犠牲 1
ファウナもユイランも、幼い頃木登りなどしたことはなかった。立場は違えど黒の妖精ということが原因で、目立つ行動はできなかったのだ。
けれど今、初めてとはいえ木登りの仕方を知っているかのように足を枝へ枝へと進めていく。夕陽の光をアテに、目的地を目指して。
「ユイラン、この木の葉っぱ気をつけて。チクチクする」
木から木へ足を移すと同時に、腕でそれを払いのける。ユイランが怪我などしないように。
城からファウナが目指す丘までそう遠くないが、枝を取ったり葉を払いのけるうち、彼女につく擦り傷の数は知らず知らずに増えていく。
「あともう少しで着くよ、ユイラン!」
「……あぁ」
もう夕陽は沈み、薄暗い中に月が出ている。それでも目を凝らし、確実に足を進めた。
そしてついに、目的地に足が着く。不安定だった足場はきちんとした陸になった。二人は服についた枯葉や小枝を払い、一息ついた。もう辺りは真っ暗で、村の広場に村人が集まっているのがうっすらと見える。
「ちょっと遠いけど、ここから村の空はよく見えるよ」
「……」
彼女は「よっこいしょ」と言う掛け声と共に、その場に腰を下ろした。勿論、鞄は肌身離さず持っている。
柔らかい緑の草だ、疲れた足を癒してくれるよう――。
「……あ、そうだ。大丈夫だとは思うけど、一応これ被ってて」
そう言ってファウナが鞄から取り出したのはニット帽だった。万が一誰かに見つかってもいいように、できる限りの策である。
「暗いからきっと大丈夫だろうけど、一応ね」
ファウナは立ち上がると、背伸びをして彼の頭に被せる。彼は戸惑いを見せるも反抗はしなかった。そんなことよりも彼女の手足についた無数の傷が、暗いなかでもはっきりと見えた。
「おい、お前……」
「え?」
けれど何を言えばいいのだろうか。「ごめん」と謝るのもおかしい。だがお礼を言うには抵抗がある。彼女を呼んだはいいが言葉が出ないユイランに、ファウナは不思議そうに首を傾げた。
「変なユイラン。此処、座ろう?疲れたでしょ」
もう一度腰を下ろすと、ファウナは自分の隣へと彼を促す。けれどユイランは、彼女の座っているところから一人分空けて座った。
(……まぁこんなもんかな)
今までのユイランの行動からして、今日のことは進歩だ。相変わらず無口であるとはいえ、彼は自分の言うことを聞いてくれているのだから。
二人の沈黙の中、火薬遊びはまだ始まらない。村では火薬使いの腕自慢達が、打ち上げのための砲を用意しているのが見える。
(今何時だろう……)
暗くなった空を見上げた。ポツポツと星が瞬いている。
「……始まらないな」
ファウナの隣から聞こえた声。ユイランは村の様子を見ながら声を発した。
「そうだね」と彼女も静かに答える。
再び訪れる沈黙。それを遮ったのはまたもユイランだった。
「あいつ、知ってんのか?」
何の脈絡もない突然の言葉だったが、彼女はすぐに意味を理解した。
「ううん、ユーフェンには言ってないよ」
(ソルトには言っちゃったけど)
ユーフェンはきっと、反対するに違いないから。味方してくれたソルトでさえ、躊躇いを見せたのだから。
彼女の言葉にユイランは何も言わなかったが、その無言こそが何かを訴えているような気がした。
ファウナは少し間をおいてから、静かに聞いた。
「……そんなにユーフェンが嫌い?」
ユイランとユーフェンが話しているところは、ファウナはあまり見たことがない。だがその時の様子やユイランの言動から、ただ仲が悪いという言葉ではすまされない程。
ユイランは彼女を見据えると、吐き捨てるように言った。
「……憎んでる」
ファウナは背中がゾッと冷えるような感覚がした。たった一言、されど一言。いくつもの意味を含んだように思われるくらい重く伝わってくる。次の言葉を聞くのが恐怖に感じられるほどに。