5章 文歌 2
「葵さん!」
悲鳴のような声が響く。聞いたことのある声に振り向くと、道路の真ん中に誰かが倒れているのが見えた。それはどこか見覚えのある姿で、さっきまで幸せいっぱいだった心に、冷たい水がどっと流れ込んでくる。
「なん……で……?」
「おい、あれ、高崎じゃ……!」
佐護君の声で、倒れている人が葵だと確信してしまう。
無意識に魔力が動く。
次の瞬間、私は道路の真ん中にいた。目の前には頭から血を流している葵がいて、膝に力が入らずぺたんと座り込む。
「あ、葵……ダメだよ、こんなの」
葵の意識はなかった。真っ赤な血はとめどなく地面を濡らしていく。それは私にとって二度目の光景のはずだけど、葵の血は光になることなくゆっくりと広がっていく。
騒ぎが大きくなってきて、いろんな人の声が聞こえた。悲鳴、電話する人の声、麻衣先輩の叫び、佐護君の声。
その間にも、葵の命は地面に流れていく。
このままじゃ、葵は。
そう思った瞬間、私はなんのためらいもなく全力で魔力を引き出した。
葵が助かるならなんでもいい、そのために全部の魔力を使ったっていい。魔力のせいか、いつの間にかトラックも、人も、その場にあった全てが光に染まる。時が止まったような空間の中、目の前の葵を助けるためだけに私は魔力を注ぎ込む。
まだ足りない、もっと、もっともっともっともっと!
そして。
「危ない! 葵さん」
「きゃあ!」
目の前を大型トラックが通り過ぎる。葵の靴の先を掠りながら、かなりのスピードを出していたトラックが道の向こうへ走り去っていく。歩行者信号はいつの間にか赤に変わっていた。
「葵さん、大丈夫?」
「う、うん。ギリギリ……」
倒れた葵のもとに、さっき別れたばかりの麻衣が走ってくる。
「もう、危ないから走っちゃダメだよ。もう少しタイミング悪かったらひかれてたかもしれないよ
?」
「うん、あ、危なかった」
「あのトラックも一時停止してなかったから悪いけど、葵さんも気を付けてね。立てる?」
「……ありがとう?」
麻衣の手に引かれ立ち上がる。『あのタイミングじゃあ、避けようないな』と葵は思ったはずなのに、実際はしりもちをついただけで済んでいた。ぱんぱんとコートの埃を払っているところに、小走りの佐護君が見えた。
「高崎大丈夫か? ひかれたかと思った」
「私もそう思ったよー! まだ心臓どきどきしてるや」
その心配そうな声を安心させるために、葵はわざと元気な声で返事をする。
「気を付けろよ。元気なのはいいけど、もうちょっと落ち着くのも覚えた方が良い」
「なにをー! 失礼な!」
「事実だろ」
やいやいと言い合いになる。麻衣はどちらをフォローした方がいいか迷って、結局なにもいわないことにした。
「というか、高崎はなにしてたんだ? こっちの人は?」
そういえば佐護君は麻衣先輩と初対面だった、と葵は気づく。
「こっちは図書委員で二年生の麻衣先輩。麻衣先輩とはね……」
とそこで葵の言葉が出なくなる。なぜかフリーズした葵に、佐護は首を捻った。
「高崎、図書委員と関係なんかあったんだな。意外だ」
「……私も意外」
「なんで本人が意外そうなんだよ」
「佐護君は……どうしたの?」
「そんなの高崎も知ってるだろ、水族館に」
と言いかけたところで、佐護の言葉も止まった。
「なんで俺、一人で水族館なんて行ったんだ? 罰ゲームかなんかか?」
佐護も不思議そうにそう言った。葵はなにかひっかかりながらも、なんで佐護君一人で行かせたんだっけ、と思い返すもその理由は全く思い出せなかった。
だんだんと気温が低くなる日々を恨みながら、葵は毎日を過ごした。
けれどその日々はなにか足りない気がして違和感が拭えない。朝、赤い自動販売機の前で誰かを待ってしまうのも、ルーティンであるランニングでわざと遅く走ってしまうのも、たまの部活がない日にだれかを誘おうとして、誰に声をかけるかわからなくなってしまうのも、その違和感は何時までも葵の心の中にあった。
なにかを忘れているような。ショートケーキのてっぺんのイチゴだけなくって、ずっと見つからないような、そんな毎日を葵は過ごした。
そうして12月になってしまった、とある日。
「葵さん」
「あ、麻衣先輩」
「今日、この後大丈夫?」
50mのタイムが伸び悩み、コーチに集中できていないと叱られて葵がしょんぼり帰ろうとしていたところに、麻衣が待ち伏せしていた。
「……なんだか、久しぶりですね」
「そうだね、あの日以来かな。ちょっと聞いてほしい話があって……付き合ってくれる?」
特に用事もなかったから、葵は麻衣の後ろについていく。学校からほど近い、お洒落な店の前に来ると、麻衣は確認するように話しかける。
「葵さん、私とここに来たことあるっけ?」
「いえ、初めてだと思いますけど」
「そうよね。そうだと思った。私、後輩のだれかとここに来た事がある気がしたんだけど、それが思い出せなくて……一応確認」
麻衣がお店の中に入っていく。葵も誘われて入ると、その中は落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。
麻衣先輩は店員の案内を断り奥の方へ進む。一番奥の席にはなぜか佐護が難しい顔をして座っていた。そしてその正面にもう一人。
「あれ、どこかで会ったような……?」
どこだろう、と思うけどすぐには思い出せない。その様子を見てその少女はふん、と胸を張って言った。
「私は桔梗! 桔梗神社の巫女、桔梗よ! よく覚えておきなさい!」




