襲撃
「私は……自分の力が怖いんです」
話し合いも煮詰まった頃、タンたんを腕に抱いたリロが告白した。
「幼い頃、集落をモンスターに襲われた私は、たった一人で命からがら逃げ延びました。偶然師匠に拾われた後、モンスターを研究し、討伐方法を模索する道を選んだのですが……」
そこまで言ったリロが、躊躇いがちに目を伏せる。
「実戦、怖いか?」
バッシの言葉に、
「はい、闘争は凄く怖いです。でも本当に怖いのは、自分の中にある破壊衝動……タンたんを使って火魔法を唱える時、正直に言うと、爽快感が伴います。魔法の威力も〝燃やす〟っていう感覚に同期するほど上がって、大きな魔法ほど心の制御が難しくなって、私が私じゃなくなっていくようで……」
それを聞いたバッシは、昼間にタンたんから感じた、破壊に浮き立つ情動を思い出した。あれはタンたんの物で、リロの物でもあるのかと思い至る。次いで爆発を起こした火魔法の威力を思い出して、確かにあれは気持ち良さそうだと納得した。そして心根の優しいリロが、その事を嫌悪する気持ちも皆が理解した。
「無理に付き合わせてしまったな」
というジュエルに、
「いえ、貴女のお手伝いもしたいし、何よりも自分を鍛えたいんです。師匠にも……どこに居ても人間の世界には、闘争が付きまとうと言われました。力を制する芯の強さを、この旅で得たいと思っています」
後半喋りながら、自身で考えを纏めたのだろうか? 目に力を宿したリロが、力強く宣言した。
「それじゃあ私は目標実現と焦りとの折り合い。リロは心と衝動、力との折り合い、どちらも己との葛藤が課題という訳ね」
腕組みしたジュエルが宣言すると、
「ウーシアは応急処置の方法を間違ってたワンゥ、頭を打った人をすぐに動かしたら危ないワン!」
ウーシアの言葉に頷く。どうやら基礎知識を仕込んだ奴隷商の教育が間違っていたらしい。迷宮探索や野外活動などのスキルは正確に身に付けていたが、手当てに関しては少々古い知識を持っていた。だが皆で訂正した今は、問題無いだろう。
「そしてバッシは、まずそれだな」
ジュエルがバッシの左上腕を指差す。そこには偽造された魔法印が墨打たれていた。このままパーティーとして正式に活動するには、後々問題となる可能性がある。
この事案が解決したら、一度大きな街のギルドで、再登録をする必要があるだろう。その際は、結構な額の違約金を支払う事になるかも知れない。そこまで考えて、リリに渡された龍眼石に思い至った。偽造に気付いていたリリが、先立ってお金を用意してくれていたとしたら……そう思うと、受けた恩の深さが、バッシの胸にジワリと拡がる。
夜も更けて、初めての会議を終えた彼らが、明日に備えて寝ようとした時、耳をピクピクと動かしたウーシアが「ワフン?」と小首を傾げて、しきりに鼻を効かせた。
「どうかした?」
ジュエルの言葉に、ピクンと反応したウーシアが、
「何か変だワン、おかしな気配を感じるワフ」
と言って霊剣を具現化した時、
〝カン! カン! カン!〟
と、乾いた音が響いた。これは昼間見た村の半鐘だ、そう気付いた時、慌ててドアを叩きながら、
「騎士様! 大変です、ネウロゲシアの大群が押し寄せてきました! お助け下さい!」
声の限りに叫ぶ若者が、ジュエルを呼びに来た。それを受けたジュエルが、剣を片手に飛び出そうとするのを、
「ちょっと、まって」
と制したバッシが武装を促す。自分も側に置いていたコボルト・キングの上衣を着込むと、胴鎧を装着しながら、
「ウーシア、分かるか?」
隣で霊剣を構えるウーシアに、外の様子を聞いた。
「凄い数のネウロゲシアだワンゥ、森から押し寄せて来たワン!」
今や屋内からもハッキリ分かるらしい。簡易的に板金鎧を装着したジュエルは、盾と剣を掴むと、
「取り敢えず行ってみよう!」
と息せききって屋外に飛び出していった。外には迎えに来た狩人衆の若者が二人、興奮した様子で今や遅しと待っている。その先導で村の外壁に急ぐと、森の方角から異様な物音が、村を囲むよう聞こえて来た。
「あそこだワン!」
土壁に石を積み上げた外壁の上から、ウーシアの指摘する方を見ると、緑の光を纏ったネウロゲシアが一体、突出して近付いて来るのが見える。
その根塊は村の外に掘られた、数十メートル先の塹壕の淵を乗り越えようとしていた。
松明の明かりの元、狩人衆の矢を浴びるそれに、目を凝らして良く見ると……
「あれは、緑の髪の女だワン!」
ウーシアが叫ぶ。確かに、昼間よりも鮮明に光るその姿は緑髪の女だ。リロの火魔法で仕留め、更に爆発に巻き込まれたと思っていたが、まさか生きていたとは……
その時、ネウロゲシアの蔓に掴まり、緑に光る髪を振りかぶった女が、体全体を使って燐光を発する何かを投擲してきた。
昼間の種だろうか? 唸りを上げて緑の光が飛来する。燐光が尻尾のように線を描いて拡散すると、それに合わせて森の際からネウロゲシアの大群が押し寄せて来た。
月明かりの中で、森全体が蠢く様に移動する。その振動は地震のごとく地面を揺らした。
「不味いぞ、こんな塹壕や外壁ではもたない!」
ジュエルの指摘通り、この数では最初の数体が突進して来た段階で、塹壕も外壁も吹き飛ばされてしまうだろう。
「リロは大きいのを用意して、ウーシアは投魔石で先陣を牽制、出し惜しみは無しだ。バッシは混戦に備えて女をマーク、私は最大防御魔法〝聖守護力場〟を発動させるわ」
外壁沿いに走りながら、ジュエルが指示を出す。〝聖守護力場〟とはーー事前に聞いた話では、魔力消費が激しく、極短時間しか発動できない、ジュエルの聖属性最高位魔法との事だった。
ジュエルは神に祈りを捧げると、今までに無いほどの輝きを発しながら、瞑想状態に入った。
バッシが緑の光を弱めた女を見逃さないように監視する中、隣のウーシアは、腰に巻いたスリングを取り出すと、ポーチから投魔石と言われる、投擲用の簡易魔具を取り出し、スリングの間に挟み込む。
キーワードを唱える事で安全装置が外れる仕組みのそれは、火魔法が封じ込められた赤色魔石で、簡易とは言え消耗品としてはポーションに次ぐ高級品だった。
左手の霊剣を照準のようにかざし、スリングを振り回すと、ビュンビュンと遠心力を高めていく。緑の髪の女が乗った先頭のネウロゲシアが射程圏内に入った瞬間、全身のバネをつかって放った石が空を切った。
それと入れ替わるように、緑の髪の女がネウロゲシアの蔓に投擲されて空高く舞い上がる。
女を放ったネウロゲシアに魔石が命中した瞬間、
「爆ぜるワン!」
ウーシアがキーワードを発すると、小さな爆発が起こり、ネウロゲシアが火に包まれる。
バッシは、緑髪の女の落下地点を予測すると、全力でそこに向かって走った。それを視認して、空中で髪を振り回した女は、再度緑に光る種を投擲する。
分かりやすく飛来する種を避けると、地面に打ち付けられて種が弾ける。そこから大量の燐光が渦巻いて立ち昇った。
外壁に飛び降りた女が、
「ごろず」
ボソリと宣言すると、緑に光る髪の毛を外壁に突き刺した。そこから光る根っこの魔法を発動させると、土台が持ち上がって、壁全体が揺らぐ。
バッシは不安定な足場を走りながら鎌鉈を投擲すると、素早く反応した髪が硬質化して弾き飛ばされたが、同時に投げた二本目が鎌鉈隙間にはいり、女の肩に突き立った。
ドスッという鈍い音に、手応えを感じながら詰め寄ると、焦った女が髪の毛を鞭のように振るう。咄嗟に鋼の剣で切り払った髪の先端には、鋭い棘が剥き出しに、得体の知れぬ液体を分泌した。
更に両サイドから数本の神経針が振るわれるが、バッシが相手の予想を上回る速度で踏み込むと、一刀両断、肩口から腹の下まで深々と切り裂く。
「ぐがああぁっ!」
後じさりしながら苦悶の表情で傷口を抑える女は、後続のネウロゲシア達を見る。その時、爆発的な光が、侵攻するネウロゲシア達の前に突如として現れた。
それは、ジュエルの極大神聖魔法〝聖守護力場〟の発動だった。
瞑想状態のジュエルから閃光が放たれると、突き出した盾から、光の壁が放出される。みるみる巨大化してネウロゲシアの集団に当たると、突進を弾き、押し返していく。それは正に、力場として面を制圧する絶対的な防御だった。
本来は聖騎士の使う魔法だが、剣技と神聖魔法を両方鍛え込んだジュエルは、神殿騎士でありながら、この上級魔法を扱う事ができるらしい。
だがその分消耗も激しいらしく、魔力欠乏症寸前となった彼女は、足を震わせながら、姿勢を維持するのが精一杯になっていた。
リロはその間、とっておきの火魔法の詠唱を続けていた。この状態から一歩でも中に入られたら戦線は崩れ、村は全滅するだろう。そうならないためにも、ここは極大魔法で目の前の大群を殲滅しなければならない。
自身の集落を壊滅させられた記憶が脳裏に浮かび、自然と魔法の詠唱にも力が篭る。ホーリー・アーマーを維持する限界点に達したジュエルが、
「リロっ、限界っ、用意はいい?」
と苦し気な声を絞り出した時、リロの魔法が完成した。タンたんの表紙から魔法陣が照射されると、その先端がネウロゲシアの集団ど真ん中に向けられる。
『P444 焰気汚染』
タンたんの冷たい思考が脳裏に浮かぶ、それと同時に周囲の空気がグンと重くなると、腐った卵のような異臭が、辺り一面に漂った。
それはネウロゲシアの群れに流れ込むと、黄色い靄が足元にかすみを作る。それが群れ全体に浸透した時、タンたんから小さな火矢が放たれた。
放物線を描く火矢が敵の足元に落ちた瞬間ーー
轟音と共に、目の前一面が爆発を起こす。それは、振動で緩んでいた外壁が、崩れ出す程の衝撃だった。
爆風を受けて地面に投げ出されるバッシと女、総毛立った女が、歯を剥き出しにして襲いかかってくる。振り下ろされた髪はより合わさり、密度を増して迫った。鎌鉈をも跳ね返す髪の硬度は推して知るべし、それを真っ正面から迎え撃つと、
〝バッシ〟
両手に握る鋼の剣から、共鳴が響く。振り抜く両者の髪と剣、空中で交差した後、激しく地面に叩きつけられたのは、体を失った女の頭だったーー
残響轟く戦場を背に、女の生首の所へ近づくと。
〝シュッ〟
と鋭く神経針を伸ばす生首。その最後の抵抗を切り飛ばすと、ゴロリと横たわった女は息絶えた。その首筋には見覚えのある雑な入れ墨が彫られている。
〝BS-3609〟
その刻印を見て、怒りに首筋が泡立つ。これは……各地に散った人造兵団の残党だろうか? 戦場で使い古され、自由を得ても居場所の無い化け物達。
『こいつは俺と同じ……最初に俺を見た時こいつは笑っていた。まさか俺の事を知っていたのか?』
兵団の慣習として、無意識に〝ボッサム〟と名付けたバッシは、恨みに見開かれた瞼を閉じてやると、その場を後にした。
向こうでは、戦場の英雄ジュエルを讃える村人達の声が聞こえてくる。だがその歓声と反比例する様に、バッシの心は沈んでいった。