過去 3
容易に想像できることだった。だが、したくはなかった。そんなこと、悲しすぎるから。
自分の息子に罪の印、烙印を押し、それを今でも請け負っているユイラン。
「この烙印は火傷って言ってたけど……」
言葉が出てこないのか、その先を言おうとしない彼女に変わって、ソルトが言った。
「高熱を帯びた鉄の先に薬を塗って、それを首に押し当てるんだよ」
ファウナは口を手で覆った。嫌でも情景が目に浮かぶ。
冷たい視線を向けながらユイランに烙印を押す王妃の姿が。
そしてユイランは――。
「……ん……」
「……ユイラン!」
ゆっくりと開けられる黒の瞳。ユイランは一度目を擦ると状況を察し、ガバッと飛び起きた。
「まだ居たのかよてめぇ!さっさと散れ……っ」
ユイランは声を荒げるが、一気に酸素を使ったせいか気持ち悪そうに口を押さえた。まだ顔色も悪く、本調子に戻るのはまだ時間がかかりそうだ。
ファウナは彼の背中を優しくさする。
「まだ安静にしてなくちゃダメだよ」
「……っ」
言い返したくても調子が悪いせいで、それどころではないユイラン。ソルトは二人を暫し眺めると、彼女の肩に手を置いた。
ユイランは目覚めているし、彼女に任せても大丈夫だろうと。
「じゃあ俺行くけど、また何かあったら呼べよ」
「うん、ありがとう」
ソルトは一度だけユイランを見ると、ふっと笑みを零して部屋を出て行った。
その笑みを見ていたユイランは気に入らないとでも言うように眉を顰める。ソルトが気に入らないわけではない、彼の笑みが気に入らないのだ。
まるでソルトが「よかったな」と言っているようで。自分はそんなこと、望んでなんていないのに。
「てめぇ……何なんだよ」
「え?」
視線を合わせようとしない彼の顔を、ファウナは見つめる。
彼は布団を力いっぱい握りしめると、彼女を睨みつけた。
「黒の妖精を見て嘲笑うのがそんなに楽しいか」
「……っ!」
ファウナの体は凍りついていくようだった。まさか自分のしていたことが、裏目に出ていたなんて。
「ち、違う!私は……!」
「同情なんざいらねぇんだよ!失せろ!」
「……っ」
『同情』という言葉に、彼女はビクリと肩を震わせた。今まで自分がユイランに接していたのは、無意識に同情していたからなのだろうか。
否、違う。母親以外の黒の妖精、ユイランに、知らず知らずのうちに面影を感じてしまっていたから。
「私……、ユイランに会えてよかった」
「は?」
ユイランは眉間の皺を一層濃いものにした。
「そんなに黒の妖精見んのが……」
「私のお母さんもね、黒の妖精だったんだよ」
一瞬だけ、静かになった。その一瞬で、まるで彼が無防備になったような。
ユイランは目を見開いてファウナを見る。
「私、お母さんの形見とかそんなの……一つも持ってないから」
だからユイランの傍にいることが、ファウナと母親を繋ぐものだと思った。そして自分がこのような状況になることもまた、運命なのだと。
「お前の母親……黒の、妖精……?」
「そうだよ」
外の風が少し強くなったのか、窓にパチパチと枯葉が当たる。その音だけが、部屋に響き渡った。
「……何でお前は変わらないんだ?」
「え?」
「何で黒の妖精とずっと一緒に居て、今まで自分を保てていれたんだ?」
それは、ユイランと王妃のことを言っているようにも思えた。昔のことはわからないが、王妃のユイランに対する態度。まるでユイランが近づくと、自分を見失うようだった。
「わからない、よ」
黒の妖精が原因で村が破滅したことが、この世界にはいくつもある。村人は目くじらを立てて、黒の妖精に敏感で。けれど、長年黒の妖精の母親とずっと一緒に居たファウナは、何の影響も受けなかった。
「わからない、けど……私、お母さんが大好きだったよ」
ずっとずっと傍にいて、悲しいことも嬉しいことも全て共有して。誰かのために自分が居て、自分のために誰かが居る。
ファウナにとってその“誰か”は、まさしく母親だった。
ユイランは包帯が巻かれた自分の手を見つめた。
「何で、だろうな」
切なげにポツリと呟く。黒の瞳がほのかに揺れる。
「ユイラン……」
広げていた手を力強く握りしめ、その拳を壁にぶつける。ガツン、ガツン、と痛々しい音が響き渡った。
「……出てけ」
「ユイラン……?」
もう片方の手で、ユイランは自分の頭を抱えた。指先が髪に絡みつく。
「出て行けよ」
ユイランにしては落ち着いた声だった。以前のように怒鳴ったりはしない。それなのに、ファウナは胸が締め付けられるようだった。
(声、震えてる……)
ファウナはキュッと自分のスカートの裾を握ると、「わかった」と小さく返事をした。ユイランを部屋に一人にするのは躊躇われたが、ここでファウナが残ったからといって解決するわけでもない。
彼女は扉の前で彼の方を振り返る。彼は尚も頭を抱えたまま。
(ユイラン……)
小さく息を吐いてから、ファウナは部屋を出て行った。
「……」
広い部屋に一人残されたユイラン。再び静寂が訪れる。
「母上……」
その声は、外の荒れる風の音に入り混じって消えていった。