す。
なんだ、そんなに悪い奴でもないのか? と相手の評価を引き上げたバッシが、隣に座るジュエルを見ると、既に戦闘態勢で面頬を閉めていた。
聖騎士の鎧からは薄っすらと淡い青光が立ち昇っている。
集中しているなら余計な事は言うまいと、ゆっくりと自陣に戻ってきたリロに拳を突き出すと、笑みを見せたリロが、
「ごめんなさいジュエル、私達の戦いで、会場がズブ濡れになってしまいました」
と言って頭を下げる。言われて会場を見ると、ヴェールの魔法で濡れた地面は、沼のように柔らかくなっていた。