手合わせ
特別な魔力を宿した装備品と、持ち主が契約を交わした時、双方の力が噛み合わさり、思いがけぬ真価を発揮する事がある。
これはジュエルと聖騎士の鎧の関係や、ウーシアと霊剣、そしてリロとタンたん、バッシと鋼の剣の関係に明らかだろう。もっとも鋼の剣とは明確な契約など結んだ覚えは無いが。
その契約にも簡易的なものと、特別な契りを交わすものがある。ヴォーグの取り出した魔石は、正しく後者のタイプで、特別な契約に欠かせない品物だった。
山間地に居を構える騎竜民族フフト人が〝龍魂〟と呼ぶ、彼らの秘蔵品であるこの魔石は、使用者と龍との繋がりを手助けする効果があるという。
地龍の魂を肉体ごと加工された、鱗玉と契りを結ぶには、この龍魂を自らに取り込む必要が有るらしい。
「と、いうわけだから、口をあけろ」
薄っすらと笑いながら、ヴォーグが貴重な秘石を手に迫る。なんとなく事態を理解したバッシは、
「まさかそのデカい塊を飲み込むってのか?」
と問うと、
「察しが良いじゃねえか、何、ドラゴン・ライダー達は子供の頃に済ませる儀式らしいぞ。中には喉骨をやられる奴も居るらしいがな」
ガハハと笑いながらバッシの手に魔石をポンと置いた。
「おい、トロミ茶を持って来てやれ!」
忙しそうに働き回る部下に命令すると、汚れた手をエプロンで拭きながら、休憩所に引っ込んだ男が、陶器のカップを持って来る。
無愛想にドンと置かれたカップの淵からは、トロミの付いた黒茶が盛大に零れ出た。
「そいつはお前の胃に留まって、数ヶ月かかって完全に消化される。まず効果を発揮しだすのは飲んでから一週間と言われているから、それまでここに滞在したらいいだろうぜ」
言ったヴォーグが顎をしゃくって、魔石を飲めと促してくる。バッシは苦味の強い黒茶を口に含むと、喉になるべく留まるように少しづつ嚥下した。
さらに意を決して鶏卵大の魔石を飲み込むと、喉の筋肉を緩めて、意識を集中させる。
どう考えても大きすぎる通過物に、喉は拒絶反応を示すが、最前に飲んでいたトロミ茶が幸いして、狭き門の前半部分を通り抜ける事が出来た。
だがここで止めてしまうと、窒息死することになる。バッシは目を瞑ると、喉が広がるイメージを必死で描きながら、一気にゴクリと飲み込んだ。
目が白黒する中、巨大な異物が食道を降りていき、胃の噴門に辿り着く。そこでつっかえてはならぬと、トロミ茶の増援を嚥下すると、ユックリ広がった入り口を通って、スポッと胃に落ちていった。
お釣りで上がるゲップが、痛む喉を逆流してくる。
「飲めたか、胃についたらここに魔法印を彫るぞ」
ヴォーグの手には、消毒を済ませた針の束と、特殊な薬を混ぜ込んだ墨が壷に入れられている。
彼は慣れた手付きでバッシの腹部をはだけると、丁度胃の中心部あたりに丸を描いて、中に六芒星の入れ墨を施していった。器用に描かれた模様がいまだ乾き切らぬ内に、
「ディーザー、定着魔法だ! 消化促進も付与してやれ!」
またもや忙しそうに働き回る部下を呼び寄せると、特殊な魔法で入れ墨を魔法印に変質させていった。胃の中で、魔石が干渉を受けているのが、ヒリヒリと分かる。その不快感に眉をひそめていると、何か勘違いしたのか、
「何、こんな仮墨なんざ本契約時には消えちまう。それよりも魔石が張り付くことで、胃に負担がかかるから、毎日ここを擦り込むようにマッサージしろよ。よし、これで契約の準備は整ったぜ。一週間後にまた来な」
と胃の違和感に閉口するバッシに告げると、忙しいのだろう、サッサと他所に行ってしまった。バッシの目の前に、千年地龍玉と呼ばれた、鈍色の塊を置いて。
しゃがみ込んで見つめるが、ちんまりとしたフォルムは、古龍の魂までも凝縮した品物とは思えない、なんともいえぬ愛らしさがあった。しかし同時に、そんないわれでもないとおかしい程の気配が漏れ出ている。
魔力を打ち消す睡蓮火の力によって、魔法の鎧などは徐々に力を中和させられてしまうらしい。だが、元々の防御力が高い地龍の鱗を、ドワーフの鍛冶魔法で仕上げた防具なら、その心配も無いと言う。
そこに龍魂による特殊な契約を結んだら……それは小さな龍が誕生するに等しいかも知れない。特別な封印が効いているにも拘らず、周囲に発散される力の波動を感じる。知らず口角を上げたバッシは、胃の魔法印を撫でると、その場を後にした。
*****
「そこ! 盾が下がってるぞ! 戦場じゃいつ何が飛んでくるか分からないんだ! 立派な盾も構えなきゃ意味が無いぞ!」
ここはブリストル兵団の訓練場。ノームの計らいで特別に許可が下り、バッシたち聖騎士団も兵士達の訓練を見させてもらっている。
ドワーフ戦士達の装備は、重厚な板金鎧に、体を覆い隠す程の合金盾、それと近接戦闘用の戦斧。
それらには訓練用の負荷として砂鉄を含ませた布が、幾重にも巻きつけられていた。
さらに背中には、サイズから考えると分厚過ぎる多層鋼でできた、滑車式の機械巻き上げ弩と標準装備の特殊太矢、そこに食糧、水などが携えられている。
彼らの個人装備は軽く100キロを超えているだろう。
にも関わらず、先ほどから走り込み、集団模擬戦、はては要所要所に挟まれる筋力トレーニングに至るまで、驚異的なペースで黙々と訓練メニューをこなしている。
身長こそ低いものの、人間とは比べものにならない頑強さを誇る肉体は、さすが筋肉ダルマの異名をとるドワーフの真骨頂と言えた。
「さあ、ジュエルさんもその空いた所に参加して下さい」
耳打ちを受けたブロトが告げる。今回は、教練の指揮を取るブリストル・キングダムの軍事的トップ、リグズ戦士長自らが、バッシ達に指導してくれると言う。
顔を覆い尽くす髭と重厚なヘルメットで、戦士長の顔形は確認出来ないが、部下の訓練を監督する目付きは、ギョロリと力がこもっていた。
一際立派な鎧からは、先程みた鱗玉と遜色の無い程の雰囲気が漂っており、腰元に釣られた大振りの戦斧には、ノームの最高傑作の証、双槌紋が刻まれている。
それにも増してバッシの目を引いたのは、彼の背負う特殊な形をした剛弓。ドワーフの技術が結集した複雑な構造をしたそれは、化合弓と呼ばれる物らしい。金属や魔獣の骨、腱などを複雑に加工し、魔力強化したそれは、M字状の弓の両端に滑車と龍髭ワイヤーを取り付けてあり、背の低いドワーフにも取り回し易い工夫がなされていた。
射撃教練で試技を披露した際につがえられた矢は、見るからに重量があり、鏃も鋭く研ぎあげられた鋼鉄の品である。
独特な形のコンパウンド・ボウを引き絞った戦士長は、200mは離れた的に向けて無造作に矢を放つと、ど真ん中を正確に射抜いて見せた。
その精密射撃の腕もさることながら、殆ど一直線に飛ぶ矢の軌道に、弓矢の性能を垣間見て戦慄する。これを本気で撃ったらどうなるのだろうか? そして特殊な矢を打ち込んだ場合の戦略性が頭を駆け巡る。
さらに戦士長の矢を目印に射出し始めた、戦士団のクロスボウ一斉射撃訓練ーーその轟音を聞いたバッシは、
〝ドワーフ戦士団とは事を構えるな〟
という新たな教訓を胸の底にしまい込んだ。一斉に数百という太矢に蹂躙された丸太は、真ん中から折れて、倒れた木片にもハリネズミのように矢が突き立っている。
続いて個別の白兵戦訓練に移行する際、バッシにも声がかかり、参加する事になった。
実戦形式で戦う相手は、リグズ戦士長その人である。いきなり木剣代わりに鉄芯入りの棍を渡されたバッシは、重量バランスを計りながら、柔土の敷かれた練武場に降りると、向かいに現れたドワーフを観察した。
戦斧に見立てた、これまた鉄芯入りの木の斧を手の中で弄ぶ戦士長の足運びは、良く訓練された軍人そのものといった風情である。髭とヘルメットに覆われて表情の読めない顔貌に、大きな眼が浮き上がって見えた。
「死ぬ奴もいる、覚悟せよ」
物騒な言葉を短く呟くと、突然放たれた殺気に圧迫される。思わず棍を構えた瞬間ーー目の前から戦士長が消えた。
殺気を感じた方向に棍を捻じると、足元を狙った一撃とかち合う。体重の乗った一撃は、太く、良く乾いた硬棍を痺れさせた。更に連撃を繰り出す戦士長に、合わせるように受けを取ると、押し返そうと棍を押し込む。
だがその力を後方に流されると、斧の石突きで膝を狙われた。
バッシは無理に力を入れず、その突きを横に転がる事で躱すと、捻りに合わせて斜め下から戦士長の脇を狙う。
その一振りを後退で躱した戦士長と、起き上がったバッシは、三歩ほどの距離を置いて再び対峙した。
突然始まった戦闘に、一気に引き締まるバッシに対して、一瞬目に笑みを見せたか? 戦士長は、地面に斧頭を付けて、脱力した構えを見せる。
一方のバッシは、肩の力を抜きつつも、正眼の構えで戦士長の動きを見据えた。
自然と握りは、柄と想定した部分の真ん中よりに両手を揃えて握っている。
呼吸が相手とシンクロしていく。短く吸って、途切れなく長く吐く。次の吸い込む瞬間にでも仕掛けようとしていた時、突如としてそのリズムが崩され、その瞬間に戦士長の斧が襲いかかった。
一対一ならではの呼吸を使ったフェイントに、しかしその事も念頭にあったバッシは、慌てず突きで対処する。小さな踏み込みの突きに斧を合わせた戦士長は、次の瞬間斧頭で巻き込むように棍を引き込むと、強引に体を入れて来た。
バッシはその瞬間左手一本に握り変えると、両手では無理な角度で棍を引いて、自由を取り戻す。
一瞬目を見開く戦士長の眼前に、柄頭に見立てた棍の淵を突き込むと、しゃがんで避けた戦士長は、咄嗟に横に転がった。そこに追い打ちをかけんと、棍を振り下ろすが、素早い戦士長を捉えきれずに地面を叩く。
起き上がりざまに突進して来た戦士長の一撃と、再度振り下ろした棍が交差する。
硬い岩を叩いたような、それでいてその中に弾性に優れた筋肉が詰まっている事を感じる手応え。身長差から打ち下ろす棍の一撃を、余裕で受け流した戦士長は、勢いを落とさずに回転すると、バッシの横を取った。
バッシも棍を地擦りしながら、足をおっつけると、振り回された斧に合わせて棍をかち上げる。自然と両手の間隔を開けて握っていたバッシは、左手を支点に、テコの原理で戦士長を押し飛ばす。
だがそれは戦士長の蹴り足も加えられていたらしい。思ったよりも遠間に跳びすさると、小さく「ほう」と呟いて、斧を構えられた。
バッシも再度、正眼に構えを取ると、
「死ぬなよ!」
と戦士長が一声掛けて来た。何のことか? と問おうとしたが、次の瞬間、戦士長の纏う雰囲気が激変して、言葉が出せなくなる。
戦士長の全身から吹き出す魔光で、輪郭が揺れて見える。手になる斧をも包みこんで吹き出す金光が、鋭く収束していくと、戦士長に纏わり付く金色の皮膜となった。
自然と棍を握る手に汗をかく、それを嫌って握りを少しズラしていると、地面を蹴る轟音の後、目の前に戦士長が迫っていた。
金色に輝く斧に触れてはいけないという直感が閃く。だが最短距離で飛び込んでくる斧頭に対し、回避行動は取れそうもない。咄嗟に斧の柄の部分に棍を合わせると〝バチッ!〟と魔力によって吹き飛ばされてしまった。
態勢を整えようとする所へ、横薙ぎの一撃が襲いかかる。それを更に転がって避けると、上段から金斧が頭部を狙って打ち下ろされた。
バッシは地面に紛れさせた棍を戦士長の下腹部に突き込むが、猛烈な突進に弾かれてしまう。
だが斧の軌道はほんの少しズレて、思い切り地面に打ち付けられた。
轟音と共に地面が陥没する。それが木斧だという事が信じられなかった。だが、それに見惚れている余裕は無いーーバッシはすかさず棍を拾うと、陥没した地面から跳び上がって来た戦士長と対峙した。
あの金光を纏った状態に対して、どう対処すべきか? 普通なら持久戦に持ち込んで、魔力の消耗を待つ所だが、あれだけ安定した魔力は、そうそう消耗するとは思えない。ならば……
その思考を待たずに、戦士長がゆらりと動き出す。その瞳は金光に輝き、今度こそ楽し気な笑みをたたえて見えた。