STAGE 1-4 =9月30日・決戦(前)=
~9月30日 AM 11:45「都内某所」~
「……お前、大丈夫なのか?」
「はい?」
突然の問いかけに、須藤は訝しげに目を細める。
「昨日からずっとそこに立ってるじゃねぇか。疲れないか?」
おそらく親切からそう言ったのだろうが、剣斗が言うとどうも怪しく感じてしまい、何か裏があるのではないかと考えてしまう。
須藤は剣斗をしばし見つめ、やがて視線をモニターへと逃がした。
「……別に」
「人が親切で言ってやってんのにつれねぇなぁ……」
「アナタが人に親切でものを言うなんて珍しいですね、気持ち悪いです」
「お前さぁ、そんなんじゃ一生結婚できねぇぞ?」
「したくもありません」
剣斗はやれやれ、といった様にため息を吐く。再びモニターを見据える。
「にしても……天突はとんだお人好しだな……『あの人』にそっくりで」
天突。
その単語に、須藤は眉をひそめた。
剣斗は背もたれに体を預け、再び柿の種を口に放り込み、ボリボリ……と噛み砕く。
「アイツには、素質があるのかも知れねぇな……『支配者』の素質が」
どこか物悲しそうにモニターを見据えて呟く剣斗に、須藤は顔色一つ変えず告げた。
「今日のアナタは、やはり気持ち悪いですよ」
■
~9月30日 PM 12:00「ギミック・タウン第五区」~
「どこだ……どこにいるっ!」
鍵の声が、昼時のギミック・タウンに空しく響いた。息は上がり、傷の痛みは鍵の身体に鋭く突き刺さる。スクランブル交差点のど真ん中で、鍵は膝に手を付き、透明な液体を体中から放出しながら立ち止まった。
「早く……早く、見つけねぇと……」
言い聞かせる様に鍵は呟く。だが、痛みと疲れに悲鳴を上げる身体は、思うように動いてはくれなかった。
「ちくしょう……傷なんてどうでもいいが……痛みがきつい……」
右わき腹から体中を駆けまわる激痛に、鍵の意識は朦朧としていた。鍵はおもむろに膝から手を離し、太陽の下を再び駆けようと足を踏み出す。だが、それさえも許さないと言う様に、痛みは鍵の意識を侵食していく。それでもなお、自身の意識に鞭をいれたその時。
「あの……」
か細い声が、朦朧とした鍵の意識の中に響く。
鍵は足を止め、声の聞こえてきた方向へ、ゆっくりと首を回した。もしそれが自分を狙ってきたギミッカーだったとしたなら、おそらく自分の人生はここで終わりだろう。その覚悟も出来ていた。
だが、天は彼を見捨ててはいなかった。
「大丈夫……?」
そこには、緩くカールが掛かった黒髪と赤い瞳を持ち、OL風の服を着た黒縁眼鏡の女性が立っていた。顔立ち自体は悪くないが、目の下には隈と思わしき黒い線が出来ており、「大人しい」というより「暗い」雰囲気をかもし出している。年はおそらく、鍵より上。大体二十代前後だろう。
「アン……タは?」
必死に声を搾り出し、鍵は問う。
「私……鈴原癒……アナタ……酷い怪我……」
必要な単語だけを並べていく癒となのる女性は、鍵の右わき腹を指差し、呟く様に言う。
白いカッターシャツはその部位だけが鮮血に染め上げられ、ポタ……ポタ……と地面に赤い水滴を作っていく。
癒は鍵のすぐ隣まで歩み寄り、彼の右わき腹に両手をかざした。
「今……私……治療する……」
直後、彼女の掌がエメラルド色に発光する。
そして次の瞬間、鍵の目は大きく見開かれた。
あれほど自分を苦しめていた激痛が、みるみる内に引いていく。
それだけではない。右わき腹の傷が、彼女の光に触れた瞬間、ゆっくりと塞がれていった。
もう鍵の身体は痛みは無く、身体の疲れも楽になっている。
「驚いたな……アンタは《人を治療するギミック》なのか?」
だが、
「っ、おい! 大丈夫か!?」
癒は突然顔を歪め、腹を抑えてうずくまった。
その抑えている部位を見て、鍵はハッとした様に目を見開いた。
「アンタまさか……」
「大……丈夫……」
癒は荒く息をしながら、よろよろと立ち上がる。
鍵は咄嗟に手を伸ばし、彼女の身体を支えた。
「私……《治癒蘇生のギミック》……人の痛み……私に移す……」
「やっぱりそうか……大丈夫なのか?」
「平気……痛み……すぐ引く……もう……引いた……」
癒は額の汗を拭い、再び鍵と視線を交わした。
鍵はその様子を見て、安堵の笑みを浮かべる。
「ありがとう、アンタのおかげで助かった」
「お礼……いい……私……勝手にした……それだけ」
照れくさかったのか、癒は頬を赤らめ、視線を鍵からずらした。
鍵は、反応がかわいいなぁ、などと考えたが、すぐに目を見開く。
「そうだ! なぁ、アンタに聞きたい事があるんだけど」
「……何?」
「あのさ、この辺で、オレンジ色の髪と蒼い瞳を持った、黒いコートを羽織った高校生くらいの女の子を見なかったか?」
癒は、考え込む様に地面を見据えた。李兎と別れてから、ずいぶんと時間が経っている。事は一刻を争うのだ。ここで手掛かりを見つけられなければ、もう李兎を探し当てる事は不可能に近い。
しばし静寂が空間を支配した後、癒は一言、呟いた。
「……知らない」
鍵は思わず、肩を落とした。
「そっか……ありがとな」
「でも……」
鍵は少し目を見開き、再び癒に向き直る。
「『あの子』なら……知ってるかもしれない」
「あの子?」
コクリ、と癒は首を縦に振る。
「私……一緒にいる……女の子……」
「どこにいるんだ?」
「……付いて来て」
癒は踵を返し、交差点の反対側を目指して歩いていく。
鍵は彼女の後ろ姿を見つめ、やがてゆっくりと、彼女の後を付いていった。
スクランブル交差点の角に立つビルの一室に、鍵は癒に連れられ、やって来た。
ガランとした店内を覗く窓ガラスには「テナント募集」の文字がある。
「今……戻った……」
扉を開き、癒は告げる。
すると奥から、それに答える声が響いた。
「早かったね~、さっき言ってた『男の人』は無事助かったの?」
「大丈夫……問題ない……」
癒と『声』との会話を聞き、鍵は首をかしげた。
(この声……どっかで聞いた事あるような?)
そんな鍵の疑問は、すぐに解かれる事になる。
奥から出てきた少女は、鍵の記憶に強く焼きついた人物だった。
「っ、お前……!」
思わず叫び、鍵は目をこれ以上ないほどに見開く。
少女は不思議そうに首を傾げながら鍵に視線を向け、やがて輝かんばかりに無邪気な笑顔を向けた。
「あっ! 昨日の『能力模写のお兄さん』だぁ~!」
厚底ブーツを履いた銀髪藍眼の少女「如月来夏」は、さも嬉しそうに叫んだ。
「しかし驚いたな……まさかこんなにすぐにお前と再会するとは」
「ボクは嬉しいけどねぇ~お兄さんとまた逢えて♪」
ギミック・ゲームに参加する限り、再び合間見えるであろう事は想定していた。だがまさか、こんなにすぐ、しかもこんな形で再会するとは思っていなかった様だ。鍵は、世の中は本当に分からないなぁ、などと考える。
そして何より驚いたのは、あれほど自分を殺す事に固執していた来夏が、今は子猫の様に鍵に抱きついて来ている事だ。
「だってボク、お兄さんの事好きになっちゃったんだもん!」
「す、好きっってお前……」
一体自分の何処を好きになっただろう。
鍵には理解不能だった。
(つくづく女ってわかんねぇなぁ……)
「って、そうじゃない!」
鍵は、自身の右腕に巻きつく様にしている来夏へと視線を向ける。
「なぁ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんはいや! 来夏だよ、如月来夏」
来夏は、わざとらしく頬を膨らませる。
調子狂うなぁ、などと感じつつ、鍵は話を進めた。
「じゃあ、来夏。お前、オレンジ色の髪と蒼い瞳を持った、黒いコートを着た女の子を見なかったか?」
「う~ん……」
来夏は少し俯き、必死に記憶を辿っていく。
だがやがて、困った様に目を伏せ、首を横に振った。
「分かんない、見た事ない」
「そう、か……」
最後の希望が潰えてしまい、鍵は落胆の色を隠せなかった。
来夏は彼の顔を覗き込む。
「でも、その人がどうしたの?」
「死ぬ気なんだよ」
来夏と、その向かいに立っていた癒の目が見開かれる。
「この地区の制圧者って奴と戦おうとしてんだ。酷い怪我で、勝ち目薄いのも分かってんのに……」
「制圧者……」
「それでお兄さん、その人を助けたいの?」
まっすぐにこちらを見つめる来夏と視線を交え、鍵は強く首肯する。
「あぁ……一度関わっちまったからな。それに、人が死ぬとこなんざ、俺は見たくない」
「そっか……じゃあ、ボクも協力するよ」
「え?」
鍵は間の抜けた声を上げ、ニコニコと笑いながらこちらを見つめる来夏を見た。
「言ったでしょ? ボク、お兄さんの事好きになっちゃったって。好きな人が救いたい人がいるんなら、それはもうボクの救いたい人でもあるんだよ!」
「私も……手伝う……」
「癒さん……」
鍵は、視線を癒へと向ける。
「その人……怪我してる……私……癒せる……」
無論、それが癒自身に返ってくるという事も分かっている。
それでも彼女は、鍵が救おうとしている者を救いたいと願ったのだ。
「誰かのために何かをしたい」
それが、癒の行動の原動力だったから。
鍵は二人の顔を交互に見やり、微笑んだ。
「ありがとう……来夏、癒さん」
二人は笑い、頷く。
「それにさ。ボク、制圧者についてなら、一つ良い事知ってるよ?」
「え?」
鍵は目を見開き、来夏に視線を向ける。
来夏は鍵から身体を離し、真剣な表情で彼を見た。
「この第五区の制圧者は……風霧清。《風力支配者》って呼ばれてるギミッカーだよ」
「風霧清……そいつに、御包は挑もうとしてるのか?」
「多分ね。でも、その人大怪我してるんでしょう? 風力支配者は恐ろしく強い上に、冷酷無比で有名だから……多分その人……」
ゾクッと、鍵の背筋に悪寒が走る。
早く見つけないと。
焦燥が、鍵の意識を支配しかけた。
「落ち着いて、お兄さん。大丈夫、その御包って人は、まだ風力支配者と戦ってない筈だから」
「……どういう事だ?」
「聞いた事ある……」
口を挟んだのは、癒だった。
「風力支配者……ある時間帯……ある場所にしか……現れない……」
「え?」
「理由は分からないけどね、あの人はある時間の、ある場所にしか現れないの」
鍵は、ゴクリと生唾を飲む。
「それで……その場所と時間帯は?」
■
~9月30日 PM 1:00「都内某所」~
「生きていたのですか……如月来夏は」
カタカタ、とキィを打つ音が響く一室で、須藤は呟いた。
剣斗はモニターを見つめ、キィを打ちながら一度デリートした来夏のデータを再発行していく。
「いいや、アイツは確かにあの時、一度死んでいる」
「……どういう事です?」
カチリ、とエンターキィが押され、再び来夏のデータが現れた。
剣斗は作業を終え、須藤へと視線を向ける。
「助けたんだよ……鈴原癒が。それがアイツの力だからな」
剣斗は目を細める須藤から視線を外し、再びモニターに目を向ける。
そこに映る鍵、来夏、そして癒を見つめ、見る者に不気味な印象を与える笑みを浮かべた。
「それにしても……天突は本当に、見れば見るほど『あの人』にそっくりだな」
須藤もまた、モニターに映る三人を見つめた。
■
~9月30日 PM 6:00「ギミック・タウン第五区」~
太陽が空に隠れ、再び空を黒が支配しようとするギミック・タウンに、風力支配者『風霧清』は再び現れた。
年不相応の白髪と相反する漆黒の瞳を持つ彼は、決して筋肉質ではなく、むしろ華奢な体つきをしているが、見る者全てに恐怖を与える様な、野獣の様な雰囲気を纏っていた。
退屈そうに遠くの空を見据える風霧は、不意に感じた人の気配に目を細める。
風霧はおもむろに気配を感じる方向へと視線を向けた。
そこに立っていたのは、
「おまエ……」
昨日、完膚なきまでに叩きのめした少女「御包李兎」だった。
今の今まで休んでいたため、体の痛みは若干治まり、疲れも取れている。
「馬鹿な女ダ……わざわざ殺される為に来たのカ?」
「そうね……自分でも馬鹿だと思うわ」
どこか悲しそうに微笑み、李兎は言い放つ。
「でもお生憎様……私は親友を殺されて黙ってられるほど甘くないの」
李兎は風霧を睨み付け、叫ぶ。
直後、風霧は笑みを浮かべた。それは快楽殺人者のそれの様な、狂人的なものだった。
「安心しロ……すぐに、お友達の所へお前を連れてってやル……」
直後だった。
ビュオ!! と凄まじい音を立て、李兎の身体は吹き飛んだ。これも、風霧の風力支配によるものだ。彼女の頬や腕に傷が付く。
だが、李兎は冷静だった。この攻撃は、昨日も受けている。いわば。彼の常套手段だ。この攻撃を受ける事は、想定の範囲内だった。
直後、李兎の足が青白く発光する。そして、吹き飛んだ先にあったビルに足を付く。
「っ!」
風霧の目が若干見開かれる。
先ほど数メートル吹き飛ばした筈の李兎が、目の前まで迫っていたのだ。
これが、彼女のギミック『脚力上昇』である。
読んで字の如く、脚力を数十倍に上昇させる力だ。一見すれば地味な力だが、一回の蹴りが、生身の人間にとって一撃必殺の破壊力を誇る。
「はぁあああ!!」
掛け声と共に、李兎の右足による鋭い蹴りが風霧を襲う。
風霧は風に身体を乗せ、紙一重でそれをかわした。
だが、李兎の攻撃は止まない。
すぐさま右足を地につけ、左足を振り上げる。
風霧は再び風に身体を乗せ、それをかわす。
直後、
「残念、それは見せ掛けよ!」
ニヤリと笑って、李兎は振り上げた左足で地面を蹴り、そのまま右足を風霧に向けた。
風に身体を預けた風霧は、着地の瞬間、無防備になってしまう。
李兎はそこを狙ったのだ。
一撃でも入れば、殺せなくとも倒す事は出来る。
だが――――
李兎の右足は、風霧によって呼び出された風のカーテンに防がれた。
李兎は目を見開く。
直後、風霧の右腕に大気が集中し、『風の鎧』を形成していく。
そしてそれは、風のカーテンに足を挟まれ身動きが取れない李兎の腹部を鋭く付いた。
李兎の身体は数メートル吹き飛び、地面に身体を叩きつけられる。
「カハッ―――!」
空気が体から押し出され、衝撃に身体を曲げる。
そんな李兎に、風霧はゆっくりと近付いていく。
「残念だったナ……着地の瞬間を狙うのは良い作戦だったガ……」
風霧は狂った様に笑い、右腕を振り上げた。
そしてまた、そこに『風の鎧』をくみ上げていく。
「全ての風ハ……俺の支配下にあル」
今の李兎にかわす手段も、防ぐ手段も―――ない。
(あーあ……ダメ……だった……か……)
李兎は自虐的な笑みを浮かべる。
腹部の痛みも、朦朧とする意識も、もうどうでも良くなっていた。
(ゴメン、ね……私……ダメだった……)
彼女の脳裏に浮かぶのは、自分の目の前で殺された親友の顔。
そして―――――今日の朝に出会った、少年の顔。
(ゴメン、ね……天突……君……)
李兎の瞳から、一筋の涙が流れた。
運命に身を委ね、ゆっくりと目を閉じる。
直後、
凄まじい突風による爆音が――――虚空を切り裂いた。
周囲のビルの窓ガラスが、音を立てて砕けていくのが分かる。
地面を覆うコンクリートも、まるでおもちゃの様に剥がされて行った。
余波だけでこれだ。直接喰らって、生きていられる筈は無い。
だが――――李兎は生きていた。意識がある。痛みを感じる。生きているという、何よりの証だ。
李兎は、ゆっくりと瞳を開ける。
そして目の前の光景に、涙で濡れた目を大きく見開いた。
風霧の風の鎧は、止められていたのだ。
「雷の鎧」を纏った、能力模写の少年によって
「誰ダ? おまエ……」
目を細め、忌々しげに問う風霧を、少年は睨み付けた。
「天突鍵。李兎を……死なせない為に来た」