第二幕、ジュリエット・バルコニー6
「……」
ロレンス僧正も黙って茶をすすった。黙って二人の言葉に耳を傾けている。
「意見が合いませんわね」
「当たり前じゃない」
ジュリと澪は、視線を戦わせる。ジュリは澪の向こうを見透かすように。澪はジュリの視線を跳ね返すように。お互いの視線に力を込める。
「まるで私達に突きつけられた命題は、排他的論理和のように天の邪鬼。真と真が揃えば偽と言い、偽と偽が揃ってもやはり偽と言う。何れかが真、何れかが偽と言って、揃わないことをもって真と言うのですわ」
「何よ……」
「ジュリ。そのような話をする為に、澪殿を呼び出したのか?」
ロレンスがやっと口を開く。
「違いますわ。澪……」
「何よ?」
「クスリの流通に、享都府警が一枚噛んでいる――」
ジュリは湯のみに口をつけながら、探るように澪を見る。
「なっ!」
「そう聞いたことはない?」
「ないわよ! 何で警察が、犯罪者に手を貸すのよ?」
澪は怒りに震えているのか、頬を引きつらせてグッと前に身を乗り出す。
「お金になるからよ」
「なっ? ななな……澄ました顔して、何てこと言うのよ?」
「クスリの売買に、狐顔の男が深く関与しているところまでは、私の方で掴んだわ。本部長の顔が或は――とも思ったけど……」
「なっ? そんな訳ないでしょ! モンタギュー本部長は立派な方よ! 昨日あなたを取り逃がしたことも、自分の責任のように感じてらしたわ! 大物なのよ!」
「そう、あれはそんな小物ではなさそうね。澪、そこでお願いがあるの。府警の中に――」
バンッ――と澪は、ジュリに皆まで言わせずに机を平手で叩いた。
「見損なわないでね。内偵しろっての? ジュリの片棒担いで?」
「クスリは私にとっても、あなたにとっても、忌むべきもの。澪、力を貸して欲しいの」
「まっぴらゴメンよ。仮に警察内部に、そんな風紀の乱れがあるのなら、私一人で糾してみせるわ。この大紋宮の一路澪がね」
「大紋宮ね……」
「何よ?」
「大紋宮こそ、モンタギューの私兵じゃない。自分の名前もじってつけてんだから。裏でいいように利用しんてじゃないの?」
「な……」
「それに、クスリの正体は鉄よ。砂鉄よ」
「それが何よ……」
「昨日のあの時、窓はモンタギューの呪力で開いたわ。重い鉄枠の窓がね。軽々と」
ジュリが挑むように澪を見る。
「何よ? 何を言いたいのよ……」
「発砲した警官の銃も、触れもせずに押さえていたわ。鉄の塊の銃をね。モンタギューは鉄の呪術使いね。違う?」
「……あなたに答える義務はないわ……」
澪の脳裏に、モンタギュー本部長が呪力で操った手配書が甦る。鉄製のクリップに挟まれたそれは、その鉄のクリップに引かれるがままに宙を舞った。
「それに鉄の呪術使いは、署内に他にいくらでもいるわよ……それこそ、あなたのようなギャングの中にもね……」
澪はジュリの視線を、己の視線で跳ね返す。
「それもそうね……」
ジュリがクスッと笑った。ジュリはそのまま湯のみに黙って口をつける。
「……」
「……」
そして二人は、沈黙で互いの間を埋めた。
「……さて、交渉決裂ね……」
ジュリが湯のみを置いて立ち上がった。澪もそれに合わせてイスを立つ。元より同じテーブルに座っていた二人。手を伸ばせば届くような位置で、二人は視線で火花を散らし出す。
「ジュリ。何を気を立てておる? 澪殿も。もう少し、互いの意見を聞いてはどうですかな?」
「だってロレンス僧正。ジュリは――」
「ジュリは犯罪者ですかな?」
「えっ? ま、まぁ。きつい言い方をすれば……」
「確かに世間様は、そう呼ぶかもしれんですな。だが、はな垂れの頃から知る儂に言わせれば、まだまだ背伸びしたいだけのただの子供」
「……犯罪者で、結構ですわ……」
「ジュリ!」
ロレンスの警策――坐禅で肩を打つ一振りのような鋭い一喝に、
「……」
ジュリがふて腐れたように顔をそらした。
「ほら、ご覧なさい。一喝されただけで、目も合わそうともしない。可愛いものですわ」
「……ふん……」
「ロレンス僧正。ですがジュリはあんな顔してても、中身はただの、その――犯罪者です。見た目に騙されちゃ、いけませんよ」
「澪殿。あなたの方こそ、心の中にではなく、目の中にのみジュリがいるようだ」
「へ?」
「ジュリもだぞ。相手が享都府警の人間だからといって、半ば中身まで決めてかかっている。少なくとも澪殿は、己で見定めたのではないのか?」
「……」
不意にジュリが無言で床を蹴った。その一蹴りで距離をとり本堂の出口にふわりと着地した。
「逃げられると思ってるの?」
「逃げられるわよ。一人で敵地にくるような、間抜けな刑事さんからならね」
「なっ?」
「――ッ!」
ジュリが左手を一閃した。本堂全体を塞ぐように、不意に炎の壁を立ち上げる。それでいながら本堂は勿論、鉢植えの木々にはその炎は襲いかからない。
「待ちなさい! ジュリ!」
炎が収まった。勿論もうそこにはジュリはいない。本堂の入り口が切り取った、玉砂利の敷地の景色が見えるだけだ。
「く……――ッ! はい、一路澪です」
澪は追いかけようとし、途中で上着から無線機を取り出すと何やら話し出した。
「はい、今いきます」
呼び出しの応答だったようだ。澪はゆっくりと無線機を耳から離す。
やはりジュリはもういない。残されたのは澪とロレンスと、そして気まずい沈黙だけだった。
「……呼び出しがあったから、帰ります」
澪はそう言うと、ロレンスに深々と頭を下げる。その仕草は挨拶をする為というよりは、むしろロレンスと面を合わせまいとしているかのようにも見える。
「たいしたもてなしも、できませんでしたな」
その様子にロレンスも立ち上がる。宥めようというのか、澪の背中に手を回し入り口までの僅かな距離をつきそった。
「こちらこそ、土産もなく突然お邪魔して、失礼しました」
澪は本堂を出たとろで、勢いよく革靴に足を押し込んだ。つま先を床に叩きつけながら力づくで履こうとするその仕草は、何処か苛立たしげだ。
ロレンスは革靴を履く澪を尻目に、その上空を窺った。派手に炎を使って身を隠したはずのジュリが、本堂の上空に留まりそっぽを向いていた。
革靴に気をとられている澪は、その姿に気づかないようだ。
「確かに澪殿は、ここで帰った方がいい。今日はそれがお二人の為だ」
ロレンスはジュリと澪を交互に見て、二人に聞こえるように言う。
ジュリはそれでも下を見ようとはせず、澪はあからさまに靴に八つ当たりしていた。
「失礼します」
澪が深々とロレンスにもう一度頭を下げて本堂を後にする。上着を貸してあげた親子に手を振り、また振り返してもらいながら、澪は一度も振り向かずに寺を出ていった。