犠牲 5
ファウナは夢を見ていた。ペンキのように鼻にツンとくる赤い渦が、彼女の体に纏わりつく。どんなに必死にもがいても払おうとしても、その行動を嘲笑うようにファウナの体の自由を奪っていく。
頭が痛い。夢のはずなのに、臭いもあるし痛みもある。胸やけが激しくて吐きそうだ。
ドロリとした生温かい液体が、遂に彼女を埋め尽くした。
『……ファウナ』
聞きなれた声だ。埋もれた自分を呼ぶ声。
(……だれ……?)
ファウナは僅かに重い目を開けた。やはりそこには赤い渦しかない。
気のせいかと、また目を閉じた。
『ファウナ!』
今度ははっきりと聞こえた声。もう一度目を開けると、眩しい光が放たれた。体を取り巻く渦が、その光を嫌うようにみるみる消えていく。
心なしか体が楽になったみたいだ。
(……ユーフェン!)
光の先に見えた、人の姿。逆光で顔はよく見えないが、その人物はファウナに向かってそっと手を伸ばす。
彼女は必死に走った。手をこれでもか、という程に伸ばして。この手を掴まなければ、もう二度と嫌な夢から醒めない気がした。今、這い上がらなければ。
(ユーフェン……、ユーフェン!)
近づいて行けば行くほど、不思議と体の異常は癒されていくようだ。呼吸も正常になっていく。
(ユーフェン!!)
――ようやく掴んだ、温かい手。離れないよう、しっかりと。
「ファウナ!」
「……っ!」
額に冷たいタオルを感じ、ファウナは自室のベッドで目が覚めた。体中汗だくで、服が体に吸いついて気持ち悪い。顔は熱くて今すぐにでも氷水にでもつけたいのに、体はひんやりと冷えている。
ふと人の気配に気付きそちらを見ると、赤く目を腫らしたユーフェンがそこに居た。
「……ユーフェン?」
彼女が握る彼の手は僅かに汗ばんでいる。にも関わらず、彼はしっかりとファウナの手を握っていた。
あの人物はやはりユーフェンだった。はっきり顔は見えなくても、彼の声だった。
「ファウナ……ッ!」
「!」
ファウナは腕を力強く引っ張られ、すっぽりとユーフェンの腕の中へおさまった。華奢だと思っていた彼の体は意外にも堅く、男の人であった。
驚きのあまりに目をパチパチさせるファウナ。両手の居場所に困り、不自然に宙に浮かせた状態だ。
ユーフェンは彼女を腕の中に閉じ込めたまま、震える声を発した。
「ファウナ……無事でよかった」
今にも泣いてしまいそうな、弱々しい声だった。それに比例して、力がこもる腕。
「ユー……」
「ソルトに聞いたんだ。君が、陰の気を受けたって……」
ユーフェンの骨ばった手が、彼女の髪を絡める。身動きができない程、しっかりと抱きしめたまま。
「本当に、息が止まるかと思った……。君を、失うかと……っ」
彼女を抱きしめる手が、震えているのがわかる。ファウナは宙に浮かせていた両手を、彼の背に回した。
「ユーフェン、ごめん……っ」
どんなに心配してくれていたのか、痛いほど伝わってくる。いつも冷静で大人びているユーフェンが、自分のためにこんなにも取り乱している。研究室のことではなく、自分に。
申し訳ないと思う反面、嬉しいと思う気持ちもこみ上げる。彼にとって自分は、必要な人間なのだと。
暫くの間、二人はそのままで居た。何も喋ることはなく、ただお互いの存在を自身の体で感じ取っていた。
ユーフェンが落ち着くまで、ユーフェンの震えが止まるまで――。