〝改〟は改革の〝改〟
赤々と燃える木炭が、閉め切った工房を薄っすらと照らし出す。
長い間コボルト達に穢されていた鉱山内部は、至る所に汚物や食べ残しの死骸が散乱し、とても人が住める環境ではなかったが、ノームの号令の元、急ピッチで清掃が始まると、僅か一日で広間以外の全ての空間が掃き清め、磨き上げられ、鍛治場や坑道などの施設が復旧した。
今は大量のコボルトの血で穢された大広間の清掃に、派遣部隊の殆どの者が従事している。
その最深部、アイン・スタルトの工房は、鉱夫達の試し鍛造の場だったが、火を入れてみると独自のデザインで作られた高気密式の火床など、素晴らしい設備に思わず感嘆の声が漏れるほどの施設だった。
鍛冶長たるノームは、本国において常に最高の工房で仕事をしているが、アイン・スタルトの工房もそれに劣らぬ設備と言える。
特にここは、鉱山で自産するオリハルコンの鍛造を、容易にする為の工夫が各所になされている。
よく手入れされた道具類からも、魔吼族のコボルトによって亡き者にされた、アイン・スタルトの鍛冶長の腕が偲ばれた。
火床に直結されたふいごは普通の倍ほどの大きさがあり、ドワーフの弟子二人がかりで送り込む風は、焔の魔石を混ぜ込んだ木炭を大いに焚きつけて、安定した高温を実現させている。
火の前に立つ鍛冶長ノームは、バッシの剣の柄に止められたかしめピンを、ヤスリで削り取ると、柄頭や握り、鍔を外し、剥き出しの剣身を手に取った。
肉厚で無骨な鋼の大剣は、人間の作にしては良く鍛えられた鍛造品だと言える。ノームの目から見ると、不純物が混じり、焼き入れも不十分ながら、持ち主が大事に手入れをして研ぎ上げた刃には、あれほどの激戦の後にも関わらず、小さな刃欠け程度しか見受けられなかった。
その傍らには、この工房に残っていた最高品質のオリハルコンの鉱石粉が、長箱一つ分置かれている。本来オリハルコンとは、粉末状にした高純度の鉱石を専用の魔具に入れ、秘伝の鍛冶魔法で抽出、固めながら鍛造するものだが、今回の趣旨はそれとは異なるため、敢えてそのまま箱に入れてあった。
火床に灯る赤い火を見つめて、何時になく高まる心を深呼吸で鎮めると、鼻から入る熱せられた空気は、肺を温めてゆっくりと抜けていった。
鍛冶の神、ドワーフ族の主神ゴルディに祈りを捧げると、後ろに控える魔導師リリ・ウォルタに合図を送る。音もなく隣に立ったリリは、呪文の詠唱も短く、高濃度の魔力を練ると、指に嵌めた魔法増幅器たる真紅の指輪を火床に向けた。
二人の目の前で、赤い焔がほんのり淡いピンク色に染まると、蕾状の幻火が生まれる。費やされる魔力によって成長し、フンワリと開いたそれは、大きな睡蓮の花となって咲き誇った。
リリの固有スペル〝睡蓮火〟その火は浄化の特性を持ち、不浄なる者を即座に昇華させる力を持つ。
コボルト達に穢された火床の再稼働には、もってこいの聖火だと思い特別に頼んだが、その幻想的な焔はノームのやる気を引き上げた。
更に今夜は満月。工房の構造によって高濃度に集約された魔力が、鉄床から揺らめく魔光となって立ち昇る。
『今日はどんな剣をも、例え神剣と言われる様な逸品をも鍛える事が出来る』
けっして過信ではない、〝神の槌〟と謳われ、火床の光に焼かれて左目の視力を無くす程、長年鍛冶師一筋に生きてきたノームの確信に満ちた予感。だが、その目の前に有るのは何の変哲も無い単なる鋼の剣だった。
しかしその鋼は、ノームが心の奥に封印したある仮説を実証する、貴重な素体となる可能性を秘めている。
その仮説とは〝無口なる鋼の精霊と使い手の親和同調〟
かつて剣聖と呼ばれた仲間が示した、鋼の剣との親和性。周囲の者達は彼の偉業を、彼自身の剣の才能と決めつけたが、間近で見続けたノームは、それのみでは説明の付かない、剣と剣聖が共鳴して成し得た、数々の事象を目にしてきた。
だが、鋼の精霊は無口である。長年鍛冶師として接して来たノームすら、鋼の声をハッキリと聞く事は稀だった。それこそ剣聖ウォードとの冒険の日々、苦境に立たされた時のここ一番に、漏れ伝わるウォードと剣との共鳴現象として聞いたきりである。
その共鳴を、目の前の鋼の剣と所有者たる瀕死の戦士が交わしているのを感じた時、すぐにある事を思い付き、いてもたっても居られなくなった。
『この鋼の剣を鍛え直す』
鋼の精霊を殺す事なく、剣として最高の状態に仕上げ直した時、戦士と共鳴した剣は、どれ程の斬れ味を発揮するのか? その期待感に、老いた心臓も高鳴った。
周囲では、弟子達が師匠の常ならぬ気配に、固唾を飲んで待機している。魔法の槌が振るわれた箇所に、正確に相槌を打とうと、大槌を構えてお互いの立ち位置を微妙に調整した。
弟子達が血走るなか、ノームはおもむろに、鉄棒に挟み込まれた重い剣身を持ち上げると、無造作に火の上に乗せる。
それに合わせて弟子達はふいごの勢いを弱めた。焔魔石の火は、鋼には高温すぎて、微風すら致命的なミスに繋がる。
阿吽の呼吸でそれらをこなす弟子達は、それぞれが既に独立出来る程の腕を持ちながら、伝説的な鍛冶師のノームに仕える者達だった。
火床の中で高温になり、くすんだ色に変わる鋼は、赤から、やがてオレンジの光を放ち出す。その明るさを見極めたノームが鉄棒を引き出すと、巨大な鉄床に乗せて、魔法の槌でチョンと叩いた。
そこに振り下ろされる弟子の相槌が二つ。キン! キン! と連なると、更に別の位置をチョンと叩く。それがほんの数回繰り返されただけで、本来この鋼の剣が含む僅かな不純物が叩き出され、純粋な鋼のみの剣身が打ち出された。
更に火床に戻された鋼に、ノームの鍛冶魔法の詠唱が重なる。すると、それを取り囲む弟子達も、声を合わせて詠唱を始めた。
暗い工房に野太い男達の唸るような詠唱が響くと、火床の中の鋼がオレンジとは別の光を纏い出す。
〝保護魔法〟
融点の高いオリハルコンのための熱から、鋼を守るための被膜がその周囲を包んだ時、一気に引き抜かれた鋼を鉄床に置くと、更なる魔力を込めた槌を振るう。
〝結着魔法〟
皮膜保護された鋼を、更に青い魔光が包むと、オリハルコンの鉱石粉が入った長箱に突っ込む。引き抜かれた鋼には、大量の粉末が結着していた。
弟子達が思い切りふいごを吹かすと、赤々と焔魔石の燃える火床に鋼を入れる。
超高温になった火は、赤を超えて黄色、そして徐々に白に近づいていき、鉱石に含まれる不純物の焼失する音がバチバチと響いた。
その時、宙を揺らめく睡蓮火が、吸い込まれるように鋼に纏わり付いていく。
「リリ! もっと魔力を!」
ノームが作業中にしては珍しく大音声で呼び付けると、後ろに控えていた魔導師は慌てて火の側に立つ。驚いた事に、浄化の火はあらかた吸い尽くされ、すぐに魔力を補給しても、土に撒かれた水のように吸収されていった。
まさかの事態に、ノームは作業中にも関わらず、ニヤケが止まらなくなる。
『まったくリリを連れて来て大正解じゃ!』
浮き立つ心で鋼を引き出すと、
〝浸潤魔法〟
に光る魔法の槌で、黄色く輝く鋼を打った。そこを相槌の連撃がほどよく打ち据える。そうして鉱石の中の不純物を更に弾き飛ばすと共に、オリハルコンを剣身に浸潤させていく。
この作業を幾度と無く繰り返し、膨大な睡蓮火を吸収した鋼の剣がオリハルコンの性質を身に纏った頃。全ての鍛冶魔法を解き、焼き鈍された剣身に、
〝定着魔法〟
で永続的安定を与えると、鋼の剣は均一な焼き鈍しのために、火床側の焼き土に突き立てられた。
「フーッ、凄い気迫ね。私なんか場違いみたい」
余りの熱気に汗を拭くリリに、
「な〜にを言うか! お前さんが居てくれたお陰で、とんでもない剣が出来たかも知れんぞ!」
上機嫌のノームが両手を上げて抱きついた。
「お前ら、明朝には焼き入れじゃ! 今の内にしっかり休んで、魔力を回復しておけよ」
振り返って弟子達に命じた。更に他の職人を呼んで剣の採寸、柄や鞘の発注を済ませると、
「祝杯じゃ! 素晴らしい友と、素晴らしい工房、そして素晴らしい剣との出会いに乾杯するぞ!」
とリリの手を引いて、食堂に向かって意気揚々と歩いて行った。
*****
バッシは己が夢の中に居る事を認識しながら、懐かしくも忌々しい戦場の風景を眺めていた。
血と臓物の臭いが染み付いた死屍累々の小高い丘、人間の兵隊達が、巨人達に蹴散らされながらも、大量の矢を放っている。
その周囲には、見渡す限りの敵兵士達が、広大な平地を埋め尽くしていた。
〝魔法王国の人造巨人兵団〟
魔法使い達の実験室で生み出された、数多の人造兵団の一つ。その中でも一切の魔力を持たないバッシは、最下層の戦奴として、名前も付けられずに最前線に立たされ続けた。
この名前も、肩に彫られたぞんざいな刺青〝BSー1116〟という数字から〝バッシム〟略して〝バッシ〟と、仲間内で便宜的に付けられたものだった。
『ここは、鋼の剣を手に入れたあの丘だ』
巨人の血を配合された兵士の中でも、小さな部類に数えられる自分が、何の魔力も持たずに過酷な戦場で生き延びられたのは、戦場に突き立つ鋼の大剣を奪い、一心不乱に我流の剣技を習得したお陰だった。
更に魔法王国の敗戦後、何とか逃げ延びて、身元を隠して他国の街に潜り込めたのも、人間に近い体格と、剣を使うというバトル・スレイブらしからぬ特異性のお陰といえた。
今だに最下層の生活から脱していないが、いつかは人間らしい生活を送ることが出来るかも知れない。そう思いながら、何時も身近にある愛用の剣を持とうとして、それが無い事に気付く。
「無いっ!」
大声を上げながら飛び起きるが、全身に巻かれた包帯と、両腕を縛る拘束帯、そして驚く周囲を見回して、余りの空腹に再度ベッドに頭を降ろす。
「剣士が起きた! ノーム様にお知らせするのだ」
近くに居たドワーフが話すのを、バッシはどこか他人事のように聞いた。どうやら自分は助かったらしい。詳しい事は分からないが、余りの空腹に力の出ない状況では、大人しく経緯を見守るしか方法が無かった。
暫くすると、
「お前さん、やっと起きたか。治癒魔法で怪我は治っとるはずじゃが。どうじゃ? 腹は減っとるじゃろ?」
周囲の反応から、お偉方と推測されるドワーフが現れ、顎髭をしごきながら聞いてきた。
空腹の絶頂だったバッシは素直に首を縦に振ると、
「待っておれ、直ぐに何かを作らせよう」
と言い、手を打ち鳴らして食事の用意を言いつけた。
「お前さん、剣が気になっとるんじゃろ?」
持ってこさせた大量の食料を前に、ドワーフが悪戯そうに尋ねる。
「おえのふぇんをふぁえふぇ」
口に鳥肉をしこたま詰め込んだバッシは、肉片を飛ばしながら喚くが、
「まてまて、慌てるで無い。丁度あと一刻後、朝日が出るほんの少し前に焼き入れをする所じゃ。お前さんも見ると良い、自分の剣が生まれ変わるのをな」
ドワーフが訳の分からない事を、一人満足そうに告げた。それを見つめながら、腹の命じるままに、目の前の食料を胃に詰め込んだ後、ドワーフの工房に連れて行かれる。
低い天井に身を縮めながら見学していると、見覚えのある剣がお偉いさんの前に運ばれて来た。その剥き出しの剣身に、
「あっ! 俺の剣だっ! 何て事を」
興奮して立ち上がろうとしたところへ、
「うるさい! 神聖なる鍛冶場で怒鳴るならつまみ出すぞ!」
と、凄い剣幕で怒鳴られた。その迫力に気圧されたバッシが思わず身を引くと、
「黙って見ていろ、お主の剣が生まれ変わる瞬間じゃ。ここからは集中するから本気で黙っておれ」
と言うや、赤々と燃える火床に向かった。隣に立つ老女に頷きかけると、短い詠唱の後、真っ赤な火が淡くなり、花の様な形に変化していく。
余りの美しさに、文句を言う言葉も失う。その静寂の中、バッシの愛剣が火床にくべられた。
夜が明け始める、ほんのりとした光が、地下であるはずの工房に漏れこむ。
張り詰める様な空気が場を満たすと、小さな声で呪文を詠唱しだした偉いさんに合わせて、周囲のドワーフ達も呟き出した。
重なり合う言葉が徐々に大きな合唱になった頃、火の中にある鋼の剣に魔力が宿り、青い光が膜のように剣身を覆う。
だがその周囲、刃の部分は真紅の輝きを放ち、境界が鮮やかな紫色の魔光を散らした。
その魔光を呪文の詠唱で抑え込むと、一瞬にして火床から引き出された鋼が、水桶に突き込まれる。
〝ジューーッ、ピキピキピキ〟
急激な温度変化に、組成を変える金属の音が響く。
暫く桶の中で攪拌された鋼が抜き出されると、湯気を立てる剣が姿を現した。
偉いさんが無言で反りを確かめているが、素人目から見ると真っ直ぐで微調整の必要もないようにみえる。それを囲む部下達が大袈裟に嘆息していた。
大きく頷いた偉いさんは、手元の槌を発光させると、軽く剣身を叩いていく。それによって皮膜状の光を払うと、バッシに向かって歩いてきた。
目の前の巨大な装置の蓋を弟子達総出でズラすと。
「これはドワーフ鍛冶の秘奥じゃ、お前さん、口外したら殺すからそのつもりでおれ。これがオリハルコン独自の焼き入れ後処置〝絶対零度〟の魔加工じゃい!」
言ってる事が殆ど理解出来ないバッシは、装置にしまわれる剣を見ながら、ただ頷くしかなかった。そのまま待つこと一刻、霜が付く程に冷え切った剣身が、魔具から取り出される。
それを鉄床に置いたお偉いさんが、常温になるまで待つと、無言で部下の用意した砥石に向かい、表面を研ぎ出す。
暫く荒研ぎの「シュッ、シュッ」という音のみが場を支配する。そしてあらかた裏表の炭化物を削り取った偉いさんが、ギロリとバッシを凝視すると、
「ワシゃ天才かっ!」
破顔一笑、顔中を皺くちゃにして剣を掲げ、
「改革じゃ! この剣は鋼の歴史を改革するぞ!」
と声高に宣言した。
ーー薄明かりの中で、淡く青めく鋼の剣。それを見た時、バッシの胸に熱いものが広がった。