1章 葵 5
麻衣先輩の話では、私の通うこの高校はそこまでスポーツに力を入れていないらしい。
もちろん陸上部も同じで、インターハイで勝ち上がる人はたまにしかいない。将来選手として活躍したいとか、もっと強くなりたいとか、そういう想いで陸上部をやっている人は少数派。どちらかというと『ゆるく楽しく』、そんな風潮が強い。
そんな環境だから、入学してすぐ一番速くなってしまった葵は目立った。
スポーツに力を入れてる高校なら、「速さは力」になるんだろうけど、普通の公立高校の小さな陸上部内では、その速さはただの力ではなく、疎まれる力になってしまう。
なんで麻衣先輩がそれを知っているのかというと、麻衣先輩のクラスにいる陸上部の人が、大きな声で話していたのを聞いたらしい。個人名は出していないけど、一年生で速くて生意気なヤツがいる、そんな話を。
団体競技でもないのに、そんなことで葵の邪魔をするなんて許せない。胸の中に真っ黒い感情が広がる。その感情に、思わず魔力が溢れだしそうになるのに気づいて、慌ててブレーキをかけた。
「私も直接現場をみたわけじゃないんだけど、私のクラスにいる陸上部の子はあんまり素行も良くなくて。そこで話していたのは掃除を押し付けたりするくらいのことだったけど、もっと行き過ぎたこともしてるみたいで」
「葵、そんなことなにも……」
葵は明るくていつも笑っていて、クラスでも中心的な存在だ。だから部活でもきっとそうだと思っていた、けど。
「葵さん、今日はお休みなんだよね? もし明日もお休みなら会いに行ってあげた方がいいと思う。今週末なんでしょ? インターハイ」
そんな麻衣先輩のアドバイスに、私は頷くしかできなかった。
本当はすぐさま駆け付けたかったけど、相変わらず葵からの返信はない。明日は普通に来ることを信じて、一日だけ先延ばしにした。
だけどその願いもむなしく、次の日も葵の席は空っぽのまま。葵に連絡しても気にしないで、の一点張りだった。
葵がいないとクラスの中まで少し暗くなったみたいで、私は誰とも話さずに放課後を迎える。
どうすればいいのかわからないまま廊下を歩く。麻衣先輩には会いに行った方がいいって言われたけど、葵からは気にしなくていいって言われてるし。いきなり押しかけて迷惑にならないかなと、心の隅で考えてしまう。
ぐるぐると考えながら下駄箱へ向かう途中、葵の名前が聞こえた気がした。
「高崎また休みー? じゃあ誰が掃除すんだよー」
「休んでるのに大会だけは来るなら、いい身分ってやつだよね」
「ちょーっと言ったくらいですぐ来なくなるだから、根性が足りてないんだよ」
「ちょっとどころかめちゃくちゃ言ってたじゃん」
「あいつ馬鹿だから、あんくらい言わないとわからないんだって」
背の高い3人組は、運動着で玄関前で騒いでいた。靴を履き替えると、そのままグラウンドへ出ていく。私は靴を持ったまま、その場で固まっていた。胸の中で、ぐるぐると熱が渦巻く。
きっとあの人たちが、葵を、許せない。
「うわっ! 地震か?」
「え、地震?」
そんな声で我に返る。いつの間にか見知らぬ男子数人が玄関にきていた。
「今揺れたって絶対!」
「ほんとかー? 俺気づかなかったけど」
そんな声を背に、気づかれないように玄関を出る。校門を出るとほとんど走るようにその道を急いだ。
「葵」
「あー、ふみふみに見つかっちゃった……。気にしなくていいっていったのに」
葵は家の前にいた。ちょうど走り終わった後みたいで、首筋には汗が光っている。
「……元気そうで安心した」
「ごめんね、二日も休んじゃって。上がってく? 私先にシャワー入るからちょっと待たせちゃうけど」
「じゃあ、待たせてもらっていい?」
家に入れてもらって、葵のお母さんに挨拶する。お母さんは特になにも知らないようで、普段と変わらなかった。
二階の奥にある葵の部屋で待たせてもらう。
葵の部屋は前に来た時と変わってなくて、勉強机の上は少し散らかっていて、本棚には少女漫画と少年漫画が半々くらいで並んでいた。壁には短距離走で有名なアスリートのポスターが貼ってある。そのポスターをぼーっと眺めながら葵を待つ。
葵の力になりたい。いつも私が助けてもらっているから、その分どんなことだって。葵がなにも気にせず走れるように。
「ふみふみお待たせ―、ちょっとドア開けてくれる?」
そんな声にドアをあけると、Tシャツにハーフパンツという完全に部屋着な葵がいた。両手はお菓子と飲み物の入ったトレイで塞がっている。
「別によかったのに」
「そんなことないよふみふみは大切なお客様だからね」
小さなテーブルにお菓子を広げて、葵は他愛のない話を始める。だけどその中には部活の話はなくって、明日のインターハイ予選の話も全然出てこなかった。
「葵」
「ん、なにー?」
止まらない葵の話に、私は途中で口をはさむ。そんなこと初めてしたかもしれなくて、胸の中に苦い気持ちが広がる。
でも、なんとかしないといけないから。葵が困っているなら、なんとかしないと。
「私聞いたんだ。麻衣先輩……図書委員の先輩なんだけど。陸上部の状況、あと葵がもしかしたら悪い立場にあるんじゃないかって。もしかして、いじめられてたりしない?」
「……そんなことないよ」
葵の瞳が揺れる。嘘をついていることくらい、すぐにわかった。
「私、私ね、いつも葵に助けてもらってた。だから今度は私が葵を助けたいの。前までは力不足だったかもしれないけど、もうなんだって出来るんだよ、私。その先輩を転校させるくらいなら簡単にできる、だから」
「ふみふみはそんなことしないよ」
その言葉は思いのほか部屋に響いて、次の言葉を出すことができなかった。
「私は大丈夫だからさ。明日の大会は出るつもりだし、それが終わればきっと学校も普段通り行けるよ。だから何もしないで」
葵はあくまで普通にそう言ってくれるけど、瞳は辛そうに揺れていて、なんで頑張っている葵がこんな表情をしなきゃいけないのかと思った。
「私には、なにもさせてくれないの?」
「……ふみふみが凄い力を持ってることは私も知ってる。だけどそれに頼りたくない」
「なんで? 私は葵を助けてる力があるのに、私にはこれしかないのに!」
その叫びが、葵の部屋に溶けて消える。葵は、なぜか悲しい眼をして私を見ていた。
「あのね、確かに私、陸上部でハブられてる。けど、そこまで辛いわけじゃない。別に走れないわけじゃないし、私より遅い人に意地悪されても全然気にならないから。私に意地悪するのも数人だし、かばってくれる人もいる。……だから、それよりもね」
「それよりも、ふみふみがその力を使って、私を助けようとする方が辛いよ」
「え……」
その悲しい眼は陸上部ではなく、私に向けられていた。
「もしその特別な力を使って、私が助かっちゃたら、きっとその後もふみふみを頼っちゃう。なにか困ったことがあったらふみふみの顔を思い浮かべちゃうし、その内なんでも相談して、なんでも解決してもらおうとする。きっとインターハイどころか、オリンピック金メダルだって夢じゃないんだろうね。だけどそれは私の力じゃなくて、ふみふみの力。私とふみふみは対等の関係じゃなくなる」
葵が言っていることは、なんとなくわかった。でも、それでも。
「……私は、それでも葵の力になりたい」
「ふみふみってこんな強情だったっけ?」
困ったように笑う葵に対して、私はいつの間にか涙で目の前が見えなくなっていた。目を制服の袖で拭うと、葵がそっと抱きしめてくれる。
「ふみふみの気持ちは嬉しいよ。ふみふみがそう思ってくれてるから、私も頑張れる。先輩が意地悪してきたって、もし陸上部の全員が敵になったって、ふみふみは絶対私の味方でいてくれるでしょ? 私は、それだけで十分なんだ。それでももし私のために何かしたいと思うなら、その力はなしで考えてほしいの」
「……そんなんじゃ、私何もできないよ」
「いつからふみふみはその力だけになっちゃったの? 半年前のふみふみはそんな力なかったのに」
……そうだった。葵の言う通り、私はこの力を持ってまだ間もないことに気づかされる。その前は、どうしてたっけ? 葵に頼りっぱなしの私でも、葵に頼られたことだってあったはずなのに。
「……葵は凄いね」
「凄くないよ、それに今だから言うけど最初は凄くふみふみのこと怖かったんだからね。いきなり呼ばれて、ふみふみが空飛んで火を飛ばした時なんて夢なら覚めてって思ってたよ。でもふみふみはやっぱり私の親友だから、悩んで悩んで、悪いことだけには使わせないって心の中で決めたんだ」
それは、初めて葵に魔法を見せた時の話だった。魔女の力を手に入れて、私はどうしてもその力を一人で抱えることができなくて、それを最初に打ち明けたのは葵だった。その時は葵になるべく喜んでもらえるように、派手な魔法を使った。その時の葵は私の思った通り手を叩いて凄い! と言ってくれたような記憶があるけど、心のうちではそうじゃなかったと初めて知った。
「葵、怖がらせてごめん。それでも友達でいてくれてありがとう」
「うん、ふみふみが何者になっても、私達はこれからも親友だからね」
葵は温かかった。その心の温かさまで伝わってくる気がして、涙が止まらなかった。




