1章 葵 6
「おっ、いらっしゃーい」
「栞さん」
家から東に50キロくらいの赤い自動販売機の前、そこに栞さんの記憶はあった。
「さんじゃなくてちゃんとかがいいんだけどなー」
二回目の栞さんは最初の記憶とほとんど姿が変わっていなかった。服装は薄手のワンピースで、腕の中にはジュースの缶が二つ抱えられている。
「葵さんは、誰かのために魔法を使ったことありますか?……じゃなかった、あるの?」
「ん? なになに? いきなりの質問だね。そりゃあるけど、あ、また当たった」
自動販売機からピーという長い音が出て、ボタンが点灯する。
「なにか好きな飲み物ある? 奢ってあげるよん」
そう言われたけど、前の記憶の時、駄菓子に味がしなかったことを思い出す。きっと飲み物もなんも味しなさそう。
「いらない……それより、その時はどんな状況だった?」
「何回もあるから、どれ話すかな……まぁ大昔、まだ私が若かった時の話だけど、大きな熊が毎夜人を襲いにくる時から助けてって言われたことはあったよ。なんかとんでもなく大きい熊だったから、ばっさりやったこともあったかなぁ」
それは私が求めていた話とちょっとだけ違った。ヒーロー的なお話だ。
「本当はあんまり人を助けちゃいけないんだけどね」
「なんで?」
「この力は本来地球のための力であって、そもそも人に使う力じゃないから」
ガコン
栞さんがボタンを押すと、飲み物が落ちた音がする。やがてまたピーという音がまた鳴ってボタンが点灯する。
「ね、ねぇこれ三回目なんだけど壊れてるのかな……」
「業者に電話した方がいいと思う」
栞さんがこわごわともう一度ボタンを押すと、ガコンとジュースが出てきてまた当たりの音がピーと響く。
「そうする……」
腕いっぱいのジュースを抱えて、栞さんは歩き出す。私もその横についていく。
「でも今言ったのは私が長く生きてきて思ったことだから、貴方が思う通りでいいよ。私もいっぱい失敗してきたから」
「……私は、できれば失敗したくない。失敗したら親友がいなくなっちゃうから」
「んー若い! いいね、私は好きだよ。頑張ってみて。ただ一つね、アドバイスとして言わせてもらうと」
くるりと栞さんが振り向く。持っていたジュースを一本、私の前に出してきた。
「私達は地球側であって、もう人側じゃない。それをよく考えて。私達には出来ることが多すぎる」
それは栞さんの言う通りだと思った。葵も言った通り、オリンピック優勝どころか、やろうと思えば一人の孤児を世界の支配者にすることだって可能だろう。そのくらいの力を、私が一人持っていることは疑いようのない事実だ。
だけど葵と約束をした今、私は自分の力の在りどころを決めていた。だから、私は栞さんが差し出したジュースを受け取らなかった。
進む先の道が白くなり始める。今回の記憶はここまでらしい。
「ん、それもまたよし。また気が向いたらおいでよ。それじゃあね」
次に目を開くと辺りは真っ暗になっていて、電灯の周りには羽虫がひらひらと飛んでいた。目の前には赤い自動販売機があって、夜道を煌々と照らしている。記憶の中とは違い、型が新しくなっているみたいで、電子決済できるようになっていた。
ボタンを押してスマホをかざせば、ガコンという音とともにジュースが出てきて、でもそれからアタリの音はならなかった。
「私はまだ人だから」
そんな小さな呟きを聞く人はここにはもういなかった。
「葵、おはよう」
「ふみふみ! どうしたのこんな時間に!」
翌朝の早朝、眠い目をこすりながら葵の家の前で待っていた。昨日あんな話をしたばっかりで顔を合わせるのは少し恥ずかしいけど、それでも考えた結果これが一番いいと思ったから。
「私も一緒に走ろうと思って、駄目、かな」
私の言葉に、ぽかんと葵は口を開けている。そして一言。
「いや、絶対ついてこれないじゃん……」
「酷い! そうだけど!」
私の叫びに葵が笑う。だけど葵はゆっくりと私の隣を走ってくれた。
そんな地獄の朝を乗り越えて、インターハイ予選は学校からほど近い運動場で開催された。
小さい頃に来た記憶はあるけどそれっきりで、朧気な記憶をたどって見学者が集まるエリアに腰を掛けた。日焼け予防に日傘を差して遠くを見つめた。
レーンには日焼けした選手たちが念入りにウォームアップをしている。そしてその中にはもちろん、葵の姿もあった。
葵は先生と話しているようで、真剣な顔で頷いている。それを遠巻きに学校の先輩が何人か集まっていて、準備運動もせずに輪になってけたけたと笑っていた。近くを歩く他校の人も怪訝な表情で通りがかっているのが見えた。
よかった、やっぱりここじゃ先輩方が普通じゃないみたい。と息を吐く。
準備ができたところから予選が始まる。幅跳びや砲丸投げもやるみたいで、葵が出てくるまで暇かなーとも思ったけど、競技数はそれなりにあって見ていて楽しい。
日差しが高くなるにつれて、見学者の中にはうちわを振る人や日陰を求めてどこかへ移動する人が増える。私はその中でも涼しい顔で座っていた。というのも、日傘の下だけは冷たい風が緩やかに流れるように魔法を使っているからだ。地球のための力でも、このくらいなら許されるはず……だよね。
快適に観戦していると、やがて葵が競技場内へと入っていった。気づくかなぁと思ったけど、ずいぶんと集中しているみたいで視線はまっすぐ前を向いている。
走る八人が各々レーンに入る。葵も手足をばたばたしたり、ぴょんぴょん飛んだり準備運動をしている。レーン上にいる葵は、朝会った葵とは全く別人みたいで、思わず日傘を持つ手に力が入る。
位置につく。他の選手もクラウチングスタートの用意をして、一瞬の静寂が訪れる。
パァン!
走り出した一瞬、葵と目が合った気がした。
葵はぐんぐんと足を延ばしていく。最初は横並びかと思われるも次の瞬間には一人飛び出していた。まっすぐと伸びる視線はゴールしか見えていなくて、目が合ったのも気のせいかと思ってしまう。
我慢しきれなくて思わず立ち上がって声を出した。なんていえばいいかわからなくて、葵の名前をひたすら呼んだ。
50mなんて葵にとっては一瞬で、あっという間にゴールを駆け抜ける。タイムまではわからないけど、ぶっちぎりの一位であることは間違いなくて、走り終わった葵は私に向かってピースをした。スタッフの人と軽く話してから、まっすぐこっちに向かってくる。
「ふみふみの声ばっちり聞こえたよー、あんな大きい声久々に聞いた」
「えぇ……もしかして目立ってた?」
「目立ってた目立ってた」
「う、恥ずかし」
「でもそのおかげで一位になれたよ。ありがと、ふみふみ」
顔が熱くなる私に葵はにっ、と笑いかけてくれた。その後も何回か走って、葵は全部一位を取っていた。その度に観客からも驚きの声が出て、私まで誇らしくなった。
お昼、午前中で葵の出番は終わったみたいで、その表情は晴れ晴れとしていた。ご飯は自由に食べていいみたいで、私は観客席で葵と並んでいる。
「はい、これ」
葵に渡したのは私が作ったお弁当。他にも葵に何かしてあげたかった私は、当日のお弁当を作ることにした。お母さんに教えてもらいながら作った初めてのお弁当は、まぁ、食べられるものにはなったと思う。
「うわー、豪華!」
「揚げ物は冷凍だけどね」
「いやいや、私のお母さんより美味しそうかも!」
「もう、そんなはずないでしょ。それより早く食べよ」
褒められるのが恥ずかしくて、ついつい急かしてしまう。葵はおかずの一つ一つに感想を言ってくれて、むずがゆいけど嬉しい。こんなにお米食べれるかな? と思ったけど葵にとっては序の口らしく、あっという間に綺麗になくなってしまった。
「あー、美味しかった。ふみふみの隣にいれば涼しいし、戻りたくなくなっちゃうなぁ」
「表彰とかないの?」
「今日はあくまで予選だから。私が表彰台に上るのは明日だよ」
「なんだー、じゃあ明日も来ないと」
「二日連続でも大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! またお弁当作ってくるね」
「わーい!」
そんな話をしながら、私がお弁当の後片付けを済ませても、葵は陸上部の方へ戻らなかった。日傘の隣を差し出して二人で競技場を眺める。
「今日はもう戻らなくてもいいんじゃない?」
「実は先生にもそう言われた。なんなら帰ってもいいって」
「顧問の先生? 味方なの?」
「んー、どちらかというと味方? でも今の問題を解決してくれそうにはないかな。あの人、陸上経験ないまま成り行きで顧問になった先生だから、気も弱いし、先輩方にも強く言えないみたい。だけど部の状況は良くないと思ってくれてるみたいで、先輩と私を遠ざけてくれるくらいはしてくれるよ」
葵にもちゃんと味方がいたことを知って安心した。先生ならもっとなんとかしてくれとも思わないでもないけど。
「いーんだ。私には美味しいお昼を作ってくれて、一緒に走ってくれる親友がいるから。それだけで十分だよ」
「私も、葵がいるだけで十分」
緩やかな午後が過ぎる、本当に葵が親友でよかったと思う。
いつか栞さんが言う通り、私が地球の味方になって、人のことを敵と思う時がくるかもしれない。だけどそれは今じゃなくて、少なくとも葵が隣にいて、葵がそう望んでくれるのなら、私は人でありたいと思った。




