第十四陣
「私たちは函館に向かう。譲羽にはおって連絡するから」
「わかった。また、会いましょうね」
譲羽とわかれ、伴・江守・兵藤は函館、五稜郭へと急いだ。今では、見おろせばすでに五稜郭が見える。だが、次第に険しくなっていく道に、疲れが溜まってきているのも事実だった。それにくわえ、兵藤は傷のせいで刀を振るえないなのに先頭を歩き、江守と口喧嘩してしまい、雰囲気は穏やかとは言えないものになっていた。
「いい加減に機嫌直せよ江守ぃ、兵藤はそんなに弱い奴じゃねーって」
「わーってるよ」
だけど、今さらなんてあやまんだよ。江守はそう言って、黙々と進んでいく兵藤の背中を指差した。その背中からは、微かな苛立と怒りが感じられた。兵藤は言葉に出さない分、行動に機嫌が現れるから厄介なんだ。
「兵藤、いつまで怒ってんだよ」
「怒ってなどない。勘違いするな」
伴の説得も聞く耳を持たないようだ。こうなってしまったら、機嫌が直るのを待つしかない。でも、直るのかな。ありゃー完全にキレてるし。
「―――止まれ」
ふと、兵藤が片腕で私たち二人を制した。
「誰かいる」
その言葉に、伴と江守はすぐに刀に手をかけた。だが、兵藤は茂みの奥をじっと見つめている。そして、一瞬瞳を大きく開いたかと思ったら、すぐに私たちに向かって叫んだ。
「伏せろ! 鉄砲隊だ!」
その言葉が終わらぬうちに、銃撃は始まった。
「―――っ!」
頭上すれすれと飛び交う弾丸に、冷や汗が止まらない。刀を抜き、銃撃が終わる時をじっと待つ。
だが、しばらくしても鉄砲の銃声が止まることは無かった。さすがの江守もこれには驚き、焦っている表情を隠しきれない。そんな江守を他所に、兵藤が口を開いた。
「刀を握れぬ俺が囮になろう。幸い、敵の人数は少ない」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! この銃撃をかわせると思ってんのか!」
江守が説得しようとするが、兵藤はまたも聞こうとはしない。すでに決めたとばかりに、立ち上がろうとしてる。黙ってそれを見ていた伴が、言葉を発した。
「私が行く。流鏑馬だから、多少の弾くらっても死にやしないさ」
「あんたは五稜郭に行け。一刻も早く敵が近くにいることを伝えろ」
そう言い返されてしまえば、伴も言葉が出なかった。いつも兵藤は正論で痛い所を突いてくる。だから、刀を振ることができなくても乱獅子隊に必要な人材になっている。
兵藤は、それに気づいてんのか?
「あんたは乱獅子隊に必要だ。ここで死なせるわけにはいかない。そして、獅子駒さんもあんたの死を望んでいるわけじゃない。だから、俺が行く」
明らかに鬱陶しいという面持ちだった。
「……おい兵藤」
目を吊り上げ、刀を片手に江守がつぶやいた。
「―――絶対に、死ぬんじゃねぇぞ」
「……当たり前だ。自ら死を望むほど馬鹿ではない」
フッと兵藤が笑みをこぼし、一度目を閉じて深く呼吸した。そして覚悟を決めたのか、立ち上がり茂みの方へと駆け出す。それを見つけた鉄砲隊は、すぐにそちらへと銃撃を始めた。
その間に江守は鉄砲隊に近づき、反撃をしかける。単純な作戦だが、今はこれが一番効率がいいんだろう。なら、私も私のやるべきことをしっかりとやらなきゃ、二人に会わせる顔がねーじゃねーか。
「伴! 行け!」
遠くから兵藤の声が聞こえた気がした。刀を鞘にしまい、全速力で走った。
「――――!」
銃弾が何発か肩や頬をかすめた気がしたけど、すぐに傷は癒えていく。
後ろは振り返らず、五稜郭へと向かって走り続けた。銃声はまだ後ろで響いている。今振り返れば二人の働きが無駄になるのではないかと怖い反面、二人が無事なのか確認したくて仕方がなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
どれくらい走り続けただろう。やっとのこと、五稜郭へ辿り着いた。
「っ……乱獅子隊の伴だ! 伝令に来た!!」
門の前で叫ぶと、すぐに扉が開き見覚えのある人物が出てきた。
「君はっ……あの時の!」
「お、大鳥さん!?」
そこにいたのは、洋装した大鳥圭介だった。伴との再会に、嬉しそうに微笑む大鳥だが、その体は以前会った時より痩せ細っている気がした。それに、顔色もよくない。
「よくここまで来たね。怪我は? ないかい?」
「んなこたどうでもいい! すぐ近くの森で敵の鉄砲隊を見かけた。江守と兵藤が戦ってる!」
「!?」
驚くのも無理は無いだろう。だが私はそれどころではない。早く、早く助けに行きたいのだ。
「相手は銃を持ってる。私はすぐに向かうから、高台から周りを見て! どこかにまだ敵の伏兵がいるかもしれない!」
「待て! 君もここに残りなさい!」
「馬鹿言ってんじゃねー! 私は簡単には死なねぇんだよ!!」
最後は吐き捨てるように叫び、大鳥から背を向けて再び森へと戻った。
銃声はすでに聞こえていない。ということは、決着がついたということ。すなわち、どちらかが死んだということだ。あの兵藤と江守が負けるはずも無いが、相手はなんせ新型の武器を持ってやがる。何が起きてもおかしくない状況だ。
遠ざかる五稜郭からは、さっそく戦いの準備をし始める音が聞こえる。銃を用意しろだの、大砲持ってこいだの。そんな風に叫んでる暇があったら足を使え足を!
内心苛立ちながらも、伴はさらに走る速度をあげた。
しかし
「―――敵だ! 囲め!」
突然、四方を鉄砲を持った兵士たちに囲まれた。
「くっ!」
完全に囲まれ、逃げる場所は無い。まずい。さすがに、これだけの数に撃たれちゃ、死ぬかもしれねぇ。
敵は不敵な笑みを浮かべ、楽しそうに私を見ている。それが悔しくて、血が滲むほど強く唇をかんだ。
「てめぇら……女一人相手に、よくもまぁ……これだけの人数を」
「はっ。だからなんだよ。俺たちゃぁ生きるのに精一杯なんだよっ!」
もはや敵兵も必死だった。やらなければ、やられる。誰もがそうわかっている。
だからこそ、私は手加減しない!!
「撃て!!」
それを合図に、銃弾の雨が降り注ぐ。それを避けるなんて、人間なら絶対にできないことだ。
「―――なっ!?」
だけど、私は流鏑馬。銃弾の動きが遅く見える。人間離れした感覚を持っているせいだろう。流鏑馬であることを、今ほどよかったと思うことはこの先無いだろうな。
「こいつ流鏑馬か!」
敵にも焦りが見える。すっかり形勢逆転だな。
「ぎゃあぁあ!!」
居合いの技術は、乱獅子隊の中でも私が一番だろう。その私の動きを、お前ら如きが避けられるはずがねぇ。
「うらぁあ! さっきの勢いはどうしたぁ!」
続けざまに敵を斬り、逃げ出す奴らにも致命傷を負わせていく。血しぶきが伴の体中を染める。その姿はまさに血に狂う流鏑馬。戦場を乱れに狂う乱獅子。伴は今、人間を越えた存在であるのかもしれない。
「てめぇらにかまってる暇は、ねぇんだよ!!」
最後の一人を斬り捨て、伴は羅刹の道を進む。血を浴びて、鈍く輝く刀を鞘にしまい先を急いだ。
血が熱い。まるで、血に飢えているかのように全身が疼いている。
血が欲しい。狂いたい。斬りたい。何か、衝動が欲しい。
心の奥底に眠る、狂気がそう叫んでいる。すっかり日も落ち闇に包まれたその道中では、その狂気が強く主張している気がした。確かに私は流鏑馬だ。でも、人を斬るだけの化け物にはなりたくない。
誰かを守るためにこの刀を振るいたい。ただ、それだけなのだ。
「兵藤! 江守!!」
見慣れた二人のを背を見つけ、駆け寄った。
「大丈夫か!? どこか怪我は!?」
「あ、あぁ……平気だ。それより、お前その返り血はいってぇどうしたんだ」
「途中で、敵に見つかったんだ。兵藤は、怪我ねぇか!?」
すると、兵藤ではなく江守が顔を歪めた。
「……足に銃弾を受けた」
兵藤はいつもと変わらない口調で答えて、それから自分の足を見つめる。
「俺はもう二度と戦場には立てないだろう。村に帰っても獅子駒さんに会わせる顔が無い。ここで斬れ」
えっ。思わず耳を疑った。
「だからっ! んなことできるわけねーだろうが!」
「あんたの意見は聞いていない。俺が斬れと言ってるんだ、さっさとやれ」
もしかしたら、二人はこのことでずっと喧嘩していたのかもしれない。でも、私だって兵藤を斬るつもりはない。兵藤が武士として生きる道を断ちかけているのは確かだ。腕も足も使い物にならなければ、戦場に行っても足を引っ張るだけになる。けど、だからといって味方に斬れなんて頼む奴がいるか? 馬鹿じゃないのかこいつは!
「てめぇはいつまで格好つけてんだ! 今の兵藤は、ただ怖くて逃げようとしてるだけじぇねぇか!」
その瞬間、射るような眼差しが私へと向けられた。
「武士としての誇りを汚さぬうちに俺は散りたい。これは俺の、絶対に譲れない志だ」
「そうかよっ。なら私は、それを引き止めなきゃならねぇ。てめぇは武士だ。これから先も、ずっと。例え刀が握れなくても、例え戦場を駆けることができなくてもだ」
兵藤は眉を寄せ、拳を握りしめている。
「てめぇの役目はまだ終わってねぇよ。早まんな! 武士として散りてぇなら、乱獅子隊の最後を見届けてから散りやがれ! 今死んでみろ、獅子駒さんはどう思う?」
私の怒号に、兵藤は一度だけ苦笑いを浮かべて、それから真剣な表情に変わった。
「……参った」
「え……」
兵藤がそんなことを言うのは初めてのことで、伴も江守も唖然としている。だが兵藤はそんな二人を他所にしゃべりだす。
「土方さんがあんたを気に入ってる理由がよくわかる。確かにあんたは変だ」
褒められているのだろうか。それとも馬鹿にされているのだろうか。
「とりあえず、俺は死なないでおくことにする。ひとまず伝令は終えた。村へ帰るぞ」
どうやら説得は成功したようだ。
兵藤は刀をしまい、私たちに背を向けている。でも、その背中からは敗北や無念などは感じられなかった。
彼は死なない。私の言葉が伝わったのなら、それはよかった。
「江守、心配かけたな」
「まったくだ、馬鹿野郎。おめーは自分が危なっかしいの知らねぇのか」
そう言いながらも江守は兵藤の肩に腕を回した。なんだかんだで、二人は仲がいいのだ。この輪の中に家長が加わると、いつもの三人組ができあがる。性格も考え方もまったく違う三人だけど、それぞれがそれぞれを補っているようにも思えた。
「家長も心配してるだろうね」
「いや、奴は俺たちのことなど心配していない」
そう断言する兵藤。
「なんでだよ」
聞き返すと、こう返ってきた。
「奴が、俺たちが死ぬことは無いと信じている大阿呆者だからだ」
「おいおい、大阿呆者なんて言い方失礼じゃねーか?」
そう言いながら、伴は色々と思い出していた。
自分と同じ境遇にあり、唯一自分と経験をしたことがある流鏑馬の少女、譲羽と出会った。五稜郭へと向かい、そこには大鳥がいて、戦争の準備に取り掛かり始めた。兵藤はもう二度と戦場に立つことはできないが、それでも生き続けると言ってくれた。いよいよ旧幕府と新政府軍の戦いも大詰めだな。もう少しで、最後の決戦が始まる。
もちろん、負ける気は無い。乱獅子隊も新選組も、静かに暮らしたいと願う流鏑馬からも死者は出さない。皆で生き抜く、そして、最後まで戦う。絶対に諦めない。
―――戦場で乱れ狂う獅子のように、そして、戦場を最後まで駆け抜ける武者のように。
乱獅子隊として、流鏑馬として。私は誰も死なせない。
志を抱き戦う侍の最後を、見届けてほしい。
きっとどこかで私を見守っている母へ向けて、私は強く思った。