1章 葵 4
「なんか葵、気合入ってない?」
「今週末インターハイ予選だから、そりゃーね」
月曜日、また長い一週間を過ごさないといけないと憂鬱な私に対し、いつもより大きなおにぎりを食べていた葵はふんふんと気合いを入れていた。
中には豚の角煮が入っているみたいで、ずいぶんヘビーなおにぎりだ。それをあっという間にひとつ食べたと思えば、鞄の中からは同じ大きさのものがもうひとつ出てきた。もうツッコミもしない。
それより、前から考えていたことを聞いてみる。
「私も応援に行ってもいいのかな」
「え! ふみふみ来てくれるの?」
「うん、特に予定もないし……」
「うわー、嬉しい! ふみふみが来てくれるならもっと頑張らないと!」
「お、落ち着いて……私が行ってもなにもできないと思うけど」
「そんなことないよ!」
急にエンジン全開になった葵を宥めながら、私も卵焼きを口に入れる。前々から行こうかなーと思っていたけど、こんなに喜んでくれると思わなくて、早く伝えとけばよかった。
「葵的にはどこが目標なの? やっぱり優勝?」
「インターハイ三連覇!」
「三連覇かー。葵の活躍、しっかりと目に焼き付けておかないと」
「予選からぶっちぎっていくよ!」
そんな葵を見ていると、つられて私もなんだか気合がはいる。ちゃんと応援できるようにしないと……葵に声が届くように発声の練習とかいるかな。
ふたつ目のおにぎりを速攻食べ終えた葵は、体力が有り余っているみたいで「軽く走ってくる!」と言って教室から出ていった。私はその体力に少し呆れながら、その背中を見送った。
「うーん……」
体育があって憂鬱な水曜日。
今日の葵のお昼はサンドウィッチで、大きなお弁当箱の中には私の三倍くらいの量が敷き詰められていた。私が自分のお弁当を半分食べる合間に、そのほとんどは葵の口に吸い込まれていったけど。
「どうしたの?」
「うむむむむ……」
「ねぇってば」
「はっ! どうしたの?」
「いや、こっちのセリフ……」
今日の葵は明らかに様子がおかしくて、授業中も上の空に見えた。先生から問題を当てられても、三回くらい呼ばれないと気づかないし、午前中の間食もしていない。
それに、月曜日に続いて火曜日もお昼を食べた後は走っていたのに、今日はお弁当箱が空になっても、机の前で悩んでいた。
葵がそこまで悩むことはちょっと珍しい。けどたまにあることではあったから話してくれるまで待つ場合が多い。
「……ねぇ、ふみふみ。今日遊びに行かない?」
でも葵のその言葉は、流石に聞き間違いかと思った。
「遊びに? 部活あるんじゃないの?」
「……ちょっと根詰めすぎだから一日くらい休めって先生が」
「あー」
思い当たる点しかない。葵の一日を考えてみると、朝に走って、部活でも走って、家に帰る時も走るから、外にいる時はほとんど走っているような状態で、本当によく体力が持つなぁと思っていたところだ。だれもが過剰だと思うだろう。
それならそうと早く言えばいいのに、それを言いづらそうにする葵にちょっと違和感がある気もするけど……。
「いいよ、どこいこっか」
そう返事をすると、葵の顔はぱっと晴れた。
「やった! ふみふみと寄り道するの久しぶり!」
「カラオケでも行く?」
「行く行くー! 甘いものも食べよ!」
私の返事に笑顔になった葵は、さっそくスマホでカラオケ店を調べる。その様子にさっき感じた違和感も気のせいかなぁと考えながら、私達は放課後の予定について話し合った。
「久しぶりに歌ったー」
ぽすん、とベッドへ倒れこむと心地よい疲労感を感じた。
学校終わり、葵とカラオケで三時間くらい歌った。カラオケ特製パフェも分け合って、お腹も幸せ。ふと、中学生の時にもこういうことしていたなと思い返す。
中学生の時の私は、もともと歌うのが得意じゃなかった。けどそんな私に葵は無理やりマイクを押し付け、葵も一緒に大声で歌うものだから、私がマイク越しに歌っても自分の声は全然聞こえなくて、そうやって歌い続けるうちにカラオケが苦手じゃなくなった。
あとから聞くとそれは意図的にやっていたみたいで、自転車の補助輪から着想を得たらしい。一緒に歌えば怖くないでしょ? と言いながら、楽しそうに歌う葵の顔は今でも忘れられない。
そんな感じで、葵には助けてもらったことがたくさんあった。だから今週末の応援で、少しでも恩返しできればいいなと思っていた。
「文歌ー、ご飯ー」
「はーい」
お母さんの呼ぶ声が聞こえて、いつの間にかうとうとしていた私はベッドから起き上がる。
葵も気分転換できたならいいなと、そんなことを考えながら部屋を出た。
次の日、いつもの待ち合わせ場所に葵はいなかった。
朝も走っている葵は私より先にいることがほとんどで、珍しいなと思いながらも待つことにする。
スマホを見ながら時間を潰していると、週末の天気が目に入った。葵が走る運動場付近の天気は晴れ、中止の心配もなさそう。
その画面上に、ぴこんとメッセージが届く。
『ごめん、今日学校いけなさそう。ふみふみは気にしないで学校行ってね』
そのメッセージに、心の中に不安が広がる。
風邪でもひいたかな。でも昨日は元気そうだったし、葵は風邪なら風邪って言ってくれる。インターハイ予選は今週末なのに、部活休んで大丈夫かな。
ひとまず足を学校に向けて、葵に返信を打つ。
『分かった。体調悪いならお見舞いに行くからね』
葵に送ったメッセージは、既読はつくけど返事が来ることはなかった。
葵のいない学校で、いつも通り授業を受ける。葵の席は空っぽでも、とくに何事もなく時間は過ぎる。お昼もいつも二人で食べていたから、一人だけなのはなんだか味気なかった。
葵が途中から遅れてくるなんてこともなく放課後になる。図書当番の日だから、麻衣先輩と貸し出しの受付をしたり、返却された本を棚に整理したりして過ごす。窓から見える陸上部の練習はいつも通り行われていて、そこには葵の姿はない。
「文歌ちゃん、今日は一段と上の空だね」
隣から伸びてきた手が、今私が本棚に戻したばかりの本を抜いた。
「この本はここじゃなくて隣の棚。ここに入れるのは、文歌ちゃんが左手に抱えてる本だよ」
「あ、すみません」
いわれた通り本を戻す。麻衣先輩に注意されてしまったのもあって、グラウンドに向けている視線を戻して残りの本を一気に片付ける。返却された本を全部戻す頃には下校時間が近くなっていた。
「お疲れ様、後は閉める時間まで受け付けするくらいだけど……文歌ちゃんは先に帰る?」
「私も最後までいます。当番ですし」
「葵さんのことが心配なんでしょう? あとは一人でも大丈夫だから」
「え、なんで葵のことだってわかったんですか?」
「そりゃあグラウンドずっと見てるし、でも陸上部の練習には葵さんらしき人はいないし……そのくらい予想つくよ」
ふふんと人差し指をくるくる回して、麻衣先輩は得意げに説明してくれた。私、そんなにわかりやすかったんだ。
「それともうひとつ、葵さんのことで知ってることがあるよ。……文歌ちゃんには教えるか迷ったんだけど」
「え、なんですか?」
少しだけ言いづらそうにしてから、麻衣先輩は教えてくれる。
「葵さん、もしかしたら陸上部内での立場があんまり良くないのかも」
その麻衣先輩の言葉は、私には予想外のものだった。




