オーガ・ヘッドのミルフィーユ
ウーシアは一人、うなだれながらブリストル・キングダムの街中を歩いていた。今日は主人であるジュエルに用を頼まれて、一人買い出しの途中である。
彼女は〝霊感〟というスキルを得てから、街中でも迷宮の中でも、殆ど迷うという事がない。
複雑なこのドワーフの街中でも、ブロトの案内を一度受けてからは、生まれ故郷のように裏筋に至るまで把握していた。
ドワーフだらけの街中にあって、獣人たる彼女の存在は浮いて見えたが、それで誰かに絡まれるような雰囲気でもなかった。
この街は王族によって完全に支配され、淀みなく機能していたし、ドワーフの職人気質が何より無駄を嫌うため、排他的なようでいて、懐に入ると居心地の良い都市に感じられる。
だがそんな事は今の彼女にとってどうでも良い事だった。バッシがパーティーに加入してからというもの、微妙に雰囲気が変化し、徐々にメンバーと友達や平等な仲間であるような感覚を持ち始めていたーーところに今回の一件である。浮かれた心を真っ向から否定されたウーシアは、その分気分の沈み込みも大きかった。
今まではジュエルも、ほぼ同世代という事もあり、主人と奴隷という身分差を感じさせ無い程、親しく接してくれるし、ウーシアが懐くのを喜んでもいたーーと思う。
だが、バッシと裸で寝ていた一件において、あらためて自分が奴隷であるという、身分の格差を思い知らされた。
確かに軽はずみな事をしたとは思う。だが、ウーシアとしても、バッシの事は匂いでほぼ把握している。最近は徐々に変化しつつあるが、まだまだ〝安全な男〟であるという確信があった。
そして最近は離れ難い絆というか、情のようなものが出来つつあり、毎晩の添い寝が出来なくなることは、思った以上に彼女を落ち込ませた。
そんな彼女に頼まれたのは、目減りし始めた行動食の買い出し。というのもここの所、迷宮探索や野外活動が多く、最初に購入したホウジナッツやメンド豆の在庫が心許なくなってきたからだ。
舌の肥えたドワーフ達は、この時期に良く取れる木の実類を好む。その中でもナッツの王様と呼ばれる鬼頭は、味、栄養価共に最高の行動食と紹介された。
教えてくれたブロトによれば、今向かっている店は乾物屋の中でも、ブリストル・キングダム一の取り扱い量を誇る商店であると言う。
先ずは手付金を持参して、帰りまでの間に必要量の鬼頭を準備してもらわなければならない。気の進まない使い走りに、もう一つ溜め息を吐き出すと、サッサと要件を済ませてしまおうと思い、足を早めた。何せ今日は一日自由を与えられた休息日である。連日演習に参加している為、今日くらいはゆっくりしたいという思いもあった。
目指す店を見つけた彼女は、ためらいなく重厚なドアを開けると、店員への挨拶もそこそこに、店の中へと消えて行った。
*****
バッシは滑るように人混みをすり抜けて行くウーシアを、見逃さないでついて行くのが精一杯だった。
彼女の霊感は侮れない、例え百メートル離れた所からでも、その意識を捕まえて尾行を察知する可能性がある。更にその嗅覚は、どんなに離れていようとも、常時周囲の情報をキャッチして、数キロ離れていても異変を察知される可能性もあった。
だからバッシとしては、半ばバレる事を前提に、堂々と彼女の後ろ姿を追っていたのだが、うつむきながら進む彼女は、一向にこちらの気配を捉える事なく、乾物屋に辿り着くと、その店内に消えて行った。
俺は何をしているんだ? バッシは店の中に消えたウーシアを待ちながら、最近生えた胴体の龍装を撫でつつ、自分の行動を省みる。龍装は温度調整の機能も備えているらしく、本来服を着る必要性も無かったが、外見上ゆったり目のズボンだけは履いて、その腰元に鋼の剣を吊るす事にしていた。つまりそれ以外の部分は肩まで覆った胴回りの龍装と、手甲足甲の形を取る龍装が剥き出しとなる外見である。
生体鎧である鈍色の鱗は物音を立てる事なく、その頼もしい手触りが安心感をもたらしてくれた。
だがこの手の事に不慣れなバッシは、どうしたら良いものかと戸惑うばかりで、行き交うドワーフの迷惑も省みずに、通りを右往左往する。
ウーシアには悪い事をした。自分が何かをしたというより、配慮に欠ける彼女をたしなめられなかったという事。いや、その温もりを愛でるあまり、彼女のするに任せていた自分に気付き、うちひしがれる彼女を見る度に、自身の行動を反省した。
何か言葉を発したくても、何と言って慰めたら良いか? さらに二人きりになるチャンスも無いまま、モヤモヤとした思いだけが募って現在に至る。
手元には、半分残った龍眼石と交換で入手した、革鎧の包みがある。これはヴォーグにお願いして、一人だけ装備の貧弱なウーシアを強化できるように、選び抜いてもらった逸品だった。
魔獣の硬皮を加工し、土魔法の防御力を付与されて、神聖魔法による保護魔法を幾重にも重ね掛けされた品は、普通龍眼石半欠けでは手に入らない高級品だったが、事情を聞いたヴォーグが、
「お前さんのパーティーだったら、これ位は装備しとかにゃ、釣り合いが取れねぇぜ」
と破格の交渉に応じてくれた物だ。女の子に何かをプレゼントしようとして防具を選ぶ辺り、バッシもどうかしてるが、防具狂のヴォーグもそこら辺の感覚が麻痺していると言える。
その包みを見ながら、普通に宿の出先で渡せば良かった、と後悔する。何故か話しかけられなかった。それは彼女の落ち込みに対して、何も出来なかった自分への後ろめたさかも知れない。
だが、店から出てきた彼女には、真っ直ぐに話しかけて、これを渡してしまおう。バッシがそう心に決めて、待つことしばし。
要件を済ませたウーシアが出てきた……時には、何故かリロも一緒だった。
慌てて路地の角に引っ込む。何故逃げるのか? 自分でも分からないが、とにかく姿を見られたく無かった。
角から覗くと、彼女達は話しながら街中に消えて行く。
もう帰ろう、また彼女が帰って来たら鎧を渡せば良い。そう思いながらも、何故か足は彼女達を追って歩き始めてしまう。
ドワーフ達の中で、浮き出るように目立つ彼女達は、身長の高いバッシで無くても容易に後をつける事が出来た。
*****
「最近元気無いけど、大丈夫?」
ブロトに教わったブリストル・キングダムで一番人気のカフェに入ったリロは、テーブルの向かいに座ったウーシアに、単刀直入に聞いてみた。
それを受けて「ふぅ」と溜め息をついたウーシアは、
「大丈夫だワン、少し立場を忘れてはしゃぎ過ぎていたワンウ。何よりもご主人様の目標を大事にしなきゃいけないワン」
眉を八の字に垂れさせながら答えた。この一週間というもの彼女らしい元気さが無い。いや、同じようなトラウマを抱えたリロには分かるが、本来のウーシアは、この暗い部分を芯に持つ性格なのだ。それを表面の元気さで隠している、感情のコントロールまで訓練を受けたウーシアにとって、真の姿を見せる事の方が違和感が有るに違いない。
だからある意味、これだけ落ち込んだ姿を見せる事自体が、彼女が仲間に対して信頼を寄せている事の裏返しともいえた。
だがそれが分かっていない仲間が一人、店の外でウロウロしている。リロは吹き出しそうになるのを堪えながら、運ばれてきた焼き菓子にフォークを入れた。
何層にも重ねられたパイの間には、カスタードクリームと鬼頭のペーストが、重なるようにタップリと詰め込まれている。
ザックリと切り分けた一欠片を口にほうばると、その甘みに思わず頬が緩んだ。
目の前では、気落ちしながらも一口食べたウーシアが、耳を立てて甘味を堪能している。
「美味しいね」
添えられた豆茶にもタップリの砂糖を入れたリロは、一口すするとホッと一息吐き出した。
それにつられて、
「美味しいワン」
二口目を口に入れたままのウーシアが、鼻に抜ける鬼頭の風味を堪能しながらつぶやく。
微笑の出た彼女達は、しばらく落ち着いて、街で美味しいと噂の店や、アクセサリー店の美しい宝飾品など、さして実の無い話で盛り上がった。頃合いを見たリロが、
「ジュエルも落ち着いて見えるけど、かなり焦っているわ。幸い順調なランクアップだけど、勝負はこれからだしね。Cランクになったとしても、これからの道のりは半端なものでは無い。もちろんウーシアの方がそこら辺は詳しいでしょ?」
と言うと、ウーシアもウンウンと首を振った。
「どんなに早く出世した冒険者でも、Bランクまで二年間、Aランクには更に二年間はかかるワンウ。特例的に昇進したパーティーも有るけど、ここ十年はそんな話も聞かないワン」
更にSランクなどという伝説的なランクになるためには、実力以外の運の要素が大きいだろう。
「そうね、運を掴むためにも、躍起になる気持ちは分かってあげてね」
リロの言う事は、ウーシアも充分理解しているのだろう。だからこそ彼女も出来るだけの事はして来たつもりだ。しかしそこで仲間意識が強まり過ぎて、本来の身分差というものが浮き出てしまったのかも知れない。
「ジュエルもあれから、元気を無くしたウーシアの事を凄く気にしているわ。でもリーダーという立場上、強い姿勢を崩せないの。バッシとウーシアの関係も、奴隷という立場に苦しむウーシアの事も、凄く気にしている。最近良く相談されるもの」
と言うリロの言葉に、
「そうかワン、ご主人様にそこまで気を使わせるなんて、やっぱりウーは悪い奴隷だワン」
またもや眉を垂れ下げたウーシアに、
「また! そうやってうなだれてても何も解決しません! 表で待ってる男も、心配でどうして良いかウロウロしてるわよ」
リロが指し示す交差点の先では、巨躯を屈めたバッシが、それでも心配そうに二人を伺っている。
「全く、あれだけ分かり易いと却って見つからないものかしら。ウーシア、行って用件を聞いて来て下さい」
感知能力に長けたウーシアとしては、それまでそこにバッシが居る事に気付かなかった事に驚いた。そして目があった彼が、固まったように立ち尽くしているのを見ると、何故かとても嬉しくなって、知らず彼の元へと足が早まる。
*****
店内で談笑していたリロがバッシを指し示すと、振り返ったウーシアもこちらを見て目を丸めた。
ばれた! 一瞬ザワリと胸騒ぎがして、しかし何を隠す必要があるか? 思考がしばらく停止した後、バッシの元に向かってくるウーシアを、ボーッと眺める。
近くに来たウーシアが、
「バッシ、こんな所で何してるワン?」
と聞いてきたので、
「おお、ウーシアにこれをあげようと思って」
と言いながら、革鎧の入った包みを手渡した。バッシにとっては小さな包みだが、小柄な彼女には両手で抱えるような大荷物。受け取ったウーシアは、
「何だワン?」
と聞いてくるが、中身を見る余裕は無い。そこへ、
「そんなプレゼント、ここで開ける訳にはいかないですね。一緒に宿に戻って、皆で中身を確かめましょう。何せバッシが仲間に贈る初めてのプレゼントですものね」
後ろから来たリロが、楽しそうに笑みを浮かべて言う。そしてバッシに包みを持つように告げると、先頭に立って宿に足を向けた。
それを追おうとして、荷物を受け取ったバッシが、隣に立つウーシアに、
「大丈夫か?」
と聞いた。本来ならば、もっと言葉を重ねたい所だが、咄嗟に出たのはそんな素っ気ない言葉のみ。だが、それを聞いたウーシアは、一瞬溜めを取った後、
「大丈夫だワン!」
とバッシの尻を叩いて、リロを追って駆け出した。その時「スンッ」と一嗅ぎする彼女の変わらない仕草を聞き取り、何故かホッとすると、先を行く二人を追って、ドワーフ達でごった返す表通りを歩き始めた。