第十七陣
「くっ!」
敵の鉄砲隊は圧倒的数で私を包囲した。きっと私が流鏑馬である事が伝わっているんだろう。一人的に絞られているのが自分でもよくわかる。だが、それは相手の気を引くには充分なほどの効果だった。
「シャラァア! 俺から目をそらしてんじゃねぇぇええ!!」
人間離れした動きで弾丸を避け、隙を見て相手の懐を斬り捨てる。すでに伴の周りには数えきれないほどの隊士の体が転がっていた。どれも血を吐き、思わず目をつぶってしまいたくなるその中に、伴は不適な笑みを称えていた。
敵の数は減ることはなく、増える一方だ。だが、伴がいるせいか前線が崩れる事は無かった。敵を進ませんと立ちはだかる伴に、敵兵は少なからず怯えていたようだ。それをいいことに、伴は刀を振るい続けた。
乱獅子隊の羽織はすでに血で染まっていた。羽織だけではない。顔も髪も、体も何もかもが赤く染め上がっている。戦場を舞うように敵を殺めていくその姿は、紅く燃える鳳仙花のようだ。
「聞け! 私に銃は効かない! この首を取りたくば刀で勝負しやがれ!!」
その挑発に乗るように、敵兵たちが刀を振りかざして伴に迫ってくる。
いいねぇ、馬鹿正直な奴は嫌いじゃない!
心の中でそう喜びながら、伴は一人一人に致命傷を負わせていった。鬼のように吊り上げた目には、その表情からは喜びが感じとれる。敵を斬る喜び、そして、血を浴びる喜び。伴の中に眠っている、流鏑馬の本能が疼いていることにすら気づかない。
「ここから先は通すわけにゃあいかねぇんだよ!!」
伴を包む覇気はいつしか人とは違う禍々しさを感じさせるものになっていた。
「生き抜いてやるさ……てめぇらぶっ殺して、俺は皆と生き抜いてやるさ!」
銃声と銃弾が止まない嵐の中、伴は顔についた返り血を拭いながら土方のいる方角を見つめた。
「ぜってぇ、死なねぇよ。おめーが私を斬るまではな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
前線で伴が一人で戦っていると獅子駒から聞き、一瞬だけ不安が頭をよぎった。あいつに限って死ぬとは思わないが、ここは何が起こってもおかしくねぇ。それに、敵の援軍が向かってきてるらしい。さすがに、このまま一人で戦うってのは無理がある。
「獅子駒! 敵の援軍を迎え撃ちに行く。ここの指揮は頼んだぜ!」
「任せろ!」
土方は小隊を率いて本陣を出た。外は至る所で銃撃戦が勃発し、気を緩めたら流れ弾に当たるかもしれない。敵の数はさほど少ない。おい伴、おめーはたった一人で何百人を相手にしてんだ馬鹿野郎。ふつふつと沸き上がる怒りとはまた違った感情を胸に抱え、土方は敵の援軍が到着するであろう居場所まで足早に向かった。
だが、その途中。
「なぜ進まん! たった一人の、しかも女相手に何を手間取っている!」
林の奥から怒号が聞こえた。いつの間にか、敵とこんな近くまできていたのか。
銃と刀を手に、土方はじっと声の主の在処を探る。
「えぇいこうなれば奴らを連れて参れ! 誰か流鏑馬兵を呼んでこい!!」
その言葉に、思わず目を大きく開いた。
流鏑馬兵だと? 流鏑馬の長、的場は伴が倒したはず。なのになぜ長を倒されたばかりの流鏑馬が動けるんだ。……まさか、天草の野郎が何かしやがったのか。
どう転んでも嫌な方向にしか転ばねぇ。なら、嵐の中に飛び込んでやろうじゃねぇか。
「行くぞおめぇらぁあ!」
「おおおおおお!!!」
奮起し、小銃を掲げる隊士たちを後ろに並ばせ、俺は敵の渦へと飛び込んだ。
「新選組副長、土方歳三。参る! 俺が相手だかかってきやがれぃ!!」
「相手は我らより少ない! 怯むなっ、撃てー!!!」
銃撃戦が始まった。木々が多い場所だったのが幸いだった。木陰に隠れながら、少しずつだが相手を圧している。いける、これならいける。そう思った瞬間だった。
「うぉおおおお!!」
土方の後ろから、血飛沫があがった。
「お久しぶりです、土方歳三。まさか君が生きているとは思いませんでしたよ」
馬鹿丁寧な口調に、思わず背筋が凍りつく。
「お、お前は……」
そう言いかけた土方の前に、兵を引き連れた男が現れた。その後ろには見覚えのある大男、天草がいる。そして先頭に立つのは、自分と同じような体格をした男だった。髪の色は紅蓮、瞳は黄金。その口元には冷ややかな笑みが称えてある。的場とは違う威圧感に、思わず眉間にしわが寄った。
「俺の名は猪鞘……的場に代わりこの流鏑馬を率いることとなった。貴様が舞加をたぶらかした愚かな人間か?」
完全に馬鹿にした口調に、土方は真っ向から睨みつけた。
「たぶらかすたぁ、とんでもねぇ言い掛かりだな」
「口の利き方に気をつけろ人間が……今ここで殺してやってもいんだぞ」
殺気立つその姿に、今まで感じた事も無い恐怖が襲いかかってきた。思わず足が竦み、刀にかけてある手が震える。
「ほう、怯えておるな。くくく……なぁに、人間が我らに恐れを抱くのは当然の事だ」
「けっ! 勝手に勘違いしてんじゃねぇよ。俺ぁビビっちゃいねーさ!」
刀を抜き、得意の居合いで猪鞘との距離をつめた―――はずだったのだが。
「どこを狙っている」
ふらりと猪鞘の影が揺れたかと思えば、土方の後ろで微笑んでいた。
刀を人知を越えた速度で抜き、彼の背にその刃を滑らせた。
「くぁっ!!」
苦痛に顔を歪め、地面に足をつく土方。猪鞘その首を掴み、不敵な笑みを浮かべながら高々と掲げた。
「どうした人間……死が恐ろしいか? つまらんなぁ、もう少し骨がある奴だと思っていたのだが」
「かっ……はっ……ぐっ!」
抵抗する力が失せ、視界が霞んできた。
「ふっ……考えるだけでも愉快だ。お前の亡骸を舞加へ送ってやれば、舞加はどうするだろうな? きっと、怒り狂い俺たちの元へ来るだろう。くく……華かに出迎えなくてはならんなぁ。的場を殺した裏切り者を、俺様たちは丁重にもてなさなくてはなぁ。はっははは!」
笑い出した猪鞘。だが、土方の目にはすでに微かな灯り火ていどの光しか宿っていない。
このまま俺は死ぬのか。こんなところで死んだら、あいつとの約束を破っちまうじゃねぇか。
薄れていく意識、抜けていく力。遠のいていく猪鞘の笑い声すら、今では雑音にしか聞こえない。
死にたくねぇ。俺ぁ、こんなところでっ……
「死ね……ねぇんだよっ!!」
瞬間、土方は懐から短刀を出し猪鞘の腕に突き刺した!
「くっ」
猪鞘は土方の首を放し、刺さった短刀を腕から引き抜く。だが彼の傷はすぐに治っていく。
流鏑馬がこんなにも憎らしいと思ったのはいつ以来だろうか。
「貴様……人の分際で俺様の肌に傷をつけるとは……」
ニヤリと笑いながら短刀を投げ捨てる猪鞘。土方はすぐに立ち上がり刀を構えるが、今さっきまで強烈な力で首を絞められていたのだ。体がふらついて言うことを聞かない。
「けっ……弱っちい体だなぁ……!」
強がりを見せるも、視界は霞み始めている。
「まじぃ……なぁ……」
それを見ていた猪鞘が、わざとゆっくり刀を振り上げる。
「地獄を這え、人間」
その言葉が聞こえ、土方も弱々しく刀をかまえた。
「さらば!」
――――「土方ぁあああ!!!!!」
カァンと耳をつんずくような甲高い音が近くで聞こえた。
目を開けると、そこには傷だらけの伴の姿があった。振り下ろされた猪鞘の太刀を、その細身の体で受け止めている。
「逃げろっ!!」
蹴飛ばすように土方を味方のほうへ追いやり、伴は猪鞘と対峙した。
「……ほう? さすがは満の娘。凄まじい力だ」
まるでこちらを試すような言い方に、傷や泥で汚れた顔に笑みを浮かべる。
いつしか天候は悪化し、空を暗雲が覆っていた。漏れた木漏れ日が森をさすが、それも二人の放つおぞましい殺気に消されている。さらに暗雲は広がり、空一面を覆いつくした。
「てめぇ……何の用だ。今さら人間に手ぇ貸して、そんなに女ってのは貴重なのかい」
「自惚れるな。俺様はお前に興味があるが嫁にする気は無い」
そうかい。だけど、土方をあんな目に遭わせやがって、絶対に許さない。
「そう睨むな。確か、お前の所に譲羽がいただろう。そいつを引き渡せば俺様たちはとっとと帰る」
「なっ!?……んなことできるわけねぇだろが!」
譲羽は、唯一の私の友達。私と同じ立場の人。失いたくない仲間。
こんな奴に引き渡すなんて天地がひっくり返ったってない。
「なぜ庇うのだ。あいつさえ渡せば、俺たちは人間と関与するつもりはない。それに、お前たち旧幕府軍は負ける。結末は決まっているのだ、自分だけでも生き残ろうとは考えんのか」
まるで先が読めているような発言に、伴は眉を寄せた。
確かに幕府側は圧されつつある。それでも最後まで戦うのは、まだ心が折れてないから。運命なんて、簡単に変えることができると、証明してみせたいからなのだ。事実を認めないだけでもあるが、負け戦だと思って挑むのは間違ってる。
「そうとは決まったわけじゃねー」
今度は猪鞘が不機嫌そうな顔をした。
「私たちは、何度負け戦だって言われても戦う。私らがいる限り、負けたことにはならねぇ! だから……それを邪魔する奴らは、全力でぶった斬って進むしかねぇんだぁあああ!!」
言い終えると同時に伴は地面を蹴った。
愛刀をかかげ、神速で猪鞘の懐へと入る。
「トッタァアア!!」
刀の先が、猪鞘の胸板の上を滑った。
つぅ、と血が垂れる傷口はすぐに塞がり、もとの何もない状態に戻る。
「お前のその動き……身のこなし、やはり満に似ている。さすがは親子、と言った所か」
ふわりと木の枝に飛び移り、伴を見下しながら言った。
「だが、俺もだてに若頭をやってるわけではない」
笑みをこぼした直後、猪鞘の姿が枝の上から消えた。
「!?」
「後ろだ」
振り返ったと同時、猪鞘の拳が伴の心臓を突く。
「うっ―――!」
吹っ飛ばされ、太い木の幹に背中を強打する。立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、全身が脈打った。
―――ドクン!
それはまるで何かの合図のように全身を響いた。それは何かの生き物のように全身を駆け抜けていったようにも思える。今、伴に流れる血が疼いている。
「な……っにぃ!?」
地面に膝をつき、荒い息を吐く。それを見ていた猪鞘は不敵な笑みを浮かべた。
「どうした、これでしまいか」
「ぐぅっ……!!」
どくどくと心臓の鼓動の音が早まっていくのを体に感じた。
くそ、もうどうなってもいいから、立ち上がれよ伴! ここで死ぬわけにはいかねーんだろ! 私は、ここで死んだら自分の大事なもんを全部捨てちまうことになるんだよ。立ち上がれよ! 狂ったっていいから、何でもいいからっっ
「ラァアアア!!!!」
自らを叱咤し、立ち上がろうとした瞬間。
―――本当に、狂ってもいいんだね?
心の中で声がした。
私は、迷わずにうなずいた。
すると。
「ひゃっ……っはははは……ふふふっ……くっ、はははっ……」
場違いな笑い声が、響く。
「……あー……っっはははは。いぃ〜ざぁやぁ〜♪」
まるで子供のように目を輝かせながら、楽しそうに猪鞘を見つめた。
「天草、どういうことだ」
さすがの猪鞘も気味が悪いと感じたのか、隣に立っている天草に声をかける。
「鎖が、千切れたか……」
天草がぼそりとつぶやいた。それを聞いた猪鞘も顔をしかめる。
「あっははは……敵はぁ、みんな死ねよぉお」
その笑顔に、もはや理性など残っていなかった。
目の前にある敵を殺そう。血を浴びよう。流鏑馬の本能が命ずるままに。
もう、面倒くさいじゃない。私が殺して、全部終わらせばいいんだよ。
「なぁんだ……簡単じゃねーか」
そうニヤリと笑みを浮かべ、伴は刀を肩にかついだ。
「みんな、殺せばいいんだよな」
愛おしいものでも見つめるような眼差しで猪鞘を見た。
そんな伴を、猪鞘は汚いものでも見るような目で見返した。
「俺様と遊ぶか? こい、化け物」
その言葉を合図に、伴はもう一度地面を蹴った。