仲間達の力
「この辺りから、ネウロゲシアの気配が濃厚だワフ」
先頭を行くウーシアが告げる。相当奥に進み、川は渓流となって大岩が転がる地帯になっていた。
ウーシアの手には先祖伝来の〝霊剣〟が握られている。なんでも普段は〝霊〟の様に存在感を掻き消し、腕に貼り付けているらしい。その奴隷の家系にコッソリと受け継がれて来た、飾り気の無い刺突短剣が、今はハッキリと木漏れ日を反射していた。
それは同時に、〝霊感〟を研ぎ澄ます効力を持つ〝霊剣〟を装備しなくてはならない程、異様な数のネウロゲシアが棲息しているという事らしい。
群れを作らないモンスターにしては、異常な増殖は不可解だが、功を焦るジュエルは、またとないチャンスと捉えているらしく、引き返すという選択肢は無さそうだった。
「もう少し行ってみよう、元凶が分かれば、一発で解決するかも知れない」
と指示を出すジュエルに対して、
「ジュエル、少し間を取った方が良いと思う。未踏地帯なのに、大分突出してしまったから、退路の確保が不安だわ」
リロが珍しく意見した。二人を見守るウーシアが不安そうに見上げている。
「退路、大事。焦りはダメ」
と被せるバッシの言葉に、
「分かってるわ、もう少しだけよ。この地点を確認したら、後退しましょう」
と広げた地図を指差す。そこには目印になる岩と祠が記されていた。地元の猟師が山の神を祀ったものだという。
リーダーの判断に従い、慎重に歩を進めたその時、
「凄い勢いで二体のネウロゲシアがやって来るワン!」
と言うウーシアの声に五感を研ぎ澄ますと、遠くの方で枝どうしをぶつけ合うような音が聞こえてきた。
だんだん近づくそれは、斜面を転がって近くの木に激突すると、
「ギシャアアアァッ!」
真っ赤な花弁の根元に開いた剥き出しの牙から、乳液を撒き散らし、二匹のネウロゲシアが激しく争う。
粘着性の蔓はメチャクチャに絡まり、地面を穿つ根塊は落石を起こし、お互いを茨の鞭で打ち合いながら、花弁を散らす。
激しい闘争の後、花弁を散らし切った個体が斜面を転がり落ちると、生き残った方はそれを追って覆いかぶさった。
根塊で花芯を包むと、組み伏された方は急速に萎み、枯れて行く。それに反して、生き残った方は精気を取り戻したように、傷付いた体をみるみる癒して行った。
最後に残った残骸を花芯の下に付いた牙で咀嚼すると、何事も無かったように、斜面を登って行く。
「ネウロゲシアの共食いなんて、聞いたこともありません」
青ざめた顔のリロが囁く。その体はモンスター同士の激しい闘争の影響からか、ほんの少し震えていた。バッシが目の前の小さな肩を掴むと、ハッとしたように身をすくめた後で、置いた手を握り返す。その指は氷のように冷たかった。
モンスター討伐の研究家なのに、実戦には不慣れなのか? バッシは、リロが闘争に不向きな性格だと感じた。
バッシ達が息を潜めて、ネウロゲシアが去るのを見つめていると、唐突に一回り太い蔓が、その花芯に絡みついた。そして力づくで引っ張ると、軽々と岩の影に連れ去ってしまう。
肝を冷やすバッシ達の耳に、枝を潰し、絞るような音が聞こえてきた。直後に吸引音する音と、すり潰すような咀嚼音が聞こえる。
「ネウロゲシアよりも巨大な何かがいるワフ」
そこに来るまで、ウーシアの感覚でも捉えきれなかったという事は、隠匿に優れているか、素早く移動できるか、凄く長い腕をもっているか、或いはその全てを持つモンスターなのだろう。
というバッシの予感は当たったらしい。岩の奥からネウロゲシアとは一線を画すような、巨大な植物モンスターがその姿を現した。
「あれが緑の髪の女?」
ジュエルの呟きの通り、巨大モンスターの花弁の側には、緑というより茶色がかった髪の女が座っている。
「ウーシア、何か感じる?」
ジュエルの言葉に、
「でかいのよりも、女のほうがやばいワン! 邪悪な意思を感じるワフ」
霊剣を構えて警告する。そうしている間にも、長大な根塊を伸ばして来た巨大モンスターが、大股で近付いてきた。
ネウロゲシアの様な真っ赤な花弁を無数に付けた幹は、数十本の太い蔓が寄り集まっているように見える。その根塊は四方に伸び、隙間からは大量の粘性蔦と茨の鞭がビュンビュンと空を切っていた。
「リロ、大きな魔法の準備をして、バッシは私の隣で前線を張るわよ」
ジュエルの指示を受けて、タンたんを開いたリロが集中する。俺はその邪魔をしないように、立ち位置を調整した。
「女の意識がこっちに向いてるワン」
葉陰からでかぶつの上部を見ると、蔓にぶら下がった女の真っ赤な口が〝ニイッ〟と歪んだ。
「来るぞ!」
一気に抜剣すると、反射も気にせず中段に構える。足場を安定させる為に、立ち位置をズラすと、右手から蔦が襲って来た。
ウーシアを後方に逃しながら、剣を振るって蔦を刈る。音を立てて地に落ちたそれは、他のネウロゲシアのものよりも二周り程太かった。
間髪を置かずに唸りをあげて、茨の鞭が乱れ飛ぶ。子供の腕程の太さを持つそれを、可能な限り根元から断ち切ると、三本バラバラに吹き飛んで、周囲の木を薙ぎ倒した。
隣では鎧と盾に守護力場という神聖魔法を纏わせたジュエルが、片手剣を抜いて構えをとる。
盾にぶつかる茨の鞭が、聖なる光に弾かれるが、当のジュエルはビクともせずに、狙いすました斬撃を振るっていった。
「上から来るワン!」
ウーシアの警告に上空を見上げると、でかぶつの蔦に投げ飛ばされた女が、髪を広げて襲いかかって来た。その狙いは明らかに後方ーー呪文の詠唱を続けるリロだ! その意図を感じ取ったバッシが、
「任せろ!」
唸る鞭を避けながら、リロの元へと向かう。だがその時、上空の女が髪を振り回すと、高速で何かを投擲した。
『間に合わない!』
バッシが焦って走る中、リロの目の前に飛び込む影が一つ。霊剣をかざしたウーシアが驚異的な運動能力で、降りかかる投擲物を打ち落とした。
唸りを上げる投擲物の威力に弾かれそうになりながらも、身を呈してリロを守るウーシア。
その間、バッシは滞空している女に向けて鎌鉈を投擲した。カーブを描いて飛来する鎌鉈に、振り回した髪を合わせる女。両者がぶつかると、金属音を立てて鎌鉈が弾かれる。
通りすがりの木に髪を突き刺した女は、そのまま取り付くと、
「げっげっげっ」
と笑いながら上部に向かってよじ登る。
「ジュエル様! 火が行くワン!」
その時、リロの前から退避したウーシアの声が飛ぶ。でかぶつと真正面で対峙していたジュエルが飛び退くと、タンたんの背表紙が光り、空中に不思議な模様が照射されーー轟音と共に、バッシの身の丈ほどもある、太い火柱が放射された。
赤の中心は高温を表す黄色。その熱波に背中を押されながら、バッシは女の体重でしなる木に駆け寄ると、全体重を込めて斜めに斬り下ろした。
火柱はでかぶつを直撃すると、生き物のようにその巨体を飲み込む。溢れ出る乳液をも瞬時に蒸発させた火は、巨大なモンスターを燃やし尽くして、なお森を焼いた。
その間、バッシの剣に一刀両断された木は、ゆっくりと右手に倒れていく。
途中で飛び降りた女の元へと殺到すると、また髪を振り回して、遠心力を付けて何かを投擲してきた。向かってくるそれを剣で弾くと、目の端に映ったのはーー種?
超硬質な手のひら大の種を飛ばしているらしい。と、他にも向けた意識が周囲の異変をキャッチした。
淡く光る根塊が、周囲一帯の地面から一斉に伸びて来る。うねうねと絡まってくる粘着質な根っこを伐採すると、奥で地に四肢をつく女の姿が見えた。その髪は緑に発光し、生き物の様に蠢いている。
「バッシ! 大丈夫かワン?」
後方からの声に、
「気をつけろ、この根っこ、魔法だ」
バッシは鋭く警告すると、なおも忍びよる根塊を切り裂く。破魔の剣が近寄ると跡形も無く消えて行く事から、これは魔法と見て間違いないだろう。
その様子を見た女は、初めて焦りの色を見せると、飛ぶように逃げていった。
「後ろのでかぶつは焼け落ちた、こっちを追うぞ!」
後方から燦然と輝くジュエルが走ってくる。その背中に、
「そっちはネウロゲシアの群生地だワン! 未到地を無闇に追うのは危険だワフ」
ウーシアの声が掛かる。だが功を焦っているのか? ジュエルは振り向きもせず、
「分かってる! お前を先頭に追って、群生地に着く直前までが勝負よ。リロ、早いのを追尾で射てる?」
有無を言わせぬ剣幕に、
「感知魔法は苦手だけど、何とかやってみるわ」
早速タンたんを広げたリロが頷いた。そのやりとりに、バッシはどこか違和感を覚える。強いて言うなら、無謀な指揮官の元では、いつか生きて帰れるチャンスを逃すだろう、という戦争奴隷の予感だろうか?
少し落胆したバッシは、しかし目の前のリーダーに従い女を追った。
髪を足替わりに多足で駆けたのだろう。周囲の地面がメチャクチャに荒らされている。
だがそれは同時に、相手の移動速度が速い事も意味していた。
「このままじゃ、離されるワン!」
ウーシアの声に、
「リロ、そろそろ行ける?」
移動しながら魔法を準備するリロに、手を引いて先導するジュエルが尋ねた時、再度タンたんの前面に不思議な模様が浮かび上がると、
『P33 導く火矢』
どこかで聞いた事のある声が、頭に直接響いた後、三本の火矢が飛び出した。
唸りを上げて飛び去っていく魔法の矢は、途中の草を焼きながら、遥か前方に消えると、
「ギャッ!」
という悲鳴と共に、地面を転がる音を生んだ。先を急ぐジュエルが、ウーシアの制止を振り切って走る。だが目的地に着く前に、横手から茨の鞭が飛んで来た。
間一髪身を低くして避けたジュエルは、雄叫びを上げて剣を振るう。だが、周囲から多数の鞭が襲いかかると、咄嗟に盾で受けたジュエルの体が吹き飛んだ。
「ジュエル!」
バッシがリロの声を背に飛ぶように走ると、少し明るく開けた場所に、ジュエルの物とおぼしき鎧の背中が見えた。叩きつけられたショックか、うつ伏せになったまま立ち上がれないでいる。
飛び出すバッシにも振るわれる、鞭や蔦を切り裂きながら、日向の中に走り込むと、その中央には先程の女と、ジュエルが四つん這いになっている。その周囲にはーー信じられない数のネウロゲシアがひしめいていた。