衝動 1
あの出会いから一週間が過ぎた。けれど記憶は鮮明で、ユーフェンが落としていったと思われるブローチが、あれは夢ではなかったことを物語る。
そして、ファウナはあの時から村へ降りてはいなかった。自分は黒の妖精でなくても、その本人を助けてしまったから。
しかし、村人の反応が怖いなどとも言ってはいられない。もう食料が底を尽き、買い出しに行かねば今日の夕飯すらままならない。
ファウナは重い腰を上げると、財布を手に取った。
「ファウナ……、行くのかい?」
「……うん、大丈夫。買い物、行ってくるね」
ファウナは余計な心配をかけまいと母親の前で笑って見せ、駆け足で家を出て行った。
彼女が村へ行かなかった一週間の間に祭りは終わったようで、以前より大分殺風景になっている。村の外を出歩く人もやはり少なく、いるのは少数の子供達と、畑仕事に勤しむ村人ばかり。
ファウナは少しほっとすると、食料を売っている出店の方へ向かった。が、その途中聞いたことのある声が彼女を引きとめた。
「お譲ちゃん!ほら、そこの茶の長い髪の……!」
振り返ってみれば、収穫祭で出会った女が首にタオルを巻いて立っていた。恐らく畑仕事の途中だったのだろう、額には汗が滲み、体中が土で汚れている。
「あ……!その……こんにちは」
ファウナは軽く会釈してその場を早々と立ち去ろうとしたが、女は「まぁ待ちなよ」と呼びとめた。
「はい?」と首を傾げる彼女に対し、女は眉間に皺を寄せる。
「……お譲ちゃんこの前、何であんなことしたんだい?」
「え……?」
「村じゃあの後大変な騒ぎだったんだよ。黒の妖精をかばった娘がいるって」
ファウナは声が出せなかった。やはり村中に噂は広がっている。俯く彼女に女は軽くため息を吐くと、そっと耳打ちした。
「何はともあれ、ここの村にはもう来ない方がいい。ここの住人は……お譲ちゃんのことを良く思っていないから」
そう聞いた瞬間、もう一つの視線があることに気付いた。刺すような、鋭い視線。敵意のある視線。
ファウナはバッと顔を上げて前を向くと、もう笑顔の消えている女の後方に、中年の男が鍬を持って立っていることに気付いた。
視線の正体はその男だ。危険危険危険。今すぐ逃げた方がいい。頭の中で警告の赤いランプが光る。
「さぁ、早くここから出て行きな!」
その瞬間、彼女の頬を何かがかすった。タラリ、と鮮やかな赤が流れ落ちる。
「おじさん……、おばさ……?」
時間が経つにつれて、ジンジンと痛みだす頬。そこに手をやると、ベトリ、と血がついた。
「まだわからないのかい?鈍い子だねぇ」
男の手には切れ味の良さそうな果物ナイフが握られている。先ほどかすっていった物もそれだと理解すると、ファウナは彼らに背を向けて走り出した。
振り返ることもせず、ただひたすらに――。
「お前さんも親切だねぇ。別に教えてやらなくても、ここで殺してしまえば良かったのに」
男の肩を親しげに叩く女。男と同じ指輪がキラリと輝く。どうやら2人は夫婦らしい。
「何言ってんだ、忘れたんか?黒の妖精以外の人間を殺せば罪に問われる。それじゃあ俺達が悪者じゃないか」
「……まぁそうだけどねぇ……」
男は不敵に笑うと、妻の頬に口づけた。
「あのお譲ちゃんは不思議な子さね。どうして黒の妖精なんかに肩入れすんのか。……それとも、黒の妖精を悪魔だとは思っちゃいない、とか」
「!?……お前さん!あんた、いつ気付いたんだい!?」
「……以前、黒の妖精を助けたときぐらいからさ。調べてみたら案の定、だったよ」
女の顔が青ざめていく。
口を魚のようにパクパクさせて、不安を隠しきれないようだ。
「なぁに、心配するこたぁないさ。もう調べはついてるんだ。後は優秀な始末屋に任せるだけさね」
「お前さん……っ!」
(こういうことは早い方がいいのさ。村のためにね)
その時、いつかの日のような強い風がふく。何とも不気味で、気持ちの悪い風だった。