第二十一陣
本陣の中に人質となった獅子駒と譲羽の姿は無かった。それでも、どこかで生きていると願っていた。でも、それは猪鞘の発言によって希望から絶望へと一転し、伴の心に深い抉り傷をつけた。
「ぜってぇに……許さねぇっ……!! てめぇは獅子駒さんを斬る資格なんかねぇだろうが!」
「何を馬鹿なことを言っている。獅子駒自らが望んだことだぞ? 譲羽を斬るくらいなら俺を斬れと。哀れな男だ。譲羽は流鏑馬、心臓を貫かなければ死にやしないというのに……無駄死にを―――」
瞬間、伴の愛刀が悲鳴をあげながら猪鞘の髪を数本斬った。間一髪で伴の刀を避けた猪鞘は、相変わらずゆったりとした動きだが無駄が無い。刀を避けられた伴はすぐにもう一太刀と間合いをつめる。
「てめぇっ……くっ!」
渾身の力を込めて振り下ろされた刀が避けられ、猪鞘の刀が伴の肩を滑る。
「愚か者を愚か者と呼んで何が悪い。無駄死にしたことに変わりない奴を無駄死にしたと言って何が悪い!」
「獅子駒さんは無駄死になんかじゃねぇ! あの人は最後まで譲羽を守った立派な侍だ!」
くだらぬ、そう言って猪鞘は天草と目を合わした。すると、天草はひゅるりと身を翻し森の中へ消えていく。何か企んでいるのかもしれない。だが、追悼する暇と余力は無い。
よく見ると、この陣の周りには桜が咲いていた。それはとても儚く、そして生き物たちを哀れむように揺らめいていた。確かにそうかもしれない。今、私たちがやっていることはとてもくだらないことだ。自分たちが生きるために、邪魔をする奴らを斬り捨てる。どうして同じ場所で生きることができないのか、この桜のように、一つ一つでいるより何本も集まっているほうがずっと生き生きとするのではないか。
ふと、猪鞘が笑った。
「喜べ、今譲羽を呼んでやる」
「―――!」
「自分を助けるために仲間を失う惨めさ……譲羽も味わうといい」
喉で笑いながら伴を睨みつける猪鞘。だが伴も負けていない。もうぼろぼろになっている刀をしっかりとかまえ、すでに赤く染まった乱獅子隊の羽織を翻しながら猪鞘を威嚇する。
その目は、爛々と輝いていた。死んだ目じゃない。誰かを救うために、そのために刀を振るう侍の目。
いつかの日、獅子駒に教えてもらった侍の心得が頭をよぎる。侍は弱き者を守るために、そして己の誇りを汚さぬように、志を抱き最後は戦場で果てる。それが侍。伴は今までそれを第一に考えていたのかもしれない。
弱気を守り、己の誇りを守り、そして戦場で果てる。そうすれば、自分も一人前の侍として彼に認めてもらえるかもしれない。そう思い、今まで頑張ってきたんだ。
戦いを終え、次の戦が始まるまでは稽古を重ね、守ると決めた人と共に生き。道を共にすると誓った想い人に背を預け、その道を、正しいと思う道を進み続ける。例え、その先が消えたとしても。
「お前……その鈍ら刀で俺様を殺せると思っているのか? 俺様は的場とは桁違いだぞ」
「黙れ。お前なんて、この刀で充分だ」
戦い続けるうちに、自分が圧されていることに気づいた。さすがは流鏑馬を率いる若頭。
内心、彼を褒めてみるがやっぱり自分が気味悪くなった。天草も他の流鏑馬兵も、唖然として二人を見ている。それとも、手を出すなと言われているのかもわからないが。
「―――伴!」
ふと、彼らの戦闘を中断させる程の大声が響いた。
「譲羽……っ! てんめぇええ!!」
しつこく心臓を狙ってくる突きをなぎ払い、一度猪鞘と距離をとった。
「伴! なんでこんなところに来たの!!」
譲羽の目が、本気で怒っていた。
だが、それよりも譲羽の体だ。両手を鎖でしっかりと繋がれているし、その手首には青痣もある。きっと逃げ出そうとして変に動いたんだろう。それだけではない。彼女の体中には無数の傷跡がある。
「猪鞘ぁあ!! てめぇ何しやがったぁあ!!」
伴の目がさらに吊り上がり、血や涙で濡れる顔が鬼のようになった。
譲羽もその表情に一瞬言葉がつまり、思わず硬直する。
流鏑馬が本能的に感じる恐怖。それが、今の伴と猪鞘だった。彼ら流鏑馬でも恐れを感じることはある。だが、この人間が生き物の連鎖の頂点に立つこの時代、人を越えた存在である彼らが恐れを抱く対象は、そういない。
だが、そんな彼らが怯えている。
狂気に呑み込まれるぎりぎりで戦い続ける二人を見て、ここにいる誰もが冷や汗を隠せなかった。
「お前はこの俺様と奇しくも同等の力を持ってる。まったく、満はとんでもない化け物を生んだな」
「どうしたぁ、鬼さんよぉ。まっさかもう尻尾巻いて逃げる気かい!?」
挑発に乗った猪鞘が、伴の懐に飛び込んできた。
「うっ!」
一瞬だけ速く、猪鞘の刀が伴の肩を貫く。
「くぅう!!」
そこは以前、的場に貫かれた場所だ。引き抜かれた傷跡は、すぐに塞がっていく。
だが、それでもかなりの痛手だった。
「……っタアァ!!」
戸惑い無く振り下ろされた刀を、体が崩れる寸前で受け止める。
だが、その時。
―――カァァン
「うぁっ―――!!!」
ついに、長く振るっていた伴の相棒に限界がきた。
「どうした伴 舞加! 貴様の牙はその程度かっ!」
折れた刃を踏みつけ、あざ笑う猪鞘。
「ふん…満の娘だろうが、しょせん貴様はその程度……牙を無くした虎は……ただの猫だ」
勝ちを悟った猪鞘が、ゆっくりと刀を振り上げる。
だが、そのおかげで隙ができた。
「馬鹿がっ! 私の牙は一本だけじゃねぇよ!!」
背中に挿してあった妖刀を取り出し、鞘から抜かずに猪鞘の刀を受け止めた。
「なっ……それは妖刀? なぜ貴様が我ら流鏑馬族の妖刀を持っている」
とくに焦った表情は顔にださず、猪鞘は淡々と問う。
「あんたに教える義理はないねぇ!」
禍々しいものを放つ妖刀の柄を握り、一気に鞘から引き抜く。
「こいつぁ、最後の切り札さ」
その刃は鋭く輝き、あれだけの攻撃をくらった鞘は傷の一つもついていない。どうやらこれは、本当に妖刀なのかもしれない。
「頼もしいじゃねぇか……こいつであんたを斬れるたぁ。これほど嬉しいこたぁねぇよ!」
不敵な笑みを浮かべる。その姿に、猪鞘は今度こそ焦りの表情を浮かべる。
なるほど。猪鞘のあの反応。それが妖刀だという証拠だった。
「その妖刀、走馬燈。それは貴様が使いこなせる代物ではない。それは流鏑馬の長……つまりは俺様のために作られたものと言っても、間違いではないのだからな」
走馬燈。これが、この妖刀の名前か。
「それなら、私がこれを使えれば……わたしゃぁ流鏑馬の長になれるってことかい?」
「なに……」
明らかに猪鞘の顔に不満げな表情が浮かんだ。いや、不満ではない。激しい怒りだ。
「貴様が我々の頭になるとでも言うか。これは滑稽だ! 誰よりも流鏑馬を憎み、名を汚し、そして誰よりも同種を殺した貴様がそんなことを口にするとはなぁ!」
確かに彼の言っていることは間違いではなかった。
伴は仮にも流鏑馬。そして、仮にも以前に同種の頭を殺し、虐殺を行ったのだから。
「俺の偉大な心の広さもそろそろ限界だ。貴様が刀を渡さぬなら、力ずくで奪うまでよ!」
「自分の心が広いと思ってんのかい、この坊々は! てめぇはただ威張ってるだけのお山の大将だっての!」
妖刀、走馬燈を肩に担ぎニヤリと笑う。
この走馬燈は思っていたよりも刃渡りが長く、伴の足と同じくらいの長さがある。刃紋には”戦寿門荘園流”と刻まれている。きっとこの刀を作った鍛冶屋の名だろう。とにかく、今はこれを渡してくれた満に感謝したい。
走馬燈が発する覇気や殺気は、伴が放つものを上回りまさに妖刀と言うべき姿だった。まだ血に染まっていない刃は、まるで血を求めるように脈打っている気がした。今になって、満が”使いこなせたら便利なものだ”と言っていた意味がよくわかる気がする。
これは、人間は絶対に使えない。いや、使いたくならないだろう。普通の刀に比べたら重さも長さも桁違いだ。戦場で使うまでにはきっと相当の稽古が必要になるだろう。こんな刀を、私は稽古も無しにいきなり使いこなせるのか。
心に生まれた不安はあっという間に全身にまわり、指先が微かに震える。
もしかしたら自分はここで死ぬかもしれない。土方と共に生きると言ったその舌の根も乾かないというのに。私が死んだら、土方は怒るだろうか。あぁ、きっと怒るだろうな。
でも、ここでは死ねないんじゃないか。ふと、そう思った。
例え流鏑馬との決着がついたとしても、新政府軍と旧幕府軍の戦争は終わっていない。もしかしたら、こうしている間に新政府軍は本陣を攻め始めているのかもしれない。土方は五稜郭に伝令に向かっているし、永倉たちも長く続いた銃撃戦で疲労が溜まっているだろう。一刻も早く、こんな戦いを終わらせて本陣に戻ったほうがいいのかもしれない。
「どうした舞加、刃先が……迷っているぞっ!」
「――!」
猪鞘の重い一太刀が頭上から降ってきた。
「っ!」
受け止めて、弾き返す。
その時、ふと視界に譲羽の姿が映った。
「……っ……シェラァア!!」
甲高い雄叫びをあげながら、猪鞘に飛びかかった。
「くっ」
猪鞘も伴の重い一太刀を受け止め、弾き返す。だが伴は空中で体勢を整え、近くの木の幹に足をつくとまた猪鞘に向かって飛び込んでいった。ここは森の中、樹木があることで伴は多少は有利だった。伴が自然の中で戦うのは、魚が水の中で泳ぐのと一緒。今までそう訓練してきたのだ。
「てめぇはっ、獅子駒さんを斬った!」
怒りに身を任せ、人間の視力では追いつけない速さで強烈な突きを繰り返す。猪鞘はそれを受け止めるので精一杯なのか、表情が歪んできた。
「あんたは、私のすべてを狂わせた! 流鏑馬は、表舞台に立つべきじゃない!」
「はっ、自分が何者かも忘れたか!」
いつの間にか伴の瞳からは雫が零れていた。
それを拭う暇すらなく、猪鞘と伴の決闘は続いていた。
「てめぇは……誰かのために命懸けたことあんのかい! 誰かと生きるためにてめぇを斬ったことあんのかい! 私はでぇ嫌いだよ! てめぇもおめぇも、必死に生きてる奴らをぶった斬ろうなんざ、私の志が許さねぇのさ!!」
それは、まるで自分に叱咤しているようにも感じられた。
「だから、生きてやるのさぁ、この腐っちまった世を……あいつと正すために」
その直後、走馬燈が猪鞘に向かって振り下ろされた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「てめぇらシャンとしろよ! 伴が帰ってきた時にこっちが負けてたんじゃぁ、会う面がねぇ!」
五稜郭から本陣へと戻ってきた土方が、怒鳴り声をあげる。
隊士から伴の伝言を聞き、この場に残り戦うことを決めたのだ。
「―――! 副長! 新政府軍は退きましたが、森から流鏑馬兵と思われる兵士たちがこっちに向かっています!」
「なにぃ!?」
流鏑馬兵が向かってきているということは、伴が殺られたということか!? 頭に浮かぶ嫌な映像が脳裏から離れない。
それと同時に激しい怒りが込み上げてきた。
「流鏑馬たちを向かい撃て!! 手加減すんじゃねぇぞぉお!!」
「うぉおおおお!!!」
揃えた銃を持ち出し、胸壁から発砲の用意をする。
土方の目は、まるで本物の鬼のようにつり上げっていた。
伴がやられたなんて信じたくないが、流鏑馬が向かってきている以上、最悪の時を覚悟しなければならない。
一緒に生きようと誓ったのに。せっかく手に入れたと思ったら、まるで花びらみてぇにすり抜けちまう。
半分諦め、じっと流鏑馬たちを睨みつけたときだった。
「土方っ、そいつらは仲間だ! 撃つんじゃねぇ!!」
聞き慣れた、今となっては愛おしい声が聞こえた。そのせいか、思わず鉄砲が腕から落ちそうになった。
「……伴……?」
「土方、流鏑馬は敵じゃねぇ。撃つのをやめな!」
まるで流鏑馬を庇うように、そして彼らの列の先頭に立つ伴。その姿を見て、思わず笑みがこぼれた。
笑みと一緒に涙もこぼれそうだったが、ここは我慢した。
「ただいまっ、おめぇも無事だったか!」
ニカッと笑って、馬鹿でかい刀を肩に担ぐ伴。その隣では、伴によく似た女が立っている。
状況がよく理解できないが、とりあえずこう言っておこう。
「よく帰ったな、伴」
そう言うやいなや、伴が飛び込んできた。
少しだけ血の匂いがする。だが、そんなことかまわず、俺は思いきり伴を抱きしめた。
「私が死ぬと思ったかぁ? ばぁーかっ!」
「んなわけねぇだろうが。ぜってぇ帰ってくると思ってたさ。なにせ、俺が認めた女だからな」
そっと頭を撫でてやると、そこで我にかえったのか体を引き離す。
放してやるのは少し嫌だったが、今はどういう状況か聞き出したかった。
「見せつけてくれるねぇ……さすが我が娘」
「え」
体が硬直した。
「あ、えっ、えっと。この人、私の母親の満」
「あなたが土方さんねぇ。話しは道中聞かせてもらったわ」
満は一瞬だけ真剣な眼差しをすると、次にはずいぶんと間抜けな笑みを見せた。
「いやぁ……ずいぶんといい男を捕まえたのねぇ、舞加」
「おい母さん、なぁにべたべたと触ってんだよ」
満は遠慮無しに土方の肩や頭を触っている。伴がそれを止めさせるが、満はなんだか悔しそうな顔をした。
「娘と再会したら、もう男に盗られるなんて……お母さん悲しいっての」
どうやら、伴はこの人によく似たんだろう。
性格がそっくりだし、雰囲気や仕草は満そのものだ。
「……あの、満さん。あんたぁ流鏑馬なんですかい」
「えぇ。流鏑馬よ」
あっさりと答えた。
「っていうか、敬語使わなくていいわよ。これから、娘がお世話になるようだし?」
「母さん!」
伴が横槍をいれた。しかも、顔を真っ赤にさせながら。
「舞加、あんたもこの人と生きるってことはそれ相当の覚悟はしてるんだよね」
「もちろん」
伴が即答した。
俺は黙って二人を見ていた。
「……そ。ならいーさ。でも、猪鞘を見逃したのは許せないねぇ」
思わず腕が反応した。
あいつとの勝負がどうなったのか、そういえばまだ聞いてない。
「猪鞘も生きる権利はあるさ。機会を与えてやったんだ、あいつなら無駄にしねぇよ。それに、天草も側にいるんだろ? ならなおさら、大丈夫さ」
どうやら殺したわけではなさそうだ。それが伴らしい。
「伴、猪鞘はもう敵じゃねぇのか」
そう言うと、伴は静かにうなずいた。
「流鏑馬の問題は片付いたな。あとは、人間の問題だ。流鏑馬はこれから隠れ里へ逃げる。こっからは私らだけの戦だ」
ニヤリと笑う伴。それを、満は心配そうに見つめた。
「言いにくいけど、舞加も私らと一緒に隠れ里に行かない?」
「えっ……」
満の問いに、伴が目を丸くした。
「……土方」
土方に向き直ると、凛々しい目で見つめた。
「獅子駒さんを助けることはできなかった……それでもお前は、私をここにいさせてくれるか」
その言葉に、目を丸く開いた。
死んでしまった、あの、獅子駒が?
「獅子駒が……死んだ?」
伴の問いに答えることもできず、土方はその場に呆然と立ち尽くしていた。