第九陣
二人は睨み合い、殺気を放つ。まるでこの二人だけが別世界にいるように、この場はとても静寂だった。逃げる会津藩の兵士の悲鳴や、とどろく砲撃の音。全てが、この二人には聞こえていなかった。
夕日はすでに沈みかけ、夕闇がすでに視界の半分を支配している。
「……伴、それから永倉よぉ」
不意に、土方が口を開いた。
「ここはいいから、流鏑馬兵の相手してこい」
その提案に、伴は大きく目を開けた。
「何言ってやがる!」
「いいから行け。これは命令だ」
低い声で言われて、思わず伴は「はい」と答えてしまいそうになった。
でも、このまま的場と真剣勝負をしようものなら、決して無傷では帰ってこない。
もしかしたら、ここで死ぬかもしれない。こんな時に放っておけるわけがないだろうが。馬鹿なのかこいつは!
「永倉ぁ、お前なら俺の言いてぇことわかんだろ。早くそいつと一緒に行け」
すると、永倉は一瞬だけ眉を寄せて、それから伴の腕を掴んで走りだした。
その力はいつも以上に強く、振り返る暇もなかった。
なんでだよ。わかんねぇよ、お前の気持ちがっ!
「永倉! 放せ!」
叫ぶと、永倉は睨んできた。いつもは決して見せない、本気で怒った時の目だ。
身に覚えの無い私は、ただ睨まれるだけ。
「あいつが死んでもいいのかよ!?」
「いいわけねぇだろうが! でも……あいつは、あいつの気持ちは俺にはよくわかる。お前は、あいつのこと俺以上にわかるんじゃねぇのか」
その言葉に、なぜか心が痛んだ。
土方は確かに関わりがあった。それなりに、あった。
でもそれは決して本心からの言葉には聞こえない。全部、酔った時にされたことだから。
戦場ではそんなこと関係ない。
「あいつは、お前を守りたいんだよ」
「なっ……!」
あいつは、私が一番嫌いなことをしやがった。
男だから、女を守る。そういうことを、私は最も嫌っている。
戦場に立つのは男だけで充分だとか、女は役立たずだとか、そういうことを言われるのはもっと許せない。
「私を……結局女扱いしてるってことかよっ…!!」
苛立たしい気持ちを隠せず、目の前に現れた敵兵をバッサリと斬り捨てる。
「この伴 舞加を、あいつぁただの女扱いしたってのかよ!」
そう叫び、伴は流鏑馬の兵士の群の中へ飛び込んだ。
少し遅れて永倉が飛び込み、刀を振るう。
「ふざけんな!!」
目をカッと開き、流鏑馬を名乗る兵士たちを斬っていく。
「私がっ、この俺がこんなところで死ぬと思ってんのか!?」
怒鳴り散らしながら、永倉の背を守りながら。
でも、敵が減ることは無かった。
なんせ相手は二千と七百の差だ。そう簡単に埋められるはずがない。
しかも会津藩は逃げ帰ってしまった。見捨てられた私たちは一体何を目的に戦うんだよ。
ふと、大鳥の姿が頭に浮かんだ。
そう思い返せば、戦場で一度も大鳥を見ていない気がする。本陣で待機しているのか、それとも。
最悪の状況が思い浮かび、歯を食いしばる。
「おい、永倉、大鳥を守ってんのはどこの藩だよ」
その問いに永倉がハッとした表情になる。伝習隊の生き残りが守っているとしたら、今そこへこの流鏑馬の兵士が向かっているのか。
流鏑馬は無駄に戦闘力が高い。それは的場や天草を見ていればわかる。
だが、ここにいるのはただの足軽。流鏑馬なんかに敵うはずが無い。
「———! 本陣に行くぞ! 大鳥さんは死なせちゃならねぇ!」
「おぉ!」
目の前にいる流鏑馬の喉元を裂き、返り血を浴びながら本陣へ走った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本陣の前に来ると、すでに流鏑馬兵が陣の周りを囲んでいた。
中からは刀が交わる音と誰かの怒号が聞こえる。それだけではない、悲鳴も聞こえてきた。
これはまずい。
「大と———」
中へ入ろうとした瞬間だった。
「お待ちください!」
この戦場に相応しくない、丁寧な言葉。そして、有無を言わさぬその存在感と威圧感。そして膨れ上がる殺気に、伴は思い当たる人物が一人だけいた。
「天草か……的場と一緒にいないと思ったら、こんなところにいやがって!」
「今回だけは、我々の願いを聞いて戴きたく」
口調は穏やかだが、向けられる視線は決して穏やかなものではない。その視線だけで足軽は逃げ帰りそうなものだ。
だが伴も負けていない。相手をまっすぐに見て、決して目をそらさない。
そして、刀もしっかりと天草の喉元を狙っている。
「舞加様、我々とご同行願います」
以前にも一度言われたことがある気がする。
だが、流鏑馬についていくなんてまっぴらご免だ。
「断る」
その返答に、まるで子供を叱りつける親のような目線を送る。
「困りましたね……あなたを傷つけるなと的場様にきつく言われていますので、戦うわけにもいきませんし」
「それはお困りでしょうねぇ。でも私は、あんたらについていく気は無いんでね」
はぁ、とため息をつく天草。
だがその後ろの本陣では、伝習隊と思われる隊士たちが奮闘している声が聞こえてくる。
今すぐにでも加勢してやりたい。だが、天草はそれを許さないだろう。
「天草、そこを退け。私らは本陣に用があんだよ」
「お断りいたします」
そっちも即答かよ。
つまり、天草を倒してから行けと、そう訴えているのか。
「じゃぁ、力ずくでも退いてもらわねぇとな」
「それでは、自分は力ずくでも連れていくとしましょう」
天草は拳をひくく構え、伴は刀をかまえた。
素手で戦う天草よりは、刀で戦う伴のほうが有利だ。だが、相手は人知を越えた存在と言ってもいい。
それに体格差もある。
伴の顔に、今日始めて冷や汗が流れた。
「相手は一人じゃないぜ」
後ろから、永倉が刀をかまえて現れた。
「……まぁ、これくらいでないと平等になりませんからね」
その一言に、永倉が眉を寄せた。
きっと自分も同じような顔をしているんだろうと、伴も苦笑い。
「天草、私はあんたを殺したいほど憎いってわけじゃねぇよ。ただ、なんでお前が的場みたいな奴に従うかがわからねぇ。でもって、それがなんだか気に食わねぇのさ」
「……的場様には、幼少の頃より仕えているので」
返答にやや時間がかかった。まさかこんな質問をされるとは思っていなかったんだろう。
天草からは悪意を感じない。
ただ従順に的場の言うことを遂行する。的場にとっては、都合のいい人形のような扱いをされているのだろう。だが、そんな奴になぜ天草のような奴が従う必要がある。
目には自分の意志を感じない。
輝きの無い、それでも死んでいない目。
「あんたは、流鏑馬なんだろ。私も、流鏑馬なのか?」
これを聞くのが少し怖かった。
もしこれでそうだと答えられたら、なんて反応すればいいだろう。
「そうです。あなたは、流鏑馬の中でも特に強かった満という女の娘。我ら流鏑馬の中であなたは死んだことになっていましたが、実は生きているという証拠を見つけたので。あなたがそうなんですよ。そしてあなたは、的場様の妻となり子を成す」
一瞬、虚を突かれた。
つ、妻!? 子供を作る!?
「満の血を引くあなたと流鏑馬族の若頭たる的場様が子を生せば、我らの一族は血が絶えることはありません。これは、一族全員の願いでもあるのです。」
なんだか話しが大きくなっている気がする。
それに、なにを勝手に話しを進めているんだ。
まず私があんな奴の妻になるはずがない。子を作るなんてもってのほかだ。
後ろをちらりと見ると、予想通りに永倉は口を開けて突っ立っていた。
「……その話しを聞いたら、余計に行きたくねぇなぁ」
「ですが、これも的場様の命令なので。一緒に来てもらいましょう。流鏑馬族に女は1、2人しか存在しないので」
なるほど。
私の母が死に、このままでは一族が絶えてしまう。
だから必死に嫁を捜しているわけか。
聞けば聞くほど、馬鹿らしい。
「あんたらの勝手な都合で、嫁にされるつもりはさらさらねぇよ。的場にもそう伝えておきな」
「できませんね、自分が殺されてしまうので」
緊張感が漂った。
乱獅子隊の幹部2人を相手に、無傷で帰すつもりはない。例え相手が私を傷つけないと言ってるとしても、私はその壁を乗り越えて助けたい人がいるんだ。
話しをするより、きっとこっちのほうが手っ取り早い。
「天草、手加減しないぜ」
「……無論、それはわかっています」
直後、お互いが地面を蹴った。
だがその時、永倉は信じられないものを見ることになる。
「なんだ……その動き?」
永倉も唖然とする光景だった。
天草の神速と思われる手刀を、伴が避けている。いや、避けている動きが速すぎて逆にゆっくりに見えてしまう。残像が残り、その残像が斬られるという何とも不思議な光景だった。
その早さについていけるわけも無く、永倉はただその様子を見ていた。
「やはりあなたは、満の娘のようです」
手刀を避けられた天草が、面倒くさそうにため息をつく。
一方の伴はすでに人間離れした動きで天草の懐へ入りこむ。
だがさすがは天草と言った所か。すぐに距離を取り後退する。
間を詰める伴。天草は刀の突きを避けながらも、まだその表情に焦りは見えなかった。
「これでは終わりませんね……」
そうつぶやき、ちらりと天草が本陣を見た瞬間だった。
「どこ見てんだよ」
伴の体が揺れた。そのようにしか見えなかった。
「——がっ!!」
だが天草は攻撃をくらったようだ。額を抑えて苦しそうな表情を見せる。
天草の額から血が流れていることに気づいた。
まさか、あの体勢から、あの短時間で頭突きしたのか?
「……私は、石頭なんだよ」
ニヤリと笑い、伴は天草の横を通り過ぎた。
「待てよ!」
その後を追い、永倉と伴は本陣にはいった。
なぜか、体中が熱い。
天草と戦っているとき、あの手刀は絶対に避けられないと思った。
でも、なぜかあれが遅く見えたのだ。まるで、一瞬一瞬が止まって見えた。
だから避けることができたのかもしれない。でもその代わり、自分が人間離れしている事実を突きつけられたようで悲しかった。
最後に頭突きをしたが、あれもまったく自分は痛みを感じなかった。
だが違和感がある。戦っている時、まったくもって私は何も意識していなかった。
ただ、無意識に戦っていただけなのだ。自分の中にいるもう一人が出てきて、変わりにすべてをやってくれたようにも思える。これは、やはりおかしいことなのかもしれない。
一流の流鏑馬相手に、ここまでできるなんて自分で言うのもなんだが凄すぎる。
人間ができることじゃない。
「……っ」
不意に悔しくなり、拳をぐっと握った。
あれから永倉は黙ったままで、何も言わない。
やはり気にしているのだろうか、目も合わせてくれなかった。
「永倉、大鳥さんを捜そう」
「あ、あぁ」
曖昧な返答に、私は傷ついた気がした。もしかしたら、永倉は私のことを流鏑馬としか見ていないのかもしれない。もう、伴としては見てくれないのかもしれない。
不意にそんな不安にかられ、伴の足が止まった。
「……どうした?」
永倉の問いに、目線を下げたまま答える。
「お前は、私が流鏑馬と同じ一族かもしれないと思ってんのか?」
「……ん、まぁな」
はっきりと答えてくれた。
だからこそ私も少し嬉しかったのかもしれない。このまま気持ちを誤魔化すような返事をされたら、よけいに気まずくなってしまいそうだったから。
「こんの馬鹿永倉!! 私が化けもんだろうが何だろうが、まずは大鳥さんを捜すのに専念しやがれ! 余計なこと考えてんじゃねぇっつの!」
「て、てめぇ人の気遣いもおかまいなしかよ!」
「余計なお世話だ」
そう言って永倉の頭をぽーんと叩く。
叩かれた永倉は素っ頓狂な表情をして伴を見返し、それから「何やってたんだろうなぁ」と呟いて、いつもの調子に戻った。
いや、いつも以上に明るく笑ってくれた。
「けっ、調子のいい奴だ。さっさと大鳥さん見つけんだろ? 目ぇかっ開いて捜せ。俺は敵を引きつけておくからよ」
「本陣に誰も入れるなよぉ、永倉!」
「任せろ!」
刀をかまえ、敵が多く集まっている渦へ自ら飛び込んでいく。中には「乱獅子隊だ! 鉄砲隊を呼べ!」と叫びだす奴もいたが、そんなのここには辿り着けないだろう。
まず、本陣には入れまい。なんせ、あの永倉が守っているのだ。
「余所見してんじゃねぇ!」
本陣の中で、敵兵の中心人物らしき男を斬った。
血が吹き出し、刀を通じどろりとした血の感覚が腕に伝わってくる気がした。
「大鳥さんはどこだ! まさか死んじまってるわけじゃねぇだろうな!」
遠くに伝習隊の姿を見つけ、叫ぶ。
声が届いているかはわからなかった。
「———援軍助かった! 安心しろ、大鳥の旦那は傷一つねぇよ!」
誰かが答えてくれた。とりあえずそれに安心した。
だが、目の前にいる敵が消えたわけじゃない。この大人数を、さっさと片付けなければ。
「シェラァア!」
ふと、聞いたことの無い雄叫びが聞こえてきた。
どうやら敵兵のようだ。
「貴様、名を名乗れ!」
思わず表情が固まった。
「おまっ、なんでここに!?」
男は鎧を纏い、刀を片手に2本もっていた。両方の刀の数を合わせれば4本。それに加えて予備の刀があと2本もある。こいつは、いったいどうやって本陣の中へ入って来たんだ。
まさか、永倉がやられたのか!?
いやな想像が頭に浮かび、それを振り払うように怒鳴りあげる。
「名は伴! 乱獅子隊だ!」
乱獅子隊? 男は口の中でつぶやき、しっかりと射るような目で伴を睨みつける。
「貴様は女であろう!? 戦場に女の出る幕など無い! さっさと出て行け!」
「そう言われて出ていく奴がいるか馬鹿! 大体なぁ、”俺”を女扱いすんじゃねぇえ!!」
殺気に満ちた瞳で、男と向き合った。
互いに放つ殺気が、周りの兵士たちを圧倒している。
「我が名は川村純義。大鳥圭介の首を戴きに参上仕った!」
つまりは敵だ。なら、ここで倒さなければ。
「本陣にどうやって入りやがった!」
不適な笑みを浮かべながら、川村純義に尋ねた。もしかしたら、永倉が殺されたかもしれない、という不安が消えないせいだ。
「我々は右翼隊だ。正面突破は本隊の仕事!」
だとしたら、こいつは血も涙も無い奴なのかもしれない。
奴が放つ雰囲気には、そんなものが混じっていた。戦場で人を斬るためだけに送り込まれた、文字通りの兵隊。
「薩摩には流鏑馬隊もついている。そもそも、ここもしばらくすれば落ちるぞ」
流鏑馬が薩摩の後ろ盾をしている? そんなことがありえるのか。
あの的場がどうして薩摩と組む必要がある。
「的場と組んでやがんのか!」
「貴様……浪士の分際で的場様を呼び捨てにするとは、身分をわきまえろ!」
「うるせぇ! こちとらその的場様に求婚されてんだよ!」
どうしてそんなことを口走ったのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、その言葉に油断した川村へ攻撃へ転じる隙が生まれたことはありがたい。
「き、貴様もしや流鏑馬族か!?」
認めたくなかった。
だが、相手はそうと決めつけて何かぶつぶつと呟いている。
「私は乱獅子隊の幹部、伴だ!」
それだけ叫び、あとは奴の懐へと飛び込む。
刀を振るおうとしたその瞬間———
「——ぅ、うぅおおぉ!!!」
遠くから悲鳴とうめき声が聞こえた。
その声に微かな聞き覚えがある気がして、川村を蹴り飛ばした。
「———!! 大鳥さん!」
伴も悲鳴に近い声をだしていた。
なぜ、彼がこんな嗚咽をあげている。伝習隊は一体なにをしているんだ!
「退け!」
転がっている川村を無視して、急いで大鳥さんのもとへ向かう。
何かあったのか。
もしかしたら、やられたのか!?
「伝習隊っ! どうした!!」
「お、大鳥の旦那がっ、俺たちを庇って———」
それ以上は聞いていられなかった。
とにもかくにも、このままじゃ大鳥さんが危ない。助け出さないと。
思考がそう結びついた時には体が勝手に動いていた。
「退けやぁあ!!」
そう叫ぶ私が、血を吐きながら倒れる大鳥さんの元へ駆けつけるのはほぼ同時だった。