抑制 1
いつもなら明るい光が差し込むファウナの部屋も、今日は天気が悪いために昼でも電気をつけなければ暗い。強くなる雨に比例して、激しさを増す風。時折、稲妻が空を駆け巡る。
ユーフェンは彼女をベッドに座らせると、窓に視線を向けた。
「天気、悪くなる一方だね。これじゃあ様子見どころか、アシュリ達国に帰れない」
通常なら、他国から来る場合は一泊して終わる、簡単な国の様子見。この嵐が収まらない限り、あの兄妹はずっと此処に滞在することになる。それはファウナにとって、城外だけでなく城内すらも暗雲にしてしまうに等しいことだ。
早く帰ってほしいだなんて、あまり思ってはいけないことかもしれない。けれど思わずにはいられない。
ユーフェンは小さくため息をつくと視線を外し、棚から一つだけグラスを取り出す。机の上に置いてあるボトルを手に取り、そこに水を注いでいく。雨と風の音でうるさいはずであるのに、室内は水の音しか聞こえない錯覚を起こしそうになる。
「ファウナ、これを飲んで。僕の気でマシになってるかもしれないけど、水には浄化の力もあるから念のために」
彼はグラスを差し出すと、彼女は頷き言う通りに喉に流し込む。乾ききっていた口の中がみるみるうちに潤っていく。グラスたっぷり入っていた水が一気になくなり、飲み終えると彼女は大きく息を吐いた。
「こんなに水が美味しいと思ったの、初めて……」
それは真実だった。白の妖精であるユーフェンが注いでくれた水だから、それとも隠の気で自分が弱っていたからか、理由はわからないけれど。
ユーフェンは彼女と目線を合わせるように床に片足をつくと、彼女の頭を優しく撫でた。
「そう思えるのなら、もう体は大丈夫なはずだよ。僕もこれで安心できる」
彼は目を細めて微笑むと立ちあがり、ファウナに背を向けた。
「ユ……、ど、どこ行くの?」
「どこって……」
ユーフェンは首だけをファウナに向けて、不思議そうに首を傾げた。
「応接間だよ。アシュリとグルーヴ、父上を待たせてしまってるからね」
途端に、夢から覚めた気がした。
あの二人の元にユーフェンが行く。ユーフェンをとられる。否、違う。恐らくは、今日の天気と明日の様子見の相談であろう。どうしようもない、仕方のないことなのだ。
そのようなことは承知しているはずなのに、ファウナは例えようのない焦燥感と不安を感じ取っていた。これは過去にも経験したことのある感情。
「……嫌だ……っ、ユーフェン行かないで……」
彼女は理解していた、これは我儘であると。相手を困らせてしまうことも。それでも溢れだして行く気持ちは、自身にも抑えることができなかった。
「ファウナ……?」
案の定、彼の困惑した声音を聞くと、ファウナは顔を背けた。
怒っているだろうか、呆れているだろうか。グラスを握る彼女の手は、僅かに震える。仮にも彼は王子なのだ。たかが使用人である自分が、このようなことを言うべきではないのに。
暫しの沈黙が流れるも、ユーフェンは彼女に触れようと手を伸ばす。が、突如外に異変が起こった。空を駆け巡っていた稲妻が、とうとう痺れを切らしたように―落ちた。
ガシャーンッ!!
「!!」
二つの音が重なり合った。震えていた彼女の手から滑り落ちたグラスは、床に破片となって散らばっている。
そして、プツリと視界が真っ暗になった。
「停電……?」
どうやら城中の電気が消えたらしく、廊下では使用人達が慌てふためいている。
「大変だ、皆混乱して……」
「ユーフェン……!」
真っ暗で、何も見えない。だからこそ募る不安。この暗闇の中、彼は行ってしまう。
―自分を置いて。
『もう二度と、戻らないから』
「……っ!?」
頭の中で、声がする。誰の声かはわからないのに、かつて聞いたことのある声。
ファウナは頭を抱えた。隠の気はもう引いたはずなのに、頭の中に誰かが存在しているかのよう。
「いや……、嫌だよ……」
「ファウナ、落ち着いて」
「離れていっちゃ……嫌だ……っ」
遠い、遠い記憶。今はまだ、何も思いだせない。