第二幕、ジュリエット・バルコニー1
「衛藤ジュリ!」
来賓の悲鳴と警備の指示の怒号が、このダンスホールで渦を巻く。
その音の泥濘のような混沌の中を、一路澪の声がジュリに向かって放たれた。強引でありながら、それでいて真っ直ぐな声がジュリの注意を打ちつける。
「あら、刑事さん」
「覚悟なさい」
ジュリの注意がこちらを向いたと見るや、澪が念を凝らす。その手の甲を前に向けて両手を重ねた。両手が冷気に煌めいていく。
「発砲も呪術も、許可しない」
だがその時モンタギュー本部長が不意に口を開いた。澪と違って、特に力を入れた訳でもない。しかしその声は方々で悲鳴の上がるこのホールで、誰の耳にもよく響いた。
「ですが!」
「上を取られたのはワシらの失態。相手は空をも飛ぶ程の呪術者。下手な手出しはできん」
「……」
ジュリが相手を睨みつけていると、そのモンタギューが左手を一閃した。
「――ッ!」
ジュリの背中の向こうで、ステンドグラスの窓が音を立てて開いた。それは入り口の上に設けられていた一際大きい窓だった。鉄枠でできたその重い窓枠が、本部長の呪力で軽々と開く。
「どうか。この場は、大人しくお引き取り願いたい」
モンタギューが慇懃に口を開く。
内外の温度差故か、開けられた窓から風が入り込んできた。その風はまるで狙ったかのように、ジュリのスカートと髪をなびかせてモンタギューの頬をも撫でた。
温度差は部屋の内外だけではないようだ。ジュリが風にあおられ燃えるように立っているのに対し、同じ風に当たる本部長は何処か涼しげだ。
「余裕ですこと……」
「がはは。熱くなればいいという訳でもないですからな」
「何余裕かましてんすか!」
ジュリを見上げるモンタギューの脇から、不意に若い男の声が上がった。
ガンッ――という発砲音が、警告も威嚇もなくホールに木霊する。
「――ッ!」
ジュリがとっさに炎の壁を立ち上げた。呪力の炎に阻まれた弾丸が変形して宙に弾け飛ぶ。
「キャーッ!」
更なる悲鳴が上がった。講堂の中の人々が、渦を巻いて逃げ出そうとする。
「発砲は許可しないと言ったはずだ! ティバルト警部!」
「はは! 失礼しました! よく聞こえなかったもんでして!」
ティバルト警部と呼ばれた背の高い男は、その長い背骨をそらして笑う。
「ワシの声が、隣にいて聞こえなかったはずはなかろう!」
「はい、何ですって? ガナリ過ぎなんすよ、ボスは! かえってよく聞こえませんよ!」
警部は何処か人を小馬鹿にした笑みを浮かべて、未だにその銃口をジュリに向ける。
「長居は無用ね!」
ジュリはそう叫ぶとステンドグラスを蹴った。その身を宙に投げ出す。炎の翼をそのベストの背中から生やして、重力に逆らってその場に留まった。
「はは! 土産だぜ! 受け取りな!」
ティバルトはそう叫ぶと、そのジュリに更に発砲する。
「――ッ!」
命令を無視してまで発砲された弾丸。ジュリはとっさに身を翻してそれを避けた。
「警部! ワシの命令が、聞けんのか?」
「よく聞こえないって、言ってるじゃないですか! おおっと!」
ティバルトはモンタギューに手を押さえられ、ようやくその銃を降ろした。そのモンタギューの手元は、よく見れば触れもせずに不可視の力でその銃を押さえつけている。
「ふふん」
その様子にジュリが前に向き直る。そして嬉しげに鼻を鳴らした。
振り向いた己の視線の先に、いつの間にか澪がいた。澪は元いた場所を素早く離れたようだ。開け放たれた窓の下――入り口でジュリを睨みつけていた。
「流石、ロミオ様。なるほどね。私が外に出たところを、狙うおつもりね……」
ジュリはそう呟くと宙を軽く蹴る。ぐんっと急降下した。
「キャーッ!」
来賓の間を縫うように飛んでいくジュリに、ダンスホールから止めの悲鳴が湧き上がる。
「開けて下さらない! 人様の指示に従うのは、嫌いでしてね!」
「――ッ! なっ?」
せっかく開いている窓を無視し、澪の立つ閉じられたドアに向かってくるジュリ。そのジュリに澪が思わず声を上げる。
「く……ドアを打ち破る気? 来賓者がまだいるのに!」
その勢いにジュリの狙いを察した澪は、とっさに己の背後のドアに己の体重を預けた。
澪はその両開きのドアの、片方の扉を背中で押し、もう片方を足の裏で蹴った。
ジュリが突っ込んできたのは、まさにその瞬間だった。
「ふふん……」
「この……」
二人はすれ違い様に互いの目を見る。ジュリはにこやかに。澪は苦々しげに。
「あはは! 開けて下さると思ってましたわ!」
「待ちなさい!」
そしてジュリは高らかに笑って外に飛び出し、澪がその後をすぐさま追った。