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勇者パーティを追放された日、俺以外の全員が泣いていた(短編版)

作者: 白川 透
掲載日:2026/10/28

「トーマ。この先には、お前を連れていけない」


 昼の宿の裏庭で、レオンはそう言った。勇者らしいよく通る声だった。ただ、その声を出している顔のほうがひどかった。目が真っ赤で、鼻の頭まで赤い。


 隣ではイリスが俺の背嚢を抱えたまま、なぜか井戸のほうへ顔を背けている。ニナは袖で顔をごしごし拭いていて、拭くたびに怒ったように眉が寄った。セナに至っては、さっきから声も出さずに泣き続けていて、止まる気配がない。


 追放される側の俺だけが、乾いた目で突っ立っていた。


「……待ってくれ。順番がおかしくないか」


 思わず笑ってしまった。


「普通こういうのって、追い出す側がもっと冷たい顔するもんだろ。誰か死ぬ病気にでもなったのか? それとも全員で俺をからかってる? だとしたら演技がうますぎる」


 誰も笑わなかった。セナの肩が小さく跳ねただけだった。


 念のため、今日が何かの祭りの日でなかったか考えた。誰かの誕生日でもない。だいたいこの四人に、全員で泣き真似を揃えるほどの芝居心はない。レオンは嘘をつくと耳が赤くなるし、ニナは三秒で吹き出す。


 それで笑いはすぐに引っ込んだ。二年一緒に旅をしてきた連中が、そろってこんな顔をするのは初めて見る。


「何かあったのか」


 真正面から聞くと、レオンはわずかに顎を引いた。


「この先の戦いは、今までより危険だ」


「知ってるよ。竜の巣に行くんだから。危険じゃなかった日なんか一日もないだろ」


「お前は戦えない」


「それも二年前から知ってる。俺が聞いてるのは、なんで全員泣いてるのかってことだ」


 レオンは答えなかった。答えないまま、戦えない人間を連れていく余裕はないと、同じことを言い方だけ変えて繰り返した。嘘ではないのだろう。ただ、俺の質問には一度も触れていない。


 隠し事をされている。それくらいは分かる。分かるのに、中身には指一本かけさせてもらえない。


「俺には話せないことなのか」


 レオンの喉が動いた。何か言いかけて、やめた。代わりにニナが、顔から袖を離さずに言った。


「早く行けば」


 言い方はいつもの憎まれ口と同じだった。なのに、声の端がひっくり返っていた。


 レオンが一歩前に出た。勇者が号令をかけるときの立ち方だった。


「トーマ。今日でお前は、このパーティを抜ける。これは決定だ」


 言い切った瞬間、あいつの目から涙が一粒落ちた。本人は気づいていないみたいに、顎を上げたままだった。


 イリスが背嚢を差し出してきた。受け取るとき、ようやく目が合った。赤かった。


「それと、これ」


 レオンが小さな革袋と、折りたたんだ紙を出した。紙には見覚えのある間取りが描いてある。往路でこの町に寄ったとき、宿の主人が「空いてるんだよ、もったいない」と案内してくれた、南の坂の空き食堂だった。


「仮押さえしてある。金は俺たちの報酬から出した。好きに使え」


 革袋は重かった。重さで、本気なのが分かった。


 食堂を開きたいと言ったのは俺だ。旅が終わったら、日当たりのいい町で、と。覚えていてくれたのだと思うより先に、残りの人生まで決められていたのだと思った。行き先も、住む場所も、毎朝立つ厨房も、俺が選ぶ前に全部用意されている。


 それなのに、紙の端に描かれた竈の位置を見て、少しだけ胸が浮いた自分がいた。そのことがいちばん腹立たしかった。


 レオンたち三人は、出立の準備があるからと宿へ戻っていった。セナだけが、少し遅れてその場に残っていた。


「俺、そんなに邪魔だったかな」


 自分でも情けない声だった。セナは唇を開き、何も言えないまま、また泣いた。


*


 昼過ぎ、宿の主人に案内されて坂を上った。


 食堂は南斜面の街道沿いにあって、通りに面した窓から午後の日がまっすぐ床まで入っていた。客席は狭くも広くもない。


「今朝、魔法使いのお嬢さんが来てね」と主人は言った。「ここに五人で座れる卓が置けるかって、何度も念を押していったよ。置けるって答えたら、ならいいって怒ったみたいに帰っていった」


 五人。俺は窓のほうを見たまま、そうですか、とだけ言った。


「前の店主は腰を悪くして娘のところへ行ってね。竈はまだ十分使えるよ。峠の向こうが落ち着けば、北へ行く荷馬車がまたここを通る。昼飯を出す店は、いくつあっても足りない」


 主人は商売の話を楽しそうにした。俺はほとんど聞いていなかった。


 厨房に入ったところで足が止まった。竈が二つ、作業台は俺の腰の高さにちょうど合う。水場は窓の下で、鍋を洗いながら通りが見える。紙の上で見たときよりずっといい。ここなら毎日働けると、立ってみて体のほうが先に分かってしまった。


 主人は、今夜はここの厨房を使っていいと言って帰っていった。それも四人が頼んでおいたらしい。


 背嚢を作業台に下ろして中身を確かめると、詰めた覚えのない場所に小さな布包みが入っていた。開くと、針と太い糸、革紐、予備の留め具、蝋の塊。イリスの補修道具だった。荷物の積み方で毎回揉める相手が、いちばんかさばらない隅に、いちばん丁寧に押し込んでいた。


 泣くほど別れが惜しくても、連れていきたくはないのだ。俺はそう思うことにした。そう思わないと、ほかにうまく説明がつかなかった。


 夕方、市場で買ってきた肉と玉ねぎを作業台に並べた。一人分だけ作るつもりだった。なのに気づくと玉ねぎを五つ剥いていて、肉も旅のときと同じ量を切り分けていた。


 ひと月ほど前の野営を思い出したのは、たぶんそのせいだ。まだ影も形もない店の、開店初日の注文を勝手に決められた夜だった。焚き火の上で煮込みが煮えていて、誰かが「店を開いたら」と言い出したのが始まりだった。


「肉煮込み、二人前な」とレオンが真っ先に言った。


「焼き林檎。食事より先に出して」とニナが割り込んだ。


「先に出したら飯が入らなくなるだろ」


「入るし」


 俺が言い返している間に、イリスがレオンに「二人前なら二人分払え」と言い、レオンは「勇者割引は」と粘って「ない」と即答されていた。注文はどんどん増えて、俺は店を潰す気かと文句を言いながら、煮込みに添えるなら黒パンのほうが汁を吸っていいなと、もう考えていた。


 その騒ぎの最中に、セナが黙って鍋から一皿よそって、俺の膝の上に置いた。


「トーマさんの分です。今のうちに取っておかないと、なくなりますから」


 実際、なくなった。


 鍋の中から玉ねぎを四つ分すくい出して、別の器へ移した。肉も戻した。一人分の量にすると、鍋の底がやけに広く見えた。


 玉ねぎを炒めて肉を入れ、宿で分けてもらった葡萄酒を少し落とす。竈の火は素直で、旅の焚き火みたいに風で暴れることもない。味見をすると、ちゃんといつもの味がした。うまいと言うやつも、薄いと文句を言うやつもいないだけだ。


 煮込みが温まるのを待ちながら、窓の外の坂を見た。朝に仕込みをして、昼に店を開けて、夜は鍵を閉める。旅の途中で何度も想像した暮らしが、ここなら本当にできてしまう。負け惜しみではなく、いい場所だった。


 店の扉が鳴った。


 開けると、外套の裾を土で汚したセナが立っていた。


「町でトーマさんと話してくる、と言って出てきました。今夜中に戻ります」


 セナは戸口でそう言って、中に入らずに頭を下げた。


「本当のことを言いに来ました。明日を迎える前に、あなたに話さないといけないと思って」


 俺は彼女を椅子に座らせ、自分も向かいに座った。卓の上には、よそったばかりの煮込みがあった。


 セナは言葉を選びながら話した。この町の神殿に、一度だけ使える祭具が残っていたこと。昨日の夕方、俺が補給の受け取りに出ていた間に、それで近い将来の危機を見たこと。祭具は使えば失われて、もう二度と見られないこと。


「見えるのは、そのときのまま進んだ先の未来です。行動を変えれば変わるかもしれない。でも、変えたあとが安全かどうかまでは分かりません」


「何を見たんだ」


 セナは膝の上で指を組んだ。


「砦の広間の入口です。竜は倒れていて、レオンさんが入口から少し入ったところで動けなくなっていました。天井の梁が裂けていて、火が噴いて……トーマさんが一人で走って、レオンさんを引きずって戻ってきて」


 そこで声が途切れた。


「最後に、トーマさんがレオンさんを入口のほうへ押し出して、梁が落ちました。そのあと場面が飛んで、私たち四人が、外套にくるんだあなたを運んでいました」


 言い終えると、セナの目から涙がこぼれた。昼から何度も泣いていたはずなのに、まだ出るのかと思った。彼女はそれを拭わずに、俺の顔をまっすぐ見ていた。


 外套の色まで聞く気にはなれなかった。


 自分が死ぬ話を聞いたのに、最初に出てきたのは怖さではなかった。


「どうして、俺に話さなかった」


 セナは目を伏せなかった。それがかえってつらそうだった。


「ごめんなさい。追放に同意して、あなたを傷つけました。……話したら、トーマさんはきっと残ってくれないと思って。私も怖くて、それで、黙っていました」


 だからといって、はいそうですかとは言えなかった。


 昼の裏庭で、俺は何度も聞いた。何かあったのかと。四人ともそこにいて、四人とも知っていて、誰も言わなかった。俺が勝手に、自分の何が駄目だったのか数えている間もずっと。


 俺は返事をしなかった。煮込みの表面に、脂が薄く白く固まり始めていた。さっきまで湯気が立っていたのに。


「追い出すのは、誰が言い出したんだ」


「レオンさんです。でも、私たちは全員うなずきました。止めた人はいません」


 セナはそれ以上、誰もかばわなかった。


 まだ怒っている。それなのに、口から出てきたのは別のことだった。


「俺を置いていけば、お前たちは帰れるのか」


「……分かりません」


 セナは正直に言った。


「トーマさんがいない場合の未来は、見ていないんです。祭具はもうありません。私たちは、勝てると分かっていた未来を捨てて、分からないほうへ行くことにしました」


 懐の中で、店の鍵が指に当たった。宿の主人から今日渡されたばかりの、真新しい鍵だ。ここに残れば、俺はたぶん死なない。明日も明後日もこの厨房に立って、玉ねぎを剥いている。それはもう、手の届くところにある暮らしだった。


「それと」とセナが言った。「予言を見終わったあと、レオンさんが何度もあなたの名前を呼んで謝っていました。そこにいないのに、ごめん、ごめんって。私たち、誰も止められませんでした」


 鍵を握った手が震えていた。セナに見られないように、俺は椅子に深く座り直して、手を膝の下に入れた。


 怖かった。


 それでも、あいつが一人で謝っている姿のほうが、頭から離れなかった。


「行くよ」


 セナが顔を上げた。


「勘違いするなよ。戦いについていくって決めたわけじゃない。レオンに会って、自分の口で話す。黙って決められたまま、ここで煮込みを食ってるのは嫌だ」


 冷めた煮込みを鍋に戻して蓋をし、竈の火を落とした。窓の掛け金を下ろして、まだ一度も客を入れていない店の扉に鍵をかけた。鍵は捨てずに懐の奥へしまった。


 宿の主人に頼むと、事情も聞かずに馬を一頭貸してくれた。セナの馬と並んで、夜の街道を峠のほうへ走らせた。


*


 駐屯地に着いたのは深夜だった。


 天幕の前で剣の手入れをしていたレオンは、馬から降りる俺を見て手を止めた。それから、ゆっくり立ち上がった。


「セナ」


 低い声だった。


「話してくるだけだと言ったよな。どうして連れて――」


「俺が自分で来たんだよ」


 俺はセナとレオンの間に入った。


「セナに頼まれたんじゃない。聞いて、俺が来るって決めた。文句は俺に言え」


 レオンは俺を見た。昼に泣いていたときとは違う、どうしていいか分からない顔だった。


「……聞いたんだな」


「聞いた。梁が落ちて、俺が死ぬって」


「なら、なんで来た」


「お前に会いに来たんだよ」


 焚き火の向こうで、イリスとニナが黙ってこちらを見ていた。


「見たんだ」とレオンは言った。「お前が俺を引きずってくるのを。俺は動けなくて、お前に引きずられて、最後に突き飛ばされて、それで――俺は生きてて、お前だけ」


 そこで言葉が切れた。レオンは一度地面を見て、また俺を見た。


「死ぬと知ってて、連れていけるわけないだろ」


「だったら、なんで泣きながら追い出すんだよ」


 自分で驚くくらい声が大きくなった。


「昼からずっと考えてたんだ。何が駄目だったのか。料理か、荷物の積み方か、口の悪さか。二年いて、初めて自分がここにいていいのか分からなくなった。お前らが泣いてるから、余計に分からなかった」


「それは――」


「嫌われたまま死ににいくなよ。俺の知らないところで」


 言ってから、ひどいことを言ったと思った。


 レオンは口を開け、閉じた。言い返そうとしたものを飲み込んで、言い直した。


「お前は戻れば、また一人で飛び込む」


 静かな声だった。


「待てと言っても、お前は来る。半年前もそうだった」


 右肩が急に重くなった気がした。


 半年前の撤退戦で、俺は後方で荷物と負傷者を見ている役だった。動くなと言われていた。なのにレオンが戻ってこないと聞いて、気づいたら走っていた。あいつを見つけたところまではよかったが、二人まとめて魔物に追われて肩を裂かれ、最後はイリスに二人とも担ぎ出された。


 あれくらいで済んだ、と俺は笑って言った。あのときは本気でそう思っていた。


「……飛び込んだよ」


 俺は認めた。


「待てって言われてたのに飛び込んだ。それは本当だ。でも、あのときお前を見に行ったこと自体を、間違いだったとは言わない」


 レオンが何か言う前に続けた。


「だから、今度は違うやり方をする。戦ってる間は入口の外から動かない。いつもの持ち場だ。何かあっても一人では動かない。場所を変えるときはイリスに確認する」


 イリスが目だけをこちらへ向けた。


「それと」


 次の言葉が喉で止まった。


 イリスが無理だと判断したら引き返す。そう言うつもりだった。でもそれは、レオンがまだ中にいても、俺は戻るということだ。あいつを置いて。


 焚き火がはぜた。誰も急かさなかった。


「……イリスが続けられないと判断したら、俺は引き返す」


 言ってしまうと、手のひらが汗で冷たくなっていた。


 イリスが立ち上がった。


 それから俺の前まで来て、見下ろした。


「私が戻れと言ったら、戻れるか。レオンが中にいても」


「戻る」


「私の返事より先に動かないか」


「動かない」


 イリスはしばらく俺の目を見ていた。嘘を探すときの目だった。荷物の積み方で揉めるときも、こいつは同じ目をする。


「引き受ける」と彼女はレオンに言った。「救助の配置と、退くかどうかの判断は私がする。トーマは入口外。ロープで引く。私が隣につく。中へは入れない」


 レオンは反論しかけて、イリスの顔を見てやめた。天幕の柱に手をついて、しばらく焚き火を見ていた。セナが何か言いかけて、やめた。ニナは膝を抱えたまま、一度も口を挟まなかった。


 長い沈黙のあと、レオンは息を吐いた。


「入口での救助だ。それ以上はさせない」


「分かってる」


「怖いのは変わらないからな」


「俺だって怖いよ」


 レオンはほんの少し笑いかけて、うまく笑えずに顔をこすった。


「これからは、分かってることは全部話す。お前の案も聞く。……それでいいか」


「いい」


 レオンの目はまだ、ときどき俺の肩のあたりで止まった。俺のほうも、あいつが梁の話をするたびに、知らず知らず息を詰めていた。


 ニナが黙って毛布を投げてよこした。俺がそれを受け取るのを見届けてから、彼女は自分の天幕へ引っ込んだ。


*


 夜明けに起きて、朝食の鍋を囲みながら地図を広げた。レオンとイリスが決めた作戦を、今度は俺も最初から聞いた。


「竜を倒したあとも、腹の中の火が噴く」とイリスが言った。「何度かに分けて。だからニナは最後まで防御の魔力を残す」


「動けなくなったやつはどうする」と俺は聞いた。


「入口からロープで引く」とレオンが答えた。俺の顔は見なかったが、答えは早かった。


「最初から結んでおけないのか」


「竜の爪に引っかけられたら、そのまま振り回される」


「投げるなら、波の切れ目だ」とイリスが付け足した。「火が途切れた隙に投げて、次の波の前に引く」


 それなら投げるしかない。俺はロープを二本出して先に輪を作り、絡まないように肩から斜めに巻いた。一本は予備だ。野営の天幕を張るのに毎晩使っていたロープで、どこが擦り切れかけているかまで指が覚えている。


「回復薬は、半分を最後まで残します」とセナが言った。「竜が倒れてからが本番ですから」


 イリスが俺の背後に回って、革帯の留め具を勝手に締め直した。ついでに予備のロープの輪を引っ張って、結び目を確かめる。


「緩い」


「緩くない。それはわざとだ。投げたときに輪が開くように」


 イリスは黙ってもう一度引っ張り、今度は何も言わずに手を離した。


 まだ話が続きそうなところで、ニナが匙で鍋の縁を叩いた。


「ねえ、冷めるんだけど。作った人が一番食べてないの、何なの」


 俺は慌てて匙を取った。レオンは何か言いかけて、結局黙ってパンをちぎった。いつもなら、ここで俺の分まで取ろうとするやつだった。


*


 山道を半日歩いて砦に入り、さらに一刻ほどが過ぎていた。


 広間は、大股で二十歩もあれば奥の壁に届く広さだった。黒竜は頭をこちらへ向けて、その巨体で広間の半分を塞いでいる。鱗はあちこち剥がれ、片方の翼は根元から裂けていた。それでも首を持ち上げるたびに、広間の空気が震えた。


 俺は入口の外、厚い石壁の陰にいた。いつもの持ち場だ。足元には回復薬の箱、肩には二本のロープ。


 ここからは全部が見えた。見えるだけだった。


 竜の前脚が振り下ろされる。その寸前に、ニナの火球が竜の目元で弾けて爪の軌道がわずかに逸れる。逸れた先にはもうイリスがいて、盾で受け流しながら懐へ踏み込む。セナの声が後ろから飛んで、イリスの腕の傷が塞がる。レオンは竜の首の下をくぐり、一度だけ剣を入れてすぐ離れた。


 竜が尾を振った。石柱が一本砕けて、破片が入口のほうまで飛んでくる。俺は石壁の陰で頭を下げ、顔を上げたときにはもう、イリスが砕けた柱の陰から次の位置へ移っていた。ニナが短く何か叫び、二発目の火球が竜の鼻先を焼く。竜が怒って首を振り、その隙にレオンがまた一太刀入れる。


 二年見てきた連携だった。一人でも息が合わなければ誰かが潰れる。分かっているから、見ているだけで喉が渇いた。何度見ても慣れない。俺の仕事は、終わったあとに薬を渡して、飯を作って、破れた外套を繕うことだ。始まってしまえば、ここで待つことしかできない。


 今日はその待つ場所に、もう一つ約束が増えている。肩のロープの重さが、それを思い出させた。


 竜の動きが、少しずつ鈍くなっていった。羽ばたこうとして裂けた翼が床を打ち、前脚の踏ん張りが浅くなる。喉の奥で溜めた火を吐こうとして、途中でむせるように煙だけを漏らした。


 終わりが近い。それが分かるのに、俺の手は汗で滑っていた。セナが話した未来は、竜が倒れたあとから始まるのだ。


「イリス、右!」


 レオンが叫ぶ。イリスが盾ごと竜の顎を跳ね上げ、竜の喉元ががら空きになった。


 イリスはそこで深追いせず、決めてあったとおり退路のほうへ下がった。代わりにレオンが一人で、こちらを向いた竜の頭へ踏み込んだ。


 剣が喉に沈んだ。


 竜は声にならない音を吐いてのけぞり、そのまま崩れる――と思った瞬間、最後の身じろぎで振られた首がレオンを薙いだ。


 レオンは床を転がり、片膝を押さえてうずくまった。立とうとして、立てない。


「レオン!」


 あいつは剣を捨て、肘で床を掻いてこちらへ這い始めた。少し進んだところで、竜の喉の傷口から火が噴いた。


 炎の帯が床を走り、退路のイリスと、這うレオンの間を断ち切った。


「来るよ!」


 ニナが杖を突き出し、入口の前に薄い光の壁を張った。火はそこで割れて両脇へ流れた。


 天井で乾いた音がした。


 見上げると、太い梁に裂け目が走っていた。入口から少し入ったあたりだ。火の照り返し。動けないレオン。


 セナが話した光景と同じだった。


 背中が冷たくなった。聞いて知っていたのと、目の前にあるのとでは、まるで違った。あの梁が落ちて、その下に俺がいる。外套にくるまれて運ばれていく。そこまでの道筋が、床の上に一本の線で引いてあるように見えた。


 ただ、セナは俺の後ろにいて、回復薬の箱を開けていた。イリスは火の向こうで盾を構え直し、壁沿いにこちらへ回り込み始めていた。決めたとおりの場所に、全員がいた。


 火が一度途切れた。


「今!」


 イリスの声と同時に、俺は肩からロープを外して投げた。輪がレオンの手前に落ちる。レオンが手を伸ばしてつかみ、腕を通した。


「引け!」


 入口まで戻ってきたイリスと並んで、ロープを引いた。鎧ごとの人一人の重さが掌に食い込む。それでもレオンの体は床を滑って、確かにこちらへ近づいてきた。


 いける、と思った。


 頭の上で梁が鳴った。


 裂けていた梁が、入口のすぐ手前の通路へ落ちた。石と木片が跳ね、熱い粉が顔に当たった。


 俺は石壁の陰にいた。梁の下ではなかった。予言の中で俺を殺したはずの梁が、俺のいない場所に落ちていた。


 安堵する暇はなかった。ロープが急に動かなくなった。引いてもびくともしない。落ちた梁の下に挟まれていた。


 梁の向こうで、レオンが咳き込みながら身を起こすのが見えた。体は挟まれていない。けれど俺たちとの間を、梁と瓦礫が塞いでいる。正面からはもう引けない。


 俺は引く手を止めた。


 梁は通路の真ん中に落ちていて、右の端は壁際まで届いていない。入口の右脇からなら、梁の端を回してロープを通せる。ただ、そこは床石が欠けて、足場が斜めに崩れていた。一人で身を乗り出して投げれば、足を滑らせて火の中だ。


 走れば届く距離だった。四、五歩。梁を乗り越えて、レオンの腕をつかんで、引きずって。


 足が勝手に前へ出かけた。


 俺はその足を止めて、振り返った。


「イリス!」


 声が裏返った。構わなかった。


「あそこから投げ直す。右の脇だ。足場が悪いから、腰を支えてくれ」


 指でさした先をイリスが見た。崩れた床石、梁の端、自分が立つ位置。一瞬だった。


「支えられる」


「ニナ、右側に火を通さないでくれ!」


「注文多い!」


 ニナが壁を解き、角度を変えて張り直した。光の壁が入口の右脇を覆う。イリスが俺の背後に入って革帯を両手でつかんだ。セナが予備のロープを俺の手に押しつけ、残りを足元から絡まないよう繰り出していく。


 入口の右脇へ、欠けた足場の縁まで出る。落ちた梁の真横だった。熱が頬を焼いた。


 顔を上げると、梁の向こうのレオンと目が合った。


 あいつの視線が、落ちたばかりの梁と、その横に身を乗り出した俺の間を一度だけ往復した。


「来るな!」


 悲鳴に近い声だった。


 俺はそれ以上踏み出さなかった。


 欠けた足場の縁で、腰にイリスの両手を感じたまま、予備のロープを構えた。


「行かない! 一人じゃない!」


 喉が裂けそうだった。


「イリスがつかんでる! 取れ、レオン!」


 ロープを投げた。梁の端を回って、輪がレオンの手前に落ちる。


 レオンは動かなかった。ほんの一瞬、あいつの目は俺の足元を見ていた。それから視線が少し上がって、俺の腰をつかむイリスの手で止まった。


 レオンの手が、ロープをつかんだ。


 使えなくなった最初のロープから腕を抜いて二本目の輪に通し直し、膝を引きずりながら、自分で体を梁の端のほうへずらしていく。


「戻るぞ」


 イリスが俺を引き戻し、セナが腕を取って、二人がかりで欠けた足場から石壁の陰へ下がらせた。足がちゃんと平らな床を踏んでから、イリスがロープを握り、俺もその後ろについた。


「引く」


 イリスが引いた。俺も引いた。掌の皮がロープに削られていくのが分かった。


 火がまた噴いた。ニナの壁が軋んで、光が薄くなる。


「ニナ、あとどれくらいもつ!」


「黙って引いて!」


 ニナの額から汗が落ちていた。杖を握る手が震えている。張り直すたびに光の壁は薄くなり、さっきまで見えなかった向こう側の炎が、透けて揺れていた。


 ロープの先で、レオンが梁の端を回り込んだ。片腕で床を押して、少しでも前へ出ようとしている。重さが急に軽くなり、また重くなる。イリスの背中が大きくしなった。


「もう少しです!」


 セナの声がした。


 最後に一度、全員の息が合った。レオンの体が入口の敷居を越え、石壁の陰へ転がり込んできた。


 その直後にニナの壁が消えて、入口いっぱいに火が噴き出した。俺たちは全員、石壁の裏に伏せていた。


 火が収まるまで、誰も口をきかなかった。


 やがてセナが動いて、レオンの膝に手を当てた。イリスは籠手を外して、焼けた腕に薬を塗り始めた。ニナは壁にもたれて座り込み、もう何も出ないと呟いた。


 俺の掌は、ロープの形にそのまま皮が剥けていた。セナが薬を塗ってくれて、しみるのを我慢しているうちに、ようやく周りの音が戻ってきた。広間の奥で、まだ何かが燻る音がしている。竜は倒れたまま、もう二度と動かなかった。


 俺は数えた。


 レオン、イリス、ニナ、セナ。それから自分。五人いた。


 もう一度数えた。やっぱり五人いた。


 そう分かった途端、膝から力が抜けた。石壁に背中を預けてずるずると座り込むと、目の奥が熱くなって、止める間もなく涙が出てきた。


「……トーマ、泣いてる」


 ニナが言った。


「泣いてねえよ」


 言い返したつもりの声が、どうしようもなく震えていた。


「泣いてるじゃん」


「うるせえ、煙が目に入ったんだよ」


 誰も笑わなかった。あの裏庭で見たのと同じ顔ぶれの中に、今度は俺も入っていた。


 レオンが膝を押さえたまま、こちらへにじり寄ってきた。


「悪かった」


 それだけだった。それで十分だった。


 レオンの目もまた赤くなっていた。裏庭のときのように、顎を上げて隠そうとはしていなかった。


「立てるか」とあいつは聞いた。


「無理。腰が抜けた」


 レオンが手を差し出した。片膝が使えないくせに。その横からイリスの手も伸びてきた。俺は二人の手を両方つかんで、ようやく立ち上がった。


 立ってみると、今度はレオンのほうがふらついた。俺はとっさにあいつの腕を肩に回しかけて、右肩の古傷が引きつって顔をしかめた。結局イリスがレオンの反対側を支え、セナが俺の背中に手を添えて、ニナが杖を突きながら先を歩いた。


「帰ったら何食べる?」とニナが振り向かずに言った。


「まず寝る」


「つまんな」


 五人で、砦の外の光のほうへ歩いた。誰の足も、ちっとも速くなかった。


*


 レオンの膝が治るまでにひと月、残りの後始末にさらにふた月かかった。砦の跡は王国の部隊が引き継ぎ、峠の北へ向かう街道には少しずつ荷馬車が戻り始めた。


 療養の間、俺は宿の厨房を借りて、毎日五人分の飯を作った。レオンは膝を伸ばしたまま椅子でつまみ食いをして、ニナは焼き林檎の焼き加減に毎回口を出した。


 店の話は、その宿で五人で何度もした。金の出どころも、物件の値段も、俺が何をやりたいのかも。受け取ると決めたのは俺だった。祝い金はありがたくもらう。その代わり、四人にはツケを一切利かせない。そう言ったら、レオンが本気で嫌な顔をした。


 開店の日、南の坂の店には朝から日が入っていた。壁際には、ニナが念を押した五人用の長卓が置いてある。


 昼は思ったより客が来た。峠を越えてきた荷馬車の御者が二人、宿の主人とその知り合いが四人、坂の下の鍛冶屋の親方。煮込みは昼のうちに鍋半分が減って、黒パンが足りなくなりかけた。皿を洗いながら通りを見ると、窓の下を荷車がのんびり上っていく。想像していたより忙しくて、想像していたよりずっとよかった。


 昼の客が引いて扉の札を裏返したところで、四人がやってきた。レオンは任務の途中で寄ったと言い、イリスは護衛の帰りだと言い、セナは神殿の手伝いを一日だけ休んできたと言った。ニナは理由を言わなかった。


「焼き林檎、先ね」


 ニナが座るなり言った。


「肉煮込み、二人前」とレオンが続けた。


「二人前なら二人分払え」とイリスが言った。


「開店祝いだろ」


「祝いと勘定は別」


「イリスは何にするんだよ」


「店主のおすすめ」


「一番困る注文だな、それ」


 セナは何も頼まずに、にこにこと卓を拭いていた。拭く必要のない卓だった。


 俺は肩をすくめて厨房へ入った。林檎はもう竈の脇で焼けている。煮込みも昨日から仕込んである。


 皿を並べていると、背後で足音がした。イリスが袖をまくって入ってきていた。


「手伝う」


「いいよ、座ってろ」


「皿運びくらいはできる」


 そのイリスの後ろから、レオンがするりと入り込んで鍋の蓋に手を伸ばした。


「味見だ、味見」


「お前のは味見じゃなくて一人前だ」


 狭い厨房に大人が三人立つと、竈の前から身動きが取れなくなった。そこへ林檎の焼き加減を見に来たと、ニナまで顔を出した。


「出てけ」


 俺は全員の背中を押して厨房から追い出した。レオンが鍋の蓋を持ったままだったので、それも取り返した。


 五人分の皿を卓に並べた。焼き林檎はニナの前に先に置いた。レオンの前には、ちゃんと二皿。


 それから、まだ足りないものはないかと厨房を振り返った。パンの追加か、水差しか。


「トーマさん」


 セナが、卓の空いた席に一皿置いた。湯気の立つ煮込みだった。


「あなたの分です。今のうちに座らないと、なくなりますから」


 俺は前掛けを外して、その席に座った。


 煮込みは舌が驚くくらい熱かった。黒パンをちぎって浸すと、汁がすぐに染みて重くなる。


 向かいから、一皿目を空にしたレオンの手が伸びてきて、俺の黒パンをつまもうとした。


「それは俺の分だ」


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