決行 3
「俺は黒の妖精だぞ。この髪と瞳のせいで……、陰の気で周囲の人間に被害を及ぼすんだよ」
この部屋に閉じ込められたのも、首に三角の刻印を押されたのも、それを封じるため。王家の人間だからこそ殺されないでいるが、それが幸であるのか不幸であるのか。
だがファウナは首を横に振った。
「……違う」
「何だと?」
「ユイランは黒の妖精ということを理由に、人から逃げてるだけだよ」
彼女のその言葉に、ユイランは頭にカッと血が昇った。
「黙れ!黒の妖精でないお前に、俺の痛みなんてわかるか!!」
ユイランは彼女の髪をぐっと引っ張ると、ファウナは顔をしかめた。けれどそんな彼の手を振りほどこうとはせずされるがままで、彼女はユイランを見上げる。
「そうやって、何かあるごとに境界線を引くの?」
「……っ!」
髪を掴む手の力が、一瞬だけ緩んだ。境界線を引きたくて引いているわけではない、でも引いてしまう。切なげに細められた瞳に、全てを物語った色が見えた。
その隙をついて、彼女はユイランの手を握った。
「私はユイランの力になりたいんだよ。私を怖がらないで」
「……」
返事をせず黙りこくる彼の手を、ファウナは抱きしめるように握り、額をそこに埋める。彼は拒むことはなく、人形のように力なくそれを眺めた。
ユイランの冷たい手が彼女の温かい手によって、だんだんと温もりに満ちてくる。
「大丈夫だよ。確かにユイランは黒の妖精で、陰の気が出るかもしれない。でも、私は大丈夫。だから……」
彼女はそこで一呼吸置くと、迷いのない目でユイランを見据えた。
「今日の夜だけでいいから、私について来て」
自分は大丈夫なんていう、根拠はなかった。だが、大丈夫な気がしたのは本当だ。
いつの間に、こんなにも彼を気にするようになっていたのだろうか。彼を救いたいと思うのだろうか。
いつもどこか寂しげなユイランの瞳。そこには善も悪もなく、ただの人間のように思えたから。もしかしたら、彼女はそこが気になっていたのかもしれない。
ユイランの返事を聞くまでの間、ファウナは決して目を反らしたりしなかった。自然とこもる、手の力の様々な意味。
(お願い、ユイラン……っ!)
城の庭園から、一匹の鳥の鳴き声が聞こえた。かん高い鈴のような、透き通った音色。その鳥は気持ちよさそうに宙を舞う。
鳴き声を合図に、ユイランは目を反らした。
「俺は黒の妖精だ。城から出れば、お前を陰の気で殺してしまうかもしれない」
「……うん、わかってるよ」
それは覚悟の上。それが理由で、彼女の決意は鈍ることはない。ただ、ユイランの本心を聞きたかった。
「……それでも……」
彼から発せられる声。さっきとは違う雰囲気だ。彼女は息を呑んでユイランの出方を待った。
「それでも、俺は……」
「……うん」
心の内から絞り出すように、彼は言葉を紡いでいく。ファウナはゆっくりと相槌をうった。
(ユイラン大丈夫。大丈夫だから……!)
祈るように、そして励ますように彼の手をぎゅっと握る。お互いの体温が、手を通してほんのりと交わる。
「俺は、出たい……っ。此処から、この城から……!」
彼の、精一杯の一言だった。黒の妖精である限り、決して叶うことのない願い。それを口にすることも許されないものだった。生かされているだけでも奇跡、生きているだけでも黒の妖精にとっては“幸せ”なのだからと。
ユイランは彼女を直視できなかった。いくら促されたからと言っても、もし虚言だったら。自由を口にするなと、罵られたら。
だがそんな彼の心中は裏切られた。彼女は瞳に涙をためて、嬉しそうに微笑んでいた。
「うん……うん!出よう、一緒に!」
ファウナはこの時が初めてだった。ユイランの前で心から笑うことができたのは。
「大丈夫だからね、ユイラン!私に任せて!」
「……」
彼は理解ができなかった。彼女がどうして自分のために、ここまでできるのか。下手をしたらファウナの居場所さえなくなるであろうに、そのようなリスクを犯してまでどうして自分に関わろうとするのか。
ファウナはにっと勇ましい笑顔を彼に向けると、すぐに部屋を出て行った。
(あの女……、相当な馬鹿だ)
そう思うも、ユイランの表情は先程よりも涼しげで。
心の枷が一つ外れた音がした。