1章 葵 2
魔法を使うのに杖とかホウキとか、そういうアイテムがいらないことを、その時初めて知った。
私の手は真っ赤に染まっていて、手に伝わる体温はゆっくりと温かさを無くしているのにも関わらず、私はその事実の方が気になった。
学校の帰り道、いつもは寄ろうなんて思わない小さな山の神社。なにかに誘われるようように息を切らしながら登った先で、私は倒れている彼女を見つけた。その人は20代くらいの綺麗な女の人で、私が慌てて近づくと彼女の方から腰に抱きつかれて押し倒されてしまった。
その時初めて、彼女が血だらけなことに気づいた。
すぐに震える指で救急車を呼ぼうとしたけど、彼女はそれをはっきりとした言葉で断る。私がその通りに電話をしなかった理由は、彼女の血が徐々に光になって宙に消えていっていたからだ。
とても現実とは思えない光景に呆然とする私に、彼女はゆっくりとした動作で、私の胸に血で真っ赤な手をおき言葉を口ずさむ。
その歌のような言葉の連なりは、音とともに『知識そのもの』が浮かびあがる。宙で光るその文字達が、ゆらゆらと漂いながら私の中へ吸い込まれるように消えていく。
知らない知識が流れ込む。
彼女がどういう存在なのか、彼女が持っている力の使い方、そしてその役割。
胸に置かれた手が彼女と私をつなぐ管になって、それはなんの抵抗もなく流れ続ける。
歌は長い時間続いたような気がしたけど、痛みや苦痛はなかった。むしろその知識の暖かさに、半分寝ているような感覚にも陥ったくらいだった。
歌が少しずつ小さくなって、やがて聞こえなくなって。目を開くとそこには普段と変わらない神社があって、いつの間にか私しかいなかった。
血が溜まっていたはずの地面も、私の制服にも、彼女の痕跡はどこにもなく、ただ月の光が辺りを照らしていた。
夢かと思ってしまうような出来事にぽーっとしながら、神社を後にする。
でもそれは夢なんかじゃなくって。彼女の力は私の中に残っているし、彼女の最後の言葉も、私の耳にはっきりと残っていた。
「ごめんね、あとはよろしく」
ピー!
笛の音とともに、遠くに見えるグラウンドで葵が走り出す。
一緒にスタートした人との距離をぐんぐんと離していって、あっという間にゴールを切る。葵はタイムを確認して計測係の人と話していた。
「文歌ちゃん、何見てるの?」
窓の縁に体重をかけて外を見ていると、隣から麻衣先輩がのぞき込んできた。
「陸上部です、友達がいて」
「もしかして葵さん? 結構話題になってるよね」
「そうなんですか?」
「うん、陸上部に凄い人が入ってきたって。なんか新聞部でもインタビューされてなかったっけ」
その学校新聞は私も見た。「超新星! 陸上部期待のルーキー!』との見出しで葵が得意げにピースしている写真が載っていたはず。
「葵ってそんなに凄いんですか?」
「うちの陸上部はそんなに強くないはずだけど、今の二、三年生で敵う人いないって話だから相当だと思うよ」
遠くの葵は軽く走りながらまたスタート位置へと戻っていく。遠くでも葵の走る姿は綺麗で、何回見ても飽きることはなかった。
「お友達を見るのもいいけど、文歌ちゃんもお仕事してね」
「あ、すみません」
外ばっかり見ていた私に、麻衣先輩は注意しながらもクスリと笑って本を抱えた。
九条麻衣先輩は二年生で、図書委員で一緒になる先輩だ。すらりと身長が高く、長い髪も相まってモデルのような印象を受ける。目立ちそうな外見だけど、実際は私と同じくインドアな性格で、趣味は本を読むこと。私が図書委員に入ってからなにかと世話を焼いてくれる先輩だった。ちょっと過剰なくらいに。
「勉強はまだついていけてる?」
「中学の時より難しくなりましたけど、まだ大丈夫です」
「そっか、不安なら教えてあげるからいつでも言ってね。そういえば、近くにオススメのクレープ屋さんがあるの。よかったら帰りに寄り道してかない?」
「えっと、ごめんなさい。お金あんまりなくて……」
「私が奢るよ。先輩だし」
「それは悪いですよ」
こんな感じで、作業をしていても麻衣先輩は常に話しかけてくる。後輩ができて嬉しいのかな? とも最初は思ったけど、どうやらこんな風に話すのは私だけみたいで、理由はわからないけど私のことを相当気に入ってくれているらしい。
私はあんまり人と話すのが得意じゃないから、話しかけてもらっても上手く受け答えできないことが多い。麻衣先輩と話すとそれがちょっと申し訳なくなるのと、でも話しかけてくれてありがたい気持ちが半々になる。
図書委員が終わると、麻衣先輩とお話しながら帰る。といっても麻衣先輩とは家の方向が違うから、別れ道で手を振って別れ、私はほっと息を吐く。
麻衣先輩はいい人だけど、ずっと一緒だと少し気疲れしてしまう。きっと善意で私の世話を焼いてくれているから、もし私が明るくて前向きな性格なら、今日みたいな誘いも断ったりしなかったのかな、とかそんなことをつい考えてしまう。
なんとなくもやもやした気持ちを抱えたまま、いつもより遅い時間だけど神社への石段を登る。地球に魔力を送る作業、魔力還元は毎日やらなくていいけど、なんだか自分の嫌な気持ちも一緒に流れていく気がして、暗い気持ちになるとつい寄ってしまうことが多かった。
いつもの錆びれたベンチに座って、眼鏡を外して、足の裏を地面にぴったりつける。自分の中にあるもやもやを全て出すつもりで、箱を開く――
ガラガラガラ
「うひゃあ!」
「ん? 誰かいるのか?」
いきなり響いた音に大声を出してしまった。音の方向からは頭がひとつ覗いていて、それは意外にも見知った顔だった。
「あ、佐護君」
私が慌てて眼鏡をかけると、佐護君も驚いた顔をした。
「なんだ、えーっと……綴か。こんなとこでなにやってんだ?」
同じクラスの佐護冬弥君は私の斜め左の席の男の子で……あんまり話したことはない。私の印象だと、何事も動じず淡々とやる男の子。一度、クラス内でプリントを集めるのを先生から頼まれた時、その時まだ男子と話しづらかった私が誰に話しかけるか迷っていると、たまたま近くで話を聞いていた佐護君がすぐに男子の分集めてくれた記憶がある。
「え、あの、休憩してた」
「そうか」
しどろもどろになりながら言い訳をするように言うけど、佐護君は特に疑うこともなかった。
「……佐護君は、どうして?」
「ここ、俺の爺ちゃんがやってる神社なんだよ。社務所はたまに風通ししないといけないから、俺が学校帰りにこうやって開けてるんだ」
「そうなんだ」
今日は時間が少し遅いのもあって、佐護君とタイミングが合ったのは偶然のような気がした。けどあんまり話したことのない男子と急に会ってしまっても、何を話していいかわからない。
「綴は結構来るのか?」
「えっと、時々」
「ここ静かでいいよな、木陰多いから夏でも涼しいし」
黙っている私を気にせず、佐護君は社務所の中にあるホウキで塵を外に出すと、五分もせずにシャッターを閉める。
「余計なお世話かもしれないけど、あんま人気ないから女子が一人で来るにはちょっと危ないし、もうそろそろ帰った方がいいと思う」
「そ、そうだね。わかった」
「じゃ、また学校で」
佐護君はそう言って石段を下りていく。……ちゃんと男子と話したの、高校生になって初めてかもしれない。ほとんど私から話してない気もするけど。
後ろ姿を見送った後、すぐに帰ると佐護君に追いついてしまうような気がして、十分くらい待ってから石段を下りて帰路につく。今日はいつもと違う一日になった気がして、なんだか家に帰るまで気持ちが落ち着かなかった。




