土の魔物
風笛師を先頭に、ギルド指定討伐隊〝帯電刺棘とお助け隊〟のメンバーが地下迷宮〝豊穣なる地下通路〟を進む。
風笛師とは、各迷宮に繋がる〝豊穣なる地下通路〟に発生する、強すぎる土精の力を封じ込め、冒険者が安全に通行するために生まれた道先案内人で、風笛と呼ばれる独特な祭器に風の精霊を宿す事に長けた、迷宮出口付近の集落の人々を指す。
その中でも一番の腕前を持つゲマイン老が、今回の討伐隊専属案内人として同行していた。
ゲマイン老達にしても、地下通路に現れたユニーク・モンスターは、生業を脅かす存在であり、討伐隊に寄せる期待も高い。その為村を上げて彼らを歓待し、迷宮に潜る際には、弟子を二人も連れて自ら案内を買って出ていた。
「ヒュロロロ〜」
風笛の多少脱力感のある音が、不思議なほど長く尾を引きながら、迷宮に響き渡る。長年使い込んだ、風の精霊を封じ込めた角笛から、常に微量の力を放出し、周囲の土精を牽制しながら進んでいた。
その時、力の拡散に違和感を感じたゲイマン老が、左手を上げて隊を止める。
「どうした?」
すぐ後ろを歩く、隊のリーダーたる重戦士ゲーハァが尋ねるのにも答えず、周囲に気を張り、何かをとらえようとする。その時、耳に近づけた角笛から、
〝シュロロロ……土シュルル……来るルルル〟
ゲイマン老にのみ微かに理解できる、、風精の警告が聞こえてきた。
「土精が来るぞ!」
周囲に警告を発したゲイマン老が、角笛を吹く息を強めると、周囲の土精を更に圧迫する。だが、その力は呆気なく打ち破られると、迷宮内全体が大きく揺れ出した。
「まずい! これ程大きな力とは予想外じゃ! マリィ」
後ろに控える孫に声を掛けると、背中に背負った風袋と角笛を繋げさせる。
「皆さんは下がって下され、ドンは皆さんを誘導するんじゃ、マリィ! 風を思い切りふかせ」
風袋に付いたふいごを開くと、マリィが取り付き一心にふかす。すると一時的に負荷を上げた風の精霊が、震える地面を抑え付けた。その力の拮抗に、周囲に居る者達の耳がおかしくなる。
「そうは持ちませんぞ! さあ、早くお下がり下され」
ドンと呼ばれた風笛師を促して、隊の脱出を促す。魔力を振り絞るゲイマン老の額には、冷や汗と共に太い血管が浮き上がっていた。その手元は、極限まで力を伝える角笛に揺すられ、ガクガクと震えが止められない。
迷宮深部の闇を見据えたゲイマン老の目先で、闇が形を変えて行く。それを抑えようと力を振り絞った時、手の中の角笛が限界を迎え、ビシリと亀裂が走った。次の瞬間ーー迷宮全体がうねると、通路の全てを攪拌し、潰し、閉ざした。
*****
ゲーハァは盾を構えて転倒した姿勢のまま、信じられない思いで前方を見据えた。カンテラに照らし出されるのは、球形に詰め込まれた土塊のみ。それもこちらの方が球形の空間であり、それはドンと呼ばれる、自分達を庇ってくれた風笛師の作り出した、風精の結界故の安全地帯である。
薄明かりの中で仲間を見ると、ゲイマン老とその孫であるマリィ以外の皆が揃っている。その姿を見て少し安堵感を覚えたゲーハァは、
『これ程の力を持っているとは、もっと大規模な対策を練らないと、討伐どころか敵の姿すら拝めずに全滅するぞ』
と瞬時に思考し、
「ドン、悪いが来た道を戻る事はできるか?」
隣に跪く風笛師に声を掛けた。かなり消耗した様子のドンは、それでも黙って首を縦に振る。ゲイマン老は彼の師匠と言っていた、そのショックは大きいだろうが、ここは彼に頑張ってもらわないと、こちらの命も危ない。
戻る道へは少しの土塊しか無いらしい。それはドンの張った結界の優秀さ故のものだったが、それをことさら告げる事もなく、彼は風精を操って退路を作り出した。
「体中土だらけ〜、リーダー早く地上に戻りましょ〜?」
お助け隊から、美女と野獣のリーダー〝フライディ〟が不満を漏らす。その不謹慎な言葉に一瞬顔をしかめながらも、
「俺達が殿をつとめるから〝スース戦士団〟を先頭に〝美女と野獣〟のメンバーも撤退を開始してくれ」
ゲーハァは勤めて冷静な命令を下す。その先頭は風笛師のドンに勤めてもらった。
「よし、俺達も行くぞ、ジルが先頭、戦士組が魔法組を挟む何時もの陣形で、防御撤退だ」
一番防御力の高いゲーハァを最後尾に、戦士三名がそのサポートを勤め、魔感知を発動する魔法使いのエヌシスとゲランを、女スカウトのジルが導くという防御陣形で撤退を始める。
暫く進むと、
「お頭!」
魔感知に長けたゲランが緊張した声を上げる。それを聞いたゲーハァは、長年の連携から緊急度を察知すると、方形盾を構え、
「防御陣形からの〝雷槍〟」
と即座に指示を飛ばして、来たる敵を待ち構えた。
構えること数瞬、周囲の土壁が振動と共に崩れ始めると、突如として隆起した土塊が津波の様に襲いかかる。
分厚い方形盾に魔力を集約して盾撃を放つと、全ての攻撃を受け止め、弾き返す。その瞬間、
「エヌ、ゲラ、やれ!」
後方に控える魔法使い達に指示を飛ばすと、詠唱を終えた杖を、最前線のゲーハァに向けさせた。
空気を切り裂く極太の電撃が、ゲーハァに直撃すると、魔導器である鎧の表面を伝わって、正面に構えた盾に集約される。それと同時に発動する二度目の盾撃、するとその盾に設けられたもう一つの魔導器から、槍状の棘が突出する。
〝混合魔法・雷槍〟
二人の魔法使いと、ゲーハァの盾撃が組み合わさった一撃は、目の前の空間を突き破る巨大な雷の一本槍を形成する。
その威力は土を弾き飛ばし、目の前にポッカリと広がる空間を作り出した。
「行けます!」
その先を魔感知していたゲランが断言するのを聞いたゲーハァは、
「追撃!」
号令を下すと、控えていた戦士達が飛び出して行った。
その先には、思いがけず大きな空間が広がり、カンテラの光に見える範囲には何者も見えない。
「どこだ?」
先頭の戦士が詰問する、それは敵に対してであり、味方の魔法使いに対してでもあった。そこへ追い付いて来たゲーハァと魔法使い達が周囲を探知するが、どこにもユニーク・モンスターらしき気配がない。
だが、魔法を発動した彼らには、確実にダメージを負わせた手応えが残っていた。
「詳細は分からんが、この隙に撤退するぞ! 先の陣形で微速後退」
これ以上の深追いを危険と判断したゲーハァが、気を取り直して命令を下すと、再び撤退を始める。すると前方から、地響きと共に悲鳴と怒号が聞こえて来た。
「どうした? ゲラン!」
魔感知にも引っ掛からなかったのか、魔法使いは首を振るのみ。嫌な予感しかしないゲーハァ達が先を急ぐと、先の通路がグチャグチャに落盤し、その隙間から何者かも分からない手足が突き出ていた。
「くそっ! やられた」
ゲーハァは悔しさのあまり怒声を吐くと、
「全方位防御陣形、敵が来るぞ!」
魔法使いを中心に円を描く様な陣形を取る。その時、前方に詰まっていた土塊が弾き飛ばされると、内包していた者達の遺骸も一緒に吹き飛んで来た。
見覚えのある真っ赤な腕に握られた戦斧が、正面に構えるゲーハァの盾に弾かれる。そして盾撃に弾かれた通路の奥から現れたものの姿を見た彼は、その威容に言葉を飲み込んだーー
ーー数分後ーー
〝帯電棘棘とお助け隊〟は全滅ーー同行していた風笛師も全滅と思われたが、最年少のマリィと呼ばれる少女のみが奇跡的に生還する。
祖父が最後の力を振り絞って救い出した少女により、事の一部が伝わると、事態を重く見た冒険者ギルドは〝豊穣なる地下通路〟を一定時閉鎖する決定を下し、以降事態解決までいかなるパーティーも立ち入り禁止とした。
*****
バッシが野営地に戻ると、朝一番に目覚めたウーシアが眠そうな目を擦りながらやって来た。
「昨日は何処に行ってたワン? おかげで寝付きが悪かったワンウ」
ここの所、寝る時はバッシの腹が定位置のウーシアが文句をたれる。出る時にジュエルにだけは耳打ちしていたのだが、ウーシアには知らせなかったらしい。というか、魔力切れ寸前だったジュエルは、あの後寝っぱなしだったのかも知れない。
トテトテと歩いて来たウーシアがバッシと相対した時、何かの異変を察知したのか、クンクンと鼻を効かせると、
「匂う! 物凄く匂うワン! これはマンプルの匂いだワン! それになんだか……」
なおもクンクンと執拗に嗅ぎ続けると、
「魂も変容してるワン、微妙な違いだけど、バッシ・マニアのウーの鼻は誤魔化せないワンウ!」
肌に密着する程鼻を付けて、全身を嗅ぎ回ると、バッシの後ろを取る。そのまま尻の臭いを嗅ごうとするウーシアを止めると、
「マンプルに呪いを解いてもらったんだ。俺が作られてからずっとあった軛が外れた。そのせいかな?」
体の前に誘導し、両手でウーシアの肩を持つと、面と向かって告げる。その言葉に目を見開いたウーシアは、
「呪い……っていうか、言葉が流暢だワン! これは一大事だワンウ!」
と言うと、振り向いて駆け出して行った。取り残されたバッシは、
『言葉? 流暢?』
言われて初めて気付く。無意識の内に回りの良くなった頭が、言葉にも影響を及ぼしたのだろうか?
頭の悪さにコンプレックスを持つバッシは、その事に思い至ると、心が浮き立ってくる。
早速荷物の中から知育魔本のポコを取り出すと、呪いと知能の関係について調べ出した。
こうして少し生まれ変わったバッシは、興奮するウーシアが引き連れて来た仲間達に祝福された。だが変質し始めたバッシと、周囲の関係がどう変わっていくか? それはもう少し先の話である。