毛玉の肉感
「ここまでネウロゲシアが繁殖するのはおかしいですね、ギルドへの依頼とも食い違いが生じています。原因を探るために、村の人達と話し合う必要が有るでしょう」
用意された夕飯を食べて一心地ついた後、モンスターに詳しいリロの提案で、その夜村長の家に数人の関係者を集めてもらい、事情を聞く事になった。
村長の他には、村の警備係も兼ねる狩人衆と、地域に詳しい長老、そして最初にネウロゲシアを発見した農夫が呼ばれる。
村長は依頼書との食い違いに、平謝りを繰り返した。なんでも最初は数体発見する位だったものが、中々冒険者の派遣が来ない間に数が増えて、今のような群生状態になってしまったらしい。
同席した長老の話では、それ以前のネウロゲシアは時々発生する程度。それも森の獣を補食するだけで、奥地に侵入しなければ大した害も無かったらしい。それが大繁殖し、森を追い出された個体が、農地にまで出没し始めたのはつい二ヶ月ほど前の事だった。
狩人衆によると、大繁殖したネウロゲシアのせいで森の獣は姿を消し、生態系も崩れているという。このままでは森が廃れ、ひいてはそこを流れる川の恵みも痩せてしまう可能性もあるらしい。
村人達は、困窮した現状を熱心に訴え続ける。森が廃れた後、食料を求めたネウロゲシア達が、村に雪崩れ込むのを一番に懸念していた。現にネウロゲシアが村の近くに出没して、村人が殺される事態も起きている。
聞けば地方領主は、小さな村の為に軍隊を派遣する事を渋り、被害の報告も取り合ってくれないらしい。
ネウロゲシアというモンスターは意外と粘り強く、初級モンスターの中では組みし辛い方だ。費用を捻出し、軍隊を派遣して死傷者が出てもつまらないと判断したのだろうか?
「領民の困窮に手を差し伸べないなんて、領主の風上にも置けないわね」
と神殿騎士たるジュエルは憤っていたが、元戦奴だったバッシには、妥当な判断で兵士を守る、良い指導者とも受け取れた。
「そういえば」
そんな中、農夫が思い出したように、
「最初に見た時は、ネウロゲシアの体に、女みたいな奴がくっついてたな。あれは何だったんだ?」
その言葉を聞いたリロが、
「女って、人間みたいな感じでしたか?」
「それが、なんつうか緑色の髪をした、気持ち悪い奴で。真っ赤な唇だけが見えたんだけんど、ビックリして逃げたから、そこまでハッキリ見えなんだ。すまねえす」
と言う農夫の話に考え込んだリロは、それから無口になって考え込んだ。
その後、ジュエル達は最前に渡された簡単な地図を、村人と共に修正したり、最初の目撃地点、その他繁殖濃度の高そうな地点を書き込んで行った。
「大丈夫、何とか善処しますので、安心して下さい。では、明日も朝早くから討伐して来ますので、今夜はこのくらいで失礼します」
ジュエルが宣言すると、深々と頭を垂れる村長達を残して、滞在先の民家に戻った。
「どう思う?」
と問うジュエルに、
「分かりません、ネウロゲシアの雌雄など聞いたこともありませんし……緑の髪の女、そんなモンスターは聞いたことも無いですね」
首を捻るリロが呟く。モンスター討伐を専門に研究している彼女にも分からないとなると、相当なレア・ケースなのだろうか?
「でも、その女が鍵を握っていると推理するのが自然でしょうか? 明日討伐がてら未踏地、特に川の上流を探ってみても良いかも知れません。最初の目撃地点から推測するに、そこに居る可能性が一番高いと考えられます」
どうやら作戦会議は終了したらしい。バッシは暖炉の灯りでポコを読みながら、尻に纏わり付くウーシアを払い除けて過ごしていた。
「バッシとウーシアはどう思う?」
突然話を振られたバッシは、
「俺は斬るのみ」
出来る事を提示し、ウーシアも、
「私も嗅ぐワンゥ」
と真似して宣言した。
「ちょっと、真面目に考えなさい! 村人の為にも早く解決してあげないと」
腕組みをするジュエルがバッシを睨む。
「依頼は討伐、原因までは知らない」
戦奴であり、底辺冒険者であったバッシには、依頼以上の働きなどという思考はなかった。ましてや困っている人を助ける、という目的の為に仕事をした事など皆無である。
その言動に「ムッ!」とつまったジュエルは、「ふー〜ッ」と息を吐き出すと、
「あなた案外冷たいのね、まあいいわ、戦士に騎士道なんて関係ないものね。でも忘れないで、リーダーは私よ。このパーティーの意思決定は私にあるから、従ってもらうわ」
と宣言されて頷く。バッシはもちろんそのつもりだった。組織に所属したらその命令系統には絶対に従う、単純にして明快な思考は、戦奴の時代に体の芯から叩き込まれていた。
その様子に満足したのか、ジュエルはリロを促して奥の間に引き揚げる。そこには粗末ながら、木製のベッドが二つ並んでいた。
「すいませんバッシさん、私達だけベッドで寝かせていただいて」
振り向いたリロが頭を下げる。
「構わない、ベッド小さい、これ慣れてる」
とバッシは床を指差した。少し前まで、良い時で大部屋の床に雑魚寝、酷い時は街角の隅で隠れるように座り寝をするか、野外で毛布に包まって寝る生活だった。それが満足な食事と、暖かい屋根の有る寝床、ましてや水浴びまで出来るなんて、夢の様な生活である。
恐縮してもう一度お辞儀をしたリロを見送ったバッシは、暖炉の火を掻くと、床に毛布を敷いた。灯りが無くなって読めなくなったポコを大切そうに荷物の底にしまうと、それを枕代わりに横になる。
立て掛けていた鋼の剣を手元に置くと、毛布に包まり、温もりのある毛玉を抱いて眠りに付いたーー
『ーー毛玉?』
そのまま眠りに落ちそうなところで、違和感によって現実に引き戻されると、お腹の所にスッポリと収まった物体に触れる。
プニプニとした肉感、少し癖のある毛並みの上には、ピンと跳ねた耳があり、
「くすぐったいワフン」
という甘えた声が、毛布の中から聞こえてくる。一息に剥いだ毛布の中には、丸くなってお腹の側に収まるウーシアが居た。
迷惑そうに剥ぎ取られた毛布を探って、手を伸ばす。
「寒いワンフ」
毛布を掴んで、寝ようとするウーシアを揺すって、
「何してる?」
と問いかけると、
「火を消したら肌寒い季節だワフ、一緒の毛布に包まった方が暖かいワン」
薄目を開けて、迷惑そうに呟く。なんだろうか? バッシの問いかけの方が正しい筈なのに、さもこれが普通かのような態度。
面食らって固まったのを、了承の合図とみたのか、
「折角温まってきたのに、冷めちゃったワフ、早くねるワン」
なだめるように毛布に包まると、バッシの腹部にピッタリと収まってしまった。
ーーまあ、いいか。確かに温いし、サラリとした栗毛も気持ち良い。それにこいつ……意外と大きいな。
さっきのプニプニとした肉感は、多分そういう事だろう。この犬娘、幼げな外見に見合わぬものを胸に携えているらしい。
バッシが少し浮ついた気持ちで、丸くなるウーシアを見ると、既に気持ち良さそうな寝息を立てていた。
何故ここまで警戒心を持たずにいられるのか? と疑問に思うが、平和そうな寝顔を見ていると、何だか急にどうでも良くなって来る。
〝平和〟な世界を夢想していた、少し前の自分には想像もつかない状況。それは殺伐とした世界に生きてきたバッシにとって、かけがえの無い、貴重な温もりのように思えた。
この温もりが壊れないようにと、身を横たえて目を閉じると、昼間の疲れが体の芯から微睡みを引き寄せ、そのまま心地の良い眠りへと誘われていった……
*****
「どうやら寝たようね」
ドアの向こうで聞き耳を立てていたジュエルが囁くと、
「こんな風に試すのは、やっぱり失礼ですよ。ウーシアちゃんにも悪いし」
眉をひそめたリロも囁く。
「まあね、でもウーシアは喜んでたわよ。あの子の霊感が、ビビッときたらしいわ。それに氏素性の知れぬ男を女だらけのパーティーに加えるなら、最初に試さなくちゃならない事でもあるし。そんなくだらない事で、私の目的を阻害される訳にはいかないからね」
ベッドに戻って、音を立てないように横になったジュエルは、心の中で強く念じる。
『私は絶対に聖騎士になる、そして世界を救う先鞭となり、お爺様の夢だった世界を実現させるのよ。寄り道は許されない、最適最短の道を行かせてもらうわ』
そのために必要な準備は整った。これまでにかかった長い修行の日々を思い、現在、そして叶えるべき未来に思いを馳せながら、必要な睡眠を求めて目を閉じたーー心配そうに見つめる友を、暗闇に残して。
*****
「さあ、準備は整った?」
ジュエルの言葉に、皆が頷く。もちろん皆準備は万端だ。纏める荷物も極限られている。
大きな荷物をリロの魔法鞄に任せられるから、個々に分けられた行動食と、最低限の生活必需品、それと飲料水を持つだけの軽装で行動できる。
これが迷宮攻略などになると、罠や状況によって別れて行動する事を想定しなければならないが、村の近くという事もあり、体力温存を重視した装備を優先する事が出来た。
一晩バッシのお腹で丸まっていたウーシアも、元気いっぱい、
「出発ワオーン!」
と景気の良い咆哮を放ち、リロ達の笑顔を誘発している。その元気っぷりに、バッシの口角も緩んだらしい。
「バッシ、一晩一緒に寝て、鼻の下伸ばしてるんじゃないよ!」
と言ったジュエルを『知ってたのか?』とバツが悪そうに見る。側に寄って来たリロが、
「良く眠れました?」
と真面目に聞いてくるので、余計に気まずくなったバッシは頭を掻きながら、
「良く、寝れた」
ボソリと呟く事しか出来なかった。その目の前に浮かんで来た魔導書タンたんが、ペラペラッとページをめくると、
〝ど〟〝す〟〝け〟ページの冒頭で文字を示してから、
〝べ〟のところでバシッと閉じると、真っ赤な魔光を尾引かせて、リロの元に浮遊して行く。
『何だ?』
と呆然としている所に、
「なんだワン? タンたんは一緒に寝たのを妬いてるワン?」
ウーシアがちょっかいを出すと〝フンッ〟とばかりに背表紙を背けたタンたんは、リロのバッグに入ってしまった。
「モテモテね。いい? おふざけはここまでよ! 上手く行けば今日で解決出来るかも知れない。行ける時はドンドン行くから、気を張りなさい!」
ジュエルが宣言すると、先陣を切って森に向かう。
『モテる? かどうかは別として、タンたんとも、昨日の儀式で上手く連携が取れるようになっていると良いな』
とバッシが思いながらリロを見ると、無言で一つ頷かれた。それに応えて頷き返すと、朝もやにけぶる晩夏の森に向けて歩き出す。
何時もとは違う高揚感。何かの導きとしか思えない程順調に進んでいる感覚。
だが、そんな時こそ慎重にならなくてはならない。それを戦場で嫌と言うほど叩き込まれてきたバッシは、周囲への警戒心を強くすると、ジュエル達の後に付き従った。