幕間 栞
小山の上、寂れた神社、夕焼けが彼女を照らしてる。
誰もいない神社の境内で、栞はお賽銭箱の上に座ってぼぅっとしていた。
栞の心は死んでいた。
一万年以上生きた魔女として力は十分成熟し、様々な場所に赴き、地球の代弁者として魔力還元しながら日々を送る。ただただ義務のように、そうやって生きてきた。
しかしここ最近、栞は生きることに飽きていることをとうとう自覚した。それに気づかないように、くだらないことをたくさんして、誰が見つけるかもわからない記憶を残していったのにも関わらず、飽きはどんどん大きくなって気づかぬふりをするのもすでに限界を超えていた。
どんなことをしても実感がない。自分が生きているのか死んでいるのかさえよくわからない。ただ死ねないから生きているだけ。なにかをしていても、なにもしなくても変わらず登って沈む太陽。それをずっと見ていても、もうなんの感情もわいてこない。
私はいったい何なんだろう、魔女ってなんだろう。何万回も考えた疑問に答えを出せぬまま、栞はただそこに座っていた。
ふと栞がいる神社の近くで、人の命が消えそうになっていた。暇つぶしで境内に座ったまま魔法の目を伸ばすと、住宅街の路上で制服を着た女の子が刺されて倒れていた。刺した側の人間はすでに逃走していて、その後誰も通りかからず救急車も呼ばれぬまま、女の子の小さな命の燈火は今にも消えようとしていた。
よくあることだった。人は一日に何人も生まれ、何人も死ぬ。たまたま近場で起こったその出来事も、栞にとってはそこら辺に転がる石ころと同じようなものだった。
しばらくそれを眺めていた栞は、しかしいつしか魔力を練っていることを自覚する。魔力はどんどんと栞に集まり、なんだか久しぶりに、少しだけ気分が高揚してきた。
思いついた魔法、それが禁忌に触れることは分かっていた。魔力でなんでもできるといっても、次元の壁だけは越えられない、栞はそれを不変のルールだと思いこんでいた。けど栞が溜め込んだ魔力は、その壁を破ることが可能ということに初めて気づいた。
禁忌に触れたらどうなるんだろうという興味もあったし、もういいや、という諦めもあった。集めた魔力だけじゃ少し足りなくて、地球を巡る魔力までも使う。だんだんと、栞の周りで空間が歪んでいくのが分かる。地球が悲鳴を上げている。だけどその声を無視して、さらに魔力を吸い出して、吸い出して。
その運命を書き換える。
「うっ……!」
喉の奥から温かいものがせりあがり、地面を赤く濡らした。
いつの間にか腹に刺されたような傷が出来ていて、血がとめどなく溢れる。いつもは痛みも感じることもなくすぐに治るはずのそれは、何時まで経っても治らなかった。
「痛いの久しぶりだなぁ……やっぱり痛い」
その傷はあの少女と同じ場所にあった。頭がチカチカして、身体の中から魔力が抜け出る感覚が止まらない。数歩歩いてみるけど、足に力が入らずに倒れこんでしまって、また地面を汚す。
粗い息を繰り返していると、小さな悲鳴が聞こえた。先ほどまで見ていた制服を着た女の子が、五体満足で近寄ってくる。あわあわとスマホを取り出す女の子を、栞は押し倒した。
これでやっと解放される、もっと早く気づけばよかった。指先が光になるのを見ながらそう思った。女の子は私を抱えながら、その光を呆然と眺めていた。
助けてあげたんだからこれくらいはいいよねと、ほとんど擦切ってしまった魔力を女の子に押し付ける。最低限のことが分かれば、あとはきっと地球がフォローしてくれるはず。
自分の身体が魔力になる、大気に交じる、地球に還る。もう痛みもない、ただ穏やかな気持ちだけがあって、そんな気持ちはもう何年も感じたことがなかった。
目の前の女の子が同じ運命をたどると思うと、申し訳ないと思う。だから、一言だけ、万感の思いを込めて、栞はそう言い残す。
「ゴメンね、あとよろしく」
その再会は思いのほか早かった。
栞が生きてきた一万年と比べると、本当に一瞬の出来事だった。
地球の奥深く、少しずつ散らばっていた栞の断片がかき集められ一つになる。栞が意識を取り戻したその時、目の前には栞の力を受け継いだはずの記憶が浮かんでいた。
死んだはずの栞の記憶がこうしてサルベージされた時点で、その記憶の中には地球の意志もインストールされていた。その内容を理解して栞は思う。
どうやら地球は、まだ私のことを使い足りないらしい、と。
「はろー、お疲れ様。まぁ座りなよ」
わざと明るい声を出して、そう言った。
栞は自分が悪いことを自覚している。目の前の少女は巻き込まれただけで、それは栞が勝手に助けてしまったから。本来こんな場所にいなくてもいいはずの文歌を出迎える。
文歌は栞が残した記憶をいくつか読んでおり、栞に対しても最初からフランクに話しかけてきた。それがなぜだか嬉しく感じながらも話をすすめる。
目の前で控えめに座る文歌は、せっかく万能の力を手に入れたというのに魔法を使うことに忌避感があるようで、なんだか変な女の子だと思った。栞からみても、ぜんぜん魔力に染まっておらず魔法の練度もまだまだ。
しかし話を聞くにまだ魔女の力がしっかり馴染む前に禁忌を侵してしまったから、自分の存在まで使うことになったらしい。栞が禁忌を侵すのに一万年も掛かったのに、目の前の女の子はそれを二年足らずでやってのけたことに内心驚愕した。
地球側からのペナルティはほとんど栞が引き受けた。本当は文歌が魔女を続ける案もあったが、栞自身がそれを拒否した、そしてそれは正解だった。話してみて理解したが、文歌は絶望的に魔女に向いていなかった。もし文歌に魔女を押し付けても、きっと近いうちにまた禁忌を侵すような気がさえした。
ある程度決まった話が終わり、残りは文歌をどう返すかという問題になった。
栞が魔女に復帰するまでは10年ほど必要だった。栞は早いなと思ったけど、文歌は結構悩んでいたようだった。やがて文歌も死んでしまう可能性の方がずっと高いということを理解したようで、ここに留まることになった。
どーせだからと、地球の魔力を引っ張り出していろいろなことをする。
一人なら前と同じように地球の中を漂うだけだったが、遊び相手がいるだけでこんなにも楽しいのかと栞は思った。栞にとって同じことを共有する相手がいること自体、本当に久しぶりのことで、遠い遠い昔に栞にも仲が良かった友人がいたことを思い出した。
いくら仲良くなっても、誰かを好きになっても、その人は必ず先に死んでしまう。栞にとってそれは当たり前のことでどうしようもないことでもあった。魔女になった当初はいろいろな人と関わったが、一人だけ残されるのが嫌になって、話しかけもしなくなったのは何時頃からだろうと思った。
一時的とはいえ対等な存在の文歌と遊ぶことは、それこそ永遠にこうしていたいと思うくらいだった。
だからこそ、栞はその細い色を無視することが出来なかった。
地球の奥底まで降りてきた糸は、なぜか文歌自身の魔力に、何人かの想いで紡がれていた。今にも切れてしまいそうな細い糸なのに、その場のなによりも眩しくて、文歌ただ一人に見つけてもらうために主張を繰り返していた。
その糸が消えてしまう前に文歌にひっかけると、糸はすぐに上昇を始める。困惑する文歌が栞の名前を呼ぶが、その声はあっという間に遠ざかり表層へと向かっていった。
「また一人、か」
そう呟くも、返事をしてくれる人はいない。元に戻っただけ、さっきまでが特別だっただけと栞は自分に言い聞かせる。
文歌には、初めから栞の記憶を忘れてもらうよう調整していた。地上に上がっても会うことはないだろうし、栞のことを探すために無駄な時間を過ごされても困る。人の一生は百年もない。だからそうするのがいいと思った。
「けどちょっと早まったかなぁ……」
二人で遊ぶのがこんなに楽しいと思わなかった。ちょっともったいないことしたなと思いながら、栞は文歌が昇って行った先を見つめた。
一人になってしまえば10年くらいあっと言う間だった。栞はなにもせずに漂っているだけでよかった。
眼を開く、という行為を意識的にした時、そこは栞が禁忌を侵した神社……ではなく、その場所は小さな公園になっていた。
身体の中には魔力の箱がある。まだ今の身体に馴染んでないようで、魔力還元くらいしかできることがないが、それがなんだか懐かしいなと思う。
長い長い一人旅がまた始まり、そんな自由に魔法も使えなくなってしまったし、どうしようかなと思っているうちに時間は過ぎていく。




