妖精 3
一体どれくらい走ったであろうか。気付けばそこは村の外れにあるファウナの家よりも、更に離れたところだった。辺りは林で鬱蒼としており、鳥や虫の鳴き声しかしない静かなところだ。
「この辺まで来ればもう大丈夫なはず。誰か来てもここならすぐにわかるし」
二人は足を止めて、息を整える。ローブの人は顔を覆う布で上手く呼吸ができず苦しいのか、顔の部分だけ布を取り去っていた。中性的で整ったその顔立ちは、汗で濡れているにも関わらずどこか気品さえ感じられる。
「ねぇ、貴方はどうしてここへ?何をしにあの村へ……」
ファウナは近寄るが、はっとしてその足を止めた。
聞きたいことはたくさんあるのに、それを全て忘れさせるような衝撃が走った。
まるで金縛りにあったかのように、ピリピリと背筋に電気を感じさせるような。
「……さっきは、ありがとう。とても助かったよ」
初めてちゃんと目を合わした。綺麗な、透き通った青の瞳。それだけで、彼が何者なのか証明するには充分だった。
「貴方は、……白の、妖精?」
黒の妖精と対になる、白の妖精。金の髪と青の瞳を持ち、癒しと平穏を与える存在。人々からは崇められ、讃えられる存在でもある。
白の妖精を見たのは初めてだった。昔話や噂で聞いたことがあるくらいで、自分とは接点のない生き物だとしか思わなかった。
それが今、自分の目の前にいる。この雰囲気は何であろうか、まるで自分と彼以外ここにはいないような、彼の瞳に吸い込まれそうな、そんな気さえしてくる。
羽織っていたローブをゆっくりと脱ぐと、美しい金糸の髪がさらりと宙を舞った。その青年は20歳前後といったところであろうか、大人びた表情で、優しく微笑んだ。
「どうして……、どうしてローブなんか被ってたの!?すぐに脱がなかったの!皆の前で本当は白の妖精だと言えば、こんな扱いなんてされなかったのに!」
ファウナは怒っていた。……いや、責めていた。
この青年が来るまでは皆で祭りを楽しんでいたのに、黒の妖精が来たということで滅茶苦茶になってしまった。
あの時村人に言われた通りにしていたならば、このようなことにはならなかったはず。
「貴方は何がしたかったの!何をしに来たの!?」
同じ質問を繰り返す。
青年は困惑したような表情で彼女を見つめると、小さく口を開けた。
「……ごめんね、ここに来た目的は言えないんだ。これも……脱ぎたくはなかった」
ローブをぎゅっと握りしめると、青年はもう一度彼女を見据えた。
「白の妖精の扱いを、受けたくなかったんだよ。折角のお祭りで皆が平等に楽しんでいるのに、それを僕一人が特別扱いなんて……。……今度からは、これは置いていくことにするよ。皆の不安を煽ることになるって学んだから」
青年はローブを肩から羽織る。今度は髪も瞳も隠すことはせずに。
「助けてくれてありがとう。僕はユーフェン。……君の名前を、聞いてもいいかな?」
しかめっ面をしている彼女に、ユーフェンと名乗る青年は遠慮がちに尋ねた。
青の瞳が細められ、その中には戸惑いつつも少し照れくさそうなファウナの姿が映る。
「……ファウナ」
小さくもはっきりとした返答にユーフェンは頬を緩め、覚えるように彼女の名前を復唱した。
この娘は気が強い。行動力も正義感もある。現に黒の妖精かもしれない自分を、村人の目の前で躊躇いなく助けたのだから。
「とてもいい名前だね。君ともう少し話していたいけれど……」
彼は彼女に向けて手を差し伸べるも、眉を寄せて首を振り、何をするでもなくその手を下ろした。
その表情は名残惜しそうではあったが、しかしどこか「次がある」と確信しているようでもあった。
「ごめんね、僕はすぐ戻らないといけないんだ。ファウナ、今度はゆっくり会えたらいいね」
ユーフェンは頬笑みを浮かべると片手をあげ、呆然としている彼女の方を振り返ることなく、来た道を引き返していった。
姿が見えなくなるまで見送ったファウナであったが、ふと足元に何かが光っているのが見えた。
「これ……ブローチ?」
エメラルドグリーンに光るそれは、白鳥を形どったもの。木々の間から差し込んでくる太陽の光に反射して、それは金色にも見えた。
「……きれい。ユーフェンが落として行ったのかな」
ポツリと呟いて。そして、ユーフェンが帰っていった道を、眺めるのだった。