惑いの魔豹
『何かの切っ掛けが掴めるかも知れない、今後のリロにとって、意識を変えるような気付きを与えてくれるかも知れない。この厳しい世界で、自立できる意思や覚悟を……』
すぐに日が落ちて、淡く光るマンプルの背中が大きく滲んで見える中、バッシ達は野営地の外れを並んで歩いた。
かなり歩くと、皆から離れてしまう事に一抹の不安を覚えるが、
「ここら辺で良いニャ、警戒も続けないといけないニャが、今はストゥープス総出で当たっているから少しの間は大丈夫ニャン。一応私も全裸は恥ずかしいからニャ、人化するからちょっと待っててニャン」
と言うと、大きく息を吸い込んで、細く長く吐き出した。全身の渦巻き模様がハッキリと輝くと、その中心に立つマンプルが変身していく。太い四肢は長く細く、人間のそれに。全身の毛は頭に集まると、金色に輝く長髪に、そしてしなやかな胴体は、豊かな女性のものにーー
ーー光が収まった時、淡く発光する全裸の女性が、四つん這いに膝をついて地面に座りこんでいた。
「ご覧の通り、人豹族は人間の姿にもなれるニャン」
昼間に見たとはいえ、言葉を失って見入るバッシ達に、しなやかな身のこなしでマンプルが近づいて来る。リロはその姿に感動して頬を上気させ、バッシはどうしても豊満な胸やくびれたウエストなど、女性的な魅力に見入ってしまう。それを認めたマンプルが妖艶に微笑むと、
「リロ、貴女は人間を焼き殺す事に抵抗があるニャン?」
ゆっくりとしゃがみ込んでリロの肩に手を置く。釣られて頷くリロに、
「じゃあ例えば、昼間に倒した地竜。あれには魔法を使えるかニャ?」
と尋ねると、またもやコクリと頷いた。それを見て目を細めたマンプルは、
「じゃあ蜥蜴人族ならどうニャ? 彼らは見た目はトカゲだけど、頭脳は人間並みだニャン」
との問いに、悩んだ末に、
「多分、使えると思います。言葉も分かりませんし、人間を襲う敵性種族ですから」
「つまりモンスターの一種という事かニャ?」
「はい」
「でも彼らには彼らの社会が有るニャ、それは殆ど人間らしい、いや、ある意味人間を超えた絆で結ばれた種族ニャン」
と言われて言葉を失ったらしい。考え込んだリロはまたもや俯いてしまった。
「リロ、集落、モンスターに襲われた」
バッシは若干ポワンとしてきた頭で、リロを庇って口走る。それを聞いたリロは、ピクリと身を竦めた。
「じゃあモンスターは憎いかニャ? 憎いから魔法で焼いても良いかニャン?」
リロの顔を覗き込んだマンプルが囁く。その言葉に真っ赤になったリロが、
「ちっ、違います! 人間は弱い、だから魔法の力をもって対抗しなければ、強力なモンスターに蹂躙されてしまいます。火魔法はそのための希望です。決して憎悪のはけ口では有りません」
「ならば人間に害をもたらす人間はどうニャ? 何かを蹂躙から守る為には、力を振るう時もある、そう思わないかニャ?」
「それは……」
「でも同種たるエルフや、近しい種族の人間を殺めたくない、という考え方は理解できるニャ。というか、そうでない者が力を持つという事は、不幸の始まりだニャン」
言葉を無くしたリロを、包み込むように抱いたマンプルは、
「先ずは力の使い方を覚えるニャ、魔法を恐れずに支配する事だニャン。力を制御すれば、自ずと敵も制する事が出来るニャ。貴女にはその資格と才能が有るニャ」
金色に輝く瞳で、リロの緑色の瞳を覗き込むマンプルと、魅入られたように陶然とするリロ。しばらくそのまま見つめ合った二人は、マンプルの発する光の中で、濃密に魔力を交換し合った。
『それにしても貴方は唐変木だニャ、この距離でこれだけの魔力を浴びれば、男が滾筈だニャン。さては種無しかニャ?』
突如として顔をバッシに向けたマンプルが、口を動かさずに、頭に直接語りかけてくる。ゆったりと目を瞑ったリロとの、魔力の交流はそのままに、バッシの方に歩み寄って来た。
「貴方からは生命力の奔流を感じるニャ、でも精気だけがどこか不自然だニャン」
淡く輝く全裸の美女が、目と鼻の先までゆったりと歩み寄って来る。バッシとほぼ同じ背丈の彼女は、口角を引き上げながら、おもむろに体臭を嗅ぎ出した。
『ウーシアと言い、獣人系の奴には良く匂いを嗅がれるな』
目の前に迫る光景に圧倒されつつ、しっかりと見るものを見ていたバッシを見上げて、
「助平心はあるニャン、でもやっぱり何かが変ニャ。ここに何かの呪いでも受けたかニャ?」
と大きな頭を両手で包むと、顔を下げさせてツムジを嗅ぎ出した。うつむくバッシの顔は、豊かな胸の中に埋れてしまう。マンプルの温もりと鼓動、そして太陽を一杯浴びた草原のような香りに包まれて、その腰元に手を回したバッシは、思わずうっとりと彼女の幻惑に浸り込んだ。
〝バッシ〟
遠くに鋼の剣からの共鳴が響くが、
『少し黙るニャ、悪いようにはしないニャン』
というマンプルの呟きに同意したのか? そのまま鋼の精霊との共鳴が掻き消えてしまったーー
ーーそのままどれほどの時間が経ったのか?
「いつまでそうしているつもりニャ?」
という言葉に、バッシが意識を取り戻すと、その様子を寝そべりながら見ていたマンプルが、
「確かに貴方の頭の中には、呪いの跡がクッキリと残っているニャン。これを解く方法は一つ、私達と同じ物を手に入れるしかないニャ」
いつの間にか光が消えて、元の豹に戻った口が告げる。バッシは空気を抱くように手を突き出していた。赤面しながらも、地面に丸く寝転がるリロを見つけると、そっと抱える。完全に脱力した彼女は、少し口を開きながら熟睡していた。
「呪い? 解く?」
呪いなどという、不穏な言葉に不意をつかれたバッシが思わず問いかける。それを聞いたマンプルは、大きな瞳を細めると、
「私達が探し求めている、魔法薬の原料が揃えば出来るニャン。一緒に探してくれたら嬉しいニャ。だけどこれが中々手に入らない貴重な魔法薬の原材料だニャン。その名も龍眼石と呼ばれる貴石だニャ」
と言われてバッシが『どこかで聞いた名前だな?』と考え、リリのくれた餞別に思い至ると、
「それ、持ってる」
とつぶやいた。何気ないその一言に、今度はマンプルが不意をつかれて絶句した。
*****
「これは……正真正銘本物の龍眼石です。しかもこの大きさ、求めている量の倍もある」
バッシが見せた龍眼石を手に取ったブラムが鑑定すると、目を見張って告げた。彼らが追い求めていた物はこれで全て揃うらしい。
「折り入ってご相談なのですが……」
ブラムが改まって言おうとするので、
「もちろん半分譲るよな! 色々とお世話になったし」
ジュエルが告げる。もちろん異論は無い、元々貰った物だ、しかし、
「これ、再登録……」
バッシは肩のギルド・ライセンスである刺青を見せてつぶやいた。偽造証を書き換えて、反則金を支払うのに大金が居る。彼にとってそのあては龍眼石しか無い。
「ああ……偽造ライセンスの書き換えか」
ジュエルも口を結んだ。今後の事を考えると、どうしても正規のライセンスが居る。順調にランクを上げて行って、Cランク以上ともなると審査も自ずと厳しくなるだろう。そのためには今の内に書き換えておく必要があった。またその間バッシだけが低ランクでいると、仲間達の足を引っ張る事になる。
口渋るバッシ達たちに、
「タダでとは言わないニャ、しかもライセンスなら、私のギルド・ライセンスを担当してくれた彫り師がアルフアベドに居るニャン。彼女なら私の頼みに答えてくれる筈ニャ」
寝そべりながらこっちを見上げるマンプルが告げる。
「第一真っ当に反則を知らせたら、再登録自体難しくなるニャ。幻獣すら登録させた、凄腕の彼女を経由して手配した方が確実ニャン」
という言葉に希望が芽生えて来た。お金を積んだところで、本当に大丈夫か? と訝しんでいたところに、明確な道を示された気持ちになる。その浮き立つ心で、
「それ、頼む」
とバッシが再度龍眼石を渡すと、無意識に握手をした。思わず力が入ってしまったらしい、その痛みに引きつるブラム。それを満足気に見守っていたマンプルが、
「更に頼みたい事があるニャ、この依頼が終わった後、貴方達に正式に依頼しようかと思っていたけど、今言うニャン」
立ち上がったマンプルは深々と頭を下げると、
「私達の村を救って欲しいニャン」
と懇願した。ブラムも、
「重ね重ねのお願いですが、昼間見た貴方のお力をお借りしたい」
とバッシに跪くと、頭を擦り付けて懇願する。二人の態度に圧倒されたバッシは、リーダーたるジュエルを見ると、良く事情の飲み込めない彼女も困惑しながら、
「先ずはリーダーであるご主人様が話を聞いてあげるワンゥ」
なぜかウーシアが胸を張って宣言した。その言葉を受けて注目を浴びたジュエルが、困ったようにマンプル達を見る。その期待の篭った目にあがらいきれなかった彼女は、
「先ずは、この依頼を完遂してからお話を伺いましょう。細かい話はそれからです」
と慌てて告げた。希望に満ちた瞳に晒されると、人間は面と向かって断りにくい。それが恐らく集落の明暗を分ける様な話なら尚更の事で、顔を真っ赤にしたジュエルは、覗き込むように見つめるマンプル達に、どちらが頼む側で、どちらが頼まれる側か、分からない程気押されていた。
*****
それからの旅路は、概ね順調と言えた。偶に現れる野盗達は、マンプルの圧倒的な魔力に、手のひらで転がされるようにあしらわれていく。先の展望に希望を見出した彼女達は、急かすように旅路の進行を早め、あっという間にアルフアベドの近くにまで達する事ができた。
眠りから覚めたリロは、その後もマンプルの元で魔術運用の実践方法を学んでいるらしく、何らかの解を得て、迷いの気持ちが薄れたように見える。まるで洗脳でも受けたかのような彼女に、不安になったジュエルが、
「大丈夫か? 無理しないでくれよ」
と声をかけたが、
「大丈夫、何かの教義を得た訳でも、洗脳を受けた訳でもないの。ただ、魔力を循環させる中で、思考の枠を広げる方法を教えてもらい、それを模索しているだけ」
吹っ切れた様子で話す彼女の瞳は、以前と変わらず澄んでいる。ただその緑色には、どこか理知的で落ち着きが増して見えた。
まだまだこれから、可能性の塊である若い彼女は、成長の兆しも著しい。対して戦場に居た頃から、基本的思考が変わらないバッシは、眩しい物を見るような感覚で、ジュエルと語らうリロを見た。