始まりの死闘
斬り捨てても、斬り捨てても湧いてくるコボルトの群れに、半ば感覚を麻痺させながら、底辺冒険者であるバッシは鋼の剣を振るい続ける。
冷たい輝きを見せる剣身は、コボルト達の血と脂に穢されて切れ味を落としているが、肉厚で長大な造りの直剣はバッシの剛腕に振るわれ、噛み付いてくる首を刎ね、鋭く振るわれる爪を腕ごと切り飛ばし、跳び掛かろうと身構える胴を貫いた。
降りかかる血飛沫と、断末魔の咆哮をあげるコボルトの臭気が、閉め切った地下空間を汚染する。
激しい闘争に篭る熱を荒く吐き出すと、疲労感とともに嗚咽が出た。さらに込み上がってくる熱いものを、舌で蓋をして飲み下すと、切れ目なく押し寄せるコボルト達を引き千切るように薙ぎ払う。
間を計っては一斉に跳び掛かるコボルト達、その奥では一際大きな個体が、数匹のコボルトと共に長鳴きを繰り返している。仲間の激励だろうか? 独特な響きの咆哮はバッシには何の効果も与えないが、その声音からは真剣さが滲み出ていた。
丘巨人の血が混じったバッシの長身を捉えきれない群れは、取り囲んでは突き崩され、徐々に数を減らしていった。だが所詮相手は一人。囲んで襲い掛かれば、そのうち疲労や怪我から牙城が崩れると考えているように、冷静に距離を取りながら、休む間を与えずに攻めてくる。
激しい運動の連続に、動きが鈍る瞬間が増えてきた。やがて捌き切れなくなったバッシの腕に、くるぶしに、鋭い犬牙が突き立つと、激しい痛みから怒号の様な悲鳴がほとばしるーー
*****
統率の取れた集団は、特別なボスの元で 鍛えられた〝氏族〟階位の特殊なコボルトだった。群れを率いるコボルト・キングの能力から〝魔吠族〟と呼ばれる彼らは、普通のコボルトとは別格の集団である。
それを単なるコボルトと侮り、根城とする元ドワーフの鉱山に、お宝を求めてやって来たのは、自らを〝剛利衆〟と呼ぶ、強欲な商人をリーダーとする二十名程の、雇われ兵士や冒険者の寄せ集めだった。
バッシも生活のために、剛利衆に臨時で雇われたが、その扱いは酷いものだった。
利益が出るまでは賃金無し。出される食事は栄養も無く、不味く、得体の知れない汁と、カチカチに干からびた、いつ焼いたか知れない黒パン。それも有料。そして荷運び人夫よりも過酷な重量の荷物を、人一倍担がされての強行軍が待っていた。
正直鉱山に着くだけでもヘトヘトなのに、最前衛として配置され、いざコボルトと対面ーーその時には数倍の敵に囲まれ、いきなりの乱戦が始まった。更に敵後方から、狼の様な遠吠えが響くと、仲間の兵士達が一斉に苦しみ出す。
彼らは知らなかったが、魔吠族のリーダー、コボルト・キングの咆哮魔術は、対象者の魔力を狂わせる力があった。更に氏族の上位者の吠え声と合わせる事によって、魔力を増幅させ、酷い者は一瞬で気絶する程の効果を、広範囲にわたって発揮する事が出来る。
豊富な魔力を有する、剛利衆のリーダーである商人は、体の不調に危機感を覚え、後ろ詰めに陣取る正規メンバー達を連れて、真っ先に逃げ出した。
大部屋の扉をくぐり抜けると、戦っている臨時雇いの前衛組を見捨てて、扉を閉めてしまう。ドワーフの作った金属製の扉は頑丈で、閂を通した上に、商人が施錠の魔法を掛けたため、前衛組の退路は完全に断たれた。
臨時雇いのメンバーは、何とか生き延びようと固まって応戦する。だが、後方からの咆哮に魔力を狂わされ、抵抗らしい抵抗もできずに、次々と屠られていきーー
後に残されたのは、一人果敢に応戦するバッシのみ。彼には咆哮魔術が全く効果を発揮しなかった。いや、効果は出ていたが全く害が無かったのである。何故なら、バッシは魔力というものを全く有していなかったからーー
*****
バッシは悲鳴を上げながら、手足をデタラメに振り回すと、腕とくるぶしに噛み付いたコボルトを吹き飛ばした。それは集団にぶつかると、仲間達を巻き添えにする。
だが、それはほんの一時凌ぎにしかならない。チャンスとばかりに次々と襲い来るコボルト達に鋼の剣をみまうが、少なからぬ傷から流れる血に、目眩がした。
生命の危機に反応して、丘巨人の固有スキル〝超回復〟が発動する。全身を熱い血流が走ると、無数にある傷が見る間に塞がっていった。だが失血と、スキルによって消費された熱量によって、ジリ貧の状態は何ら改善されない。
もはや立っている事もままならず、たまらず後退したバッシの背中に、冷たい岩壁が当たる。
壁にもたれかかりながら、必死に剣を振るう。その場で何体のコボルトを屠っただろうか? 最早考える間も無いほど、迫り来る敵を無意識に斬り、突き、払った。
そして数体のコボルトに噛み付かれながらも動き、剛力に任せて壁に突進すると、間に挟まったコボルトを磨り潰しながら、目を付けていた岩肌の穴に転がり込む。
片膝を付いた姿勢から立ち上がる事もできずに、まだ噛み付いているコボルトの首を刎ねると、余りの空腹に滴り落ちる大量の血を飲んだ。さらに追って飛び込んできたコボルトを掴むと、首筋に囓り付いてそのまま食いちぎる。
ーー激しい悲鳴の後、いっこうに出てこない仲間、そしてクチャクチャと不気味な音が響く暗い穴ーー
さすがに躊躇したのか? コボルト達の後続は来ない。
口の中の生肉は臭く、歯に挟まる毛はゴワゴワと喉を通る事を拒否するが、それを無理矢理嚥下した時、
「アウオウォゥォォォ」
後方から吠え声が届くと、怒気をはらんだそれを合図に、コボルト達が一斉に飛び込んで来た。
試し堀の坑道だろうか? 簡素な造りの狭い穴は、十歩も歩けば突き当たる。大人であれば二人並んで通るのがやっとの、小さなものだ。
だが、今はそれが幸いして、一度に多くとも二匹のコボルトを相手にすれば良い。
間隔短く襲いくる目眩を抑えて、狂った様に爪を伸ばすコボルトの腕を貫き、押し込むように隣の首をも刺し貫く。
狭い穴で、こちらが思い切り剣を振り回せないように、向こうも爪を振るえず、隙間から噛み付いてくるものを、その口に剣を突き込むだけで仕留める事ができた。
徐々に敵の数を減らしていき、朦朧とする意識で思わず壁に寄りかかった時、入り口から腹に響くような音が伝わってくる。
地面に転がる死骸を踏み付けながら覗くと、薄明かりの差す入り口で、コボルト達が一斉に木の柱を揺さぶっていた。既に一本の支柱は外され、もう一本に何体ものコボルトが掴みかかり、揺らし続け、今にも外れそうな気配である。さらに入り口付近は零れ落ちる岩の破片で、砂埃が落ち始めていた。
『生き埋めにされる!』
恐怖に焦ったバッシは、猛ダッシュで駆け抜けると、コボルト達を擦り抜けて大部屋に転がり出る。その後、間一髪で横穴が崩れると、鉱山を揺るがす程の落盤が起きて坑道が塞がれた。
バッシを囲むコボルトは十数体まで数を減らしている。だがその中心には、銀色の毛並みを輝かせた巨大なコボルトの姿があった。
2メートルを越す、バッシの身長に並ぶほどの体高を持ち、鋭い牙と刃物の様な大爪をギラつかせるボスらしきコボルトは、怒りに鼻ずらを皺立たせて、低く唸る。
一方のバッシは鋼の剣を構える余力も無く、杖代わりにしてようやく中腰を保っていた。それでも諦めない両目には、生き残りに向けた執念じみた力が宿る。薄明かりの中にギラつく目を見たコボルト達は、迂闊には手が出せずに数瞬の間が空いた。
「ゥゥゥウォフ!」
ボスの一吠えで静から動へ、一瞬にして集団が殺到する。素早く反応出来ないバッシは、もはや鋼の大剣を振り回す余裕も無く、一点突破を目指して体ごと剣を突き込んだ。
その剣先が一体の胴を貫いた時、背中、足、腕に同時に噛みつかれ、体中を爪で引っ掻かれる。転がりながら捻る様に剣を薙いで囲みを突破するが、立ち上がる隙もなく牙が、爪が殺到して、血飛沫が散った。
『もはやこれまでか……』
全身を苛む痛みすら遠く感じる。いつかの戦場で体感した、瀕死の時の無痛状態を、デジャヴのように思い出した時、
『バッシ』
何処かから名前を呼ばれた気がした。目の前には、トドメを刺そうと近づくボス。親指から生える鎌鉈のような爪が、バッシの首筋を捉える軌道を滑る。何故かスローモーションのように、その刃先を見続けた時、
『バッシ』
更にもう一度、今度は明確に手元の鋼の剣から、声にならない共鳴が発せられた。
ーー次の瞬間ーー
鋼の剣を振り抜くバッシ。その刃先は地面をも切り裂き、石礫を弾き飛ばす。
その軌跡にあったボスは、肩から脇腹にかけて真っ二つに断ち切られ、驚愕の表情を凍りつかせながら地面にズリ落ちた。
遅れて倒れる下半身が、自身の血溜りに穢されると、リーダーを倒されたコボルトに恐慌が訪れる。
血まみれのバッシが、その背中に剣を振り下ろそうとした時、限界を超えた意識がプツンと途絶えると、そのまま前のめりに倒れこんだ。
*****
ドワーフの鉱山〝アイン・スタルト〟が宿敵のコボルト達に占拠されて数ヶ月。その間に奪還部隊を送ること数度。
成果を挙げない派遣団に苛立った〝鍛冶長〟ノームは、周囲の反対を押し切って自ら出陣を決めると、戦士長や特別に呼び寄せた旧知の大魔法使い〝睡蓮火〟のリリ・ウォルタを含む精鋭部隊を率いて、アイン・スタルトの麓で待機していた。
そんな事は露知らぬ人間達が二十名ほど先行し、暫くしてから、五名程が血相を変えて逃げ出して行く。
「ふんっ! どうせ我らの財産を狙った小物だろうが。我々が手こずる魔吠族のコボルトを舐めてかかったな」
侮蔑を込めて鼻息を鳴らす、その言葉に戦士長が、
「中は少し荒れている様子。もう少し待ちますか?」
と問うと、
「いや、コボルト共も、連続して襲撃があるとは思うまい。この場に留まるリスクよりも、一気に攻めようぞ」
愛用の槌を掲げると、隣に立つリリを見た。深い皺を刻みながらも、美しく整った顔を少し引き締めて頷く人間の女魔導士。今回の討伐では、咆哮魔術師という厄介な敵を封殺するための、切り札的な存在だった。
頷き返すと先陣を切って進むノーム、慌てて斥候兵が前を行く。
鉱山は長い通路の先に、巨大な広間を挟んで、奥に繋がっていた。広間の扉は閂がかかり、デタラメにかけられた鍵魔法によって封じられている。
「こんな不細工な術は初めてじゃ。余程慌てていたんじゃろう」
扉を鑑定したノームは、代々鍛冶長に伝わる神槌に魔力を込めると、おもむろに扉を打ち据えた。
魔力同士が反発しあって七色の火花を散らすと、呆気なく鍵魔法が砕け散る。拙攻兵がすかさず閂を抜くと、リリを囲む様に先導する戦士長が先陣を切って踏み込んだ。
ムッとくる臭気に顔を顰めながら進むと、辺りは血の海と化している。カンテラを向けると、薄暗がりの中には、コボルト達の死体が無数に転がっていた。
その時、広間の隅に蠢く者が見えた。大胆にそちらへ向かうと、隅っこでは怯えた様子のコボルト達が縮こまっている。
後続の戦士団が殺到して呆気なくトドメを刺すと、戦士長は更に奥に進んだ。その先、広間中央には、巨大な戦士と共に地に伏すコボルト・キングの骸がある。見事な太刀筋で真っ二つになったコボルト・キングを見て、呆気にとられていると、
「これは……コボルト達は全てこの戦士が斬った様じゃな。切り口が全部一緒じゃ。まさかこの数の魔吠族を一人で殺るとは、相当な手練れじゃのう」
コボルト・キングの傷口を見るノームが呟いた。すると、
「ノーム様、お下がり下さい!」
その肩を掴んだ戦士長が、戦斧を構える。その目線の先には、虫の息の大男の手が痙攣していた。だが意識は戻らずに、血の海で苦しそうに呻いている。
「こんな状態で生きているとは、なんて生命力だ。ノーム様、トドメを刺しますか?」
戦士長が物騒な声を掛けをするが、ノームは返事もせずにその戦士を凝視していた。いや、その手に持つ一振りの鋼の剣を見つめていた。
コボルトの血肉に穢れた剣身は、単一鋼の鍛造品に見える。その造りは質実剛健、一切の装飾が無く、素っ気ない直刃の刃紋が高い品質を感じさせたが、所詮は単なる純鉄の鋼。神の鋼と言われるオリハルコンを産するこのアイン・スタルトにおいては、屑鉄に等しい品だった。だが何故か引っ掛かる。長年の鍛冶師としての直感が、言いようの無い、惹き込まれるような感覚をもたらした。
何度も戦士長に呼ばれても、己の世界に没入したノームは返事すらしない。高度な集中状態に達した時、
『バッシ』
鋼の剣から、かすかな共鳴音が聞こえた。
『これは名前か? まさか……寡黙な鋼の精が持ち主の名を呼んでいる?』
「ノーム様、いかがーー」
何度目かの声掛けに被せる様に、
「この戦士を奥の間へ運べ! 衛生兵、この者を治療せよ。お前はこの剣を奥に運べ」
ノームの命令で担架が運ばれて来る。
『ワシの理論を証明できるかも知れん』
降って湧いたような驚きと共に、浮き立つ心を隠しもしないノームは、魔術師であるリリを呼びつけると、意気揚々と打ち捨てられた鍛治場に向かって行った。