1章 葵 1
連載でーす。
完結まで書いています。一日一話21時更新。30話程度予定で終わりますのでよろしくお願いいたします。
雲ひとつない空、凪いだ海、見渡しても地平線しかない場所。
陸地も船も飛行機もない、そんな海の上に私は一人立っていた。
足元の水は絶えず揺れ、ちゃぷちゃぷと音を立てる。水面から靴までは10cm程度で、外からは浮かんでいるように見えるだろう。それを指摘する人なんて、ここにはいないけど。
「うん、誰もいない」
不安を塗りつぶすように、自然と口が動いていた。
どきどきと煩い心臓を落ち着かせるように息を吐いて、身体の奥底から力を引き出す。無人の海の上なら誰かに怪我をさせる心配もないし、迷惑もかけない。
まっすぐ右手を上げる。イメージは鋭い刀みたいな感じ、引き出した力を指先に集める。
まずは50%程度……いや、やっぱり30%? ……最初は5%くらいから始めよ。
私にとってほんの少しの力が指先に集まった時、その右手を海に向かって振り下ろした。
閃光、そして一瞬の空白の後、ざあああああああああああああああという轟音とともに、振り下ろした先の水が弾ける。
その一線は地平線の先まで続き、足元には真っ暗な海の底がこちらを覗いていた。思ってもない威力にびっくりして力を抜くと、海はうねる様にその隙間を埋めていき、すぐに静寂を取り戻す。
そのとんでもない威力に、お試しでやってみた自分がめちゃくちゃひいていた。5%でこれじゃ、全力なんて出したら地球が割れちゃうんじゃないの……?
目の前の出来事にしばらく呆然としてその場を後にする。瞬く間に自分の部屋に戻った後、とりあえずベッドの上で現実逃避することにした。
「おはよー」
「おはよ」
赤い自動販売機がある交差点で、私の親友、高崎葵はいつものようにスマホを操作しながら待っていた。
短い挨拶を交わして、並んで学校へと向かう。
「ねぇねぇ、朝のニュースみた? 太平洋の中心で謎の震源があったんだって! ネットじゃどこかの国の実験とか言われてたけど、私は地底人説を押すね」
「へ、へぇ~。今日は見てなかったな、ちょっと夜更かししたせいで寝坊して」
「そうなの? ちゃんと寝ないと大きくならないぞー」
高校生になってやっと150cmに届いたと思ったら、それきり伸びなくなってしまった私の頭に葵はぽんぽんと手を当てる。ぐぬ、もう少しだけ伸びる予定だったのに……。
「そーいえば今日の体育持久走だよね、気合入るー」
「葵と違って私には地獄だよ。お昼前なのも最悪」
「えー、走るの楽しいのに」
陸上部の葵は私と違っていつも元気で、暇さえあれば走っているような友達だ。小学生の時は私より足が遅かったのに、中学生になると簡単に抜かされ、今では高校一年にしてインターハイを狙える注目選手になっている。
私より10cmくらい高い背に、引き締まった足と引き締まった身体。髪はばっさりとショートで、夏は始まったばかりというのにすでに日焼けをしている。それでも笑う顔は可愛くて、一部の運動部男子からかなり人気が高いことを私は知っていた。
中学から文化部へ転向し高校から帰宅部になった私とは、今や見た目からして性格までも大違い。
「いっそ一時間目から四時間目までずっと体育にならないかなー」
「葵でもそこまでは走れないでしょ」
「いやいけるって。たぶん」
そんな眩しくなってしまった葵と、幼馴染だからという理由で私は毎朝その隣を歩いている。葵の底抜けの明るさにちょっとだけ気後れしている私は、『陸上部の友達と登校してもいいよ』と提案したこともあった。だけど葵は断固として私と登校することを主張した。
「だってふみふみ、心配だし」
と言うけど、そんな心配されることなんてないと思う。
運動は出来ず、勉強はそこそこで、友達もまぁまぁだけど、私にはひとつだけ誰にも負けない……というか世界中の誰も持っていない特技があるし。
びゅう、という音とともに強い風が吹きつける。今日は特に風が強くて、せっかく朝綺麗に梳かしてきた髪ももうバサバサになっていた。眼鏡があっても目の中にゴミが入りそうになってしまう。
「あー!」
どこかからそんな声が聞こえたと思うと、少し先を歩いていた子供が空に手を伸ばしていた。
その手の向かう先には黄色の帽子が宙を舞っていて、強い風に乗りもみくちゃになってこちらへ飛んでくる。帽子は空高く舞い上がっていて、取るのは難しそうな軌道を描いていたけど。
「よっ、と」
突然その帽子の周りだけ風が収まったかのように、ゆっくりと降下して私の手元にぽすんと収まった。次の瞬間には風がまた帽子を連れていきそうになるからしっかりと掴んで、駆け寄ってきた子供にその帽子を渡してあげる。
「帽子、リュックの中に入れておいた方がいいよ」
「ありがとー、お姉ちゃん!」
元気な声に笑顔を返して、その子供は走り去った。
「……いま、使ったの?」
「うん」
「いいことしたねぇ」
まだ強く吹き付ける風の中、葵はスカートを押さえながらにっ、と笑ってくれた。
誰だって一度は考えたことがあると思う。全てが思う通りになれば、世界の半分が手に入れば、突然異能の力に目覚めたなら。そんな想像はきっと、上手くいかない世の中に対しての処世術みたいなもので、そんな途方もない想像をして不安を妄想で紛らわしながら、私達は不安定な日常を過ごしている。
だけどもし本当にその力が手に入ったら、目の前の世界は180°変わるだろうか。
全てが思う通りになって嫌いな人を消したり、世界の半分を支配して金の玉座に座ったり、超能力が使えるようになって幽霊や怪異と突然戦うことになったり。
自分の思い通りに力を振るって、その先の道はまっすぐ続いているんだろうか。
答えは『否』だ。
思い通りになってしまうなら、ふとした瞬間に地球は無くなっているだろうし、世界の半分が手に入ってもそんなの管理しきれないし、幽霊と戦うなんてそもそも怖くてやってられない。
だからきっと、それは想像のままの方がいい。想像するだけなら世界の中はその人の自由だから。
なぜ私がそんな風に答えることができるのかというと、その大きすぎる力を、たまたま持つことになったから。
そしてその大きな力はこの前まで中学に通い、高校生になってあたふたしているような一学生には使いどころなんてなくて。時々その力を使ったとしても宙に飛んだ帽子を、さも風が手元に運んだように見せることくらいだった。
「う、気持ち悪い」
「2周でギブアップなんて……ふみふみはもう少し運動したほうがいいね」
地獄の体育が終わってお昼休み。持久走で体内をシェイクしたせいで、お母さんが作ってくれたお弁当がなかなか口に入らなかった。
「あれすればよかったんじゃないの? 身体強化ってやつ」
「あれやったらアスファルト踏み砕いちゃうし、急に止まれないから家壊しちゃう」
「もう少し調整できない?」
「たまに練習してるけどまだムリ」
それでも、せっかく作ってくれたお母さんのお弁当を無駄にするわけにはいかないから、少しずつ箸を進める。私の二倍くらいある葵のお弁当箱はもう空っぽで、信じられないことに追加で買ってきたふたつ目のパンをかじっているところだった。
「ねね、私朝軽く走ってるんだけど、ふみふみも一緒に走ったりしない? 少しは体力つくかもよ」
「やだ」
「そんな即答しなくても。走ってるうちにだんだんと楽しくなるからさぁ」
「楽しくはなんないでしょ……」
葵と雑談をしながら、お昼休みの内になんとかお弁当を食べ終える。胸の中に気持ち悪さが残ったままだけど、なんとか授業には間に合った。
「うぅ、ごちそうさま……次の授業ってなんだっけ?」
「数学じゃない? ……あ!」
「まさか葵、また宿題忘れた?」
「さすがふみふみ、よくわかってるぅ。それでですねぇ……」
「次はちゃんとやってくるって約束してくれるなら」
「やるやるー、ありがとう! 持つべきものは親友だね」
その調子の良さに思わず笑ってしまいながらも、葵にいつでも見せられるよう綺麗にまとめてあるノートを私は手渡した。
授業も終わって放課後。先生が出ていった途端、教室が騒めきで満たされる。
「じゃあまた明日ね、ふみふみ」
「うん、部活頑張って」
元気よく教室を出ていく葵を見送ってから、私も手早く荷物をリュックに入れて教室を出た。
葵のいない教室はなんとなく居づらくて、だいたい授業が終わればまっすぐ帰る。葵の部活がない日は一緒に帰って寄り道したりもするけど、それも月に一度あればいいくらい。
とはいっても、まっすぐ帰ったところでやることは勉強くらいしかないから、こういう時はたいてい寄り道をする。
学校と家のちょうど真ん中あたりに、小さな山の入口がある。そこには長い石段が続いていて、よく学校の運動部がトレーニングに使ったりしていた。その石段を、運動部じゃない私が息を切らしながら登っていくと、やがて小さな神社が現れる。
鳥居の前で礼をしてお邪魔する。神社は全体的にさびれていて手入れが行き届いていない。それでも一応、賽銭箱もあるしガラスの向こうに謎の像も見えるから、少なくともまだ管理はされている。掘っ立て小屋みたいな社務所にはシャッターが下りていて、年末年始以外は開いているところを見たことがない。
社務所の隣には二人くらいしか座れない小さなベンチがあって、私はそこにハンカチを敷いて座る。深く呼吸すると、木と土の匂いがした。息を落ち着かせるまでそうして、誰もいないことをよく確認してから、かけていた眼鏡をはずして膝に置き、足をぴったりと地面につける。
長く息を吐きだして、足の底から自分の内にある力……『魔力』を地面に放出する。
小学生のころ、理科の実験で初めてドライアイスというものを知った。ボウルからもうもうと立ち上る煙はいつまで経っても収まらなくて、白い煙が溢れては空気に消えていく。もちろんドライアイスがなくなるにつれ煙は収まっていったけど、その時は永遠に出続けるんじゃないかと思ってしまった。
魔力は、そのイメージによく似ている。
私の中に正方形の箱があって、その蓋を開けると絶えず魔力が流れ出す。今は方向を持たせているから、その魔力は足元から地面へ伝わって山全体へ、そして地球全体へと馴染んでいく。
今の私を外から見たら、きっと女子高生がうたた寝でもしているように見えるだろう。けどその時私は地球と一体になっていて、流れたその魔力は地球の中心を巡り、山や海、視界に見えるありとあらゆる場所の栄養となる。
そしてもちろん、木々や海が健康になるということはまわりまわって私達、人のエネルギーにもなる。
「……」
目を開く。太陽はゆっくりと落ちていって、辺りは少しだけ暗くなっていた。かぁ、かぁと遠くからカラスの鳴き声が聞こえる。
「そろそろ帰らないと」
流れる魔力をゆっくり止めて足を地面から離すと、地面から名残惜しそうに引かれたような気がした。
いつもより長居をしてしまった。お母さんは別に厳しくないけど、あんまり遅いと心配させちゃう。私は早足で石段を降りる。
今日も地球にとって役に立つことができた。心なしかすっきりした気分で、私は帰路についた。




