対剛鬼戦
「陣形を整えろ、ウーシアは隣に、前線をバッシ、ジュエル、フェンリルで固めるワフ。遊撃に猫、我らの後ろにリロを置くワフ。ドワーフとパダール殿は魔具の側にて簡易的な操作を。ベルもパダール殿の側にて待機、劣勢な味方の援護に回れ」
的確に指示を出すオウに、
「何が来るか分かっているのですか?」
と配置につくジュエルが尋ねると、
「妖魔の尖兵だワフ、管理の魔具装置や雷精の力が消えた隙に、妖魔が刺し込んできた下層の妖怪……文献やフェンリルの記憶、そしてこの気配から察するに、やって来るのはほぼ剛鬼達で間違いないワフ」
と答えながら、皆の配置を微調整していく。
「黒痣の剛鬼、妖魔の配下達のなかでも、剛の者として知られる存在だ。その力は半異界である迷宮の壁をも破り、剛毛は魔法を滑らせ、皮下脂肪は刃を通さない。そして毒の血を持ち、体の一部に妖魔の力の結晶である黒い痣を持つ」
フェンリルの細かな解説は、過去に遭遇した事があるからであろうか?
「やり合ったことがあるのか?」
と問うと、
「大昔に、な」
とバッシを見もせずに答えた。漏れ出る妖気が濃密な靄となって、空中に漂う。伝説の銀狼族をもってしても、緊張感を漂わせるとは〝黒痣の剛鬼〟とはただ者ではあるまい。
「強いのか?」
「若かりし頃の私は苦戦した覚えがあるわね。特に黒痣の妖術と数の暴力がやり辛い相手ではある」
話はこれまでとばかりに、鋭い爪を爪に沿わせて研ぐと、身をかがめて魔力を放出した。前線に立つバッシも深く息を吸い込むと、はやる心を溶かし込むように溜めてから、長く吐き出す。
鳩尾にある鱗玉は、内腑へと繋がり、そこに棲まう龍魂が、俺の意思に反応して疼くように震える。まるで沸騰するように熱く滾り、脈動する塊に、
「そう熱くなるな、平常心だ」
と手を置いて声をかけてはみたが、龍魂にあてられたバッシの気も知らず上がっていた。身体の芯に篭る微熱を、呼気とともに排すると、全身の表皮を地龍の鱗に変換していく。
胸から拡がる龍魂の波を追うように、ゾワリと生え揃う鈍色の龍鱗。生まれ変わるような快感が伴い、握りしめる手が音もなくみっちりと噛み合うと、鋭く伸びた足爪が真っ白な迷宮の床を掴んだ。
並び立つジュエルは、全身から薄っすらと青い光を放っている。面頬から覗く瞳は澄んで、気負った様子もない。そこには、これからの長い道のりを戦い抜く者の、冷徹な覚悟が垣間見えて、少し浮かれつつあった頭に涼風がさした。
その奥のフェンリルは、既に人型に変身しており、バッシと変わらぬほどの長身に、銀髪を揺らし、輝くばかりの美貌に凄惨な笑みをたたえている。
豊満な肉体は金豹族のマンプルを彷彿とさせるが、全身から淡く放つのは、暖かな金光と正反対の、凍えるほど冷たい銀光だった。
先ほどよりも長く鋭くなった爪を擦り合わせ、迫り来る重量級の足音に、頭上に立つ耳を震わせている。その口元は愉悦に歪み、チロリと出した長い舌は、血のように赤かった。
バッシの側頭部にも長く立った感覚鱗が伸びているが、その片隅に微かな気配が触れた気がして振り向く。
そこには、獣化を促進させた猫人族の女忍が、スラリと長い背筋を伸ばして、大きく一つあくびをしていた。切れ長の目は充血し、全身からフェロモン様の香気を立ち昇らせている。その姿がフッと消えると、フェンリルの真後ろに現れ、溢れ出る銀光に纏わりつくようにじゃれつき始めた。
その姿は正に半獣半人。あの猫忍は獣憑きだったのか? 普段から素早い身のこなしだが、今では目で追う事も困難なほどに切れを増している。
反王軍の面々は仲間にするにはこの上ないメンバーらしい。後方のリロと目が合うと、タンたんを少し持ち上げて答えた。その表面に象られた炎の意匠が、熱に揺らいでいる。
タンたんもやる気満々だな、と思っていると、空中に巨大な魔方陣が投映された。火矢を放つ時に展開するいつものそれよりも、数倍の大きさを誇る表面には、幾多の魔方陣がグルグルと渦巻いている。
久しぶりに思い切り暴れられそうな状況、敵も申し分無く強い。そして頼もしい聖騎士候補のリーダーと並び立てば、後方にはリロやウーシアなど、頼り、守るべき仲間が控えている。
そのウーシアは力増す霊剣を掲げると、隣に立つオウの霊刀と重ねた。すると迷宮全体が震えるほどの圧を放ち、短かった二つの刀身が閃光と共に、極彩色の霊光を纏い始める。
バッシも鋼の大剣に手をかけた。龍木柄と龍装に覆われた手が吸着するように馴染むと、音も無く鞘を払う。その剣身は真っ白な壁に反射した霊光を受けて、穢れなき地艶が際立った。
「ほう、双槌紋……」
後方からドワーフ忍者の声が聞こえてくる。その上空には、英霊パダールが興味深そうに前方の扉を注視していた。
うむ、俯瞰するように後方まで良く見えている。場を把握できているということは、心を練れている証……その充足感が自信を生み、身体と心が合致していく。
鋼の地に浮かぶ薄い青が、刃にかけて赤色に染まる。中間色の紫が滲み、フワリと浮き上がると、大剣全体が紫光に包まれた。
それを身体の側面に立て、肘を張って八相に構えると、ジリッと歩幅を広げながら、入り口ににじり寄る。
壁一枚向こうにある通路から最初に辿り着いたのは、重量感を伴う足音と振動。そして荒い息と通路を引っ掻く爪の音だった。そして狭い通路に身体をぶつける音や、興奮して放つ威嚇の咆哮が、部屋の中にまで響いて来る。
濃密な獣臭が届く頃には、すでに剛鬼達は部屋のすぐそばまで来ていた。暴力の気配が、構え待つ者の肌をヒリヒリと灼く。
空中に展開したタンたんの魔方陣から、追跡火矢が束となって放たれると同時に、重く響く襲来者の足爪が、部屋に進入してきた。
剛鬼ーーその名の通り、二メートルを超す身長に、筋骨隆々の肉体を誇る剛の者ーー火矢の集中放火を浴びながらも、剛毛でそれを弾きつつ、突進を続ける。
それでも腹部に突き立った数本の火矢の傷口に、更なる火矢が命中すると、分厚い皮下脂肪を貫いて腸を露出させた。
血肉の焼ける臭気の中、痛みに絶叫をあげながらも、お構い無しに突進してくる。その頭部を掴んだのは、銀狼フェンリルの鋭い爪だった。
叫声を上げて、滅茶苦茶に振るわれる剛鬼の腕を華麗に避けながらも、掴んだ手は離さない。すぐに剛鬼の巨大な頭部が萎んでいき、頭蓋骨の形が露わになると、それに反して、フェンリルの纏う銀毛の艶が、一段と光を増していった。
その背後から現れた別の剛鬼の爪が、フェンリルの身体を凪ぐように掻っさらうが、まき起こる風に身を委ねるように軽くステップを踏んだ彼女は、あざ笑うかのように距離をとった。
そのスペースに突っ込んで来たのは猫人女忍、一瞬で剛鬼の首に取り付くと、払おうと振るった腕を避けながら、足元に着地する。すかさず跳び離れた足の甲には、短剣が深々と突き刺さっていた。
屈み込む剛鬼の首からは、切り裂かれた脂の黄色い断面が露出する。だが剛毛に阻まれて、血肉までには及ばなかったらしい。
バッシはその横手ににじり寄ると、呼吸を合わせて間合いをはかる。敵も何かを感じ取ったのか、それまでの荒い呼気を抑えて、四足をつきながら伺った。
身長はほぼ同じくらいか? だが太い胴体を覆う剛毛や筋肉から、バッシよりも幾分重いように見受けられる。唾液したたる牙を剥き出しに威嚇するさまは、まるで巨大な猿のようだが、その口からは判別はつかないながらも、何かの言語らしいものが、呪詛のように呟かれていた。
その左手が足に刺さった短剣を探り、掴んだーーその刹那、体当たりのように踏み込んだバッシの抜き打つ大剣に、重量級の手応えが乗る。遅れて真っ二つに切り裂かれた剛鬼は空を掻くようにズリ落ち、鮮血を撒き散らした。
空気に触れると途端に揮発して、拡散する毒血に危機感を覚える。それを無視してもう一匹を貫くと、持ち上げるように体当たりをかまし、その血を被らないように撥ね退けた。
取り敢えず先陣は退けたが、後から続く足音の響きは重く、かなりの数がいるらしい。その時、
『P444 焰気汚染』
タンたんの声が伝わり、入り口付近の毒血に汚染された空気が、黄色く変質していく。この腐った卵のような臭いは……以前にも嗅いだ事のある可燃性ガスか! その危険性にうなじがチリッと刺激された。
「皆、後ろに集まるワフ」
オウの指示が鋭く通り、何を置いてもすぐさま退いた皆が、魔具装置の周囲に固まった。
『P92 マグマ窟』
すかさず発動したタンたんの魔法陣が、仲間全員を包むと、マグマが噴き上がって半球形のドームを形成する。
マグマ窟表面の火の気に着火した焰気汚染が、
〝ボンッ!〟
とシェルターの向こう側で爆発を起こすと、
「一先ず部屋に居た剛鬼達の肺を焼き尽くしました」
魔覚知で探っていたリロが、物騒な確認をしてシェルターを解除する。そこには、毛皮こそ無事だったが、開いた口から内部を焼かれた剛鬼が、煙を吐き出しながら山となって倒れ伏していた。
焼かれた空気に胸が痛くなる。だが次の瞬間には、迷宮の作用か空気は浄化され、部屋の壁にこびりついた焼け焦げは、綺麗さっぱり真っ白になった。
だがバッシの目は、入り口に佇み、同族の死骸を無感情に見つめる一際大きな剛鬼に釘付けになる。その左半面は大きな黒い痣に染められていた。
「黒痣の剛鬼」
フェンリルの緊迫した声に反応したのは、剛鬼の黒痣、その表面にフルフルと滴っていた黒い雫が、地面に落ちた時、波紋様に拡がる力が頭の芯をモワリと揺らした。