最終話 文歌 5
私には高校生の時、魔女だったことがある。
それはもうずいぶんと昔のことで、今じゃぼんやりとしか思い出せない。なんで魔女になったのか、誰に魔女にしてもらったのかも全然覚えていないけど、確かに私の記憶の中にそんな時期があった。
空気を入れ替えようと窓を開けると、ひんやりとした風が入ってくる。冬の足音が聞こえてくるようだった。
「ふみ、このダンボール、キッチンでいいんだっけ?」
「大丈夫だよ。あっ冬弥君、そっちのもお願い」
「分かった」
契約したアパートは2LDK、二人暮らしにはちょっと広い。今はダンボールが積みあがっているけど、新しい生活が始まるという予感になんだかうきうきしてしまう。
「ふみ、ちょっと寒い」
「あ、ごめんごめん。もう閉めるね」
窓をしめて、冬弥君と一緒にダンボールの中を整理する。今日中にどれくらい片付けられるか考えながら、その作業さえもなんだか楽しかった。
陽が落ちるまで片付けて、ようやくある程度の生活スペースを確保できた。まだまだダンボールの山は残ってるけど、あとはゆっくり空けても問題ないものばかり。
「あ、葵じゃん」
冬弥君の声に視線を向けると、よく日焼けした葵がテレビの中でピースをしていた。
「また記録更新したのか、『人間を超えた!』って、まさにその通りだよな。というか高校の時からそうだったような」
「凄いよねぇ、どこまで速くなるんだろ」
いまやオリンピック選手でもある葵は、名だたる大会を総なめしている注目選手だ。その性格はテレビ向きでもあり、よくバラエティで暴走しているところを見る。
「康太君も大変だろうね」
「あいつは嬉しいだろ。ずっと勝負挑み続けれるんだから」
そんな葵のストッパーが、高校生の時からずっと片想いを続けていた阿部康太君。今は葵のマネージャー兼恋人で、葵との勝負はまだ続いている。50mに勝ったら結婚すると葵は言っているらしいけど、二人の距離の近さは私も冬弥君ももう結婚してる扱いをしているくらい。
「あ」
引っ越し当日はさすがに料理をする暇もなく出来合いの夜ご飯を食べていると、冬弥君が声を上げる。
「表札忘れた……」
「え、冬弥君のお爺ちゃんが使ってたやつ? 実家?」
「忘れないように玄関に出しておいたんだけど」
しっかりしているようで、どこか抜けている。それは冬弥君と付き合い始めてから分かったことだった。そんなところがギャップがあって好きだったりするんだけど、本人には言っていない。
「明日、冬弥君の実家行く? ホームセンター行かなきゃいけないから、ついでに」
「そうするか」
高校生の時から付き合い8年、結婚して2年になる。呼び方は変われど私達の空気感は高校生の時からそんなに変わっていなかった。
次の日、片付けもほどほどにアパートを出る。冬弥君が運転する車の助手席に乗り込んで、ホームセンターで洗剤やら掃除用具やら足りないものを買い足す。
リストに書いている全部にチェックがついていることを確認してレジへ向かう。とレジ横に吊り下げられている商品がなぜだか気になって、無意識にそれをカゴへ入れていた。
「それ、いる?」
「……なんとなく」
そう答えた時には、店員さんはレジを通していた。そんなに高くないのもあって、冬弥君はなにも言わずに袋に詰め込む。
「夜は麻衣さんと食事だっけ?」
「うん、麻衣先輩も近くに越してきたみたいだから」
「……あの人、本当にストーカーじゃないんだよな?」
「会うのも月に一回くらいだし、本人は偶然だって言ってるけど……」
麻衣先輩はフリーランスで文章を書く仕事をしている。住んでいる場所が近くて、たまにお茶しに行くのは高校生の時から変わっていない。私が一人で外出すると、偶然会うことはあるけど……そもそも私は麻衣さんのことも好きだから、嫌ってわけじゃない。冬弥君はちょっと敵対視してるみたいだけど。
「桔梗も来るんだっけ?」
「子育て忙しいからパスだって」
「桔梗が子育てなんて何度聞いても信じられないな……」
桔梗ちゃんは贅沢三昧の暮らしを続け、でも20歳になると神社の意向で結婚と出産を求められた。なんとしても神社での生活を維持したかった桔梗ちゃんは、自分で結婚相手を用意し、その次の年には女の子を出産した。その子供が思いのほか可愛かったらしく、女の子を産むというお役目は終わったのにその後男の子を産み、今は三人目を妊娠しながら子育てをしている。
「……私達ももうそろそろ考えてもいいかもね」
「そう、だな」
というか今回の引っ越しはそれを見越しての引っ越しでもある。
もうそんな照れるようなことでもないはずなのに、ちょっとだけ甘い雰囲気になった車内で、冬弥君はゆっくりとアクセルを踏んだ。
その後ファミレスでお昼を食べて、冬弥君の実家に行く。目的だった表札を回収し、お義母さんにあれもこれもとお土産をたくさんもらって車に乗り込む。
高校の時まで毎日のように見ていた、窓の外を通り過ぎる街並みは、10年もすればところどころ変わっていた。
私と葵が待ち合わせしていた自動販売機はなくなっていたし、よくケーキを食べに行った喫茶店はお洒落な外観に変わっている。変わらないようにみえてその全てが、気づかれないよう少しずつ変わっていく。
「……冬弥君、ちょっと停めてくれる?」
その風景を見ながらとある場所に差し掛かって、私は冬弥君に車を止めてもらう。
「ごめん、ちょっと待ってて」
「どこかに駐車したら俺も行くよ」
私は理由も分からないままさっきホームセンターで買ったものを持って、誘われるように石段を登る。その石段だけは高校生の時となにも変わっておらず、だけどずいぶん短く感じた。もう息を上げることもなくすぐに昇り終える。
昔は神社があったはずのその場所は、今はぽつぽつと遊具が並んでいる小さな公園になっていた。そしてその端、小さなベンチに、一人女性が座って空を見上げていた。
自然と手に力が入る。不思議と泣きそうな気持ちになりながら、ふらふらとその女性に近づく。
そんな私に気が付いて、女性がこちらを向く。私を見て驚いたような表情をしたかと思うと、その視線が私の手にたどり着く。女性は、なんだか可笑しくて堪らないという表情をした。
「そういえば4勝4敗だったね」
「……勝ち逃げしたままだったから、悔しいかなって」
「言うじゃん」
手に持っているのは、おもちゃの将棋盤。
覚えてもいない勝負の決着をつけるため、私は将棋盤をベンチの上に開いた。
これにて完結です。
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