死刃のウンド
峡谷に差し掛かってすぐ、遠方より叫声を上げて駆け下る野盗の群れが、分かり易く見て取れた。
騎乗する者も居れば、徒歩で駆けて来る者もいる。その為隊列はバラバラになり、まるで素人の集団のように戦列が伸び切っていた。
「襲撃ニャ! 各人配置に付くニャ!」
先頭で見張りをしていたマンプルが吠える。どうやら飛び道具や落石の罠など、地の利を活かした攻撃はないらしい。もっとも下手な飛び道具は、練度の低い野盗の場合、味方への被害が大きい。そして積荷目当ての盗賊団が馬車を狙っているため、落石による後々の面倒を避けているのだろう。
それに総数はざっと見て百近い、数の利から小規模の商隊などものの数ではないとたかをくくっているのか?
「ウーシアは周囲を警戒、リロは野盗の塊に大きいのを一発頼むニャ」
旅の間にメンバー各人の能力を把握したマンプルが、配置についたリロに呼び掛ける。だが彼女からの返事は無い。不審に思ったマンプルが振り向くと、真っ青な顔で盗賊団を遠望したリロが、
「に、人間相手にこの子の火は……すみません、無理です。私には出来ません」
タンたんを抱えて、声を震わせながら呟いた。隣に来たジュエルが、
「リロ、どう見てもあれは平和な話し合いでどうこう出来る相手じゃない! こうなったら奴らはモンスターと一緒だ。やるか、やられるか。どちらか一つなんだよ!」
肩を掴んで説得する。だがイヤイヤをするように首を振ったリロは、
「でも、人間を……とてもじゃないけど焼き殺す事は出来ません」
とうとう膝を折ってうずくまってしまった。なんとか説得しようとするジュエルに、
「分かったニャ、この件は後で話し合うニャン。事は急を要するニャ、ブラム、広域魔法の準備を頼むニャ」
傍に佇む男は無言で、腰の巾着から木製の祭器を取り出すと、マンプルの周囲に配置し出した。それに合わせたマンプルは中央で座り込むと、頭を垂れて瞑想し出す。
「ジュエルとバッシは、俺達と前線を死守するぞ! マンプル様の魔法は直接攻撃系では無い。攻撃は俺達戦士の役目になる。ベイルは後方の守りを固めてくれ!」
猫人族の男が叫ぶと、年季の入った曲刀二本を鞘から抜いて、片方づつの握りを確かめる。その傍らには彼の妻が、魔力を宿した棘付きの護拳を構えていた。
既に射程距離に入った敵を、ストゥープスの弓手が射かける。その狙いは正確で、200メートル超級の遠射にも関わらず、騎乗の盗賊を次々と射落としていった。様子を見ていたリーキンや、ストゥープスのスカウトも、背負っていたクロスボウで矢を射かける。
ひざまずき肩を震わせるリロに、バッシは背中をさする事しかできなかった。
「すまないリロ、もう大丈夫だ。代わりに私達が頑張るから、お前は牽制役に徹すれば良い」
と親友を宥めたジュエルは、
「すまない、仲間の分も私が働くから、安心してくれ。神の名にかけて、前線は必ず死守する」
とマンプルに言うと、青く光る盾を突き出す。そこに描かれた真っ赤な雄牛の角が、頼もしく目に映えた。
「仲間、ピンチ、助ける」
バッシは大剣を引き抜きながら最前線に立つと、ゆっくりと鼻から息を吸い込み、場の大気を取り込んだ。肺の隅々まで届いた空気を長い時間をかけてゆっくりと吐き出すと、高まる精神が安定していく。ゆっくりと脈拍が鎮まり、迫り来る騎獣の息遣いすら聞こえてきた。
高度な集中状態に達したとき、ふと頭上に違和感を感じたバッシは、崖の上を注視する。
「上に何か居るワンゥ! これは相当でかいワン!」
霊剣をかざして周囲の警戒にあたっていたウーシアが、鋭く叫んだ。その時、斜め上方からバラバラと小さな落石が起き、峡谷全体に轟くような咆哮が発せられると、高台に生物の下顎がシルエットとなって現れた。その大きさに見る者全ての距離感が狂う。
二本足で立つ大型地竜、その緑色の鱗を見上げ、巨大な足爪が斜面に食い込むのを見た時、マンプルから金色の光が放たれると、狭い峡谷を余すところなく照らし出す。
光の中央に立ち上がったのは、渦巻き模様に光る一人の女だった。バッシと同じほどの巨体は全裸であり、魅惑的な曲線を持つ体を煌々と照らす魔光が、後光となって放射状に伸びる。
豊かに笑みをたたえる女はマンプルなのだろう。金色の瞳は豹の時と変わらぬ知性を感じさせた。
その手が波打つようにしなやかに泳ぐと、魔力が波となって、緩やかに、しかし速やかに場を満たしてゆく。
その波に攪拌された盗賊達は皆、惚けるように魅了されていった。だが緩やかだった手の動きが一転、激しく振り降ろされると、高濃度の光の波が彼らを打つ。
ホワホワと何度も揺すられた盗賊達は、ある者は気分を悪くして足をもつれさせ、ある者は吐物を撒き散らしながら昏倒した。
「うぷっ、なんだ? この魔法はっ、おぼぇっ! くそっ、グレイグやれ!」
吐物にまみれた小男が騎上で叫ぶと、振り回した鞭が破裂音を数度繰り返した。それに呼応して、もう一鳴きした地竜が、斜面を崩しながら駆け下りて来る。
太い後ろ脚を支える鱗に覆われた指には、鋭い四本の黒爪。巨大な頭部とバランスを取るように、胴体から伸びる太い尻尾が、鞭のようにしなりながら踊っている。その全長は十メートルを優に越す、特大サイズの二足竜だった。
思わず射かけたリーキンの太矢が、表皮に当たって弾き返される。骨太な見た目通り、頑強な体は生半可な武器を通しそうもない。
その発達した顎の上に有るつぶらな瞳を見据えたバッシに、
「一先ず私が止めるから、側面から切ってくれ」
と後ろから来たジュエルが号令を下すと、守護力場に鎧を輝かせながら突っ込んで行った。キツイ傾斜角をももろともせず駆け上がる青い光は、地竜と衝突すると、魔力にものを言わせてその巨体をかちあげる。
「野盗は任せるニャ! 弓隊は鞭使いを狙え! ジュエル達には地竜を任せるニャン!」
すでに数人の野盗を切り裂きながら、猫人族の男が声を上げる。バッシは気配を殺すように位置取りを変えると、飛び降りてきた地竜が地響きを立て、怒りの咆哮を上げながら首を振った。
馬車馬達は、その一鳴きで完全なパニック状態に陥る。コントロールを失った馬車が、目の前を通り過ぎようとした所で、地竜が一匹の馬に噛り付くと、馬具もろとも咥え上げた。そのあと首の一振りで、胴体から真っ二つに裂かれた馬の下半身が、血を撒き散らして地面に落下する。
その隙を突いて、地竜の足元に駆け込んだバッシは、柔らかそうに見える腹側に刃を振った。完全に死角を捉えたと思ったその瞬間、
〝パァンッ!〟
と空気を切り裂く乾いた炸裂音が響くと、地竜が咄嗟に飛び退く。そのあまりに鮮やかな転進に、標的を失ったバッシの剣が空を切った。
『指示者がいるな!』
という直感と共に、
「ウーシア、さっきの音、殺せ」
多分一番気配に聡いであろうウーシアに声をかけたバッシは、なおも地竜の注意を引くように足元に向かって駆ける。良く訓練された動きーーこの巨体にしてこのスピードでは、指揮系統を殺さない限り、手こずりそうだ。
「わかったワンゥ!」
すかさず魔投石をスリングに挟んだウーシアが、左手の霊剣を照準替わりに野盗の群れを見据える。
霊剣から白い靄のようなものが立ち昇ると、ウーシアの意識が自然と一人の男に向けられていった。
『あいつか?』
と目を凝らすと、一際立派な荒地オオカミにまたがった小男が、宙に鞭を打ち鳴らしている。射程圏内に入らないように慎重に位置取りしているのか、後方に控えて、主戦場には近づいて来なかった。
一旦スリングを手元に纏めると、物音を立てないように岩陰伝いに移動するウーシア。その熟練の動きと犬人族の運動能力を活かして、マンプルの魔法に苦しむ敵の隙を突くと、敵陣深く侵入して行った。
バッシに向かって、腹の底に響くような咆哮を上げた地竜は、涎が糸を引く鋭い牙列を広げて、横向きに大きなスイングで噛み付いてくる。
一撃で仕留めるには分厚すぎる頭蓋骨と、表面を覆う緑色の外皮。仕留め損なうと、手負いの魔獣は怪我などものともとせずに、攻撃してくるだろう。
瞬時の思考の中、地竜の動きを見極めるように、横方向に飛び退く。素早い動きも、急転回には向かないらしく、俺の移動に合わせられなかった顎は〝ガチン〟と空を噛んだ。
しかしその直後に極太の尻尾が振るわれる。地面にバウンドして、予測不能の動きを見せる超質量の肉の鞭が、風切り音と共に眼前に迫った。
咄嗟に剣を振り降ろすと、オリハルコンの性質を纏った鋼の大剣は、音も立てずに尻尾を斬る。だが不規則な動きの尻尾の骨が上滑り、完全に断ち切る事はできず、そのまま尻尾の質量に潰されたバッシは、地面に打ちつけられた。ドワーフの胴鎧が身を守ってくれた為、そのまま身を任せるように転がると、剣の重みを利用して立ち上がる。
口の中に広がる血の味が、かえってバッシを奮起させた。気持ちが前のめりになり過ぎたところに、
「任せろ!」
とジュエルが割って入る。手傷を負った地竜は怒りの咆哮を上げると、次の瞬間ジュエルに噛み付いた。
上からの力が加えられたそれを、ドッシリと盾で受け止めたジュエル。だが足元の地面が砕けると、バランスを崩した彼女はそのまま持ち上げられてしまった。
それを見たバッシが側面から斬りかかるのも構わずに、振り回したジュエルを放り投げる。そのまま宙を舞うと峡谷の斜面に叩き付けられた。
一気に駆け寄ったバッシは、剥き出しの後頭部に縦一文字の斬撃を喰らわせる。長身のバッシでもなお高い位置にうちこむ形となったため、深く骨まで達した一撃は、しかし切断までは至らなかった。
その時、敵陣深くから火の手が上がると共に、目の前の地竜の雰囲気が変わった。
つぶらな瞳に宿る光が、一瞬透明感を増したように感じる。
『ウーシア、やったか』
その隙を逃すまいと、膝関節を斬ると、支えを失った地竜が右下に倒れ込む。そこへジュエルがやって来て、助走状態から一気にメイスを振り下ろした。
鈍い音を立てて砕ける頭蓋骨、更に心臓部を大剣で貫くと、最後まで抵抗を続けた地竜が事切れた。
巨大な地竜の死を確認し、バッシ達の気が緩んだ瞬間ーー
音もなく飛来した影が、いまだにうずくまるリロに襲いかかる。勢いを付けて振るわれた凶刃、一撃必殺の刃がリロを捉えようとした瞬間、それを二本の短剣で受けたのは、意外にも冒険コック野郎のベイルだった。
「あれれ〜? あんたどっかで見たことあるよ〜」
剣を噛み合わせつつ、刺客の顔をよく見ようと覗き込んだベイルに、更なる斬撃が襲いかかる。だがそのことごとくを払い除けたベイルは、
「分かった〜、あんたウンドだね? 死刃のウンド、こんな所で大物殺し屋に会うなんて〜、ある意味ラッキ〜」
唄うように声を掛けると、刺客は一瞬ピクリと反応した。