高田馬場駅
笑顔を作れない子供だった。
幼い頃の僕の写真には自然な笑顔というものが少なかった記憶がある。
どこか目が笑っていないようだった。
写真を撮られるとき笑うように言われると余計とも萎えてしまった。
楽しそうな表情をする周りの子たちに囲まれて、僕は自分の目に映る風景が冷たく硬直しているのを感じた。
両親の離婚を機に度々転居を繰り返してきたのでそのアルバムはとうに紛失してしまった。
もしかすると母親はそれをどこかにしまっておいているのかもしれない。
それでも僕にはそれを探し出すだけの興味がまるでもてない。
その後中学から高校にかけて僕の覚えた笑顔はやはり他人に向けられたものではなかった。
伏し目がちなはにかみは人前で感じる自分の緊張だけを表していた。
だから東京での生活を通して他人に対する緊張を失った僕には、もう表情という表情は残らなかった。
感情と接続されぬまま放置された表情筋。
一度錆び付いてしまったその神経に後から感情の電流を流し込むことは容易ではない。
その意味では人間にとって言葉もまた筋肉のように道具の一つだ。
言葉を知らないわけではなくても、僕はずっと無口な方で、人との会話は苦手だった。
知っている言葉と表現できる言葉は同じではない。
また言語に限らず記憶一般について、知っていることと思い出せることは同じではない。
思い出せることを増やせるように脳を鍛えるためには筋肉を鍛えるように繰り返し脳を使わなければいけない。
そこで夜空の星座みたいに、意識いっぱいに散らばった、知っている言葉の断片が脳内にあるとしてみよう。
そのとききっと感情の泉から湧き出してくるあるものが言葉同士を接続し星座の線を描いていくのだろう。
こうして接続されたものが、思い出せることなのだ。
場違いな言葉はより適切な言葉に取って代わられ、すでに学ばれた言葉同士は異なる仕方で接続し直され、新たに学ばれた言葉は継ぎ接ぎに接続される。
それは脳内のシナプスで起こるネットワークの変化と一定の相関関係を持つだろう。
こうしてみると、充実した身体とは合理的に接続された全筋肉にあるものが行き渡ることで、充実した意識とは合理的に接続された全言葉にあるものが行き渡ることと定義できるかもしれない。
なぜ言葉が意識にとってそれほど重要なのか疑問に思われるとすれば、人間が世界を眺める目が動物とほとんど唯一異なる点が、人間が五感の他にもう一つ心という、意味を司る器官をもっていて、その意味というものの伝達と感受とに言語が使用されていることをよく考えてみる必要があるだろう。
そうするとそのとき、全身の一つひとつの筋肉という諸要素、脳内にある無数の記憶の断片という諸要素を、統制のとれたひとつの個体にまとめ上げるべく接続する「あるもの」とはいったい何なのだろう?
それは唯物的にみるなら、血中を巡るなんらかの伝達物質か、神経を巡る電流というより他はない。
また認識論的にみるなら、精神を統一させ、目的意識をもつことだ。
が、しかしこれではやはり問題が大きくなり過ぎだ。
論点を絞るため始めに戻ろう。
感情が表情を動かし、感情が会話を促すというのが始まりだった。
このとき感情は身体の接続と言語の接続をともに促進する。
この二つの条件を満たして、なおあまりある接続力を有する感情が、僕には一つだけ思い当たる。
洋の東西を問わずに多くの思想家たちがそれを思索の中心に据えてきた。
その感情を抱けることが幸福で、その感情なしで幸福はありえなかった。
愛がその答えである。
あなたが僕に微笑みかけてくれると、あなたが僕に話しかけてくれると、僕は心臓にあなたの生命が漲るのを感じた。
そんな僕があなたと会えなくなって、味わうことになった喪失感を、こうなる前に予感することができなかったのは、なんという不覚だろう。
僕は今日のようにアルバイトのため街中に来るときも、下宿近くのスーパーに買い出しに行くときも、そこにいるはずのない普段のキャンパス内でも、彼女の面影を求めてしまう。
そして向こうに道行く人たちの遠い目やカップルたちの満ち足りた目を見送りながら、彼女の生きる世界にはもういない僕のリアルを繰り返し自分に言い聞かせる、そんな毎日。
「次は〜高田馬場、高田馬場です。」
このように考え事をしていて、乗り降りの少ない目白駅はいつの間にかもう通過していた。
扉が開き出入り口付近は乗り降りの人たちでごった返す。
が、僕の立っている、扉と扉の中間地点にはむしろ余裕があるほどで、窮屈な戯れを間近に眺めていると、ため息が出てくる。
目的の新宿駅まであと2駅だ。