女、憤怒の道を駆け下る
うっそうと茂る藪を鎌鉈で刈りながら、傾斜のきつい森林を進む。ここはアレフアベドから徒歩で半日ほど北上した森林地帯。原生林が混沌と密集し、人間の手が久しく入っていない事を物語っていた。
「もう少し行った先に、古い猟師小屋があるはずだ、そこに着けば一息つける筈だから、頑張ろう」
とジュエルが発破をかける。それを蔦や草を払う音の向こうに聞きながら、緑の濃い臭いの中に危険生物が居ないか、バッシは細心の注意を払って鉈を振るった。
麓に住む村人の話では、この辺りには黄色毛長と呼ばれる、猛毒をもつ毛虫がいるらしい。その毛に触れると皮膚が真っ赤に腫れ上がり、酷い時にはショック死する者も居るという。その特徴的な黄色を見逃さないように、更に他の毒虫やモンスターの気配をいち早く捉える為に、バッシの後ろではウーシアが霊剣を携えて、警戒しながらついて来た。
「ウーシア、やめて」
だが例の悪癖は治らないらしく、バッシの尻を追い回しては一人悦に入っている時がある。確かにゴブリンの生息地はまだまだ先かもしれないが、油断していては足元をすくわれかねない。
口酸っぱく諭しても「大丈夫だワン」と取り合わない。確かに霊剣を構えたウーシアにとって、周囲の把握などお手の物だろう。だが、バッシは気になって集中出来ない、再度注意しようとした頃、ようやく古い猟師小屋の屋根が見えて来た。
「これは酷いですね、もはや小屋の態を成していません」
腐り落ちた屋根が壁にぶら下がり、丸太小屋だったらしき物は残骸と化している。リロが腐った天井材をつつくと、ボロリと崩れて地面に落ちた。
「しかたない、元々人が入らなくなった山に、フォレスト・ゴブリンが住み着いたって話だからな。ここで昼食にしよう、もう少し進むと要警戒区域に入るぞ」
ジュエルが兜の面頬を上げると、手にした羊皮紙を広げた。依頼主である麓の村人から預かった地図には、小屋の印とフォレスト・ゴブリンの集落、そして目撃情報が記されていた。
これは以前に依頼を受けた単独冒険者の遺留品で、彼はこの地図を残し、森の調査中に帰らぬ人となったらしい。微細に書き記された地図は今のところ現場と合致していた。
山歩きで消費したカロリーを補充するために、沢山準備して来た黒砂糖を取り出すと、メンド豆と一緒に頬張る。強い甘みが疲れた体に染み渡り、再び行動する気力を与えてくれた。
小休憩中、バッシは鎌鉈にこびりついた草の汁を拭いながら、周囲の音を聞くとはなしに聞いていた。そこに微かな違和感ーーそれともほんの微細な草擦れの音だろうか? その横で尻尾を振りながら、黒砂糖の塊と格闘していたウーシアが、耳をピクンと動かすと、霊剣を構えて周囲を探った。
「何か居る、あそこだワン!」
という指摘と、バッシの投擲は同時だった。鎌鉈は付与された魔法の力を得て、藪の中に吸い込まれていく。
「ギャッ!」
鈍い音と共に地面に倒れこんだ何者か、その隣から、ガサガサッと逃走する音が聞こえた。
「任せるワン」
既にスリングを振り回していたウーシアが素早く移動すると、程よい位置から投石する。鶏卵大の石が鋭く飛んで、逃亡者の後頭部に当たると、ドサッと倒れる音が聞こえた。
バッシが追いついた時には、地面に伏したゴブリンの上にウーシアが跨り、その首筋に霊剣を押し当てていた。
「まて!」
と言ったバッシは、ゴブリンの腕を踏むと、腰紐を抜いて後ろ手に縛り付ける。
「殺さないワン?」
首を傾げるウーシアに、
「試したい事、有る」
と言うと、背負い袋から知育魔本のポコを取り出し、
『ゴブリン、言語』
と念じた。するとほんのりと温もったポコが自然とページをめくり出す。そこにはシンプルな単語に関する口の断面図と、発音記号、その上に意味が載っていた。
組み伏せたフォレスト・ゴブリンの頬を叩くと、気絶から覚醒して暴れ出す。
『黙れ、殺すぞ』
とポコに念じると、それに対応したページが新たに開かれる。
「グッ、グゴッ、ゴグ」
書かれたそれを読み上げたが、なおも暴れるので、喉を掴みながらもう一度、
「グッ、グゴッ、ゴグ」
と言うと通じたのか、力を抜いて抵抗をやめた。更に追いついて来たリロの鞄から、買っておいたロープを取り出してもらうと、捕まえたゴブリンをきつく捕縛する。
フォレスト・ゴブリンーーくすんだ緑に木の葉のようなマダラ模様のある皮膚、耳まで裂けた大きな口には不潔なギザ歯が並び、人間の子供と大人の中間位の身長。だが筋肉質な体躯は侮れない力を持つ。
その隠匿能力は、かなり近づかれたにも関わらず、バッシの感覚にはかする程度しか捉えられなかった。ウーシアがいなければ、位置を把握されて、下手をすると罠にでもかけられたかも知れない。
グルグル巻きになったロープの端を掴んだバッシが、引っ張り上げてゴブリンを立たせる。その状態でポコを手に持つと〝仲間の数〟〝拠点の規模〟〝リーダーの能力〟などを辿々しいながら尋問した。
昔戦場によく駆り出されていた猛薬小鬼と違い、挙動不審で神経質な印象を受ける。この状況を差し引いても、病的なまでに不安定な印象を受けた。
少し脅してやるとペラペラとよく喋る。それを一つ一つ翻訳して行くのはかなり骨が折れたが、リーダーの他にもう一匹、女王と呼ばれる上位種のメスが居る事、そして地図の目印通りの場所に集落を作っている事が分かった。
だが残念ながら3以上の数の概念が無いらしく、仲間の数を知る事はできなかった。
全てを聞き出すと、目の前のゴブリンの細い首を絞めて殺す。深い藪の中で逃亡されては事だし、余計な手間をかけている暇は無い。
相手の数や、状況次第では侮れないのがゴブリンという種族だ。現に単独冒険者も、Dランクの実力を持っていたらしい。戦闘に不向きなタイプだったとしても、自分達よりも上位ランクの者が殺されたという事は、肝に銘じておくべきだろう。
そして藪漕ぎを再開すること一刻、地図に従って進んだバッシたちは、フォレスト・ゴブリン達の集落を俯瞰できる丘に辿り着いた。
*****
女の呼吸が荒くなる。昼なお眠る夢の中、彼女は大事な我が子の視覚を通じて、侵入者達の姿を見ていた。
大男に鎧騎士、それと小さな女が二人、恐れる事は無い、現に気配を隠して様子を伺うこちらに、誰も気付く様子すらなかった。
その時、女の一人が小さなナイフを構えると何事かを叫び、同時に衝撃が襲う。目の前が真っ赤に染まると、その端から黒くなり、光を失っていった。
左右の焦点が切り替わるように、もう一匹の我が子の視覚が飛び込んでくる。仲間の死を体感したその子は、脱兎の如く逃走した。揺れる視界には藪しか見えない。
『そう、逃げて! お前なら逃げ切れる、早くこっちへ』
願いも虚しく、後頭部に打撃を受けた我が子が、地面に倒れる。その直後、女は目覚めた。
『ああっ! 何て事、ああ……』
女の悲鳴のような思念に慌てて駆け寄って来たのは、フォレスト・ゴブリンを統率するレア種のゴブリン。体格は他のゴブリンより二回りも大きく、体の色も黒くくすんでいる。
その腰には、人間の冒険者から奪った剣が下げられていた。
「グゲッ、ゲッゲギ」
彼は女の顔を覗き込むと、異常が無い事を確認してから、ホッとしたように腹をさする。女の腹には子供が居た。だが女は黒ゴブリンの腕を払うと、
『あああァァァッ! 子供がっ! 我が子が殺されたわ! 早くしないともっと殺される。早くあいつらを殺すのよ!』
黒ゴブリンの頭蓋を掴むと、半狂乱で叫んだ。
『あっ! ああっ! また殺されたわ! 大変、大変よ! 何してるの? 早く行って殺しなさい。四人の人間が朽ち小屋からやってくる! 早く! はや〜く!』
ガクガクと頭部を振るわれた黒ゴブリンが放り出されると、逃げるように走り出した。
『はや〜〜くっ!』
という思念波を背に受けて。
*****
〝ガサッ〟
少し離れた茂みから音がしたと思えば、
「ビョ〜ロロロロ〜ッ」
と笛の音が上がる。
「不味い! 気付かれたワン」
ウーシアの声と共に抜剣したバッシは、一つ呼吸を整えると、周囲に気を配った。その真後ろにはリロが、タンたんを経由して、苦手な火魔法による魔感知の呪文を唱えだす。
「ウーシア、貴女でもハッキリ分からないの?」
ホーリー・メイスと盾を構えたジュエルが問うが、
「さっきよりも更に分かり辛いワン、でも嗅覚がここから先は危ないと告げてるワンウ」
霊剣の効力に頼りすぎたか? 兎に角こうなったら一時撤退、来た道を戻る方が良い。何故ここでこちらの存在がばれたかは、後から検証するしかないだろう。
「ダメです、魔感知を散らす処置がなされているのか、上手く探知出来ません。私の腕が未熟なのもありますが、これは周到に対策を練られていると考えた方が良いですね」
頼みの綱だったリロの魔感知も不発だった。集団に対してのアドバンテージである爆発系魔法の先制攻撃も、敵の位置が分からなければ意味が無い。
その時、少し離れた所から、同時に二つの塊が投擲された。
一つは空中でリロの放った火柱に焼失されたが、もう一つは空中で解けると、中から黄色いものが降ってくる。
〝黄色毛長〟だ! 猛毒を持つと言われる毛虫がバラバラと降ってくる。
「ここに!」
と言って盾を上げたジュエルのそばに寄ると、守護結界を盾に集めた大きな傘の下に入った。
彼女の結界は、碧銀製の盾を使う事によって、より効果を増している。それでも周囲に舞う毒毛を吸い込んだのか、バッシは激しい咳が止まらなかった。
〝キュア・ポイズン〟
ジュエルのホーリー・メイスが輝くと、その毒気が一瞬にして引いていく。だが魔法の重ねがけはかなりの負担となるのだろう。苦しそうな表情を浮かべた彼女は、結界を維持するのが精一杯だった。
バッシは大きく息を吸い込むと、結界の傘から飛び出す。そこに殺到した投げ槍を叩き落とすと、手近に迫ったフォレスト・ゴブリンを斬った。
更に隣のゴブリンを一突きに屠ると、奥から木の槍を構えたゴブリンが、隊列を成して突進してくる。
更に横手から、黒くて大きな何者かが、剣を抜きざまに飛びかかってきた。
バッシは前面の槍をなぎ切ってただの棒にすると、その勢いに足を添えて、飛び込んで来た黒い奴と向かい合う。右腰に差した剣を右手で貫き打とうとしたそいつは、胴体がガラ空きだったので、勢いそのままに心臓を一突きに屠った。
槍を切られたゴブリン達が棒を振りかざす、その隙に足を薙ぎ斬ると、倒れた者達にトドメを刺して回った。
そこに再度、黄色毛長の詰まった籠網が投擲されると、待っていたかのように火柱が焼き尽くした。それは火炎放射となって地に向かうと、投擲元を丸々焼き尽くしてしまう。
後に残ったのは、煙を上げる地面と、ポッカリ空いた空間に漂う煙のみ。
その時〝ガサガサッ〟という物音が聞こえると、フォレスト・ゴブリン達は一目散に逃走を始めた。
「ウーシア!」
ジュエルの声に、
「大丈夫だ……と思うワン、奴らは皆逃走したようだワン」
鼻を効かせたウーシアが自信無さ気に答える。
バッシが再度丘の上からゴブリンの集落を見下ろすと、豆粒の様なゴブリン達が、巣を暴かれた蟻の様に右往左往していた。
「リロ! 頼んだよ」
後ろからジュエルの声がして振り返ると、タンたんを構えたリロが、既に魔法陣を展開している。
〝 P78 延焼火矢〟
リロから発せられる魔力の奔流が、タンたんの破壊衝動と同期して、甲高い音と共に火球を発射する。それは煙の尾を引きながら目の前の風景に落ち込むと、一瞬の沈黙の後、轟音と共に燃え広がった。
更に二発の火球が追い打たれると、それほど広くない集落は、その全てが火に飲み込まれる。
膨大な煙と、建材や生木、更にはゴブリン達を焼いた臭いが充満する中、真っ赤な魔光を放射させたタンたんは、燃え盛る火を操り、鎮火させた。
〝獄火の魔導書〟
その威力に心底恐怖を覚える。破魔の剣を持ってしても、到底かないそうもない。
そんな想像に背筋を寒くさせたバッシが、皆と一緒に丘を降り、元集落の焼け跡に足を踏み入れる頃には、全ての火は跡形もなく消え去り、建物らしき物も全て焼け落ちていた。
その中で、確信的に一番奥の建物に向かったウーシアが、
「ここに奥に続く洞穴が有るワン」
と、地面の下を指し示す。確かに細い洞窟状の通路が、真っ暗な地下へと続いていた。
「何か生命反応はあるか?」
というジュエルの問いに、
「何も感じないワンウ」
と霊剣を構えて告げる。今回は気配に気付けなかった事もあり、少し自信喪失気味に耳を垂らしている。その頭をクシャッと撫でたジュエルは、
「よし、じゃあお前を先頭に中を確認するぞ。何か仕掛けがあるかも知れないから、充分気を付けてな」
とウーシアを送り込んだ。更にジュエル、リロ、そしてしんがりをバッシが勤め、煤にまみれた洞穴を降りていく。
焼かれた空気の中、体の大きなバッシが苦労して降りてみると、その先の空間で、皆が固まっていた。
ウーシアの持つカンテラの光に照らされたそこには……床一面に散乱する生物の遺骸、しかも殆どが奇形のゴブリンであろう、二つの頭を持つものや、体がない者、逆に二つの体に一つの頭を持つ者などが、絶叫に口を歪めて死んでいた。
その地面には、大きな卵の殻が、所狭しと並べられている。
更に視界の端に見える巨大な物体に、ウーシアのカンテラを借りて光を当てると、巨大な芋虫の胴体状の物が、粘液に濡れて横たわっていた。
バッシが剣を振るうと、何の抵抗も見せずに切断され、中に詰まった体液を放出する。
「ここにはもう何も無いな」
ムッとする臭気に耐えられなくなったらしきジュエルが、口元を抑えながら宣言すると、他のメンバーも頷いて地上を目指す。取り敢えず依頼の達成を証明するために、回収できるだけゴブリンの討伐証明部位である、左耳たぶを集めて回らねばならない。
地上に戻ってからの陰鬱な作業に、沈黙が続くメンバーは、勝利の喜びも無く、重い足を動かし続けた。
*****
『くそっ! くそっ! くっそ〜っ!』
目を血走らせた女が数匹のフォレスト・ゴブリンに抱えられて、地下通路を運ばれて行く。
『ああ……全てを失った……愛すべき子供達も、家も、作り上げた物全てを』
甲殻に覆われた手を握りしめる。女は先祖返りの為に、人間の両親の間から、甲殻虫人の片鱗を持って麓の村に生まれた。そこで酷い差別を受けた後、年端も行かぬ内に村を追い出されてしまう。
仕方なく誰も足を踏み入れなくなった山に向かい、何とか自足生活を送っていた所で、寝ぐらを移して来たフォレスト・ゴブリンに捕まってしまった。
ゴブリンは繁殖力に優れ、異種族のメスとの間にも、自分の種族の子を孕ませる事ができる……そうして苗床にされた女は子供を増やしながら、虫人の女王としての性質を次々と開眼させると、爆発的に子を成し、遂には女王として集落を統べる存在へと登りつめた。
そこへ来てのまさかの全滅……再び全てを失った女は、怨念に濡れる目を光らせながら、
『あいつら……人間共……全てを犯して、殺して、貪ってやる』
呪いの言葉を発しながら、洞穴の外に出る。そこは昼なお暗い森の中、愛しい我が子達に運ばれて、憤怒の道を駆け下って行った。