2章 佐護 1
「おっはよー!」
「おはよー」
夏も後半になってようやく涼しくなり、それでもまだ半袖がちょうどいいそんな時期。私はいつもと同じ待ち合わせ場所で葵と合流する。
「ねぇねぇ、今日部活ないし寄り道して帰らない?」
「いいよ。門限があるからあんまり遠くはいけないけど」
「じゃあケーキはどう? 近くの喫茶店でマロンフェアやってたの見かけたんだ~」
「マロンフェアかぁ、私も気になるかも」
「じゃあ決まり~! ……それにしてもふみふみは動きがぎこちないねぇ。大丈夫?」
「まだ筋肉痛が残ってて」
歩く度に太ももから走る痛みは何回経験しても慣れなくて、ここまで来るのも不自然な歩き方になっていた。
「週1回じゃ走る筋肉も成長しないよ。ちゃんとストレッチしてる? それかせめてもう一日増やせば少しずつ身体も慣れると思うんだけど」
「絶対に増やさない」
少し前から始めた葵との早朝マラソンはまだ続いている。といっても走るペースはぜんぜん違うから、いつもよたよたと葵の後ろをついていくだけだ。
走ってみてわかったけど、やっぱり運動は向いてないなと思った。毎週走っていても全然楽しくならないし、なんならそのために早く起きるのも結構辛い。それに走った後の授業は必ず眠くなるから、私からすると良いことなしだ。毎日走っている葵が超人かなんかに見えてくる。
本当なら今すぐに辞めてしまいたかったけど、それでも今日まで続いているのは葵がいるからで。どんなに遅くても私の隣を走ってくれる葵はいつも笑顔だから、それだけが私の続ける理由になっていた。
ただ筋肉痛は本当にほんっとーに辛いから、いつまで続くかはわからないけど……いや、もう葵に無理って言おうかなぁと思いながら、私達は学校へ向かった。
陸上部の騒動からは、二か月ほど経っていた。
葵は宣言通りインターハイで優勝し、その実力が本物であることを突きつけた。一年生での優勝は異例で、ローカルテレビでちょっとしたインタビューが組まれるほどだった。私は家でその映像を見たけど、物怖じしないではきはきと話す葵からは、走ることが楽しいという想いがよく伝わってきて、いいインタビューだったと思う。
そんな葵の優勝は、思いのほか葵を取り巻いていた状況を好転させることになった。
一番大きかったのは、今まで陸上未経験の顧問しかいなかった陸上部に、コーチが来るようになったことだ。
そのコーチはちゃんとした実績のある人で、陸上部内の空気を一変させた。練習も数倍厳しくなり、指導の声はグラウンドによく響く。その結果今まであまりやる気のなかった人、もちろん葵を邪険にしていた人たちも含めすぐに退部していって、その結果陸上部の人数は一気に半分にまで減ったらしい。
葵からその練習メニューを聞くと信じられない量で、私なんて10分も耐えられなさそうだけど、それでも陸上部内の空気は前よりマシになったと葵はいう。走ることを邪魔されないし、コーチの指示も的確。もともと早かったタイムはさらに伸びたようで、同年代では敵なしの存在となっていた。葵の目標であるインターハイ3連覇も夢じゃないようで、日々練習に精を出している。
私もその願いが叶えばいいなと葵を応援しながら、いつの日かオリンピックで走る葵の姿を想像してみたりしていた。
「いらっしゃいませ」
放課後になって、私と葵は学校近くの喫茶店に入った。ここはダンディなお髭をこしらえているお爺さんがやっているお店で、同じ高校に通うお爺さんのお孫さんが手伝っていることもあって、私達が多少騒いでも理解がある喫茶店になっている。メニューが少しお高めだから毎回来るのは難しいけど、たまに贅沢をしたいときは定番のお店だ。
「ねぇ、ふみふみは気になる人っている?」
私はサツマイモのロールケーキ、葵はモンブランを頼んで、お互いにシェアしているところにそんなことを聞かれる。
「いると思う?」
「秘めた思いは誰にでもあるからね」
クリームたっぷりのアイスココアを飲む葵はなぜか得意げだ。
「どうせなにかドラマでも見たんでしょ」
「そうなの! 昨日の夜9時からやってたドラマふみふみは見てる? あれが良くて……じゃなかった。いや最近ね、佐護君が妙にふみふみのこと見てる気がして」
「佐護君が?」
私の斜め前に座る、まっすぐ黒板を見ているクラスメイトの背中が思い浮かぶ。
「特に関わりなかったよね? 佐護君もあんまり恋とか興味なさそうなタイプだけど……いや、だからこそふみふみの良さが分かるのかな?」
「私に良さなんてないと思うけど」
「なーに言ってんの、良いとこだらけだよ!」
力強く断言されると、否定したい言葉も引っ込んでしまう。嬉しいやら恥ずかしいやら行き場のない気持ちを、アイスティーと一緒に飲み込んだ。
それはそうと佐護君で思い当たることといえば、全くないわけでもなかった。前に私が神社で魔力還元をしている時に一度会ったことがある。でもその時におかしなことはなかったと思うし、そもそも佐護君に見られているということも、私はぜんぜん気づいていなかった。
「……気のせいじゃない?」
「そうなのかなー? 私のカンも鈍ったか」
「なんのカン?」
「そりゃー恋愛のカンだよ」
葵にそんなカンが備わっているのを初めて聞いた。きっと適当に言ってるだけだろうけど。
「そんな葵はどうなの? 運動部の男子に人気あるのは知ってるんだから」
「私ー? 恋愛に興味ないわけじゃないけど……どうせ付き合うなら私よりタイムが早い人がいいなー」
その条件はシンプルに見えてかなり厳しい。少なくとも体育で測定した50m走のタイムは、男子を含めても葵が一番速かった。
「葵と付き合う人はまず走り込みからしなきゃいけないね」
「そこまでの気概で私を追い越してくれないと、付き合いがいがなくない?」
「足速いだけじゃなくて、もっと他に見る所あると思う」
そうは言っても恋愛経験ゼロの私に説得力はあんまりない。でも葵には幸せになってほしいから、もし葵に悪そうな彼氏ができたら、私がなんとかしないと、と密かに決意する。
「まー今は走る方が楽しいし、恋愛はインターハイ3連覇の後かな!」
「その後って卒業まで半年くらいしかないんじゃ……受験はどうするの?」
「受験はふみふみに教えてもらうから大丈夫ー」
「なにそれ、ちゃんと勉強もしておいてよね」
そう言って笑う葵に、私は内心ほっとしていた。もし葵に足が速いだけじゃない、優しい彼氏が出来たら、こうやって放課後一緒にお茶するのもできなくなってしまう気がしたから。




