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隠し角のセラフィネ 〜屠殺者と呼ばれた彼が、私にだけ見せる本当の温度〜

この物語は、日本語を母語としない作者が、できる限り丁寧に日本語へ翻訳・編集したものです。もし不自然な表現や誤字・脱字などがありましたら、どうか温かい目で見守っていただけると嬉しいです。



山々の姿は、すでにほとんど見えなくなっていた。


セラフィネは足を止め、振り返った。木々の隙間から、地平線に白い壁のようにそびえる雪山がわずかに覗いている。その向こうにあるのは、彼女の故郷――ドラキア王国の地だ。十七年間にわたり「家」であった場所であり、一年前のあの日、彼女が捨て去った生活そのものでもあった。彼女は静かに視線を外した。


山から離れるにつれて、風景は少しずつその表情を変えていった。旅の最初の数週間、彼女が突き進んできた鬱蒼とした針葉樹林は姿を消し、代わりに秋の彩りを纏い始めた落葉樹の小立地が現れる。赤や金、橙色に染まった葉が風に舞い、足元の地面を彩っていた。


セラフィネは深紺のローブを強く引き寄せた。


生地はすでに埃と泥に汚れ、あちこちに小さな破れ目ができている。かつて宮殿で暮らしていた身としては、お世辞にも相応しい格好とは言えなかった。だが、今の彼女にとってそんなことはどうでもいい。大切なのは、フードの存在だった。


彼女はそっと手を伸ばし、フードの位置を確かめた。長いうねりのある赤髪を耳の周りに寄せることで、頭部に生えた小さな、後ろへカーブした角を隠している。人里に近いこの場所で、過ちは許されない。


ローブのすぐ下には、自身の出生を示すもうひとつの特徴――皮膚に浮かぶ微細な鱗があった。自分が普通の人間ではない証拠だ。彼女は竜人(ドラカニアン)であった。


「大丈夫……」


彼女は小さく呟いた。声に出すことで、わずかでも心を落ち着かせたかった。


北の地を離れれば、いずれ恐れも薄れると思っていた。だが現実は逆だった。逃亡の旅は、彼女に警戒心を刻み込んだ。どこで眠るべきか、どの道を避けるべきか、どの商人が危険か。そして何より、追われる身の孤独さを痛感させていた。


目の前には、整えられた街道が延びていた。本来なら避けるべき場所だ。人の目が増え、正体が露見するリスクが高まる。しかし街道の先には、大きな村の影が見えていた。


村に近づくにつれ、セラフィネは歩みを緩めた。


様子がおかしい。半壊した家々、黒く焦げた柱。畑の麦は収穫の途中で放り出されたかのように打ち捨てられている。セラフィネは息を呑んだ。放置された村? それとも事故? いや……ドラキアによる襲撃だろうか。


だが、村の中央広場に足を踏み入れると、意外な光景が目に入った。


多くの人間が集まり、その傍らには数台の馬車と、武装した兵士たちの姿があった。セラフィネはフードをさらに深く被り直した。


人間たちの兵士――本で見た通りの重厚な鉄の鎧や剣、弓を携えている。しかし、彼らは戦っていなかった。馬車から荷箱を降ろし、鍬や金づち、毛布、そして小麦粉の袋を村人たちへ配っていたのだ。


一人の年配の女性が天に手を掲げた。

「ティアマート様に感謝を! これで残りの麦も収穫できます!」


セラフィネは戸惑いながらその光景を見つめた。兵士が、復興を手助けしている……?


その時、少し離れた場所に立つ一人の青年に目が留まった。


彼は若かった。二十歳を超えているかどうかという年齢だ。肩まで伸びた黒髪と、革を基調とした軽装の防具。腰には剣を下げていたが、威圧感を与える風でもない。そして何より印象的だったのは、その無表情な顔立ちだった。一切の感情を削ぎ落としたかのような厳しさが漂っている。


しかし彼は静かに村人たちの言葉に耳を傾け、指示を出していた。叩き上げに見える年配の兵士たちも、彼の命令に一言の異議もなく従っている。


この人間は何者なのだろう。なぜ彼のような若い者が、あれほどの信頼を得ているのか。


「あ、見てママ!」


母親の隣にいた小さな女の子が、セラフィネの方を指さした。はっとした彼女は急いで建物の影へと身を隠し、人混みの端へと紛れ込んだ。


漏れ聞こえる話から、この村が数日前に襲撃を受けたこと、そして兵士たちが支援のために訪れていることを知った。人間に抱いていた凶暴なイメージが、少しずつ崩れていく。


その時、先ほどの青年兵士がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。


セラフィネの心臓が跳ね上がった。周囲の人が少なくなっていることに気づき、彼女は慌てて俯き、道を譲るように脇へ退いた。


青年は彼女の脇をそのまま通り過ぎていった。


ほっと息を吐きかけた瞬間、隣で別の兵士が声を張り上げた。

「よし、子どもたちはこっちだ! お菓子を配るぞ!」


子どもたちが群がり、兵士の手から色鮮やかな小さな粒を受け取っていく。本物のお菓子を見たことがないセラフィネは、興味深そうにその光景を眺めた。


だが、すぐ隣で一人の女の子が声を上げて泣き始めた。お菓子が足りなくなってしまったのだ。


困惑する女の子と、手元に残された自分の貧しい糧食――腰に下げた真っ黒なウサギの丸焼きを見比べ、セラフィネは思わずしゃがみ込んだ。


「う、ウサギ……食べる?」


おずおずと焦げた肉を差し出すと、女の子は一瞬泣き止み、肉を見つめ――そして先ほど以上の大声で泣き出した。


セラフィネは凍りついた。


「よしよし、そんな可愛い顔を泣かせるもんじゃないよ」


いつの間にか、先ほどの青年兵士が隣にしゃがみ込んでいた。その顔からは先ほどの冷たさが消え、柔らかな色が差している。


「このお姉さんも、悪気があって渡したんじゃないんだからね」


彼は短く微笑むと、腰のポーチから小さな布袋を取り出した。


「ほら、僕も甘いものには目がなくてね。とっておきをあげよう」


袋を受け取った女の子は一瞬で笑顔になり、「ありがとう、お兄ちゃん!」と元気に走り去っていった。


青年は立ち上がると、セラフィネに向かって別の小さな袋を差し出した。


「そんな炭塊を持ち歩いてるくらいだ。君も甘いものが必要だろ」


セラフィネの頬が熱くなった。


「それと……そんな風に身を隠すようなフードの被り方はお勧めしないな。余計に目立つ」


彼はそっと彼女のフードの端に目をやった。


「何か事情があるんだろうが、目立ちたくないなら尚更だ」


言い残すと、青年は去っていった。


その時、村の鐘が鳴り響いた。

「夕食だ! 支援に来てくれた皆さんも、どうぞ食べていってください!」


セラフィネのお腹が、小さく鳴った。逃亡を始めて以来、まともな食事など一度も摂っていない。だが、ここに長居するのは危険だ。彼女は背を向け、森へ戻ろうとした。


「待って!」


服の裾を引っぱられ、振り返ると、先ほどの女の子が立っていた。


「ごはんはあっちだよ!」


後ろから母親らしき女性が駆け寄り、すまなそうに頭を下げた。

「ごめんなさいね、うちの娘が。……でも、親切にしてくれたあなたを空腹のまま帰すわけにはいかないわ。一緒においでなさい」


差し出された少女の小さな手。その温もりに、セラフィネの心が揺れた。一年近く忘れていた、誰かの温もり。


「……あ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


セラフィネは静かにその手を握り返した。


この温かな一夜が、自分の運命を大きく変えることになるのだとは、この時の彼女はまだ知る由もなかった。


聖堂内の温かな空気は、静かに、そして確実に変質していった。

ミリアムとアリアナが食糧営繕のひそひそ話に花を咲かせている隙に、幼いエルサが席を立ったのだ。外のお友達の様子を見てくると言って、彼女は重い木の扉を押して広場へと出て行った。 だが直後、奇妙な現象が起きた。


外から聞こえていたはずの日常の音が、ピタリと途絶えたのだ。子供たちの歓声も、木々を揺らす風の音も、羽ばたく鳥の羽音さえも。まるで世界から音が奪われたかのような、重苦しく不気味な静寂が村を覆う。 誰もが異変に気づく間もなく――耳をつんざくような悲鳴が静寂を切り裂いた! 「エルサの声!?」 ミリアムが顔を蒼白にして立ち上がり、椅子を倒しながら叫ぶ。食堂内は一瞬で大混乱に陥った。食器が割れる音が響き、人々が怯えて身を縮める。しかし、兵士たちが剣を抜くよりも早く、あの若い指揮官が動いた。彼はまるで疾風のようにホールを駆け抜け、外へと飛び出していく。セラフィネも躊躇はしなかった。身を守る本能を振り払い、マントを翻して彼の後を追った。 外に広がっていたのは、悪夢のような光景だった。


近くの深い森から現れたのは、巨獣『ダスクウルフ(魔狼)』。

固まった血と汚れで泥みついた黒毛に覆われ、体高は大人の男の倍近くもある。眼球があるべき場所には、傷痕の残る漆黒の落ち窪んだ穴があるだけだった。彼らは完全に鋭敏な聴覚と嗅覚だけで獲物を捕らえるのだ。地響きのような低音の唸り声が、セラフィネの足元を揺らした。 逃げ惑う村人たちを狙う一頭の魔狼を目にし、セラフィネの身体が咄嗟に動いた。

彼女は横へと走り出し、パンパンと大きく手を叩きながら大声を上げた。ターゲットを自分に引きつけるために。作戦は成功した――目のない魔狼の頭部が、一瞬で彼女の方を向く。激しい牙を鳴らし、化け物は猛スピードで追いかけてきた。 セラフィネは狭い路地へと逃げ込んだ。心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、冷や汗が額を伝う。追い詰められた!

上空の壁から飛びかかってくる黒影に対し、彼女は体内の龍の魔力を解き放った。振り向きざまに手をかざし、激しい火球(ファイアボール)を叩きつける! 炎は魔狼の胸を焼き、悲鳴を上げさせたものの、巨躯の勢いは殺しきれなかった。

衝撃で壁に叩きつけられ、セラフィネの肺から酸素が吐き出される。彼女は地面に倒れ込み、上に覆いかぶさる魔狼の重圧に身動きが取れなくなった。口から漏れる腐臭の混じった生の息吐が、鼻腔を突く。唾液の垂れる巨大な牙が、首元からわずか数センチの距離に迫っていた。

死の恐怖が全身を支配する。彼女は目を閉じ、死の瞬間を覚悟した。 まさにその時――路地の角から、エルサの声が響いた。 「お姉ちゃんから離れて!」 セラフィネの息が止まる。

(ダメ、エルサ、来ちゃダメ……!)

恐怖のあまり追ってきてしまったのだろう。だが、その声が魔狼の注意を逸らした。怪物は動きを止め、新たな弱い獲物の方へと頭を向けようとする――エルサが絶体絶命の危機に晒されたのだ! しかし、魔狼が筋肉を収縮させるよりも早く、暗闇を白銀の一閃が駆け抜けた。 恐ろしいほどの静寂と正確さで現れたのは、あの青年指揮官だった。


彼の一撃は、怪物の太い首の骨を一瞬で綺麗に断ち切っていた。魔狼の巨大な頭部が石畳を転がり、生温かい鮮血が勢いよく吹き出してセラフィneのマントを濡らす。 荒い息をつきながら、セラフィネは見上げた。

血に濡れた剣を手にした青年が、見下ろすように立っている。その顔は一切の感情を削ぎ落とした氷の仮面のようだ。怪我はないかと問いかけることも、セラフィネに視線を送ることすらしない。 彼はそのまま、木箱の陰から目を丸くして顔を出したエルサへと向き直った。 「待っててって言ったのに、お兄ちゃんすごく速かったのね!」エルサは興奮気味に叫び、後ろの道を指さした。 「だって、さっきも大きな狼を三匹も一人で倒しちゃったんだもん!」 セラフィネは息を呑んだ。


(あの化け物を、たった一人で三頭も……!?)

青年は剣を鞘へと収めると、セラフィネを一瞥し、エルサに向かって驚くほど静かで優しい声をかけた。 「広場までの道はもう安全だ。お母さんのところへ先に戻っていなさい、エルサ」 まさにその時、荒い息を吐きながら、剣を抜いた兵士たちがようやく路地の角を曲がってきた。彼らは完全に遅れを取り、転がる魔狼の巨大な首と、石畳に広がる血の海を見て言葉を失っている。 「隊長! ……まさか、お一人でこの化け物を倒されたのですか!?」 兵士の一人が信じられないといった様子で声を上ずらせた。 若い指揮官は、部下たちの驚愕の視線を完全に無視した。ただ、冷ややかな一瞥をむけるだけだ。 「裏路地を警戒し、その女性を引き起こせ。危機は去った」 それ以上言葉を交わすこともなく、彼は背を向け、静かな足取りで広場の方へと歩み去っていった。 兵士たちに気まずそうに手を貸されながら、セラフィネは震える身体で彼の背中を見送った。

――この男は、あまりにも謎が多すぎる。

『屠殺者』と恐れられ、氷のように冷酷で……それなのに、迷うことなく自分の命を救ってくれた唯一の人物。

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