第二十二陣
桜が吹雪く最中、獅子駒の亡骸は見つけることもできずにいた。
「伴、おめぇはこれからもここにいろ。お前がそうしたいなら」
土方の言葉に伴もうなずき。妖刀、走馬燈を地面に突き刺す。そして、腰にさしてある愛刀をそっと取り出した。
無言のままそれを土方に差し出し、受け取るように促す。
「その刀は、もう折れちまって役にたたねぇ。だから、もしおめぇが前を向くことができなくなったり、苦しいときはそれで喝を入れろ。それは、私の魂でもある。お前の側にいさせてくれ」
真剣な瞳に、土方はうなずいてそれを受け取った。満はその様子を黙って見つめていた。
この戦乱の世。次の戦で死ぬかもしれないというのに、それでも土方の目は以前と変わらず輝いていた。
土方だけではない。永倉や江守や家長たちも、まだ諦めていないようだ。目は爛々と輝いている。まだ、希望を全て失ったわけじゃないんだ。そう思うと、なんだか力が沸いてきた気がする。
台場山に咲き誇る桜を振り返る。もうすでに花びらは散ってしまっている。でも、まだこれからだ。
そう元気づけられた気がして、走馬燈を担ぐ腕に力が込められた。
「生きてやるさ……例え、将軍様が死んだってよ……」
土方のそのつぶやきを聞き、伴も覚悟を決めた。
もう。後戻りはできない。
これから始まる戦は、錦の御旗を出し朝廷を味方につけた薩長の兵士たちの復讐でもあるのだ。敵も、本気で来るだろう。だからこそ、こちらも必死に足掻いてやる。いくら負け戦と言われようが、いくら無駄死にと言われようが。そんなこと言う奴は私が斬る。
ただ金と権力が目当てなんじゃない。己の志を貫くため、最後まで武士としているため。
そして、守りたいものを守るため。
獅子駒が亡くなった今、乱獅子隊はもがくしかないのだ。本当は泣きたい、声を張り上げて泣きたいけれど、それでも立ち向かうしかない。敵は、必ずこの蝦夷へ来る。
「来いよ、たたっ斬ってやるさ……侍なめんじゃねぇよ」
土方と会うその前にも、同じようなことを呟いた気がする。
あの時と比べれば、伴も成長したほうだろう。流鏑馬の頭を倒し、戦では一番槍をとり、いろんな経験をしてきた。そして、いろんな人と助け合って生きてきた。
今着ている乱獅子隊の羽織も、ずいぶんと愛着がある。できれば、失いたくないものだった。
羽織だけじゃない。乱獅子隊や新選組、そして仲間たちを失いたくなかった。
でも、現実は裏腹に獅子駒と兵藤は儚くもその命を散らした。彼らは、最後まで立派な武士だっただろう。
その最後を見届けることができなくて、とても後悔している。
だからこそ、私は戦い続ける。幸せな未来を、そしてこの世界を正すために。
――――明治二年 五月十一日
ついに、敵の進撃が始まった。
新選組隊士、島田魁らが守備している弁天台場が新政府軍に包囲され孤立したとの伝令が届き、土方は籠城戦を拒否し、乱獅子隊の隊士数名とその他の僅かな兵士を率いて出陣。
彼らが弁天台場に到着する寸前、新政府軍艦”朝陽”が旧幕府軍の軍艦によって撃沈。これを見た土方は、よしとばかりに「機会を逃すな!」と雄叫びをあげた。そして、箱館の一本木関門を守備する。
「敵は七重浜から来てる! 迎え討てぇえ!!」
土方の罵声に、伴や永倉たちも奮闘した。ここを守りきれば、きっと敵にとっては痛手となる。
土方は馬上で指揮をとっている。伴はその側で彼を守るように立っていた。
「伴っ、俺のこたぁいい! 敵を斬れ!」
「なに馬鹿言ってやがるっ、馬に乗ってんだから敵に狙われるに決まってんだろうが!」
敵を斬り刻みながら、くるりくるりと舞う姿は、血に染まる舞妓のようだった。
年を経て、女らしくなった体格だが、似合わない大太刀を振るう伴。それが彼女らしいとも思えた。戦場で戦う姿は、まさに乱獅子。彼女は今、獅子駒を失った乱獅子隊にとって必要不可欠な存在となっていた。
「この私の首を取りたきゃあ、艦隊連れてくるんだなぁ!」
彼女が奮起したおかげもあってか、士気は上々している。これならいける。
誰もがそう思い、少しだけ気が緩んだ時だった。
「うっ!!」
「―――! 永倉ぁ!」
流れ弾に当たり、永倉がその場に倒れ込んだ。それに斬り掛かろうとする敵を、伴は一振りで追い払い、傷口から流れる血を拭う。
「永倉! 大丈夫っ、擦っただけだ!! 気を強く持てっ!」
「かっ……はっ…」
だが、永倉はまるで意識を手放すかのように虚ろな目をしている。
「永倉っ!」
いつの間にか視界が涙で覆われていることに気づいた。自分のそれを拭い、永倉の頬を撫でる。
「おいっ……永倉!!」
ぴくりと、彼の眉が動く。腕をひらひらとあげて、どうやら「大丈夫だ」と主張しているようだ。
安堵のため息をもらし、伴は群がる敵を切裂いていく。
永倉もふらふらと立ち上がり、必死に刀を握っている。だが、銃を持つ相手に敵うはずがなかった。
「待てっ、永く―――」
―――パンパン!!
乾いた銃声が響き、永倉の体が今度こそ吹っ飛ぶ。
「てんめぇらぁあああ!!!」
永倉を撃った鉄砲隊を、伴と家長が同時に斬る。返り血が伴の髪の毛に付着した。
「伴! 永倉の様子を見ろ!」
「わーってる!!」
すぐにもう一度かけより、傷口から流れる血をもう一度拭う。しかし、今度は何度止血しても溢れるように血が流れ出る。止まらない、なんでだよっ。これくらいの傷っ、すぐにっ……!!
「土方! ここは退いたほうがいい!」
「くそっ、仕方ねぇ!!」
土方が撤退を決意したようだ。伴もすぐに永倉の腕を肩に回し、立ち上がる。
敵の銃弾の気配がすれば、するすると避けていく。これほど流鏑馬の能力に感謝する日はそう来ないだろう。
走馬燈を鞘にしまい、土方の元まで辿り着いた。
「土方、永倉を頼む。先に撤退してくれ!」
土方の馬に永倉を乗せて、追いかけてくる新政府軍に向き直った。
「てめぇ……何してやがるっ……!」
土方の脅迫のような問いにも答えず、伴は無言で走馬燈を抜いた。
自分がここで出来ることは、これしかない。
「行け、私は時間を稼ぐ」
そう返ってくるのが解っていたのか、土方は馬に乗ったまま伴を睨みつける。
だが伴は怯むことも無く、ただじっと目の前の敵を睨みつけていた。
「時間を稼ぐだけだぜ? すぐに追いつくっての。俺ぁ、ここで死んだりしねーよ」
ニヤリと笑い、土方の方を見る。すると、絶対零度の視線が返ってきた。
「……ふざけんな」
それだけ言って、土方はゆっくりと背を向けた。
「ぜってぇに帰ってこい。いいか。傷一つでもついてたら説教だからな」
「ひゃー、そりゃねーぜ」
永倉の容態も心配だ。そんなに時間をかけるつもりはない。
「行け!」
それと同時に、土方と永倉を乗せた馬を走らせた。
〜〜〜〜〜〜〜
どれくらい、経っただろう。土方の気配が消えて、私は完全に敵に囲まれていた。
敵の目はまるで狂った動物のように鋭くなっており、今にも襲いかかってきそうだった。
でも、まるで焦らすかのように一歩も動かない。まるで、何か大きな獣に怯えているように。
「……てめぇら、新政府軍が勝つと思ってんのか?」
ふと、尋ねてみた。
「……答えねぇ、よな」
返答は無く、ただ虚しい静寂がその場を包んだ。
緊張が高まっていくのが自分でもよくわかる。何度もこうやって命の駆引きをやってきたのだ。経験は無駄じゃないようだ。
さぁ、こんな時に獅子駒だったらどうする。一気に敵をなぎ払うか。それとも、一人ずついくか。
姿勢を低くし、刀を高くかまえた。これは、獅子駒の姿勢。いつも影から見ていた、彼が戦うときのかまえ。
「……てめぇらは運が悪ぃなぁ」
ぼそりとつぶやき、すぅっと息を大きく吸う。
「今の俺ぁ、とっても機嫌が悪いぜ……」
ぼそりとつぶやいた、その直後。
ブン!! と、走馬燈が空気を捌く。
「……」
無言で立ち尽くす伴の周りを取り囲んでいた兵士たちが、血を噴く。
「がぁっ……!!」
返り血を浴びて、それでも立ち続ける姿はまるで化け物だった。
走馬燈を鞘にしまい、伴はその場から去っていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
伴がまだ帰ってこない。やっぱり一人で置いてくるべきじゃなかったか。
でも、あそこに誰かを残してもきっと足手まといになるだけだろう。もちろん、この俺でも。
伴は人間を越えた存在だ。人の考えることを何でもかんでもひっくり返しやがる。
「土方、永倉の容態は安定してきたぞ」
遠慮がちに江守が話しかけてきた。
「そうか、よかった……お前も少し休め」
「悪いな」
江守はそう言うと、すぐに柱に寄りかかって眠った。しばらくは敵も来ないだろう。休むなら今だ。
「……伴は化け物になっちまったのか?」
「……元々ああいう奴だ。あいつの中身はちっとも変わってねぇ。それは、俺じゃなくてお前のほうがよくわかってるんじゃないのか、家長。ずっと一緒に暮らしてたんだろ」
家長がこそこそと聞いてきた。
なぜ、みんな伴のこととなると俺に尋ねてくる。自分たちのほうが伴と長く暮らしていたんじゃないのか。
「実はな、伴は、獅子駒さんと永倉以外とはあんまり喋らなかったんだ」
語りだした家長。
きっと伴の過去の話しだろう。俺は黙って聞くことにした。
「伴は両親に捨てられて、村の側を流れてる川で獅子駒さんに拾ってもらった。俺はその時一緒にいなかったからわかんねぇけど、獅子駒さんの話しじゃ、相当弱ってたらしい」
いったん切り、質問はあるか? というような目でこっちを見てきた。俺は首を横に振り、話しの続きを求めた。
「村に来て何日か過ぎて、俺と江守が伴に初めて話しかけた時にな、あいつまるで怯えてるみてーな目で俺たちを見てきたんだ。それから刀を取り出して、”来るな”って拒絶してきて。俺たち、あん時は事情も知らねーし、何ビビってんだろうって思ってた。でも、獅子駒さんと永倉だけには笑顔を見せて話してやがる。わけわかんねぇ奴だったんだよ」
ぽりぽりと首をかいて、家長は土方の横に座った。
「土方、あいつ背中にでっかい爪痕があんだ。聞いた話しじゃ、獅子駒さんが見つけた時にはもうあったって。それも踏まえて、あいつって俺たちとはまったく違う世界で生きてきたんだと思ってる。死とは隣り合わせで、いつも人との間に壁を作ってる。人の見てない所で孤独で寂しげな顔してる。だから俺、土方はすげーと思う」
「何がだ?」
「あいつ、お前といるときは活き活きしてんだよ。それに、お前を守りてぇ、一緒にいてぇっていう気持ちを隠してない。壁がないんだよ、おめぇと伴の間には」
家長の言葉に、俺は思わず眉を寄せた。
あいつは誰かを拒絶するような人には見えない。正しいか間違ってるか、誠か嘘か。
それを一番大事にしていると思っていた。
「俺は結局、なんの為に戦ってんだろうなぁ……」
はぁーとため息をつきながら、家長は寝っ転がった。頭の下で腕を組んで、まだ寒さの残る風に揺られている。
「俺も、正直よくわかんねぇよ。最初の頃は幕府のため、近藤さんの敵のためってぇ刀握ってたけど、今じゃよくわからなくなっちまった。将軍も逃げ腰で、こっちを裏切りやがる奴も出てくるし。くだらねーよな、こんな戦」
家長も空を見上げながら、つぶやく。
「将軍様……か」
「っていうか、俺たちは上から見たらただの捨て駒くれぇにしか思われてないんだろうな」
「もしかしたら、もう見捨てられてるのかもしれねぇな」
嫌な未来しか想像できない。
これから先、賊軍になって汚名を着せられた俺たちに、幸せな未来は訪れるのか?
「……おい。大丈夫かよ、伴」
家長の声で、後ろを振り返った。
そこには、どこか感情が欠けた笑顔を浮かべる伴の姿があった。