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ロミオvs.ジュリエット To be, or not to be:As You Like It!  作者: 境康隆
第二幕、ジュリエット・バルコニー
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第二幕、ジュリエット・バルコニー9

 享都市下業区某筋褸窶嬢ろくじょう通り下る――貧民街。その最深部。

 ジュリ達の住む地域から、やや南にある最下層の地域だ。

「……」

 ジュリはその銃声と、続く鐘の音を遠くで聞いた。昼尚薄暗い見窄らしいバラックの中だ。

「嫌な音……」

 音の聞こえたと思しき方向に、眉をひそめながらジュリは振り向く。

 鐘はいつまでも余韻を響かせていた。

「何処かのバカが、寺の鐘にいたずらしたのね。可哀想な鐘。いつまでも震えて」

「ジュリ……」

 一人呟くジュリの足下で、か細い声が聞こえた。バラックの中、簡素というよりは、あり合わせのベッドの上に、少女が横たわっていた。

「マキ。よく眠れて?」

 ジュリは優しく振り返る。

「ありがとう……でも、眠りは井戸より深くはならないわ……眠りの入りも教会の入り口程広くはないの……眠れないの……死にたいの……」

「弱気になっちゃダメよ……」

「せっかく眠れても、いつも悪夢にうなされるわ……九つの命を持つ猫が、私を引っ掻くの……ううん、犬ね、ネズミね、ハツカネズミね。あら、やっぱり猫かしら? うふふ」

「マキ……」

「ふふん……ジュリ! 明日も訪ねてきてくれない? 私は墓の下で真摯に待ってるわ! ウジ虫が……ウジ虫が……ウジ虫が! ウジ虫が私を食らうのよ! 勿論食らい返してあげるわ! だってそうやって生きてきたんだもの!」

「マキ……落ち着いて……」

「暗い暗い墓の下で、私達は食らい合うの! 冷たい冷たい棺桶の中に、私達は詰め込まれるの! 臭い臭い死の床の上で、私達は腐ってこう言い合うの! いつまでもウジウジして、このウジ虫が! てね! あはは!」

「マキ。寝なさい。目をつむるだけでいいから」

「ふふ……そう? でも寝ても覚めても……いいえ、寝ても、冷めても、結果は同じよ。遊ばれて、捨てられて――結局私は一人なのよ」

べん・ヴォーリオのことはもう忘れなさい」

「ヴォーリオ? 勉・ヴォーリオのことは、もう忘れたわ。あんな喧嘩っ早い男。こっちからお断りよ。ヒゲの数だけ、毎日喧嘩をするのよ。引っこ抜いても、引っこ抜いても生えてくるのよ。うんざりだわ。だけど別れられないの。一人は嫌なの。だけどあいつは、結局冷めて出ていったの。だから私は。だから私は、狐顔の男に……背丈がちょっと似てたからって、私はあの男に。私が、私が悪いの……私が悪かったから、勉には帰ってきて欲しいの……」

「クスリに手を出したことは、もう誰も責めないわ。木の呪術を止められ、恋人に逃げられたんだもの。砂漠で渇きに苦しんでいるところに、海水を差し出されたようなものよ。誰でも手を出してしまうわ。だからあまり自分で自分を追い詰めちゃダメよ。ね、マキ」

「ふふ……そう、ジュリ? でもね、結局あの男にも飽きられたのよ……ダメね、私……」

「あなたの価値は、そんなことでは決まらないわ、マキ」

「ふふふふ……」

「眠りなさいな、マキ。幼子に戻ったように、眠りなさいな」

「ふふ……」

「ジュリ」

 マキに薄い毛布をかけ直してやったジュリは、不意にバラックの外から声をかけられた。

 振り向くと、ロザラインが入り口に立っていた。

「ロザりん……」

「飯持ってきてやったんだが、食えそうか?」

 ロザラインは鍋を持ってバラックに入ってくる。見るからに具の少なそうなスープが、鍋の底で揺れていた。

「ありがとう。でも、寝かしておいてあげて。やっと眠れそうなの」

 ジュリが寝息を立て始めたマキの口元を拭ってやる。口元にあてがってやったそのハンカチは、見る見る黒ずんでいく。

「黒いな、クスリ抜け切らないのか?」

 ロザラインが膝を曲げて、ベッドのマキを覗き込んだ。

「酷い量を渡されたみたいよ」

「『酷い量を渡された』って、向こうも商売だろ? 金さえ払えば、いくらでも売ってくれるんじゃないのか?」

「問題はそこなのよ」

 ジュリはマキを起こさないようにと、ゆっくりと立ち上がる。

「ん?」

 ロザラインも立ち上がる。後で食べさせられるようにか、鍋を脇にあったカセットコンロの上に置いた。都市ガスなど期待できないこの貧民街。室内の調理には、カセット式のコンロが欠かせなかった。

 ロザラインはそのコンロに鍋を置くと、そのままジュリについて外に出ていく。

「マキにそんなお金あるはずないわ。普通の量を買うお金も、持っていたかどうかも怪しいわ。でも狐顔の男に、たまたま気に入られたみたいなの……その……顔がね……」

「弱みにつけ込んで、弄びやがったか? 見つけたら、アタイがぶん殴ってやる!」

 ロザラインが己の左手に、右の拳を打ちつける。

「クスリの売人によると、狐顔の男はかなり上の人間らしいわ。知るとヤバいぐらいのね」

「ヤバいって何が? ここいらの連中より、ヤバい奴なんているのか?」

 ジュリが外に出て、ロザラインが後を追った。

 いかにも貧民街の最深部らしく、周りには色々な意味でヤバい人間がたむろしていた。

「顔を知られたぐらいで、用済みとなれば殺しにかかってくる。そういうヤバさよ。そう考えると、マキのクスリの量も分かるような気がするわ」

「ん?」

 女二人連れと見て、何人かの住人が好色な視線を送ってくる。ロザラインは睨み返してやり、また伸ばされてきた手を叩いて振り払った。

「明らかに事件性のある殺しなら、おざなりでも警察は動いてくる。でも犯人はそれすら嫌がる人物よ。そして元からあるあの噂……」

「享都府警のクスリへの関与か? 事件にならないように、クスリで殺す気だったのか? クスリ漬けで死んだら、そりゃそいつの自業自得。事故だもんな。むしろよくある話として、調書一枚で終わりって訳だ」

「そうよ。人の命を自由にしていいと思ってる、傲慢で蛇蝎のような男が何処かにいるのよ」

 ジュリは歩きながら奥歯をギリリと噛んだ。

 怒気溢れるその顔に、手を伸ばしてきた男達が慌てて己の手を引っ込めた。

「蛇蝎ね……実際は狐顔だろ? で、他に特徴は?」

「背丈が前彼のヴォーリオに似てたって、マキは言ってたから――」

 ジュリはそのヴォーリオの容姿を思い出す。

「背が高いんだと思うわ」

 その見上げるような背中を思い出し、ジュリはマキの敵を想像した。

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