犠牲 4
ファウナは無線機を鞄へ入れる。その手はどこか危なっかしく、震えさえ窺える。
「あいつから何も聞かされてねぇんだな」
彼女ははっと手を止めた。――そう、ユーフェンとは仲が良いが、それは上辺のこと。
(私、ユーフェンのこと知らない……)
知っているのは上辺だけ。好きになったのは、ユーフェンの仮面。ユイランとの会話から聞かされた、ユーフェンの裏の顔。
『俺はあいつに全てを奪われた』
『俺にとってあいつは悪魔だ』
今まで彼女が思っていたユーフェンの像と、大きくかけ離れたものであったから。
ユーフェンを信じられないわけではない。ただ、思っていたよりも相手を何も知らなかったことがショックだった。
思考の末、俯いてしまったファウナ。心情を察してか、ユイランはフン、と鼻で笑うと彼女にあるものを差し出した。
「これやるよ」
「……何?」
小首を傾げ、あるものを受け取る。ファウナの手の平でコロンと転がったのは、銀色をした小さいもの。“L”という文字が入っている、鍵だった。
「この鍵は……」
「研究室の鍵だ。俺の部屋に落ちてた」
「……ユイランの部屋に?」
(何で鍵が……)
その鍵をころころと手中で転がすファウナ。
「それを使って、研究室に行ってみればいい」
「……え!?」
「あいつが何を必死で隠しているかわかるさ」
研究室のことになると熱くなるユーフェン。何よりも、誰よりも一番に研究室のことを考えている。
「でも……」
何があるのか知りたい。けれどユーフェンにとっては知られたくないことだ。誰にでも、秘密にしておきたいことはあるだろう。これは単なる好奇心で踏み込んではいけない場所だ。
「別に、抵抗があるなら無理して行かなくていい。鍵をソルトに返しとけ」
全てはファウナの選択。吉と出るか、凶と出るかだ。
二人が城のユイランの部屋に戻ってくると、時刻は既に21時を過ぎていた。思っていたより、時間を火薬遊びに費やしていたらしい。
(ひとまずソルトに会わなくちゃ)
彼に会い、無線機を返す。ユーフェンから連絡が入ったことも伝えなくてはならない。
「それじゃあ、私行くね。今日はついて来てくれてありがとね」
彼女はユイランにそれだけ言うと、小走りで部屋を出て行った。ポケットにはしっかりと鍵を入れて。
嵐が去ったかのようにファウナが出て行くと、途端に部屋が静かになった。木の揺れる音だけが聞こえる。そんな中、不敵な笑みを浮かべるユイラン。
「ユーフェン、俺の痛み……分けてやるよ」
呟くように発せられたその声は、まだ微かに鳴っている火薬遊びの音に紛れ、消えていった。
一方、ファウナは部屋を退室した直後、激しい悪寒に苛まれていた。ガクガクと足が震え、思い通りに動いてくれない。
(何……、急に体が……っ)
早くソルトの所へ。そう思えば思う程、体が動くことを拒絶する。
「けほ……っ」
(呼吸、が……)
段々と息遣いも荒くなってくる。上手く呼吸ができず、どのように息をしていたかも忘れてしまったかのよう。自力で立つことができなくなった彼女は、遂に壁に凭れ崩れた。肩を上下に動かし、必死に呼吸をしようと。
「ファウナ!?」
駆け寄ってきたのはソルトだった。不幸中の幸いと言うのだろう、ソルトはファウナに連絡をしてから、ユイランの部屋の近くで待機していたのだ。
「ハァ……ッ、……ハァ……」
体中の血液が、逆流していくようだ。体内が異常な程にざわざわと震える。
「苦、し……っ」
「もうちょっと頑張れ!今ユーフェン呼んでやるから!」
ファウナはソルトが鞄の中から無線機を取り出すのを見届けた。無線機を返せたという安堵と、一抹の不安。彼女は気力を振り絞ってソルトに手を伸ばす。
(ユーフェンは駄目……!)
自分の体のことより、バレてしまうことの方が嫌だった。折角ここまでやりきったのにと。
だがそんな想いも虚しく彼女の手はソルトまで届かず、意識を手放してしまった。