第10話 絶望
ーベントレー車内ー
12:30
神倉親分は、須津の運転で靖国通りを自宅に向かって走っていた。
神倉親分の携帯電話が鳴る。
「よう、ボッサンか。久しぶりだな。
どした?デイリーの成績でも良かったんか?…… なに~!姫川エリカが拉致された?…… ユオもか!…… わかった。絶対見つけだすから心配するな」
神倉親分は携帯電話を切って須津に言った。
「スズ、事務所に戻れ!姫川エリカとユオが白龍会の奴らに拉致された!急いで白のダッジバンを探し出せ!」
「わかりやした!」
須津はハンドルを右に切ってUターンした。
対向車が急ブレーキで止まっていく中、ベントレーは猛スピードで走り去った。
ー郊外廃工場ー
エリカが目を覚ますと、両手両足を縛られて横になっていた。
同じく両手両足を縛られたユオの背中が目の前にあった。
「ユオ!ユオ!しっかりして!」
縛られた足でユオの背中を押すが、横たわったまま反応がない。
エリカとユオが歌舞伎町で逃げ回っていて、ユオが携帯電話でボッサンと話している時、白龍会の奴に後ろからバットで、携帯電話ごと頭を殴られた。
エリカは逃げようとしたが捕まり、クロロホルムで眠らされた。
そして2人は、郊外のこの廃工場に連れてこられて、倉庫に監禁されていた。
エリカは何とか立ち上がり、ピョンピョン跳ねてユオの正面に回った。
しゃがんで顔を覗き込むと、頭と口から血を流して気を失っていた。
エリカは腰を下ろすと、足でユオの肩を突っついた。
「ユオ!ユオ!起きて!目を開けて!お願い!」
エリカの懸命な呼びかけに、ユオは答えてはくれなかった。
「ユオ…… 」
エリカの目から一筋の涙がこぼれ、顔を膝の上に埋めた……
ー新宿警察署捜査1課ー
16:00
「ホヘト~」
捜査1課のボス、内海田デカ長が、声を出して手招きをしている。
ホヘトは立ち上がって、内海田デカ長のデスクに走りよる。
「カズさん、何でしょう?」
「三神田龍一を刺した奴の事、何か分かったか?」
「はい、逃走に使われた車を只今調査中です。オベ~、何かわかったか~!」
ホヘトは振り返ってオヴェに声をかけると、オヴェは席を立って早足で歩いてきた。
「はい、判りました。えっとですね、目撃者の証言から、逃走に使われたのは白のダッジバン。車の持ち主は、圭寅 萬斉27才。通称『ケーマン』と判明しました。
この男は、暴力団『白龍会』の構成員で、この白龍会が事件に関与していると思われます。
それとですね、三神田龍一が刺された際に、一緒にいた姫川エリカが誘拐されたという情報も入ってますが、親族からの届け出もなく調査中です」
内海田デカ長は、腕組みをして眉間にシワを寄せながら言った。
「白龍会… 最近勢力を増してきた奴らか。厄介な事になりそうだな。取り敢えずそのケーマンとやらを任意で引っ張ってこい!」
「はい!オベ、行くぞ!」
ホヘトはオヴェの肩をたたいて、足早に部屋を出ていった。
その後を追うオヴェ。
「ホヘトさん、オベじゃなくてオヴェですよ~」
ー荻野目探偵事務所ー
夜のとばりが降りてネオンサインが瞬き、新宿の街を艶やかに浮かび上がらせると、吸い寄せられる様に人々が集まりだす。
電球に群がる虫たちの様に……
白龍会という毒蛾に拐われた姫川エリカとユオ。
ボッサン・オッパイ・アオイは、姫川エリカとユオの消息が掴めないまま、事務所で待機していた。
「ユオは大丈夫ッスよね」
アオイがユオの椅子に座って、クルクル回りながら言った。
「大丈夫!殺しても死なへん、アイツは。ね?ボッサン」
オッパイがコーヒーのカップを持って、スプーンで混ぜながら言った。
「アイツはゴキブリ並みの生命力だからな。むしろ、ゴキそのものだ。死ぬ訳がない、ハハハ、ハハ…… ハァ…」
ボッサンは、テーブルに置かれたユオの割れたスマホを、じっと見つめていた。
その頃レミは、父親と親子水入らずで夕食を取っていた。
もちろん父親とは、神倉親分の事である。
店に入る前は小降りだった雨も、店を出る頃には本降りになっていた。
「うわ~!結構降ってきた!」
レミはピンクの傘を開きながら言った。
「レミ、飯に付き合ってくれてありがとな」
神倉親分はレミの傘に入りながら言った。
「美味しかったよ!また誘ってね!この傘使って。私、走っていくから。じゃあね~!」
そう言ってレミは神倉親分に傘を渡すと、走って行ってしまった。
「おい!ちょっと!風邪引くぞ~!……まったく」
神倉親分は、顔をしかめながら苦笑いした。
もうちょっと女らしくしてほしいと言う気持ちと、
親に心配をかけるお転婆娘のままで、世話をやきたいと言う気持ちがあって、複雑な心境である。
神倉親分はニヤつきながら、須津の待つ車に向かって歩いていた。
須津が待っているベントレーは、ちょっと離れた店の駐車場に停めてあった。
暗い道を神倉親分一人で傘を差しながら歩いていると、後ろに気配を感じた!
神倉親分が振り返ると、男が走ってきて体当たりしてきた!
その男の両手にはナイフが握られていて、そのナイフは神倉親分の腹に刺さっていた!
「き、きさま~!!」
神倉親分は男の両手を掴んで離さなかった!
「うわっ!は、はなせ!」
男がもがいても神倉親分の手は離れなかった。
「きさま!白龍会の鉄砲玉か!」
神倉親分は、男の手をナイフから離すと、頭突きを食らわした!
男が怯んだところで、腕を背中に締め上げて地面にねじ伏せた!
「おい、若造!人を殺すって事がどういうことか分かってんのか!
人の命を断つと言うことはな、そいつの人生を背負い込むってことだぞ!オマエにそんな覚悟があるのか?
ただ幹部になりたいからって理由なら考え直せ。今ならまだ間に合う!
こんなへなちょこナイフじゃ俺は死なんから、俺の組に来い!オマエの性根を叩き直してやる!
来るならこの事は無かった事にしてやる!
分かったか!」
神倉親分が手を離すと、男は這いつくばって神倉親分から離れた。
神倉親分は膝まづくと両手で、腹に刺さっているナイフを抜いた。
抜いたナイフを男の前に投げた。
「持って帰れ…」
男はナイフを拾うとガタガタ震えだした。
男の顔は、鼻血と涙と雨でぐちゃぐちゃになっていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
男は謝りながら雨の中を走っていった。
「これしきの傷で……おれは……死なん……ぞ…」
神倉親分はその場に倒れた。
雨は一層強くなり
ピンクの傘に当たる雨音が
鳴り響いていた……
《 翼 -前編- 》END




