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第一幕、ロミオ・ダンス10

 若い警官は場慣れしていないのか、やや緊張した面持ちで、奥の持ち場と思しき壁際に突っ立った。スーツ姿もぎこちない、先にジュリを助けた若い警官――一路澪だ。

「先程はありがとうございました」

 ジュリはそうにこやかに声をかけながら、壁に一人立つ澪に近づいた。

「ああ! 先程の。お怪我はありませんでしたでしょうか?」

「ええ、おかげさまで。瑕のない璧のごとく。完璧ですわ。ですので、お礼と言ってはなんですが、ご一緒にダンスなどお願いできませんでしょうか?」

「あ、いや……」

 ジュリがすっと右手を差し出すと、澪は困った顔でその右手とジュリの顔を見比べた。

「あら? 踊って下さらないの?」

「私は警備担当の警官ですから。申し訳ありませんが――」

「まあ、この春の雨音のような軽やかな音楽の中で、まるでひさしの下に隠れるように、ぽつねんと立っていらっしゃるご様子。それがお仕事ですの? 私にはまるで雨宿りに見えますわ。迎えを待つ寂しい雨宿り。でもこれはあまの音ではなくプロの音楽ですわよ」

 ジュリは澪に皆まで言わせず、いつもの調子で長々としゃべり出す。

「はい? アマ? プロ? あ、いや、そういう訳ではないのです。私は職務中ですので……」

「市民の票をブーツの底に仕込んででも、己を大きく見せなければならない今日のホスト――」

 ジュリはそう言いながら遠目に、享の都の主――享都府知事に流し目を送る。

「来賓のご機嫌を取る以上の仕事が、その部下にございますでしょうか?」

「それは他の者が致します。私は警備をする為に、ここにいますので」

「まぁ、警備が必要な危険な場所を、知事様はパーティの会場に選んだのかしら?」

「いえ! そういう訳では……」

 澪は困ったように目を泳がしながら、差し出されたままの相手の右手を見る。

「差し出された婦人の手を、いつまでも放っておく。失礼ではございませんか?」

「いや、ですから私には警備の仕事が……」

「まあ、むしろ軽微な仕事とおっしゃって下さいな」

「はい? ケイビ? あ、いや、失礼。しかし……私はこの通り、ドレスコードにも、引っかかりそうな野暮なスーツで……」

「まぁ! ドレス規定コードですって? この踊り出さずいられない音楽の中に、誰がそんな矛盾する和音コードを刻んだのかしら? それともその暗号コードは、私にはひっくり返せない程。そう、ドーコーできない程、複雑怪奇なのでしょうか?」

「はい? コード? ドーコー? いえ、おっしゃりたいことは、分かりますが……」

「随分と壁がお好きなようで。壁とのコードをお求めでしたら、掃除機の銅線コードでも差し込めばいいんだわ。さぞかし盛大に、そちらのコードにも引っかかるでしょうけどね」

「は、はぁ……」

「ついでに言うと、ここは講堂、コードーあるのみ」

「はい?」

「気にしないで、気の置けない方には、時折素が出ますの」

 ジュリはニコッと微笑んだ。そしてその笑みに相手がたじろいだ隙に、更に右手を差し出す。

「アメンボのように心を軽くなさいなさいな。世俗の常識などそうすればスイスイと――」

 ジュリが上機嫌に何か言いかけたその時、

「――ッ!」

 神経を直接撫で上げられたような悪寒が、その背中を駆け上がった。



「どうか致しましたかな?」

 不器用だが柔らかな声がジュリの背中でした。

「い、いえ! このご婦人が……」

 その不慣れではあるが柔和な声に、澪は逆に硬く身を強ばらせる。

「……」

 そしてジュリは一歩も動けなかった。

 声をかけられるまで、私が相手の気配に気づかなかったなんて――

 背後からの視線が戦慄に身を固めるジュリを射抜く。その場に視線で釘づけにされたジュリは、更に全身を手で這われたような感覚に襲われた。

 呪術――

 己の全てを見透かすような、力の籠ったその視線にジュリはそう直感する。

 ジュリの全身をその視線が撫で回す。時に恋人を優しく抱擁するかのように。時に買った奴隷を冷たく吟味するかのように。その視線はジュリを弄ぶ。

 視線の強弱を変えることで、皮膚の感覚すら操るようだ。

 見つめるだけでボタンを外され、ベストとブラウスが肩からするりと滑り落ちた。錯覚だ。

 更に眼差しだけで巧みにホックを解かれ、スカートがストンと落ちる。錯覚だ。

 あまつさえ――下着のゴムにすら眼光は忍び込もうとする。錯覚だ。

 そう。それらは全て錯覚だ。背後の人物は、その視線だけでそんなことすらやってのけた。

 だがジュリは錯覚だと己に言い聞かせながらも、その感覚を振り払えない。

 逃げられない。避けられない。拒めない。裸にされていく――

 相手の視線がジュリの鳩尾をまさぐった。呪力の中枢――丹田だ。呪術的にも、相手はジュリを探ろうとする。隠すことも阻むこともできず、ジュリは相手の視線に曝される。

 撫でられ、なぶられ、弄ばれる。

「――ッ!」

 ジュリが恥辱と怒りに我を忘れそうになった。

 その時――

「ダンスをご所望ですかな? ワシの部下と」

 視線の主はその声とともにその目に込めた力を抜いたようだ。

 ジュリの肌の上から不意に視線の力が消えた。ジュリは心の中で慌てて服をかき集める。儀式的なまでに、心の中で服を着直すことで、己と服を取り戻そうとする。ジュリは一呼吸置いて、己の服を――自分が服を着ているという感覚をやっと取り戻した。

「ええ。先程暴漢に襲われそうになったところを、この刑事さんに助けていただきまして」

 ジュリは恥辱に湧き上がる怒りを押さえながら、ゆっくりと振り返る。相手の真意が分からない。情けをかけられたかのような、この対応。

 ジュリの正体など、今の視線でお見通しのはずだ。ジュリは相手の意図を探ろうとする。

「おや、可愛らしい。この季節によく似合う、桜のようなお方ですな」

 ジュリが振り向くと、先程睨みつけてやった男がにこやかに立っていた。

 享都府警の刑事を部下とする男。澪すら身を硬くしてしまう程の上司。

 享都府警のトップ――モンタギュー本部長だ。

 モンタギューは先程まで話していた知事を後ろに残し、気配もなくジュリに近づいたようだ。

 やるわね――

 ジュリはその気配の消し方に内心舌を巻く。そしてそれでいながら挑発的な呪術の送り方に、ジュリの内面で沸々と怒りが甦ってくる。

「モンタギュー様ですか? お会いできて光栄です。享の街を守る頼もしい大紋宮。それを直々に率いる、熱血漢の本部長様とお聞きしておりますわ」

「がはは。いや、そうですか。照れますな。確かに大紋宮は私の肝いりでできた部署。ですがワシよりも、部下を見てやって下さいな。桜の大紋の下に、優秀な部下を揃えておりますぞ」

 モンタギューはそう言うと、チラリと一路澪を見た。澪は更に無言で身を固くする。

「だが今は壁の花とはいえ、桜は桜。ですからいくらあなたが桜の花の化身でも、枝を手折るのはマナー違反ですな。特にそのような若い枝は」

「いいえ、とんでもない。余程丈夫な幹と繋がっていらっしゃるご様子ですわ。話しても話しても、離し切れませんでしたわ。気を引くだけで精一杯でございます。折れるということを知らないご様子。実に立派で丈夫な桜の木でございますこと」

 ジュリは視線の仕返しとばかりに、目の奥でモンタギューを睨み返す。

「キは引いても、折れませんでしたかな? がはは。面白いお方だ。おや、失礼――」

 だが本部長はジュリの視線に、気にした様子を見せない。不意に無防備に振り返ると、

「野暮用のようですな」

 やはりにこやかにそう告げて、こちらに手を振る部下らしき人物に手を振り返す。

「警部補。ワシが許可しよう。このお方の、ダンスのお相手をするように」

 モンタギューは少々ぎこちない笑みで、にこやかに澪に告げる。

「はっ!」

「頼んだぞ。では、ごきげんよう。がはは」

 モンタギュー本部長は何処までもガサツに挨拶すると、

「……」

 ジュリの挑発的な視線を背中で受け流し、悠然と二人の下から離れていった。

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