銀光の世界
迫る戦士長に対してバッシに出来る事、それは自身の能力を最大限に引き出す事しかない。
この状況、そしてバッシの能力の中で通用しそうなものと言えば……鋼の精霊との共鳴しか無い!
バッシは戦っている間中、鉄芯との共鳴を計っていた。そして徐々にではあるが、送り続ける念に、薄っすらと返りを感じ始めている。どうやらこの鉄芯には炭素鋼の成分が混入されているらしい。それらに確信は無いが、戦士長は既に目の前ーー
無心で振り下ろす鉄芯棍は、しかし驚異的な加速を見せる戦士長の金斧に間に合いそうも無い。覚悟を決めて奥歯を噛み締めたその時、目の眩む様な銀光に包まれると、周囲が突然ゆっくりと動き出した。
ーーそれは鋼の精との共鳴、そして同期が成った瞬間の出来事ーー
戦士長の金斧がバッシの胴に届かんとしている。そこに棍を当てようとするが、空気が飴のように変質し、重く粘りついてゆっくりとしか動かせない。
そこで片手を滑らせ手幅を取り、更に力を込めようとすると、摩擦で手のひらが焼けるように熱くなった。
それを無視して体重をかけて押し込む棍が、やっと動いた。と思った瞬間、銀光の世界が解ける。と同時に金斧と鉄芯棍が激突した。
まるで爆発でも起きたかのように弾け飛ぶ双方の得物に、驚く戦士長とバッシ。
流石にすぐ態勢を立て直した戦士長は、拳に金光を纏いなおすとバッシを凝視した。
バッシも痺れる手のひらをグッと握り込む。右手の火傷が張り付いてジンジンと痛んだが、無視して拳を構えた。
「そこまで! そこまでじゃ!」
その時、後方から一際大きな声がかかる。ビクンと反応した戦士長が構えを解くと、空気感がやわらいで、
「ウオオォッ!」
と周囲から野太い歓声が上がった。
見ると、手を休めて見物していた戦士達の真ん中に、いつの間にかノームが居た。どうやら見物を決め込んでいたらしい彼の制止で、戦士長との手合わせは呆気なく終了。終わってみればほんの五分にも満たない攻防だっただろう。だが、全力を出し切ったバッシは精神をゴッソリと削られて、全身にじっとりと汗をかいていた。
目の前の戦士長が、無言のまま首を縦に振ると、手を差し出してくる。その手を握ると、力強く振られながら、
「やるな、ここまで強いとは、正直予想外だった」
空いた手で腕を叩きながら賞賛してくれた。バッシも、
「戦士長こそ凄かった、最初から本気で来られたら、かなわなかっただろう。それに駆け引きの中で、俺の力を引き出してくれたように感じた」
と素直な感想を述べると、お互い始めて笑顔になる。そこへ、
「男同士で何やっとるんじゃ、気持ち悪い。しかしバッシ、戦士長相手にここまでやるとは、正直驚いたぞ」
ノームが割って入って来た。
「俺自身も驚いている。あなたの話にあったイメージを元にしたら、銀光の世界を一瞬だけ体感できた。以前に一度だけ体験していた気がする。あれは……コボルト・キングを斬った時か? よく覚えて無いんだが、とにかくありがとう」
と告げると、手を振ったノームが、
「いやいや、あんな話一つで開眼できる訳が無いじゃろう。じゃがきっかけぐらいにはなったかの?」
と言うとガッハッハと豪快に笑った。その笑顔につられて笑いながら、
「それに鎧の手配まで、ありがとうございます。あんな凄い物を用意してもらって良いんでしょうか?」
と、素朴な疑問を尋ねると、
「おお! あれは凄かろう? だが心配するな、ありゃドワーフには使い手のない代物なんじゃ」
眉根を寄せたノームがキッパリと告げた。
「何故? 物凄い力を感じたが、何か問題でもあるのか?」
一抹の不安を感じて聞くと、腕組みをしたノームが、
「うむ、それなんじゃがの。ありゃ肉体と融合するタイプの鎧なんじゃが、ずっと全身を覆う訳では無いんじゃ。つまり毎回戦闘時に皮膚が変質する感覚になる。それはもう全身にな。するとどうなると思う?」
と問いかけてきた。バッシはしばらく考えたが、現実味が無くて想像もつかない。それを見たノームが、
「毛が抜けるんじゃよ! 頭の毛はまだしも、顎髭まで抜けるなんざ、考えるだけで鳥肌が立つわ」
まるで寒冷地に居るかの様に身震いすると、体をさすりながら言った。
毛、それも髭が問題とは……ドワーフの価値基準が分からない。だがそのおかげで凄い鎧を手に入れられるならば、そこに感謝すべきだな。と思っていると、
「それに最初装着する時は滅茶苦茶痛いらしいぞ、覚悟しておけ」
感謝の念が吹き飛ぶような宣言をされた。我慢強いドワーフ達が滅茶苦茶痛いと言う。その近未来の不幸を思い、少し気分の沈んだバッシを覗き込んだノームは、
「心配するな、場合によってはショック死する事もあるが、お前さんなら大丈夫じゃよ」
何ともぞんざいな言葉を投げかけて笑う、その顔は笑い皺にクシャクシャになっていた。
人の不幸を子供のように喜ぶノームを見ていると、何故か怒る気を失い、おかしくなってくる。苦笑しながらノームに手を振り仲間の元へと急ぐと、周囲を囲むドワーフ兵達が拍手喝采を浴びせかけてくれた。
*****
それから一週間、胃の魔石が馴染むまで、ほぼ毎日ドワーフ達の訓練に参加させてもらった。
おかげで個々の戦闘スキルをのみならず、四人揃ってのコンビネーションも鍛えられている。
ドワーフ戦士団の最小単位は基本的に四人一組である。これを班と呼び、それらが集まって小班、中班、大班と規模が大きくなっていき、それらを纏めて戦士団と呼ぶ。
この班は、冒険者でいう所のパーティーと機能が似ていて、基本様々なミッションをこの四人で解決していくらしい。
そのための軍事教練には、聖騎士団にも取り組むべき課題が沢山あり、今後の指針とも成り得た。
「そろそろ戻らないと、昇格試験まで余裕が無くなるな」
ジュエルがアレフアベドへの帰還を示唆した日、バッシの魔石は無事消化され、体に馴染んだ為に、いよいよ鎧の試着を決行する事となった。
ヴォーグの工房には、地龍の鱗が玉の様に丸まってチンマリと置かれている。その愛らしさと裏腹に、魂まで練り込められた存在感は、その場に居る者全てが圧迫されるほどであった。
ノームはその肩書き通り中々忙しいらしく、姿を見せていない。この場の最高責任者であるヴォーグが、
「では始めるか、バッシこれ噛んでおけや」
と猿ぐつわを放り投げてきた。それを自らに縛り付けながら、これから始まる荒っぽい儀式に心を決めると、深呼吸とともに心を落ち着けようとする。
頑丈そうなテーブルには、手枷まで付いている。そこに付いたグリップを握り込むと、前腕に分厚い拘束帯を装着された。
目の前のテーブルには、千年地龍の鱗の塊が無造作に置かれている。体の自由を奪われたバッシは、恐怖感から心拍数が上がり、鼻からの呼吸が荒くなった。
痛い目には散々あって来たが、だからと言って全然平気という訳ではない。
ドワーフという剛の者達が、忌避するほどの痛みともなれば、思わず身が硬くなるのも致し方ないだろう。
バッシは『大丈夫、死ぬほどの事は無い。今までの事に比べたら何という事も無い』と何度も念じ続け、目の前の塊を凝視した。
すると、腹の中からジンワリと熱いものが伝わって来る。元より上半身裸になっていたので、剥き出しの腹の辺りを見ると、六芒星の仮墨が微かな光を放っていた。
その光がほんの少し強まると、線が伸びるように千年地龍の鱗の塊と結び付く。
すると丸っこい鱗がバサリと広がり、次いで丸まっていた表皮がうねり出した。
目の前でのたうち回る鱗の塊から、お腹の仮墨を通して、
『苦しい、痛い』
という強烈な思念が伝わって来る。その時、同期した脳内に、地龍の最期がありありと蘇った。
周囲を囲むドワーフ達、巨大な機械で縛り付けられ、切断されていく肉体と魂。ドサリと無造作に投げ出された、そのうちの一ブロックがこの鱗の塊だった。
思念が強くなるにつれ、激しくのたうち回った鱗玉は、内側の肉を広げると、バッシの腹に飛びついた。そのまま仮墨に纏わり付くと、皮膚を破って一体化してくる。
龍魂を取り込んだ胃にまで達する穴の激痛に、絶叫を上げながら身悶えするが、ガッチリと固定された腕は、地面を揺らすほど抵抗してもビクともしない。それでも内臓を切られる痛みに、泡を吹きながら耐えていると、唐突に痛みが引き始めた。
見ると、鳩尾周辺にビッシリと地龍の鱗が生えて、その範囲が広がりつつある。
胸全体を覆った鈍色の鱗は、頭部も埋め尽くすと、数枚の飾り羽根のような独特な鱗を伸ばし、下半身を覆った鱗は、股間をしっかり包み込むと、足先にまで伸びて、五本指の一本一本まで丁寧に包み込んだ。
手足の指先に出来た丈夫な爪を立てると、硬い机や地面を容易く削り取る事が出来る。
お腹に感じた温かみが、全身に広がった安心感。とてもリラックスした状態になると、波が引いて行くように鱗が無くなり、胴体のみを覆う形で収まった。
「おお! 上手くいったじゃねえか! 見ろ、髪も抜けてねえぞ。なんでだろうな?」
近づいて来たヴォーグが示すとおり、拘束を外された手で触って確認すると、髪は全然抜けていない。
「こいつの魂と同期して感じた。どうやらドワーフに強い恨みを持って封じ込められたらしい。そのせいじゃないか?」
と言ったバッシが胸に生えた鱗を撫でていると、
「そうかい、こいつは地下鉱脈を掘り進めていた時に、偶然遭遇した地龍でな。当時の国王が討伐した、いわれの有る龍を加工した鱗玉なんだ。それ以来恨み続けてたって事かよ、執念深いな」
呆気に取られた顔で胸元の鱗に手を伸ばす。すると警戒するようにジャッと逆立って威嚇した。
「辞めた方が良い、まだ上手くコントロール出来てないから、攻撃されてもおかしくないぞ」
バッシが身を引くと、ヴォーグも手を引っ込めた。しかし珍しい現象に防具職人として興味津々の彼は、
「まあなんだ、こいつに慣れるまで、今日一日はかかるだろう? その間試したい事もあるから、お前さんはここに残ってくれ。何、別に手間取らせはせんよ、少し実験に協力してくれれば良い。こいつの性能を試す機会にもなるしな」
と言うと、同席していたジュエルに同意を求めた。
やれやれ、どうやら今日はこいつの検証で一日潰れる事になりそうだ。
ヴォーグの提案に了承するジュエルを見ながら、バッシは面倒な展開に気分を落とす。
ま、仕方ないな、宜しく頼むよ地龍さん。そう思いながら右手に意識を向けると、ブワッと龍鱗が浮かび上がって、厳つい手甲を形成した。それをグッと握り込むと、頑丈そうな拳に、いつも以上の力が漲る気がする。
その頼もしい装甲を見ながら、
〝龍装〟
と呼ぶ事にしよう、と発想すると、了解の合図のように、拳の鱗が引き締まり、鈍色に淡く光を反射した。