酒難女難
「おい、バッシ、そっちにウーシアが行ってないか?」
ドアを二度叩いた後、ジュエルの声がする。バッシは二日酔いに鈍る頭で、ようやくその内容を理解すると、重い瞼を無理矢理開けて辺りを見回した。分厚いカーテンの奥からは、ドワーフならではの複雑な仕掛けで、朝日が地下まで運ばれてくる。
その薄明かりの元、隣に密着して眠るウーシアを見ると、信じられない事に、一糸纏わぬ姿でうつ伏せに寝ていた。
幸せそうに口元から涎をたらして、
「もう食えないワン……」
などと寝言を呟いて、ゴロンと仰向けに……本来成人女性が隠すべき恥部が全て露わになると、張りのある大きな乳房は天に向かって屹立する。
隣で密着していた俺の右手は乳肉が乗っていたらしく、かなりの重量から解放された事で、急に軽くなったような錯覚を起こす。
静かに下を見下ろすと、俺も一糸纏わぬ全裸だった。
この時、急速に頭が回転しだす。
この状況はやばい! ドアのノックは激しさを増し、
「おい! バッシ、居るんだろ? もう朝だぞ、起きろ。ウーシアが行方不明だ」
今にもドアノブを回して入って来そうな勢いである。この客間は、四部屋で一括りになっており、外鍵は表に面した二部屋しかなく、他は内鍵で繋がっている。だが仲間内で使うため、当然鍵などはかけていない。
急いでズボンを探ると、肌着も着ずに足を滑り込ませた。
そして今だに床に転がるウーシアを揺すると、
「起きろ! ウーシア、さすがにこの状況はまずいぞ!」
と何度も揺すり続け、寝ぼけまなこの彼女に取り敢えずシーツを被せた。
ところに、
「入るぞ!」
ガチャリとドアを開けて、完全装備に面頬のみを広げたジュエルが入って来た。
「バッシ、ウーシアが居ないんだが、またこっちに紛れ込んでないか?」
ズカズカとは入り込んだジュエルが、慌てて上着を着ようとする俺の元に、大股でやって来る。
それに慌てて、
「ああ、ウーシアならここで寝てるよ、今俺も起きたんだが、寝てる間に来てたみたいだな」
作り笑顔で何とか誤魔化そうとすると、その不自然さを訝しんだジュエルは、
「え? ウーシアはどこだ?」
と辺りを見回し、シーツの中に蠢くものを見つけ、
「おい、ウーシア、主人をおいて寝坊とは百年早いぞ!」
おもむろにシーツを剥ぎ取った。
そこには全裸のウーシアが、身を屈める様に丸くなって耳をふせている。縮こまった尻尾が胴体にキューッと密着していた。
「こっ、これは」
目を三角にしたジュエルがバッシの方を向く、どう見ても慌てて着ました、としか見えない俺の上下を交互に見てーー
「どういうことだ? ……え? 何やってるんだ……お前ら! どういう事だ!!」
ーー雷が落ちた。
「おいおいおい、冗談じゃないぞ! まさかお前達そういう関係か? 毎晩一緒になってるから、そろそろ辞めさせようと思ってたんだが、まさか、ま、まぐわう……なんて事はあるまいな!」
最後の部分は顔を真っ赤にしてまくし立てた。〝まぐわう〟という言葉の意味は良く分からないが、男女の営みの事だろうと判断すると、
「俺は昨日酔っぱらって記憶が無くなって、起きたらここで裸だったんだ、そしたら横にウーシアが居て……」
全裸にシーツを被ったウーシアは、
「ウー、気持ち悪いワン、ウーも昨日は酔っ払って、何時もの癖でバッシの寝床に来たのは覚えてるんだワン、でもなんで裸なのか? わからんワン。多分バッシが裸だったから、気持ち良さそうってなって脱いだのかなフ?」
二人が話す間、拳を固めて下を向いていたジュエルは、キッ! と睨みつけると、
「お前らは遊びのつもりか? 私は本気でSランクを目指している。それも前代未聞の最短期間で、だ! それが何だ? 酔っ払って全裸で寝てた? お前ら異性だろうが、もしそういう事になって、妊娠なんて事になったら、どうしてくれるんだ? 身重で冒険者が出来ると思ってるのか? ウーシア、お前は私の奴隷だ! お前にはそんな自由を与えた覚えは無いぞ! そしてバッシ、お前最近女を覚えたな? マンプルと何かあったと思ったが、そこで精通した、違うか?」
ウーシアは耳を倒して、縮こまる様に小さくなって震えている。小さな声で、
「すみませんでしたワン、許して下さいワン」
と涙声で懇願し続けていた。バッシは突然の糾弾に、悪かったなと思いつつ、
「確かに、あの晩俺は精通した。と同時に女を知った。だが、呪われていた頭は、徐々にしか戻らないらしい。だから仲間を襲うような事はしないし、今回も手を出していない、単に寝ていただけだ。もし良かったら体を調べてくれ、そういった形跡は一切ない筈だぞ」
バッシは羽織っていた上着を脱ぐと、ズボンまで脱ごうとした。もっと顔を赤らめたジュエルは、
「ばっ、ばか! もういい、だいたい雰囲気で何もないのは分かるわ。私が言いたいのは、間違いが起こる可能性の事よ。妊娠しましたなんて最悪だからね、これだけは厳命します。間違いの起こり得ないように考え直さねば。今後添い寝は禁止! ウーシア、来なさい」
バッシは項垂れたウーシアを見て、何だか申し訳ない気持ちで胸が締め付けられる。仲間とは言え、彼女はれっきとしたジュエルの奴隷なのだ。所有物をどうするかは、所有者にしか決められない事である。
何も言えずにウーシアに服を渡すと、ションボリと着替える彼女に背を向けたバッシは、脱いだ服を着直した。
*****
「まあまあ、結局何も無かったんですから、そこまで厳しく罰しなくても良いじゃないですか」
食堂で事の顛末を聴き終えたリロが、ほんのり笑顔で仲裁する。
「だが、もし間違いが起きたら、私の目標に支障をきたすぞ。それだけは了承できない」
いまだ怒りを納めきれないジュエルが、手の中のハードブレッドを思わず握り潰した。その横では、そうとうしつこく説教を受けたらしいウーシアが、耳も尻尾も極度に垂れ下げて、涙目のまま食事に手もつけない。
食いしん坊の彼女が飯を前に手も付けないとは、一体どんな説教を受けたのか? 想像するだに同情を禁じ得ない。バッシも気まずくて、食べ物に手が行かないのを見たリロが、
「昨日は皆さんグデグデでしたからね、ドワーフの火酒には気を付けた方が良いでしょう。ジュエルだって大分酔っ払って、ノームに絡んで行ったの覚えてる?」
と言うと、慌てたジュエルが、
「そんなバカな! 私はこいつらと違ってきちんと記憶があるぞ! ノーム殿には冒険者としてのの知恵を教わったり、武具の取り扱いなどの疑問を問うたりしていただけだ」
食って掛かるようにまくし立てた。それを冷眼で受け流すと、
「あら〝ノームてめえがどんだけ偉いかは知らないが、私は絶対に聖騎士になるんだ。そこんとこ覚えとけ〟って、彼の胸ぐらを掴んで言ってたわよ? ノーム様も面食らって〝ああ、なればいいんじゃ〟って呆れてたわね」
それを記憶にないジュエルは、
「うそっ!」
と言うと、頭を抱えて悶絶しだした。どうやら酒宴の喧騒の中、リロは一人冷静に淡々と飲み続けていたらしい。食堂で会った昨日の同席者も、リロに尊敬の眼差しを送ると、
「おはようございます」
と素直に頭を下げて行った。ドワーフに尊敬される程の酒豪……どうやら以前悪酔いした時は、本調子では無かったようだ。昨日飲んだ火酒のきつさを思い出し、改めてリロの酒豪っぷりに戦慄を覚える。
ともかく、しばらくの間、ウーシアとの添い寝は禁止、そして部屋も男女別々に取り、ウーシアはジュエルの部屋の床に寝る。という事を決めて、今回の件は決着とした。
なんだか改めて奴隷という身分を意識させられて、良い気はしない。仲間内の連携もスムーズになりだして、結束も生まれ出しただけに、何とも言えない空気が流れた。
気まずい食事中に、昨日同席したドワーフの若者が現れると、
「バッシ様、鎧職人長のヴォーグが、宜しければ早速鎧の下準備をしたいと申しております」
と、微妙な空気を切り裂いて告げた。これ幸いと、ジュエルには一言、
「今回はすまなかった、俺の油断もあったし、今後は気を付ける。昨日は誓って何も無かったし、間違っても妊娠なんてことは無いから、安心してくれ。じゃあ行ってくる。ウーシアも酔っての事だし、これ以上責めないでやってくれ」
と、だんまりを決め込んだジュエルに頭を下げると、リロを見た。
『任せて』
と言うように、片目をつぶって見せた彼女に任せると、ドワーフの若者の後についていく。途中うつむくウーシアを見ると、泣きそうな顔でこちらを見ていた。己の身分を再確認されて、悔しいのか? それとも諦めていたものを思い出した悲しみなのか? 胸が締め付けられる。その肩に手を置くことしかできずに、その場を後にした。
後を引く思い、そこには同情以外のものが混じり始めていた。
*****
ドワーフの防具工房は、剣鍛冶と並んでブリストル・キングダムの最先端技術が結集された部署である。ヴォーグはそこの責任者の一角を担う鎧職人長という役職持ちだった。
特別に入室を許された工房のあちこちでは、見たこともない色の火花を散らしながら、明らかに特殊な金属を鍛造加工していたり、大きなプレートが何枚も吊り下げられて、特殊な薬液に漬け込まれていたりした。
そこでは沢山の魔獣の毛皮や、 何らかの甲殻、果ては一匹分のレッド・ドラゴンの外皮なども加工されており、その迫力に目が散ってしまう。
「よお! バッシ、お前さんの鎧はもっと奥だ、こっちに早く」
昨日知り合ったとは思えない気さくさで、ヴォーグが手招きする。案内してくれた若者によると、彼に相当気に入られたらしく、
「最高の鎧が手に入りますよ」
と、笑顔で言われた。この場の雰囲気といい、期待感がいや増す一方である。
「お前さんのスタイルはノームからだいたい聞いてるんだが、両手剣使いで体がデカく、冒険者だからガシャガシャうるさいのはカンベンってところだろ?」
言われた条件は完璧である。更に、
「丈夫だったらいう事無いです」
というバッシに指を立てて、
「チッチッチッ、俺を誰だと思ってるんでぃ、ヴォーグ様の作る鎧にやわいという言葉はねぇ! そこんとこヨロシク!」
ビシリと指を突きつけられた。なんだろうか? このノリ。取り敢えず放置して進むと、完成した防具の並ぶ部屋に来た。
「お前さんの鎧の発注は既に受けてたから委細承知よ。あれだろ? リリの睡蓮火と一緒って事は、魔力を打ち消す破魔の力が掛かるんだろ? あいつの防具もおいらの作だからよ、魔法のローブを何着も駄目にした挙句、まあ対策は出来てるぜ」
中でも一際異質な小包みの前に立ったヴォーグは、愛おしそうにその表面を撫でる。それはなんとも愛嬌のある丸みを持つ布包みだった。
「いいか? こいつは一つの王国が軍隊で対峙する程の魔獣、いや、幻獣の王、その肉体の一部を魂ごと封じ込めた、いわば生きている鎧とも言うべき代物よ」
と言うと、包みを括り付けていた紐をほどく。そこから現れたのは、鈍色にくすんだ金属の塊だった。
いや、金属に見えるほど重量感はあるが、その形には有機的な丸み、そして表面には角の無い鱗が伺える。
良く見ようと一歩近づいたバッシを制したヴォーグは、
「まだこいつはお前さんを持ち主とは認めちゃいねえ、ここにあるプレートが封印になってるが、本来あり得ない力を封じ込めてあるから、気安く触るんじゃねえぞ……これが自慢の一品〝千年地龍玉〟よ」
バーン! と手を広げて披露するヴォーグに、しかし鱗玉に目が釘付けになって何の反応も返せない。そこには封印を受けながらも、立ち昇るオーラでただならぬ気配を放出しつづける龍の一部が鎮座していた。
薄い反応に却って満足したのか「ふんっ」と鼻息を漏らしたヴォーグは、
「さて、昨日言っていたサービスって奴を始めようかい」
と言うと、懐から握り鶏卵大の魔石を取り出して、ニヤリと笑った。