STAGE 1-5 =9月30日・決戦(後)=
「死なせない為に来た、だト? 貴様……俺を倒すつもりカ?」
吐き捨てる様に、風霧は言う。
鍵を捉える瞳は、忌々しげにその色を濁らせていた。
「自惚れるナ……偽善者ガ!」
無意識に。風を纏う右腕に力がこもる。
一瞬押し潰されそうになるが、鍵は足に力を込め、左手を右腕に添えた。
彼の足元が、徐々に崩れていくのが分かる。
歯を食いしばり、鍵は必死にこらえた。
「天突……君……」
李兎は目を見開き、信じられないといった様子で鍵の背中を見据えている。
鍵は視線を彼女へと向ける事なく、告げた。
「言った筈だぜ? 『他人に甘えるのも、一つの勇気だ』ってな」
ちらりと。
鍵は李兎に視線を向け、かすかに上唇を吊り上げた。
「アンタは親友の仇討つために、コイツにまた挑んだ……それは凄ぇ勇気だと思う。
だったら、今度はその勇気を、他人に甘える事に使ったらどうだ?」
「でも……」
「嘘をつくな」
突然の言葉に、李兎はハッと顔を上げる。
鍵の顔に先ほどまでの笑みは無く、真剣そのものの表情を浮かべていた。
「自分に嘘を吐くな。お前の心が何て言ってんのか、何をしたいのか……今此処で曝け出せ」
李兎の瞳から透明な液体が零れ落ち、口内へと侵入していく。
しょっぱさが味覚を支配している李兎の中に浮かぶのは、たった四文字の言葉だった。
それは今までずっと言えなかった言葉。言いたくても、感情が邪魔をして吐き出せなかった言葉。
意を決した様に強く口を結んだ後、その言葉を―――放った。
「たす……けて……」
李兎は、叫ぶ。
「助けて! 私……まだ……死にたくない!」
鍵の上唇が、再び吊り上げられた。
「あぁ……勿論だ」
――――――刹那、
「さっきから何をごちゃごちゃ言っていル!!」
風霧の力が強まり、鍵を襲う。
足元も、もう限界だ。
だが―――鍵は笑みを浮かべ、風霧を見据える。
「悪ぃな……ちょっと相談事しててさ」
「何――――っ!?」
刹那、風霧の目が見開かれる。
先ほどまで押し潰さんとしていた鍵の右腕が、風霧を押し返し始めた。
足元が不安定になったこの状況で、だ。
「テメェをどうやってぶっ潰すかってな!」
直後、鍵の右腕が振り切られ、風霧の身体を数メートル先へと押し戻す。
その時、風霧に隙が生まれた。一秒と掛らずに立て直せる様な、ほんのわずかな隙だった。
だが、鍵はそのわずかな隙が欲しかったのだ。
「来夏!」
直後。
ふわり、と。
李兎は妙な浮遊感に襲われた。
一瞬思考が止まった李兎だったが、すぐに自らの状況を把握する。
自分よりも小柄な銀髪の少女によって、身体が抱え上げられたのだ。
「しっかり掴まっててね、お姉ちゃん」
来夏はニコッと笑って、そのまま厚底ブーツで覆われた足に雷を纏う。
先の鍵との戦いで使用した『電光石火』だ。
彼女のブーツの底には、金属が埋め込まれている。それを媒体にする事で、彼女は電光石火を可能にしているのだ。
負傷した李兎をこの場から遠ざけようと、来夏は加速を始める。
だが、それを制圧者が見過ごす筈が無かった。
「逃がすカ!」
体勢を立て直した風霧は叫び、周囲の風を一点に集中させる。
直後、鋭き風の刃を形成したそれは、来夏の身体を貫かんと飛び出した。疾き事風の如し、という言葉からも分かる様に、風は高速で移動する。来夏と刃の距離は、徐々に縮まっていった。
刃が来夏の身体に穴を開けようとした、正にその時。風の刃は、『もう一つの力』と衝突し、そして消えていった。
風霧は忌々しげな調子で、その力の源を睨み付ける。
来夏と風霧の中心に位置し、風霧の風を相殺したギミッカー、天突鍵を。
「お前の相手は……俺だ」
「何処までも邪魔をするカ、偽善者」
「生憎だが、俺の偽善は性分でね。もう直らんと思うぜ」
でもな、と鍵は続け、キッと風霧を睨んだ。
「偽善だろうと何だろうと……俺は俺の心が望む事をする」
スッ―――と鍵は右手を上げ、風霧へと突きつける。
「俺の心が、さっきから五月蝿ぇ位に叫んでんだよ……『お前を倒せ』ってな」
「やってみろ偽善者……その心ごと、俺がこの手で切り刻んでやル!」
鍵と風霧の戦いが始まらんとする場所から少し離れた路地裏に来夏は飛び込んだ。
壁に寄り掛からせる様にして李兎を下ろした後、路地裏の奥の人影に視線を移す。
「癒、お願い」
「ん……」
人影の正体は、来夏と行動を共にしている女性、鈴原癒だった。
癒はいつもの蚊の鳴くような声で短く答え、李兎を見つめる。
風の鎧に貫かれた腹部からは血が滴り、全身から汗が染み出ていた。苦しそうに息を荒くするその様子は、風霧の力の大きさをこれでもかと示している。
「酷い怪我……私……今……治療する……」
癒は李兎の腹部に、エメラルド色に発光する両手を添えた。
すると李兎の傷は見る見る内に塞がれていき、顔色も良くなっていく。
無論、それに伴い、癒の表情は曇っていった。
激痛と苦痛が、一緒になって癒を襲う。
だが、彼女はそんな痛みも苦しみを振り払う様に、治療を続けていった。
李兎の傷が完全に戻った時、癒はパタリ、と地に倒れる。
「っ、大丈夫!?」
身体が元に戻った李兎は、焦る様子で癒の横に座り込む。
癒は苦しげに息を吐きながらも、赤い瞳を李兎へと向けた。
「問題……ない……それより……行って……」
癒の言葉に、李兎は一瞬目を見開いた。
「それって……」
「決まってるじゃん」
答えたのは、来夏だった。
「お兄ちゃんから話は聞いたよ。親友の仇を討ちたいんでしょう? だったら此処で諦めちゃダメだよ」
それに、と来夏は繋げる。
「お姉ちゃんを救いたい、お姉ちゃんを助けたいって思ってる人が……お姉ちゃんの味方が、此処に三人もいるんだよ? だから大丈夫! 絶対に大丈夫だよ!」
包み込む様な来夏の笑顔に、李兎の涙腺は再び緩む。
だが、寸での所でそれを拭い、李兎は引き締まった表情で来夏を見つめた。
「そうだよね……天突君も、頑張ってくれてるもんね……此処で私が諦めちゃったら、ダメだよね」
強い口調で、李兎は言う。
自分自身に、言い聞かせる様に。
来夏は答えに満足した様に、ニコッと笑った。
「それでね? お兄ちゃんから一つ、伝言を預かってるんだ」
「え?」
来夏は笑みを浮かべたまま、その伝言を李兎に告げた。
ビュオ!! と、突風が吹き荒れる。
だがそれは、街を包みこむ様に吹いていた先ほどまでのそれとは違うものだった。
研ぎ澄まされた刃の様なその風は、ある一点目掛け、それを切り刻まんとするかの様に吹いていた。
その標的となっている少年、鍵は、雷の矢を放ち、それを防ぐ。
仮にかわしたとしても、風を自由自在に操れる風霧は、再び刃のベクトルを自分へと向けてくるだろう。
だから彼は、雷の矢を放つ事で相殺した。
だが、それでは防ぐ事は出来ても勝つ事は出来ない。
それは、鍵自身もよく分かっていた。
鍵は目を細めて態勢を低くすると、風霧へと向かって駆け出す。
風霧は上唇を吊り上げ、右掌を鍵へと翳した。
「死ネ!」
手から放たれるのは、鋭く速い風の刃。
大気が螺旋を描く様に、鍵に吸い込まれる様に飛んでいった。
だが、
「死んでたまるか!」
鍵は頬に傷を作りながらも、その刃をかわしたのだ。
風霧は、面食らった様に目を見開く。
鍵は右掌に雷を集中させ、大きな一つの塊を作り出した。
そして、その一撃を風霧へとぶつけようと、右手を振りかざす。
だが―――――その右手は、一つの螺旋状の風に止められる事となった。
鍵は目を見開き、自身と風霧とを断絶する様な風を見据えた。
それは、目に見える程の密度で集中された風のカーテンだった。
いや、風ではない。
それは、全てを飲み込もうとする様な『竜巻』だった。
直後、圧力が鍵の身体を襲い、そのまま彼を竜巻の中へと飲み込んだ。
鍵の身体は竜巻の手によって弄ばれ、そのまま上空へと吹き飛ばされていく。
直後、鍵は地面へと強く叩きつけられた。
鍵の身体は、糸が切られたマリオネットの様に、だらんと地面に倒れる。
――――刹那。
ビュ!! という鋭い音が、小さく響いた。
同時に自身の右頬を襲うかすかな痛みに、風霧は少し目を見開く。
そのまま無造作に右手を頬へと添えると、ねと、とした感触が神経を弱く刺激した。
それは、自身の身体から流れた紅い液体。
吹き飛ばされる寸前、鍵が決死で放った一撃だった。
「驚いたナ……あの態勢から一撃を放ってくるとハ。だガ……」
風霧は手に付いた自らの血を舐めとりながら、猟奇的な笑みを浮かべた。
「もう、お前の身体は限界の様だがナ……」
風霧は、少し先にいる鍵へと視線を向けた。
地面には不恰好な丸く紅いカーペットが敷かれ、鍵の身体は、その上にぐったりと、うつ伏せに倒れている。
「結局、貴様の力はこの程度ダ……いくら偽善を働こうガ、貴様は英雄になる事なんて出来ないんだヨ」
風霧は、嘲り笑う様に吐き捨てた。
だが直後、彼の表情は凍りつく。
それは驚きや感心より、恐怖の色が強く見受けられた。
「何故ダ……何故、まだ立ってこられル?」
ゆらりゆらりと身体を揺らしながら立ち上がる鍵に、風霧は若干ひるんだ。
「悪ぃな……こう見えても、俺は諦めが悪いんだ」
どこか自嘲的な雰囲気を纏わせた鍵の言葉が、静寂の中に妙に響いた。
「それに俺は、お前の言う様に主人公には向いてない見てぇだな」
でも、と鍵は続け、血が滴る口を三日月形に歪める。
「こうやって、時間を稼ぐくらいなら出来る」
「何?」
風霧が訝しげに目を細めた、その時だった。
「おっと、動かない方が良いよ。風力支配者さん」
無邪気な少女の声が、漆黒の街に響いた。
発信源は、風霧の背後。
彼に対して両手を突き付けている来夏だった。
その両方には、小石の様なものが握られている。
先ほど路地裏で拾ったものだ。
風霧は視線のみを来夏へ向け、目を細める。
それとは対照的に、来夏は年不相応な妖艶さを兼ね備えた微笑を浮かべていた。
「ねぇ、超電磁砲って知ってる? 物体を高速で打ち出す装置なんだけど……」
「それを二方向から同時に喰らっちまうとしたら……どうする?」
来夏の正反対に立つ鍵が、つぶやく様に言う。
風霧がそちらに目を向ければ、彼はふらふらと立ち上がりつつ、右手に持っている、先ほどの竜巻で粉砕された道路の破片を風霧へと突き付けていた。
「お前の力……風力支配の正体は、もう分かってんだ」
風霧をきつく睨み、鍵は言う。
「お前のその力は、周囲に吹く風の流れを読み、それを操るもんだ。
一見強力だが……そいつには重大な欠点がある」
「何だト?」
訝しそうに吐き捨てる風霧に、鍵は笑みを浮かべる。
「それは、風を一方向にしか操れないという事。もし風向きを西に向けて吹かせれば、同時に周囲の風も西へと吹いちまう」
つまり、と鍵は続ける。
そして、告げる。
「お前は二方向から同時に繰り出された攻撃には、風のカーテンを読み出す事は出来ないって事だ」
バチバチと、二人の手から弾ける様な音が漏れた。二つの小石は、既に発射準備が整っている。
超電磁砲。
これが、風力支配者を倒すための切り札だった。
「いくぜ、制圧者……俺達の雷に、焼かれろ!」
凄まじい爆音と共に、二人の手から小石が放たれた。
否、それはもう小石ではない。
それは確かに、風すらも打ち抜いてしまう様な鋭い弾丸だった。
二つの弾丸は、一つの標的目掛けて一直線に放たれる。
自分達の倒すべき相手、制圧者を打ち抜かんと、飛んでいく。
だが、
「それで俺を倒したつもりカ?」
不敵な声が、響く。
「確かに俺の風は、一方にのみしか操れなイ。だがな、お前達は一つ大きな勘違いをしていル」
同時に、風霧は右手を軽く振った。
「俺のこの風は、回転させる事も出来る」
刹那。
突風が吹き荒れた。
いや……吹き荒れる、という表現は、この状況には合わないかもしれない。
その風は、風霧を囲む様に吹いていた。
それは、まるで彼に抗う者全てを拒絶するかの様な、分厚い壁となる。
鋭い弾丸と化した小石が、分厚い壁となって立ちはだかったその風と激突する。
ジリジリと火花が散り、二つの力が同時に、その壁を貫かんと奮闘していた。
鍵と来夏は、この攻撃に全ての力をかけている。
もし防がれてしまえば、この先、二人に勝機はほぼ無いに等しい。
鋭い視線で、二人は風と激突する力を見据える。
だが――――
シュウ、と弱々しい音を立て、小石は竜巻に飲まれて砕け散った。
風霧は、笑う。
猟奇的に、全てを飲み込まんとする様な表情で、笑う。
「ハハハハハァ! どうダ! これが格の差ダ! 所詮、貴様らの様な弱者が集まった所で、俺には勝てないんだヨ!」
風霧の声が、街中に響いた。
己の勝利を確信し、絶望に打ちひしがれているであろう二人をあざけるように。
だが……それはすぐに、絶句へと変わる事となった。
鍵と来夏は、上唇を吊り上げていた。
まるで釣糸に獲物がかかったかの様に。
「言ったはずだ」
鍵の声が、風霧の耳を打つ。
「俺は主人公には向いてないってな。俺達が攻撃すれば、お前が風で自らを包み込んで守るだろうって事は分かってた。それこそが……俺達の狙いだ」
「どういう……事ダ?」
目を細め、風霧は問う。
「まだ気付かない?」
次に彼の耳を打つのは、来夏の声だった。
彼を嘲り笑うような笑みを浮かべ、告げる。
「風をアナタの周りに発生させてアナタ自身を守る事で、アナタには一つ、隙が生まれる。あとはその隙から攻撃を加えれば良い」
「隙……だト?」
「〝上〟だよ」
鍵の声が、木霊する。
「『台風の目』って知ってるか? 台風は周囲へのダメージは大きいが、その中心は完全なる無風状態だ。つまり、その中心目掛け、上空から一撃をくわえればいい」
「……フンッ! 何を言い出すかと思えバ……」
風に自らを守らせたまま、風霧は鼻で笑った。
「上から攻撃を加えるだト? この風は10m以上もあル……上からの攻撃を加える事が出来る者など……」
「いるんだよ、一人」
さえぎる様に、来夏は言う。
「アナタを倒すため、上まで飛び跳ねて攻撃出来る様な、とんでも無い脚力を持った人が一人、ね」
その時、風霧は目を見開く。彼にも、心当たりがあったのだ。
自分が知る中で一人、とんでもない脚力を操る少女がいた事を――――。
「そいつこそが……この戦いの主人公になれる奴だよ」
直後、ゴン!! という鈍い音が、風の中から響いた。
かと思えば、あれほどまでに吹き荒れていた風が、見る見る内に消えていく。
その中心にいるのは、その操り手である風霧―――では無かった。
風霧に唯一、止めを刺す攻撃を繰り出す事の出来た少女『御包李兎』が、そこにはいた。
その足元に、風霧は仰向けに倒れている。
立ち上がる気配は無い。気を失って倒れているだけだろうが。
来夏はニッコリと笑い、鍵は微笑みを浮かべ、李兎を見据えた。
路地裏で戦いを傍観していた癒も、鍵の元へと歩み寄る。
咄嗟に鍵を治療しようと手を添えたが、鍵はそれを遮った。
これ以上痛みを受けては、彼女の精神が持たない、という判断からの行動だ。
癒は渋々といった様子で手を下ろし、李兎を見つめる。
鍵もまた、こちらを優しく見つめる李兎を見つめた。
「……終わったのか?」
鍵の問いに、李兎は満面の笑みを浮かべ、告げた。
「うん……終わったよ」
東より顔を出し始めた太陽が、ビルの隙間から四人を照らした。